2019年10月14日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(36)

ぴりぴり


 明石の人たちは、「ぴりぴりし・てき・た・ぞ」というような言葉を聞くと、空を見上げて、その様子をうかがうことをします。他の人より一瞬早く、空が「ぴりぴりと」する様子に気づいた人が、声を上げて、他の人に知らせたりすることがあるのです。
 「ぴりぴり」は、痛みや辛みを表したり、神経が張りつめている様子を表したり、紙や布などが裂けたり震えたりする様子も表しますが、微かに雨が降り始める様子を表すことについては、その用法を知らない人には意味が通じないでしょう。
 「ぴりぴり」は微かな雨の降り始めの様子ですが、その「ぴりぴり」がしばらく続くことはあります。けれども、傘をさしたくなるような降り方になってきたら、もう「ぴりぴり」ではありません。
 「ぴりぴり」は、「ぴりぴり・ ふ(降)りはじめ・た。」のように「ぴりぴり」だけで使うことがありますが、「ぴりぴりと・ かお(顔)・に・ あ(当)たっ・た。」のように「ぴりぴりと」の形になることもあります。どちらも副詞です。
 「する」と結びついて、動詞の用法もあります。「ぴりぴりし・とる・さかい・ せんだくもん(洗濯物)・を・ い(入)れる。」というような使い方です。


 「明石日常生活語辞典」では、「ぴりぴり」を次のように説明しています。

 《副詞と、動詞する》 ①微かな雨が降り始める様子。「ぴりぴりし・てき・た・さかい・ せんたくもん(洗濯物)・を・ しまい・ましょ・ー。」②刺されるように痛く感じる様子。しびれるような痛みや辛みを感じる様子。「くち(口)・の・ なか・が・ ぴりぴり・ から(辛)い。」③神経が高ぶって張りつめている様子。「みんな(皆)・ ぴりぴりと・ きんちょー(緊張)し・とる。」④紙や布などが続けざまに裂ける様子。紙などが小刻みに震え動く様子。また、その音。「かみ(紙)・を・ ぴりぴりと・ やぶ(破)る。」

 雨の降り方については、明石では、この言葉以外に珍しい表現は見当たりません。けれども、「ぴりぴり」だけは、他の地域ではあまり使わないことを知っていて、「ぴりぴり」という言葉を自慢のように言うことがあります。
 「ぴりぴり」は播磨地域の他に、丹波篠山などの地域でも使っているようです。

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2019年10月13日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(35)

すいな


 川崎洋さんの著書に紹介していただいている明石の言葉として、最後に「すいな」について書きます。漢字で書けば「粋な」ということになるでしょうが、選りすぐったものというような意味では使いません。貶し言葉ではありませんが、褒め言葉に徹しているわけでもありません。川崎洋さんの文章を引用します。


 私が生まれてはじめてコカ・コーラを飲んだのは、今からもう二五年ほど前のことになります。
 それまで、日本には、ラムネ、サイダー、それにカルピスというような飲みものがありましたが、コカ・コーラはありませんでした。コカコロニゼーションという新語があります。コカ・コーラと、「植民地化」を表わすコロニゼーションとの合成語で、コーラの進出ぶりをアメリカの経済進出とあわせて諷刺した国際語ですが、日本にも、駐留軍と共にコカ・コーラがどっとやってきました。生まれてはじめて飲んで、いっぷう変った、薬くさい味だな--と思いました。
 このように、ちょっとふつうとちがった、いっぷう変った、という意味で、「すいな」ということばが兵庫のほうで使われています。
 つまり、私にとって、コカ・コーラは「すいな味」だったわけです。
 味ばかりではありません。「すいなやり方をする」というふうにも使います。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、128ページ)

 「すいな」は、「すいやっ・た」というような使い方もしないわけでもありませんが、活用のない言葉(連体詞)として扱いました。「すいやっ・た」は形容動詞連用形+助動詞という扱いになりますが、そのような使い方は極端に少ないと思います。
 「明石日常生活語辞典」では、「すいな」を次のように説明しています。

 《連体詞》 ①一風、変わった。「こーら(コーラ)・と・ ゆー・の・は・ すいな・ あじ(味)・が・ する・ のみもん(飲物)・や・なー。」②地味で渋い感じがする。「あんた・ きょー(今日)・は・ すいな・ きもの(着物)・を・ き(着)・とる・なー。」

 ①の場合は褒め言葉の要素は弱いのですが、②の場合は褒め言葉の度合いが大きいように思います。

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2019年10月12日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(34)

ぶてこい


「明石日常生活語辞典」が出来上がって届けられたときには、自分でもびっくりしました。この出版物を紹介してくださった新聞は「厚さ6センチ」と書いています。分厚いのです。
 厚い、分厚いという言葉を明石では使いますが、他に「ぶてこい」という言葉もあります。ただし分厚い本のことを「ぶてこい」と言わないと思います。
 この「ぶてこい」という言葉を川崎洋さんにお話ししたところ、次のような文章にまとめられました。


 考えてみると、「厚い」も「太い」も「大きい」も、ずいぶん守備範囲の広いことばです。
 「厚い」にしても、厚い紙、厚着、厚い胸、分厚い唇、厚い情、手厚い看護、厚い札束、更には厚かましい--などという意味を負わされています。
 これに比べて、兵庫県の明石のある限られた地域ですが、そこに、守備範囲は狭いながら、その代り、他と交錯しようのない、きちっとした形容詞が使われています。
 それは、布や紙などの、厚みのあるもの、厚手のものをいう「ぶてこい」ということばです。
 それも更に限定されていて、紙の場合はたとえば段ボールのように、まとめようとすれば折れてしまう材質のものには、「ぶてこい」は使いません。ラシャ地や、フェルトなど、そのボリューム感を指で感じとることができるものに対して使われます。
 なお、この「ぶてこい」のほかに、「ぶあつい」ということばもちゃんとあって、分厚い辞書--の場合は「ぶあつい」であって、「ぶてこい」辞書とはいいません。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、190ページ~191ページ)

 「明石日常生活語辞典」では、「ぶてこい」を次のように説明しています。

 《形容詞・オイ型》 やや弾力性があって、それなりの厚みがある。「ぶてこい・ きれ(布)・や・さかい・ はさみ(鋏)・で・ き(切)ら・れ・へん。」「ぶてこい・ ぼーるがみ(ボール紙)・や・さかい・ お(折)りまげ・られ・へん。」

 一つ一つの言葉には、どのような意味・用法を持つかという守備範囲があります。「ぶてこい」の守備範囲は狭いのですが、それがかえって、独特の意味や感じを伝えてくれます。
 広い守備範囲を持つ言葉は必要ですが、一方で、狭い守備範囲を持つ言葉も重要な働きをします。その言葉を使うことで、意味合いが如実に伝わることになるからです。

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2019年10月11日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(33)

へっともない


 明石の言葉に「へっともない」があります。「へらへっともない」とも言います。「へらへっと」とも言いますが、短く「へっと」と言うことはありません。
 共通語で言うと、「やたら」「めったやたら」「むやみに」「むやみやたら」にあたります。「めちゃめちゃ」「めちゃくちゃ」「めちゃんこ」「めっちゃくちゃ」「めっちゃくっちゃ」と言っても、ほぼ同じような意味です。
 けれども、「へっともない」「へらへっともない」「へらへっと」という言い方には方言色が出ていると思います。川崎洋さんの文章を引用します。


 学校から帰ったらすぐに塾に行って、帰ってからまた夜おそくまで勉強して、夏休みなのに夏勉強で、地球の子どもなのにどこか他の星の中年のような、そんな子がいます。
 なかには、三度のごはんより勉強が好きという子もいるのでしょうが、ともあれこのように、むやみやたらとガリ勉するのを、兵庫の方で、「へっともないに勉強しよる」といいます。
 「へっともない」は、「むやみに」「やたらに」「とてつもなく」「もう馬鹿みたいに」というような意味で、さまざまな場合に広く使われることばです。「へらへっと」とか、「へらへっともない」ともいいます。
 「全力投球」というと、これは誉めことばですが、「へらへっともない」には、称賛の気味合いはありません。といって、軽蔑の感じもこめられてはおらず、「そうまでしなくてもいいのに」という、ややあきれた、ユーモラスなニュアンスがあります。
 「もうちょっと力を抜いたらどんなものだろう」「もう少し我々の一般の生理のリズムに近づいてくれないものかな」「どうも度が過ぎて、見ていられない」といった感じです。
 また、いわれた側として、そう、ぐさりと突き刺さる、罵りを感じることばではありません。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、196ページ~197ページ)

 「明石日常生活語辞典」では、「へっともない」を次のように説明しています。

 あまりにも度を過ごしている様子。ものごとに秩序や根拠が乏しい様子。「へっともないに・ はし(走)っ・たら・ こける・ぞ。」〔⇒やたら【矢鱈】、めったやたら【滅多矢鱈】、むやみに【無闇に】、むやみやたら【無闇矢鱈】、めちゃめちゃ【目茶目茶】、めちゃくちゃ【目茶苦茶】、めちゃんこ【目茶んこ】、めっちゃくちゃ【目茶苦茶】、めっちゃくっちゃ【目茶苦茶】、へらへっと、へらへっともない〕

