« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月30日 (月)

【掲載記事の一覧】

 ブログをお読みくださってありがとうございます。
 これまでに連載した内容について、コメントを添えてご案内します。
 お読みくださって、感想・意見・連絡などがありましたら、
       kokugo.kyoiku@gmail.com
  宛に、よろしくお願いします。

≪掲載を継続しているもの≫
◆国語教育を素朴に語る (01)~(40)~継続予定
    [2006年8月29日~2006年10月1日]
    [2007年4月1日~2007年4月6日]
 雑誌『月刊国語教育』(東京法令出版)に毎月連載している、中学校・高等学校の国語科教員向けの文章です。現在のところ、2007年(平成19年)7月号までの執筆を終えました。それが連載43回目にあたります。このブログのタイトルは、その題名をそのまま使っています。

◆神戸圏の文学散歩 (01)~(05)~継続予定
   [2006年12月27日~2006年12月31日]
 雑誌『月刊国語教育』(東京法令出版)に、年2回のペースで連載しているものです。カラーグラビアに文章を添えて4ページ構成です。1回につき30枚以上の写真を載せますから、取材・撮影にも時間がかかります。①明石、②須磨、③有馬、④高砂、⑤尼崎、⑥生田・布引が掲載済みで、⑦芦屋を掲載した号は5月末に出来上がります。

◆言葉カメラ (01)~(63)~継続予定
    [2007年1月5日~2007年1月31日]
    [2007年2月21日~2007年2月28日]
    [2007年3月16日~2007年3月31日]
    [2007年4月19日~2007年4月30日]
 書き下ろし(撮りおろし)です。言葉に関する写真にコメントを添えています。
 1冊の本にまとめられたら嬉しいと思っています。まだまだ材料はいっぱいあります。

◆ゆったり ほっこり 方言詩 (01)~(35)~継続予定
    [2007年2月1日~2007年2月20日]
    [2007年3月1日~2007年3月15日]
 方言で書かれた詩や、方言にまつわる詩です。学生たちが書いた作品を紹介しています。

◆六甲の山並み[言葉つれづれ] (01)~(04)~継続予定
   [2006年12月23日~2006年12月26日]
 書き下ろしです。折に触れて言葉に関して考えたことです。この連載は、時々、再開する予定です。

◆おもしろ日本語・ふしぎ日本語 (01)~(04)~継続予定
    [2007年1月1日~2007年1月4日]
 書き下ろしです。新聞・雑誌などの文章の事例に基づいて、感じたことを書き綴ります。この連載は、時々、再開する予定です。

◆写真特集・さくら (01)~(11)~継続予定
    [2007年4月7日~2007年4月17日]
 兵庫県内を中心として、桜の写真10枚で構成しました。これからも続けますが、再開するのは来春です。

◆昔むかしの物語 (01)~継続予定
    [2007年4月18日]
 何かの記事や出来事に触発されたときに、思い出したように書くことになるだろうと思います。

≪掲載が完結しているもの≫
◆相手を思いやる姿勢と、自分を表現する力 (1)~(3)
    [2006年10月2日~2006年10月4日]
 雑誌『兵庫教育』(兵庫県教育委員会)に掲載した、教員向けの文章です。

◆学力づくりのための基本的な視点 (1)~(7)
    [2006年10月5日~2006年10月11日]
 雑誌『月刊ホームルーム』(学事出版)に掲載した、学級(ホームルーム)を担当している教員向けの文章です。

◆教員志望者に必要な読解力・表現力 (01)~(18)
    [2006年10月16日~2006年11月2日]
 雑誌『教職課程』(協同出版)に掲載した、教員志望者(学生など)向けの文章です。

◆これからの国語科教育 (1)~(6)
    [2006年11月3日~2006年11月8日]
 高等学校国語科教員向けの講座(兵庫県教育委員会)で話した内容をまとめました。

◆兵庫県の方言 (1)~(4)
   [2006年10月12日~2006年10月15日]
 ラジオ関西で放送したものの原稿です。時間は30分間で、対象は高齢者(と一般聴取者)です。

◆高校生に語りかけたこと (01)~(29)
    [2006年11月9日~2006年12月7日]
 自家版『ことば旅3』からの転載です。いろんな機会に高校生に向かって話したことを集めたものです。

◆高校生に向かって書いたこと (01)~(15)
    [2006年12月8日~2006年12月22日]
 自家版『ことば旅3』からの転載です。いろんな機会に高校生に向かって書いたことを集めたものです。

≪著作の紹介(その3)≫
 『神戸・和田岬の言葉』
  1990年(平成2年)11月3日
  和田神社・発行
  B5判 286ページ

Cimg0729

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

| | コメント (0) | トラックバック (0)

言葉カメラ(63) 【上車】

「上車」は、車を上らせること

 電車などに乗ることは「乗車」です。降りることは「下車」が一般的ですが、「降車」も使います。仮に、「降車」の対を「乗車」とすれば、「下車」の対は何でしょうか。「ジョウシャ」という発音で思い浮かべるのは「乗車」であって「上車」ではありません。
 さて、写真の「上車」は、駐車スペースへの上り坂になっている場所に掲げてある言葉です。〔車を上らせること〕が「上車」なのです。〔車を下らせること〕を表す言葉はありませんでした。

【写真は、1999年(平成11年)9月18日に、兵庫県洲本市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Photo_114

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月29日 (日)

言葉カメラ(62) 【生徒の生育】

「生徒の生育」ではなかった

 「生徒の生育調査」という言葉にドキッとして一瞬、立ち止まりました。「生徒の生育」