 一つ一つの言葉の用例は「明石日常生活語辞典」をご覧いただきたいと思いますが、この本の副題を「-俚言と共通語の橋渡し-」としているように、俚言でも表現できますし共通語でも表現できます。近所の人同士なら「へっともない」の系列の言葉を使い、関西人同士なら「めちゃめちゃ」の系列の言葉を使い、関西人以外と話をするときは「むやみ」「やたら」の系列の言葉を使うというような、使い分けが行われても不思議ではありません。

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2019年10月10日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(32)

ばあてがする


 共通語でいろいろな表現をしてみるけれども、どうもぴったりしたものに感じられないということがあります。それを一言で言い表す地域語があったら、共通語の文脈であっても、その地域語を使ってみたいと思うことがあります。そんな例として、川崎洋さんに話をしたら、見事な文章にまとめてくださいました。


 きょうが引っ越しという日、家の中の荷物の片付けに、てんてこまいをしている--とします。まもなく頼んでおいたトラックがくる、時はどんどん過ぎていく、さっさと事を運ばねば、と気持をせかされている。と、それが嵩じて、ふと自分はいったい今何をやっているんだ、とわけがわからなくなり、次はどうしたらいいのかという手筈を考えていたはずなのに、それが頭の中からすーっと抜けてしまっている、というような状態があるものですが、それを表現するとしたら、共通語ではどういえばいいでしょう? …(中略)…
 「あたまがぼーっとなる」
 「一瞬自分がわからなくなる空白状態」
 「カーッと頭へ血がのぼって、なにがなんだかわからなくなる」
 「すっかりあがってしまう」
 「自分が自分でないような、のぼせてぽーっとなった状態」
というようなふうに表わすしかありません。
 それをぴたりといい表わすことばが兵庫県の明石にあります。
 「ばあてがする」がそれです。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、164ページ~165ページ)

 「明石日常生活語辞典」では、その「ばあてがする」を次のように説明しています。

 《動詞・サ行変格活用》 のぼせてしまって、しっかりとした振る舞いができずに、あわてたり、うろたえたりする。どうしてよいかわからず立ち往生したり、ぼんやりしたりしてしまう。「ばーてがし・て・ じゅんばん(順番)・を・ まちが(間違)え・た。」「ばーてし・て・ おちゃ(茶)・を・ ひっくりかえし・ても・た。」◆その場の状況や雰囲気になじめず「場に当たった」ということに由来するのか、それとも、その場で平静さを失って「場に慌てる」ということに由来するのか。ともかく、人から見ると尋常でないように見える様子であり、滑稽さも伴うのである。〔⇒うろがくる【うろが来る】〕

 「ばあてがする」はもともとは3語から成り立っています。その「ばあて・が・する」を熟した言葉にしているのです。「が」を省いて、「ばあて・する」という言い方もします。
 「ばあてがする」とほほ同じような意味の言葉として、明石では「うろがくる」も使います。「うろ・が・くる」の3語が熟したものです。
 「明石日常生活語辞典」では、「うろがくる」を次のように説明しています。

 《動詞・カ行変格活用》 のぼせてしまって、しっかりとした振る舞いができずに、あわてたり、うろたえたりする。どうしてよいかわからず立ち往生したり、ぼんやりしたりしてしまう。「いそが(忙)しすぎ・て・ うろがき・ても・た。」「さんのみや(三宮)・の・ まち(街)・へ・ い(行)っ・たら・ うろがき・て・ ほーがく(方角)・が・ わから・ん・よーに・ なっ・た。」〔⇒ばあて(が)する【場当て(が)する】〕

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2019年10月 9日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(31)

どっしゃげる


 面白くて、こんな言葉は他の地域にはないだろうと思うような言葉があります。「どっしゃげる」です。川崎洋さんにお話をしたら、きちんと書き留めてくださいました。


 自転車に乗れるように練習したのは小学生のときでした。路地で、はじめはうしろを友人に持ってもらい、どうやらいけそうになってから、友人に手を離してもらうのですが、「あああ」と思っているうちに自転車はこちらの意向など全然うけつけずに、ドブにはまったり、電柱にぶつかったりして、泥だらけになったりコブをこさえたりしながら、やっと自転車を乗りこなせるようになっていったものです。
 自転車に乗っていて電柱にぶつかり、ひっくり返ることを、兵庫県の明石で、「電信柱にどっしゃげて、ひっくり返った」といいます。ふつうに使われていることばです。
 衝突する、乗り上げる--という意味ですが、ユーモラスで、その上「!」をつけたくなるような派手な色合いを感じさせることばです。一人相撲--といったひびきがあるからです。衝突とはいえ深刻さがありません。衝突のリアルな写真でなしに、漫画ふうに描いたイラストというところでしょうか。
 「電車と自動車が、どっしゃげた」というふうにも使います。しかし、多くは「電信柱にどっしゃげる」「他人にどっしゃげていく」というような、「どっしゃげる」行為をした側の不注意で、彼のほうから一方的に衝突していくような場合に使われます。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、150ページ)

 川崎さんの文章に付け加えることはありません。この言葉の意味・用法を見事に説明してくださいました。
 「明石日常生活語辞典」では、「どっしゃげる」を次のように説明しています。

 《動詞・ガ行下一段活用》 進んで行って、立ちはだかるものにぶつかる。「じてんしゃ(自転車)・に・ の(乗)っ・て・ よそみ(余所見)し・とっ・て・ でんしんばしら(電信柱)・に・ どっしゃげ・た。」「はし(走)っ・とる・ ひと(人)・が・ ぎょーさん(仰山)で・ どっしゃげ・そーに・ なる。」〔⇒つきあたる【突き当たる】、つっきゃたる【(突き当たる)】、つきゃたる【(突き当たる)】、しょうとつ【衝突】(する)〕

 共通語で言うと「しょうとつする」や「つきあたる」になりますが、「しょうとつ」ほどの重大さや深刻さが少ない場合に使います。「つきあたる」は共通語を使っている感じがして、「つっきゃたる」や「つきゃたる」が地域の言葉という感覚になります。

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2019年10月 8日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(30)

そばえる


 生まれてから今に至るまで同じ所に住んでいますが、「そばえる」という言葉には、郷愁を感じます。にわかに降り出す雨のことを、こんなにぴったり表現する言葉は、他に見当たらないと思うからです。空を雨雲が通過していく、そのダイナミックな動きを表現している言葉です。この言葉を川崎洋さんに告げたら、こんな文章をお書きになりました。


 天気予報が、「午後ところによりより一時雨となるでしょう」と告げた日、海で釣り舟に揺られながら、ひょいと水平線をみると、はるかなそのあたりに、黒雲がひろがっていて、水面に近く、空間が溶けているようなぐあいになっているのをみて、あそこは今雨が降っているのだな--とわかる。そんな情景を遠望することがあります。と同時にあの雨雲がまもなく、われわれの舟の上の空へやってきて、ここも、ざーっと降ってくるぞ、とわかり、雨合羽を着込んだりします。
 そんなとき、兵庫県の方で、「むこうのほうがそばえとる、そばえがもうじきくるぞ」というふうにいいます。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、132ページ)

 「明石日常生活語辞典」では、「そばえる」を次のように説明しています。

 《動詞・ア行下一段活用》 急に雨が降り出す。雨がひとしきり降って止む。「さっき・まで・ え(良)ー・ てんき(天気)・やっ・た・のに・ きゅー(急)に・ そばえ・てき・た。」■名詞化=そばえ

 また、名詞の「そばえ」も項目を設けて、説明しています。

 《名詞》 急に降り出す雨。ひとしきり降って止み、すぐに晴れる雨。「そら(空)・が・ くろ(暗)ー・ なっ・てき・た・さかい・ もーじき・ そばえ・が・ く(来)る・ぞー。」〔⇒とおりあめ【通り雨】、にわかあめ【俄雨】〕

 「そばえ」と同じものを、共通語を使って「とおりあめ」とか「にわかあめ」と言うこともありますが、それは「そばえ」と言っても通じないような人に向かって使う言葉であると言ってもよいでしょう。

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2019年10月 7日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(29)

しおとろしい


 恐ろしいということを、明石の言葉では「おとろしい」と言うことが多いのですが、似たような言葉で「しおとろしい」というのがあります。この言葉も川崎洋さんにお話をしたのですが、それが次のような文章になりました。


 主婦が魚屋でサンマを買い、次に八百屋に寄って大根を買おうとしたら、一本一五〇円の値がついているのを見て、「一本一五〇円もするの、しおとろしいなァ」と--。
 大根一本、どんなに高くても、せいぜい一二〇円くらいと踏んでいたのに、一五〇円とは空恐ろしい、という気持ちです。「しおとろしい」には「恐ろしい」という語感が含まれています。
 兵庫県の明石で耳にすることばです。
 しかし、その主婦としては、今夜はサンマの塩焼きと決めて、サンマを既に買ったことでもあるし、一五〇円の高値でも、大根おろしはジャガイモでは作れないし、仕方なくその大根を買わざるをえません。
 この場合、「大根が一本一五〇円もするの、高いわね」といったら、八百屋が高く売っている、というひびきがあるので、右のようにいわれたら店先に立っている八百屋のおやじさんにも、そのうらみがましいひびきはまっすぐ当たります。
 しかし、「一本一五〇円もするの、しおとろしいなァ」という場合は、八百屋のおやじさんに向かってよりも、むしろ大根に向かって、「お前が一本一五〇円とは空恐ろしい」というニュアンスなのです。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、112ページ~113ページ)

 今年2019年は、大根ではなくサンマが「しおとろしい」値段になりました。「しおとろしい」は食べ物だけでなく、「しょーひぜー(消費税)・が・ あ(上)がっ・て・ おーさか(大阪)・まで・の・ でんしゃちん(電車賃)・が・ せんえん(千円)・を・ こ(超)え・て・ しおとろしー・ よ(世)のなか・に・ なっ・た・なー。」というようにも使います。
 「明石日常生活語辞典」では、「しおとろしい」を次のように説明しています。

 《形容詞・イイ型》 びっくりするほど値が張っていて、驚く。お金を出すのが恐いような気持ちである。「あめ(雨)・が・ つづ(続)い・て・ やさい(野菜)・が・ しおとろしー・ ねだん(値段)・に・ なっ・とる。」◆金額が高いという意味よりも、予期していた価格や常識的な価格から並はずれていることに驚く場合などに使う。けれども、買わないわけにはいかず、愚痴を言いながら、しぶしぶ買うようなときの気持ちである。

 私個人の気持ちの中には「しおとろしい」という言葉は生きています。けれども、多くの人が口にする言葉ではなくなったように思いますから、胸の中の言葉に押しとどめて、「しおとろしい」と口にすることは少なくなりました。

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2019年10月 6日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(28)

ここっちょい

 「ここっちょい」は「心地良い」の発音が変化した言葉です。川崎洋さんは、私が話したことをもとに、文章を綴っておられます。

 私は魚釣りをはじめて一五年になりますが、ひと頃に比べて、めっきり魚がいなくなりました。  だいぶ前に、夜のボート釣りで、あっというような大きなメバルをあげたことがあって、それは今魚拓にしてとってありますが、あのときの、身体中の臓物が踊り出すような悦びを今でも忘れることができません。  そんなとき、兵庫県の明石で、 「ここっちょいほどおおけなメバルが釣れた」  といいます。  明石ですから鯛を例に引きたいところですが、まだそんなここっちょいほど大きな鯛を釣ったことがないので残念です。  それから小さな魚でもたくさん釣れる、いわゆる入れ食いのときも、「よお釣れて釣れて、ここっちょおて、やめられへん」というふうにいいます。  「ここっちょい」は、「心地良い」ではありますが、「涼しい風が頬に心地良い」などと使う場合の「心地良い」とは、感覚的にまるで違います。豊漁などで快哉を叫ばずにはいられない気持を表すことばなのです。  (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、98ページ~99ページ)

 実際には、豊漁の場合だけに使う言葉ではありません。農作物の収穫にも使いますし、例えば「たからくじ(宝籤)・の・ いっとー(一等)・に・ あ(当)たっ・て・ ここっちょかっ・てん。」と言っても、おかしくはないのです。  「明石日常生活語辞典」では、「ここっちょい」を次のように説明しています。

 《形容詞・特殊型》 自分の得たものの量や質などに手応えに感じて、痛快に感じる。「さかな(魚)・が・ ぎょーさん・ つ(釣)れ・て・ ここっちょい。」「こないに・ おー(大)きな・ だいこん(大根)・は・ ここっちょい・なー。」「ここっちょい・ほど・ よー・ もー(儲)かっ・た。」

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2019年10月 5日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(27)

こうと


 高等学校の国語教科書『新版現代国語・三訂版』に載せられている「母の国・父の国のことば」には「こうと」という項目があります。川崎さんは、京・大阪の言葉だと書いていますが、明石でも使います。次のように書かれています。


 「こうと」を、一口で言わなければならぬとすれば、地味のことです。
 「あの人こうとな着物着てはるなあ」というふうに使います。京・大阪のことばです。しかし、「地味な人がら」とはいいますが、「こうとな人がら」とはいいません。主として、着物の縞柄、色、服装を対象にした形容詞です。
 「こうとなふうしてはるなあ」といえば、年令の割りには老けたよそおいをしているという意味になります。
 京都の店で、反物を手に取って女性同士話をしています。
A「これ私にはこうとどつしゃろ?」
B「そうどすな、ちょっとこうとどすね、もうちょっと派手なものがよろしおまっせ」
 この場合、反物が年相応と思えても、
B「いや、そんなことおへんえ」などとは、口が裂けてもいわないでしょう。ことに京都の女性ならば。
 ところで、「こうと」を、単純に地味といいかえて事が済むかというと、そうはいかないのです。「こうと」から「地味」を引き算すると、そこにどうしても残るニュアンスがあります。それをことばでいうとすれば、高尚、上品、垢抜け、洗練、渋い、すっきり、嫌味がない--でしょうか。
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、96ページ~97ページ)

 この項目は、私への取材を元にしたものではありませんが、明石でも同じような意味で使います。
 「こうと」の品詞は形容詞ではなく、形容動詞です。それは、京、大阪も、明石も同じです。
 「明石日常生活語辞典」では、「こうと〔こーと〕」という見出しで、次のように説明しています。

 《形容動詞や(ナ)》 着物などが、落ち着いていて地味である様子。質素で上品な感じがする様子。「その・ きもの(着物)・は・ え(良)ー・けど・ あんた・に・は・ ちょっと(一寸)・ こーとと・ ちゃ(違)う・やろ・か。」

 川崎さんのように微に入り細を穿った説明にはなっていませんが、これで一応、最低線の説明はついているのではないでしょうか。

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2019年10月 4日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(26)

えがおよし


 もうずいぶん前に鬼籍に入ってしまわれましたが、詩人の川崎洋さんは方言に強い関心をお持ちでした。方言について書かれた本を何冊も残されました。
 そのうちの一冊に『母の国・父の国のことば』という本があります。この本をお書きになるときに、私は川崎さんの取材を受けました。長い時間、お話をしました。川崎さんは録音テープをお取りになりましたから、私も同じようにテープを回させていただきました。私の部屋のどこかに、そのテープ(120分テープで3本にわたったように記憶しています)が隠れているはずです。
 全国各地の方々に取材されて一冊の本ができあがったのですが、一つの項目が2ページ程度で書かれています。うれしいことに、私が話した明石の言葉が、「えがおよし」「がみつい」「ここっちょい」「しおとろしい」「すいな」「そばえる」「どっしゃげる」「ばあてがする」「ぶてこい」「へっともない」のタイトルで載せられています。ただし、その項目の内容すべてが明石の言葉であるとは限りません。
 「えがおよし」の項目は、次のように書かれています。


 私はこれまでに、女の人をほめる三つのすてきな地域語に出会いました。
 「えがおよし」--営業笑いのそれでなく、人柄からにじみ出たにこやかさを感じさせる女の人を形容することばです。兵庫県の明石で使われています。
 「妹の方は勝気やけど、姉の方はえがおよしで落着いとる」などと評されます。漢字で書けば「笑顔佳し」です。
対象は赤ん坊から娘さんまで、広い範囲にわたっていますが、赤ん坊に限っては、「おせらしい」ということばがあって、手足を動かしたり、表情を変えたりする、あどけないかわいらしさを指しますが、「えがおよし」は、じっとしていても、そこからにじみ出てくる雰囲気のほうに重点がおかれていることばだ、ということができます。
 私は、友人、特にこれまでに知り合ったいろんな女の人の顔を思い浮かべてみるとき、つんと澄ましている顔あり、なにか一生懸命しゃべつている顔あり、うつむいている顔あり、うす笑いをうかべている顔あり、生真面そのものの顔ありで、千差万別ですが、「えがおよし」というのは、誰もがその人をその人の笑顔で自分の脳裏に思い浮かべるような、そんな女の人です。
 そういう女の人を友人に持っている男は幸せであり、恋人に持っている男はもうそれだけで他に何も望まなくていいのであり、妻に持っている男は神さまにさえ嫉妬される果報者といえましょう。ああ(!)
 (川崎洋、「母の国・父の国のことば わたしの方言ノート」、日本放送出版協会、1976年10月20日発行、56ページ~57ページ)

 この項目には、他に「うるわしか」(熊本県天草)と、「えどびんなはれ」(富山)とが短く書かれています。それが「女の人をほめる三つのすてきな地域語」だというわけです。
 ところで、この「えがおよし」の文章は、高等学校の国語教科書『新版現代国語・三訂版』(1978年3月31日改訂検定済)、三省堂発行に、「ざっく」の項目、「こうと」の項目とともに掲載されました。私も、関係者の一人として、この教科書の教師用資料に文章を書きました。
 さて、「明石日常生活語辞典」では、「えがおよし」を次のように説明しています。

 《形容動詞や(ノ)、名詞》 いつもにこにこと笑顔を振りまいている様子。また、そのような人。「おたく(宅)・の・ むすめ(娘)さん・は・ えがおよしで・ かい(可愛)らしー・なー。」◆幼児や子どもはもちろん、若い女性などにも使う。成人男子に使ってもおかしくはない。

 ちょっと素っ気ない説明になりましたが、辞書としてはこの程度にせざるをえませんでした。川崎洋さんの文章に脱帽です。

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2019年10月 3日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(25)

どんま


 「どんま」という遊びがありました。今の子どもたちがその遊びをしている姿を見たことはありません。画面を見ながらゲームに夢中になっても、子どもたちが道端や広場に集まって遊ぶことはしなくなりました。大人がその状況を見て嘆くことをしますが、自分たちに原因があることには無頓着です。
 道端や広場を使いにくくしているのはクルマです。けれども、クルマは増えるばかりで、子どもたちを道端や広場から追いやっています。ゲームを作る会社は銭儲けに一生懸命で、そんな生産をやめなさいと声高に言うのは聞いたことがありません。大人の身勝手が子どもたちの生活を変えているのです。
 さて、「どんま」という遊びの経験者も減ってしまっていることでしょう。「明石日常生活語辞典」では「どんま」のことを、このように説明しています。


 《名詞》 馬乗り遊び。◆電柱・壁・塀などを背にして一人が立ち、その股の間に次の者が首を入れて腰を低くする。その後ろに次々と同じ姿勢の者が続いて、「馬」を作る。別のチームの者がその馬に次々と飛び乗って、馬が崩れたら何度でも繰り返す。馬が崩れなかった場合は、立っている一人と、先頭で飛び乗った一人とがじゃんけんをして、飛び乗った者が負けると馬になる。

 この遊びを「どんま」と呼んだのは、どの地域の人たちでしょうか。明石市内ではすべての地域で「どんま」と言っていたのでしょうか。別の言い方をしていた地域もあるかもしれません。逆に、明石市内でなくても、隣接の地域で「どんま」と呼んでいた地域はあるのでしょうか。それは、あると思います。
 方言というと、ある一定の地域に広がって、離れるていくとその言葉は使われなくなる、と考えがちです。その考えは間違っていないでしょうが、すべてがそのようになっているわけではありません。
 「どんま」について書かれた、次のような文章を読みました。竜の子プロダクションの社長(出版当時)の久里一平さんの本の中にあります。


 放課後、みんなで「どんま」で遊ぶ。 / 馬乗りのことだ。 / 飛び乗ってくる相手を振り落とすように馬は暴れる。 / 頭がぶつかって、身体がふれあって / すぐに汗ばんでくる。 / 交代で、乗ったり、乗られたり。 / つぶしたり、つぶされたり。 / 時にはケンカが始まったり。 /そんなぶつかりあいのなかで / 友だちができる。 / 子どもたちは、おおぜいで育つのがいい。 / 人は、誰かとともに生きているのだ。
 (九里一平、「京の夢、明日の思い出」、講談社、2004年11月12日発行、ページ数表示なし)

 京都での子どもの頃のことを思い出して、躍動的な絵とともに、文章で表現されているのです。明石と京都にこの言葉があるから、その間のすべての地域にこの言葉が広がっていたとは言えなくても、同じ言葉で表現される同じ遊びをしていた人の表現に出会うと、嬉しい気持ちになります。

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2019年10月 2日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(24)

補遺の言葉① たどん


 「明石日常生活語辞典」はまったくの一人仕事でした。見落としやミスがあるだろうということを覚悟しての出版でした。この本を作るまでの仕事量は膨大でした。何か一つでも記述の仕方を変えると、それが即座に全項目に跳ね返ります。それによって、数十項目を点検しなければならないことも起こりますし、数千の項目に影響することもあります。1万5000余の全項目に影響したのは、用例の書き方に関することでした。用例の書き方の修正には、それだけで1年以上の時間が必要でした。
 記載している見出し語の点検も、折りに触れて行いました。気が付いた段階で補充を続けました。校正段階で補ったこともあります。けれども、後になってから、見出し語として抜けていた言葉に気づくこともあります。「追記」の22回の「やぐさい」を書いていて、気づいた言葉があります。これからも、そういうことがあるだろうということは、覚悟をしています。
 気づいたものは、潔く書き加えるしかありません。いずれかの段階で、補充した言葉や、正誤表などをまとめなければならないと思います。それが、いつの段階にできるのかは予測がつきません。そういうものを作れたら嬉しいと思いますが、作ることができなくて最期を迎えてしまうかもしれません。
 さて、補遺の言葉の一つめは「たどん【炭団】」です。珍しい言葉ではありませんが、見落としていました。ただ、若い人たちにとっては「たどん」はもはや死語になってしまっているかもしれませんから、書き加えておかなければなりません。


たどん【炭団】《名詞》 木炭や石炭の粉末などを練り固めて、乾燥させて球状に作り上げた燃料。「たどん・が・ しめ(湿)っ・とる・みたいで・ なかなか・ ひ(火)ー・が・ つい・てくれ・へん。」◆かつては、炬燵、行火などに入れて、夜具の布団の足元に入れて使った。(たどんを入れて使う炬燵の写真は、「こたつ」の項を参照。)

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2019年10月 1日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(23)

終助詞の「さ」


 大阪市西成区のあいりん地区で、高齢者や障害者らの介護をするヘルパーをしている方が、CDを自主制作したというニュースを読みました。その記事に、曲の歌詞が書かれていました。


 生きてりゃいいさ つらくても 生きてりゃいいさ げんきでよ いつかいい日も 来るだろう 親にもらった この生命 むだにはせんで 生きていく
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年9月7日・夕刊、3版、9ページ)

 記事の中で、歌詞は3カ所にわたって引用されていますが、ここでは最初のものだけを引用しました。
 これから述べることは、その歌詞をきっかけに考えたのですが、その歌詞を批判する意図はまったくありません。考えたことの出発点が、記事であったというに過ぎません。

 「生きてりゃいいさ」の、「さ」という言葉について考えました。実は、「明石日常生活語辞典」では、「さ」という終助詞を載せていません。
 「いいさ」の「いい」は形容詞です。関西では「えー」と言うことが多いのですが、形容詞の終止形に終助詞の「さ」が付いたものと考えるべきでしょう。
 また、「元気さ」という言い方をする場合の「さ」は、形容動詞の活用語尾と考えるべきでしょう。「きれいな写真さ」と言う場合は、名詞に続けて使っています。首都圏の人たちは「……さ」という言い方を多用しているように思います。
 それに対して、関西の方言では「……さ」という言い方が現れることが少ないように思います。「あした(明日)・ あんた(貴方)とこ・へ・ い(行)き・まっ・さ。」とか、「それ・は・ わい(私)・の・ おも(思)いちが(違)い・やっ・た・ん・でっ・さ。」とか、言うことがあります。この「まっ・さ」は、丁寧語の「ます」が促音便になって、強意の終助詞「あ」と結びついて、「ますあmasua」の二重母音部分が「まっさmassa」になったと考えられます。「でっ・さ」は、丁寧語の「です」が促音便になって、強意の終助詞「あ」と結びついて、「ですあdesua」の二重母音部分が「でっさdessa」になったと考えられます。とは言え、「あ」という終助詞は、他の語と発音が融合することなく、単独で使われることはないように思います。
 「生きてりゃいいさ」という表現を、より関西の表現らしく言うならば、「生き・とっ・たら・ えー・ねん」になるのではないかと思うのですが、首都圏で使う「……さ」は、関西の言葉では「ねん」に近いのではないかと思います。終助詞「ねん」は、相手に念を押したり、強調したりするときに使う言葉です。

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2019年9月30日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(22)

やぐさい

 神戸新聞明石版の記事で、「使われなくなりつつある言葉」の例としてとりあげられたもののうちから、もう一つ、「やぐさい」について書きます。
 「こたつ(炬燵)」という言葉を国語辞典で引きますと、床に炉を作って、その上にやぐらを置いて、布団を掛けて暖をとる器具、というような説明になっています。夜、寝るときに、布団の足の先に「たどん(炭団)」を入れた炬燵を置いたことなどは、遠い昔物語になっているのです。
 「明石日常生活語辞典」では、「こたつ」を次のように説明しています。


 《名詞》 ①たどんや炭火を入れたものや電熱器をわくで囲んで、布団などを掛けて、足などを暖める器具。「ぬく(温)なっ・て・ こたつ・が・ い(要)ら・ん・よーに・ なっ・た。」②熱源の上にやぐらを組んで、布団を掛けて暖をとる器具。「こたつ・の・ うえ(上)・で・ とらんぷ(トランプ)・を・ する。」◆①は、いわゆる「あんか【行火】」も含めて、「こたつ【炬燵】」と言うことが多い。

①の意味の「こたつ」は、戦後すぐの時代では、まだ電熱器は普及していなかったと思います。土器のこたつに、たどんを入れて、それを布団の中に入れました。たどんの火の力は、時によって異なりますから、熱いときもありますし、あまり熱くないときもありました。たどんが消えてしまったときは寒くて仕方がありませんでした。
 逆に熱くて困るときもありました。たどんが熱くなって布団を焦がすことがありました。そんな場合は、焦げる異様な臭いが漂いますから、わかります。火事になることはありませんでした。そんなときの臭いの様子を「やぐさい」と言うのです。「こげくさい」と言うこともありますが、「やぐさい」の方がよくわかります。
 「こげくさい」という言葉の使用範囲は広いのです。食べ物を焼いたりしているときにも「こげくさい」と言います。漏電して、ものが焼けている場合も「こげくさい」と言います。それに対して、「やぐさい」は布団や衣類や紙類が焦げるときの臭いに使って、食べ物や木材が焼けているときには使いません。「やぐさい」は、ほのかに臭さが漂う場合に使って、強烈な臭いには使いません。
 言葉は、「意味」も大事ですが、どのようなときに使うかという「用法」をわきまえて使うことが、意味よりももっと大事です。
 「明石日常生活語辞典」では、「やぐさい」を次のように説明しています。


《形容詞・アイ型》 ものが火に焼けて、焦げる臭いがする。特に、紙や布が焦げるような臭いがする。「こたつ(炬燵)・が・ やぐさい・さかい・ ちょっと・ しら(調)べ・てみ・てくれ・へん・か。」

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2019年9月29日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(21)

よぼる

 「明石日常生活語辞典」を刊行したというニュースが、初めて新聞に載ったのは先日のことです。(神戸新聞、2019年9月24日、明石版、23ページ)
 神戸新聞明石総局の吉本晃司記者とは、およそ2時間ぐらい話をしたでしょうか。その後も電話で、何度か補充の質問を受けました。
 記事には、「使われなくなりつつある言葉」の例として、5語が紹介されていました。いろんな言葉を話題にして話をしましたが、記者にとって興味深く思われた言葉が、次の5語であったのでしょう。それは「よぼる(動詞)」「やぐさい(形容詞)」「へっちゃいこっちゃい(形容動詞)」「どっこいしょ(名詞)」「ぶてこい(形容詞)」です。
 「よぼる」の表す意味は、とても狭いと思いますが、このような言葉こそ大切にしたいと思います。
 「明石日常生活語辞典」では、次のように説明しています。


 《動詞・ラ行五段活用》 液体を容器の口から注いで容器を元に戻した後に、液体が容器の口から縁を伝わって流れる。「しょーゆさ(醤油指)し・から・ しょーゆ(醤油)・が・ よぼっ・とる。」「よぼら・ん・よーに・ じょーず(上手)に・ そーす(ソース)・を・ かけ・なはれ。」◆この言葉の意味を表す全国共通語は見あたらない。「こぼれる【零れる】」「つたわる【伝わる】」「ながれる【流れる】」などとは異なる意味を表す言葉である。

 ここにも書いていますように、全国共通語に「よぼる」と同じ意味を表す言葉はありません。わずかの量の液体が、容器の縁を伝わって流れることを表すには、どう表現すればよいのでしょうか。いま述べたように「容器の縁を伝わって流れる」と言うしかないでしょう。
 「こぼれる」には、容器がひっくり返ったり容器からあふれ出したりするという意味がありますから、「よぼる」と同じではありません。「つたわる」には、ある経路を経て動いていくと意味がありますから、わずか1、2滴が「よぼる」様子とは違います。「ながれる」は、かなりの量の液体が動くことをイメージしてしまいます。
 このように、全国共通語とは違った意味・用法を持つ言葉は、共通語の中に輸血して、共通語の文章の中で使うことをしてもよいのではないでしょうか。このような言葉が方言の中でも使う頻度が少なくなっていることを、とても残念に思うのです。

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2019年9月28日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(20)

こんかい、あっかい

 明石・魚の棚商店街が作りつつある方言番付では、前頭の位置に「こんかい」「あっかい」が挙げられています。
 番付に挙げる言葉は、たいていの場合は単語ですが、「こんかい」「あっかい」は2単語が結びついた言葉です。しかも後半は「かい」という同一の終助詞です。「こ(来)んかい」「あ(有)っかい」の他にも、「す(為)るかい」「し(知)るかい」「よ(読)まんかい」などのように、いろいろ使えるのです。このような言葉を、除外するという原則を立てることはできますが、地域の人々が選んだ言葉ですから、「省きましょう」という提案はしないでおきました。「こんかい」の共通語訳は「来たらよい。来てみたら」となっており、「あっかい」の共通語訳は「いけない」となっております。
 「明石日常生活語辞典」では「かい」について、次のように説明しています。全文を引用します。


 《終助詞》 ①疑問の気持ちを表して、相手に荒々しく問いかけたり念を押したりするときに使う言葉。「あんた・は・ だれ(誰)・かい。」「そんな・ こと(事)・を・ わし・が・ し(知)っ・とる・と・ おも(思)・とる・のん・かい。」②強く打ち消して拒否する気持ちを表す言葉。そうではないという意味のことを、反語的に表す言葉。「そんな・ こと(事)・は・ ゆ(言)ー・た・かて・ あいつ(彼奴)・に・ わかる・かい。」③思いに反したことに出会って、びっくりしたり落胆したりするような気持ちを表す言葉。軽い驚きの気持ちや、ものに感じた気持ちを表す言葉。「えーっ・ そないに・ はよ(速)ー・ でけ(出来)・た・ん・かい。」〔⇒か、かえ。①②⇒け、こ。①③⇒どい、どえ、ぞい、ぞえ。②⇒かれ、もんか、もんかい〕

 方言番付にある「こんかい」は主として①の意味、「あっかい」は主として②の意味と考えてよいでしょう。「かい」は、名詞、動詞、助動詞、助詞などに接続して、表現している人の気持ちを表しますから、共通語訳は多様になるのです。そして、「こんかい」「あっかい」などを一続きの言葉と感じ取る人がいても不思議ではないでしょう。
 同じような意味を「かい」以外の言葉で表現することもできます。「辞典」の説明の末尾の〔 〕の中は、置き換えることが可能な、別の終助詞を並べたものです。助詞や助動詞には、置き換えが可能な言葉がずいぶん様々に存在することも、方言の世界の特徴のひとつです。

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2019年9月27日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(19)

いちびる


 明石・魚の棚商店街が作りつつある方言番付は、前にも紹介しましたが、その関脇の位置に「いちびる」が挙げられています。
 「明石日常生活語辞典」では「いちびる」について、次のように説明しています。全文を引用します。


 《動詞・ラ行五段活用》 調子に乗ってはしゃぐ。調子に乗って行動する。ふざけたり、つけあがったりする。「いちびり・ながら・ みち(道)・を・ ある(歩)い・とっ・たら・ けが(怪我)する・ぞ。」「がくげーかい(学芸会)・の・ ぶたい(舞台)・に・ で(出)・て・ いちびっ・とる。」■名詞化=いちびり

 「いちびる」は主として子どもの動作・態度などについて言う言葉ですが、その動作・態度があまりにも軽薄な場合は、大人に対しても使います。
 真田信治・友定賢治編「地方別方言語源辞典」、東京堂出版、2007年9月15日発行の、159ページを見ると、「いちびる」の使用地域として京都・大阪・奈良とありますが、兵庫県でも広く使われているように思います。「子どもに対して言うことが多い」とありますが、その点では一致しています。面白いのは用例で、「寝るな、騒ぐな、いちびるな!」(大阪のある高校で教室に貼ってあった標語)と言うのが挙げられています。
 この言葉の語源について、同書は、「競り市で手を振って値の決定を取り仕切る人のことを『市振り』と言い、競り市でやかましく騒ぎ立てるところから、ふざけて大騒ぎをすることを『いちびる』というようになったとされる。 …(中略)… しかし子どもの騒ぐ様子を指す言葉としてほかに『市立てる』『市が立ってる』(市が立ったように騒々しい)などもあることから、『市振る』が語源であろう」と述べています。
 「明石日常生活語辞典」では、どの語についても、語源について推測することはしていません。明確にわかるものでなければ、個人の判断では自信が持てないからです。多分、使っている人自身は、「市」との関係などは頭の中にないだろうと思います。

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2019年9月26日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(18)

みずくさい


 前回の続きです。「滋賀の出身地バレ語」という読み物の中に、こんなことが書かれていました。


  (みそ汁などの)塩気が薄いことを みずくさいという 【見出し】
 みずくさいは「水臭い」で、元来が「水っぽい」「味が薄い」意味。共通語で「他人行儀」や「よそよそしい」ことを呼ぶようになったのはその後だ。これは元の意味が残っている例。現在は特に塩分が薄い場合に使われているようだ。
 (篠崎晃一+毎日新聞社、「出身地がわかる!気づかない方言」、毎日新聞社、2008年8月30日発行、122ページ)

 小さな国語辞典で「みずくさい」を引いても、「水分が多くて味が薄いさま」というような意味は書いてあります。塩気が薄いということと、水分が多くて味が薄いということとは表裏一体です。つまり、「みずくさい」という言葉を使っても滋賀県出身者という断定はできないと思います。兵庫県の明石でも使いますし、全国どこでも使うということでしょう。
 「明石日常生活語辞典」では「みずくさい【水臭い】」を次のように説明しています。「①水っぽくて味が乏しい。味がついていないようで良くない。②親しい間柄であるのに他人行儀である。相手の立場に立ってものを考えるようなことがない。人間味に欠けて、よそわそしい」。②はもともと、全国共通の使い方です。
 明石の言葉では、「みずくさい」と同じような意味で、「うすい」「もみない」「あじない」「あまい」も使います。

 ついでながら、前記の本では「京都の出身地バレ語」として、鳥肌のことを「さぶいぼ」ということを挙げていますが、「さぶいぼ」は近畿各地で使われていますから、京都出身者に限定できないと思います。この言葉を使えば、この都道府県の出身者と断言できる、というような言葉が、たやすく見つかるはずはありません。

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2019年9月25日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(17)

ごま(独楽)、がに(蟹)


 濁音よりも清音の方が美しく聞こえるということが言われます。語のはじめが濁音になることを避けるために「抱く」を「いだく」と言うということも行われています。
 けれども、日常の言葉の中には、清音よりも濁音が広く行われているということもあります。
 私の日常語の世界では、共通語の「こま」を「ごま」と言うことが多く、共通語の「かに」を「がに」と言うことが多いのです。「多い」と言うよりは、昔はたいてい「ごま」「がに」と言っていました。
 「兵庫の出身地バレ語」という読み物の中に、こんなことが書かれていました。こんな言葉遣いをしたら兵庫県出身者であることが明白になるという意味のようです。


 補助輪付き自転車のことをコマ付きという 【見出し】
 自転車に乗り始めた子どもが転倒防止のため後輪に付ける補助輪。それが付いた自転車の呼び方にも地域差があり、近畿と岡山、広島で使われているのが「コマ付き」だ。以前から近畿の一部で使われていた表現が徐々に広がったようだが、今のところ、まるで方言には東西の境界線があるかのように東日本には広がっていない。
 (篠崎晃一+毎日新聞社、「出身地がわかる!気づかない方言」、毎日新聞社、2008年8月30日発行、128~129ページ)

 東日本では「コマ付き」のことをどう言うのかは書かれていませんが、近畿地方で「コマ付き」と言うというのは、確かにその通りです。
 けれども、正確に言うと「コマ付き」ではなく「ゴマ付き」です。「明石日常生活語辞典」では、「ごま【独楽】」と、その他の「ごま」との2つの見出しで載せています。
 「ごま【独楽】」は、「木や金属で作り、心棒を中心にくるくると回る玩具」と説明し、「『こま』と言うことは少ない」と記しています。
 もうひとつの「ごま」は、「①自動車や自転車などの車輪。②自転車などの補助輪。③戸につけて、戸の開閉を滑らかにする、小さな車輪。戸車」と説明しています。こちらには「『こま』と言うことは少ない」とは書いておりません。「こま」という発音はほとんど無いからです。自転車店の店頭に「コマ付き自転車」という共通語的な表記があっても、発音は「ごま」となるはずです。
 同様に、蟹もほとんど「がに」という発音でした。「みち(道)・を・ あか(赤)い・ つめ(爪)・の・ がに・が・ ある(歩)い・とっ・た。」というような風景をよく目にしたものです。

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2019年9月24日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(16)

辞書を読む


 俚言だけを集めた方言集の場合は、数十ページとか百何十ページというぐらいの厚さですから、前から順序よく読んでいっても、読み終えることができます。
 ところが「明石日常生活語辞典」は800ページほどの分量で、品詞名や、言葉の意味の説明や、用例などを書いておりますから、前から順に続けて読んでいただくには不適であるだろうと思います。必要なところを引いて、参考にしていただくという使い方になるだろうと思います。
 ところで、井上ひさしさんに、こんな文章があります。大江健三郎さんに教わった不眠症克服法が、辞書を読むことだったというのです。こんなふうに書かれています。


 だいぶ以前、大江さんに、「不眠症をどのように克服なさっておいでか」と質問したところ、この希代の読書家からこんな答えが返ってきました。「このところ一年がかりで大野晋さんの『岩波古語辞典』を読みました。この方法だとよく眠れますよ」
 試してみて、その効果にびっくりしました。なにしろ、辞典には物語も伏線もクライマックスもありませんから、いつでもやめることができます。「このあと、この単語『建蔽率』の運命はどうなるんだろう」なんて考えなくてもすみますから、すぐ眠りに落ちてしまう。それ以来、この大江式就眠法で不眠症を退治しています。
 (井上ひさし、「井上ひさしの読書眼鏡」、中央公論新社、2011年10月10日発行、11~12ページ)

 私も、国語辞典などを前から順に読み始めたことはありますが、途中で挫折してしまって、最後にまで到達したことはありません。自分が書いた「明石日常生活語辞典」をひとりで、初校から三校まで行う作業には、ずいぶんな月数がかかってしまいました。ほんとうに眠くなったことが何度も何度もありました。
 けれども、自分で言うのはおかしいのですが、「明石日常生活語辞典」は、ふとしたところから、次々と読み進めていただいてもよいのではないかと思います。言葉に興味・関心をお持ちの方であれば、そんな読み方をしてくださってもよいのではないかと思うのです。
 話題は変わりますが、300部限定の本書は定価が高いのです。個人で買い求めていただくのは難しいだろうと思います。本書は、近畿地方を中心にした公立図書館と、全国の大学図書館に備えてほしいという希望を持っております。
 公立図書館の規則(?)で、改めてほしいことがあります。地域に関する資料や、辞書・事典類が、「禁帯出」の扱いになっていることが多く見られます。そのようにするのは、館内で毎日のように使う人がいるからとか、貴重な書物であるから紛失を防ぐためであるからとか、そんな理由のようです。私は、「禁帯出」の制度に反対です。どんな本でも、借り出したい人には応じるべきであると思います。図書館を日常的に活用するというのは、そういうことなのです。毎日毎日、図書館に足を運んで「禁帯出」本を読み続けることができるのはごく少数の方だけでしょう。本好きな人にはどしどし貸し出すという姿勢を持つことこそ、「開かれた図書館」の第一歩であると思うのです。
 貴重な書物の場合は、2部購入するという方法も考えるべきでしょうが、後からでも再購入が可能なものも多いと思います。「禁帯出」のラベルが貼られた書物が並んでいる本棚は、異様な感じが漂っています。
 もとの話題に返ります。それが図書館の蔵書である場合でも、「明石日常生活語辞典」は手元に置いてゆっくり読んでみてほしいと願っております。

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2019年9月23日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(15)

あたんする


 前回に引用した佐藤亮一編『都道府県別全国方言辞典』、三省堂、2009年8月25日発行の226ページに、兵庫県の特徴的な言葉として「あたんする」が載せられています。例文として、「そないな意地悪しよったら、いつかあたんされっど」が記されています。この言葉の分布範囲は、そんなに広くないのだろうと思います。
 「あたんする」を、「明石日常生活語辞典」では、次のように説明しています。「①何かをされた恨みを晴らすために、相手からされたのと同じようなことや、それ以上のことをやりかえすこと。または、そのような行為。復讐。②腹立たしさのあまりに、手元にあるものを投げ飛ばすこと」。そして、「①は、正面から堂々と仕返しをするのではなく、ひそかに行ったり、他に当てつけて行ったりするようなことを表すことが多い。」と説明しています。反感を持っている人の面前ではそんな行為がしにくくて、その場を離れてから当たり散らすというような状況が多いのです。
 ①②の意味に分けましたが、『都道府県別全国方言辞典』では、①の意味として書かれていて、②の意味は書かれていないように思います。「かいしゃ(会社)・で・ いやごと(嫌事)・が・ あっ・た・みたいで・ あたんし・て・ ばんごはん(晩御飯)・を・ ひっくりかえし・た。」というような使い方は、復讐ではなく、自分の感情の表現です。家族には迷惑ですが、こんな風景もないわけではありません。
 面白いのは、動物が暴れたりすることを、人間の心になぞらえるようにして表現することです。「ねずみ(鼠)・が・ あたんし・て・ てんじょー(天井)・を・ はし(走)りまわっ・とる。」と言ったりしますが、鼠は人間に反感を持っているのではなく、存分に暴れているだけです。人間にとっては迷惑ですから、「あたん」をされたように感じるのです。
 地域で使われる言葉には、その地域の人たちにとってはお互いに了解しやすいのですが、他の地域の人にはその表現の意図などがきちんと伝わらないことがあります。
 方言の専門研究者が各地の方言について書いている文章の中には、大筋で間違っていなくても、細かなニュアンスになると疑問に思うことがあるのです。その地域の言葉については、その言葉を使い、その土地で生活している人が記述するのが望ましいと思います。私が「明石日常生活語辞典」を作った理由は、そのあたりのことと深く結びついているのです。

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2019年9月22日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(14)

かちゃだける


 「かちゃだける」という言葉を使う人は、今では少なくなってしまったように思われます。「かちゃらける」とも言います。私が日常方言辞典を作ろうとした理由のひとつは、かつて使われていた言葉が、ひとたび消えると再び使われなくなって、記録しておかなければ、そんな言葉があったという記憶が人々からなくなってしまうという危惧からです。
 「かちゃだける」を「明石日常生活語辞典」では次のように説明しています。「空中や高いところなどから落ちる。転がり落ちる」。二階の屋根からかちゃだける、床机からかちゃだける、段ばしごを昇っていてかちゃだける、などと言います。
 この言葉の前提として「あだける」という言葉があります。転がり落ちるというような意味です。佐藤亮一編『都道府県別全国方言辞典』、三省堂、2009年8月25日発行の226ページに、兵庫県の特徴的な言葉として「あだける」が載せられ、「そないな狭いあぜ通ったら、あだけるでー」という例文が書かれています。ただし、明石の言葉としては「あだける」はあまり使われていないように思います。
 「かちゃだける」は、この「あだける」に接頭語の「かち」が付いて「かちあだける」となったものの発音が変化して「かちゃだける」となったと考えられます。「かち」という接頭語は、「かちわめ(喚)く」「かちわ(割)る」「かちめ(壊)ぐ」「かちぼか(放下)す」「かちお(落)とす」などのように、勢いよく行う、荒々しく行うという感じを与える言葉です。
 「かちゃだける」も、勢いよく落ちる、辺りにぶつかりながら落ちるというような感じが出ています。
 明石に住む子どもたちも、次第に共通語に引かれた言葉遣いになっています。「かちゃだける」を使わなくても「落ちる」と言えば、一応、ことが足ります。「かちゃだける」を使ってほしいと思いませんが、かつてはそんな言葉が使われていたという記録は必要なことでしょう。
 一世代前にはほとんど使われていなかった「行っちゃう」「来ちゃう」という言葉遣いはごく当たり前になっています。かつては「行ってまう」「来てまう」などと言っていた言葉です。「行っちゃう」「来ちゃう」を排斥するつもりはありませんが、「行ってまう」「来てまう」の「てまう」という言葉遣いが聞かれなくなることには、少し寂しい思いがします。「てまう」という補助動詞は、「いま(今)さっき・ でんしゃ(電車)・が・ で(出)・ても・た。」というような使い方をする言葉です。

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2019年9月21日 (土)

明石日常生活語辞典・追記(13)

足踏みミシン


 携帯電話が普及しはじめたときには、ずいぶん便利なものができたと思いました。とは言っても、自分が持つようになったのは早いほうではありません。ところが、スマートホンが売り出されて、携帯電話が古くさく感じられるようになりました。私は流行を追うつもりはありませんが、「あなたの使っている携帯電話の電波は、何年か先には使えなくなります」という脅し文句が書かれたDMが届いて、スマートホンに変えざるを得なくなりました。
 けれども、スマートホンを便利だとは思いません。インターネットやメールは、使い慣れたパソコンを利用する方が便利です。買い替えなくてよかったと反省しています。
 さて、携帯電話は、今では悪口まがいにガラケーと呼ばれています。ガラケーとは、ガラパゴス化した携帯電話ということのようです。機器の構造によって、海外市場に進出できず、国内市場だけで孤立したから、このように呼ぶのだそうです。
 携帯電話が古くさくなればガラケーと呼ばれるのと似たような呼称は、他にもあります。こんな文章を読みました。


 島根に帰省した折、姉(83)の家に立ち寄った。足踏みミシンで近所の人から頼まれた服の裾や腰回りなどの手直しをし、喜ばれている。 …(中略)…
 子どものころ、姉が我が家の足踏みミシンを使う姿を見て、踏み板を踏み込むとベルトが回転し、針が小刻みに上下し、その下に布を置くと縫える不思議な動きに興味を抱いた。姉から使い方を教わったが、特に足踏みが難しい。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年9月15日・朝刊、13版S、22ページ、「男のひととき」、古藤嘉久次〈投稿〉)

 ミシンと書くと電動ミシンのことを思い浮かべてしまう人が多いでしょうから、「足踏みミシン」と書かなければならないのです。筆者も書いておられるように、その動きについては「踏み板を踏み込むとベルトが回転し、針が小刻みに上下し、その下に布を置くと縫える」という説明が必要になるのでしょう。
 文明の進歩によって生活が変わっていきます。携帯電話(いわゆるガラケー)や、ミシン(いわゆる足踏みミシン)は進歩の一過程の産物であったのかもしれませんが、それに親しんだ世代の人にとっては、それを表す言葉が使われなくなることは寂しいことであるのです。また、別の言葉で表現しなければならなくなるのも寂しいことです。ガラケーや足踏みミシンという言葉ではなく、それを使っていた時には「携帯電話」や「ミシン」という言葉であったのです。

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2019年9月20日 (金)

明石日常生活語辞典・追記(12)

せんど、せんどぶり、あいさに


 前回の話題の続きです。魚の棚商店街が中心になって作りつつあるある「明石方言番付」の横綱に「せんどぶり」が挙げられています。
 「せんどぶり」は形容動詞で、「せんどぶりに・ お(会)ー・た。」とか「か(勝)っ・た・ん・は・ せんどぶりやっ・た。」とか言います。それとともに、「せんど」という名詞・副詞もあります。「あんた・と・は・ せんど・ あ(会)わ・なんだ・なー。」などと言います。
 「明石日常生活語辞典」では、「せんど」を「長い間。長い間にわたって。久しく」と説明しています。「せんどぶり」は「前にそのことをしてから、ずいぶん長い時間が経っている様子。長い間隔を置いた様子」と説明しています。「せんどぶり」と似た意味で使う言葉は「ひさしぶり」です。
 現在では「ひさしぶり」を使う人の方が多くなっているかもしれません。けれども明石の言葉としては「せんどぶり」「ひさしぶり」の両方があるのだということを、きちんと記録しておこうと思うのです。「明石日常生活語辞典」の副題は「俚言と共通語の橋渡し」です。方言(俚言)が使われなくなりつつあることを認めながらも、俚言として「せんどぶり」が存在しているのだということを、若い人たちに伝えていこうと思うのです。
 今年のプロ野球のペナントレースも終盤を迎えています。阪神タイガースは、今年も優勝戦線から離脱しています。「はんしん・は・ せんど・ ゆーしょーし・とら・へん・なー。」というため息が聞こえてきます。
 そうなのです。「はんしん・は・ あいさに・しか・ ゆーしょーせ・ん・さかい・ ことし・も・ あか・ん・の・や・なー。」というわけです。
 「あいさ」というのは名詞・副詞で、「あいさに」となると副詞です。そのことがあるのは、時たまであったり稀であったりすることという意味です。阪神タイガースは「あいさに」しか優勝しませんから、優勝すると大騒ぎになるのです。
 「あいさに」という言葉も、あいさ(時たま)でよいから使い続けていってほしい言葉であると思うのです。

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2019年9月19日 (木)

明石日常生活語辞典・追記(11)

べっちょない


 交通事故や火災などのニュースのときに、被害に遭われた方の様子を知らせる言葉として「命に別状はありません」と言うことがあります。
 この「別状ない」という言葉の発音が少し崩れた形として「べっちょない」という言い方があります。明石をはじめ播磨地域の方言の代表のように、この「べっちょない」が取り上げられることがあります。
 「明石日常生活語辞典」の刊行について、最も速く取り上げてくださったのは、東京のTBSラジオでした。午後の番組「赤江珠緒のたまむすび」の9月4日(13時~15時30分)です。この曜日は赤江さんと博多大吉さんの担当でしたが、冒頭から「明石日常生活語辞典」を机上に置いて、方言を話題にしていただきました。時間の最後も方言が話題になりました。
赤江さんは兵庫県明石市の出身で、県立明石高校の卒業生で、私の後輩になります。いろいろな話題が出ましたが、赤江さんが明石の言葉として最も印象に残るものとして挙げたのが「べっちょない」でした。たぶん播磨地域の出身者に質問すれば、同じような答えが多いことだろうと思います。
 話題が変わりますが、明石の有名な商店街に「魚の棚(うおんたな)」があります。その魚の棚商店街が中心になって、今、「明石方言番付」というものを作りつつあります。現在のところ、横綱には「せんどぶり」(久しぶり)と「めぐ・めげる」(壊す・壊れる)とが挙げられて、大関に「べっちょない」と「ちゃう」(違う)が挙げられています。
 さて、その「べっちょない」について、「明石日常生活語辞典」では次のように説明しています。「とりわけ差し支えは生じない。大丈夫であるから気にしなくてよい。」という意味です。
 この「べっちょない」とよく似た意味を表す言葉として、明石の言葉には、「だいじない」「だんだい」「だんない」「かまへん」「かめへん」「かまん」「かまわん」などがあります。
 とりわけ「だんだい」「だんない」は、相手の過失や失敗などを強くとがめることをしないで、大丈夫だからあなたのしたことを気にしなくてもよい、というような意味を伝える言葉です。温かい気持ちに縁取られて発する言葉なのです。

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2019年9月18日 (水)

明石日常生活語辞典・追記(10)

「ん」で始まる言葉


 「私は存じませぬ」という場合の文末は「存じません」となることがあります。と言うよりは、現在では、「ん」という発音になっていると言ってもよいでしょう。
 したがって、国語辞典の「ん」の部には、「ん」という助動詞の他にも、複合的な言葉である「んで」「んとす」なども並んでいます。
 「んなあほな」という言葉について書かれた文章がありました。


 この言葉の、独特の響きを耳にしたときのことも忘れられない……、って、あれ? いつやっけ。大阪の寄席、天満天神繁昌亭で、五つのひらがなが並んでいるのをはっきり意識したのは間違いないんやけど。
 「んなあほな」
 見かけたのは上方落語協会の情報誌、そのタイトルなのだ。笑福亭仁鶴さんの弟子、笑福亭仁勇さん(56)の案だったそう。「『ん』で始まるから、目立つと思ったんですよ」と命名者は明かす。
 「いきなり『あほな』はキツいけど、前に『んな』って付けると、ノリツッコミのようになるんじゃないかなあ。『そんなあほな』の『そ』がかすれたんでしょうね」。 …(中略)…
 そもそも「ん」で始まる日本語って、ほかにあるのか? 広辞苑に「ん」の欄はささやかにあった。「ンジャメナ」「んす」「んず」「んとす」。なんのこっちゃ。「んなあほな」の方がはるかにポピュラーな気がするけどなあ。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2015年5月27日・夕刊、3版、2ページ、「まだまだ勝手に関西遺産」、篠塚健一)

 たしかに「んなあほな」は「『そんなあほな』の『そ』がかすれた」と言えるでしょう。けれども、「そ」を言おうとして消えたのではなく、はじめから「そ」を言うつもりはなかったと考えても間違いではないでしょう。
 「明石日常生活語辞典」では「ん」の部に、21の見出しを立てています。感動詞で、「うん」ではなく、短く「ん」と言うことがあります。名詞の「馬」を「うま」と言わないで「んま」と言うこともあります。
 けれども大部分は、助詞や助動詞に当たる言葉です。「もっと・ はよ(速)ー・ はし(走)ら・んかい。」の「んかい」(終助詞)。「にんげん(人間)・は・ い(生)きる・ ため・に・は・ く(食)わ・んなん・やろ」の「んなん」(助動詞)。そのような言葉が多いのです。
 方言は話し言葉の世界ですから、「ん」で始まる言葉は、もっとたくさんあるかもしれません。

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2019年9月17日 (火)

明石日常生活語辞典・追記(9)

冷蔵庫と電気冷蔵庫


 今どき、「でんきれいぞうこ(電気冷蔵庫)」と言う人はほとんどいないと思います。けれども、私が幼かった頃は「れいぞうこ(冷蔵庫)」と「でんきれいぞうこ(電気冷蔵庫)」とは別物でした。
 「明石日常生活語辞典」では、「れいぞうこ」の説明を次のように書いています。「①食べ物を低い温度で保存するために、中を冷たくしてある箱形の入れ物。②氷を入れて冷やすものに代わって登場した、電気の力を用いて食品などを冷やして貯蔵する入れ物」。
 こんな文章を読みました。


 台所でみんながなつかしがるのは氷の冷蔵庫と米櫃である。実は氷の冷蔵庫は博物館にするにあたって知人からもらったもので、私の家のものは電気冷蔵庫を買ってから母が処分してしまったのである。しかしわが家で氷冷蔵庫を使いはじめたのは昭和三〇年代の初めだから、すぐに電気冷蔵庫の時代がきてしまったわけだ。そういう家も多かったようで、「うちにはこんな氷の冷蔵庫はなかった」という人もずいぶんいる。
 (小泉和子、「昭和のくらし博物館」、河出書房新社、2000年11月20日発行、22ページ)

 氷の冷蔵庫は、せいぜい2段でできている構造で、上段に氷を入れて冷やします。わが家でも、氷冷蔵庫を使いましたが、よそから譲り受けて使ったように思います。毎日使おうとすれば、毎日氷を買わなければなりません。沢山の食料を準備しなければならない特別の日などに使ったように思います。毎日使うのはぜいたくであると思っていたのかもしれませんし、氷を配達してもらったり氷を買いに行ったりするのは手間のかかることでした。電気冷蔵庫ができてからは、その普及は案外、早く進んだように思います。
 「電気」を冠する言葉には、他に、電気掃除機、電気洗濯機、電気アイロン、電気釜、電気ミシンなどがありました。アイロン、釜、ミシンなどは、かつては電気を使わないものがあって、それが当たり前のものになっておりました。アイロンは炭火を使い、釜は薪などで炊き、ミシンは足で踏んでいました。

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2019年9月16日 (月)

明石日常生活語辞典・追記(8)

うんてい(雲梯)


 私が小学生であった昭和20年代の後半、学校には「うんてい」がありました。現在、小型の国語辞典の中には「うんてい」という言葉を載せていないものもあります。小学生向けの『チャレンジ小学国語辞典・第4版』には、「うんてい【雲てい】」という見出しがあって、「公園や小学校などにある、はしごを横にして柱で支えたような形の遊び道具」と説明されています。
 うんていでの事故について書かれた新聞記事がありました。


 2017年4月、香川県善通寺市の保育所。女児はうんていの支柱とはしご(高さ約1メートル)との間にできたV字部分に首を挟まれた状態で見つかった。保育士が気づいたのは約10分後。救急搬送されたが、18年1月に亡くなった。うんていは、妹のいる部屋のすぐそばにあった。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2019年5月19日・朝刊、14版、28ページ、平井恵美・木村健一)

 カタカナ外来語や短絡表現の好きな新聞が「うんてい」という言葉を使っていることから判断しますと、「うんてい」を言い換えた言葉はないようです。
 記事に添えられている写真を見ると、支柱もはしごもまっすぐで、角張った形をしています。私の描いているイメージとはだいぶ異なります。
 「うんてい」は共通語ですが、私は「明石日常生活語辞典」で「うんてい」を、「左右に支柱を立てて、はしごを水平に円弧の形に張って、それを懸垂しながら前へ前へと渡っていくようにした遊戯施設」と書きました。左右から見ると、真ん中が少し盛り上がったような「円弧の形」であったように思います。
 その項目の追記として、「小学校時代にあったものは、すべてが木製であった。リズムをとって一つ飛ばしや二つ飛ばしで進んでいくのが格好よく、憧れた。それ以外に、『うんてい』の上にのぼってしまって、辺りの景色を眺めるということもした。『うんてい』というのは聞き慣れない言葉であり、その言葉の意味を理解していなかったから、『うんてん【運転?】』と言うことも多かった。」と書いています。
 中国で城を攻めるときに使った長い梯子を「雲梯」と言い、それに由来する言葉のようですが、そんな遊具自体が減ってしまっているのでしょうか。ものが無くなれば、それを表す言葉も消えていきます。

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2019年9月15日 (日)

明石日常生活語辞典・追記(7)

さん、ちゃん、はん、やん、たん


 古くからの集落には家号(屋号)が伝わっています。私の住む地域にも残っています。〇〇さんという呼び名の「はっちょみさん」「もよみさん」。〇〇ちゃんという呼び名の「たんちゃん」「よんちゃん」。〇〇はんという呼び名の「くろべはん」「ごえはん」「じゅうべはん」「せえべはん」「たろべはん」「はちべはん」「まごべはん」。〇〇やんという呼び名の「こさやん」「しょうやん」「にさやん」などです。わが家は「せいはっつぁん」または「せえはったん」と呼ばれていますが、これは、清八さん、清八ちゃん、清八はんなどの発音が崩れたものでしょう。
 「さん」などの接尾語は、家号だけではなく、人名にも使われます。
 これらの愛称のうち、「やん」について書かれた、こんな文章を読みました。


 友人知人のひとりやふたり、「やん」づけがいるはず。私の同僚にもいる。いもやん、かじやん、つかやん。名字の上半分に「やん」を足した愛称が基本で、男性に使われることが多い。 …(中略)…
 落語でも「やん」はおなじみだ。上方落語の「七度狐」は喜六、清八コンビがお伊勢参り道中、狐にだまされる話。清八は「清ぇやん」だ。
 なぜか許してしまう、心をくすぐる魔法の言葉が「やん」かも。「大阪ことば事典」(牧村史陽編)にこうある。「サン」がなまって変わったもので、親しい間柄に用いると。
 (朝日新聞・大阪本社発行、2017年4月5日・夕刊、3版、2ページ、「まだまだ勝手に関西遺産」、河合真美江)

 上の引用文は、家号ではなく人名について書かれています。その文章のうち、「名字の上半分に『やん』を足した愛称が基本で」という部分には異論があります。名字の上半分に付くこともありますが、どちらかというと、氏名の「名」の上半分に付くことが多いように思います。
 面白いのは、落語の清八は「せぇやん」ですが、わが家の家号は「せえはったん」です。

 ところで上の記事の見出しは「仲良しの証し 魔法やん」と書いてあるのですが、「魔法やん」の「やん」は、掛詞的な使い方です。
 この「やん」は終助詞です。「明石日常生活語辞典」では、「相手に語りかけて、念を押したり同意を得たりするような気持ちを表す言葉」と説明しました。「魔法やんか」と言っても同じような意味です。

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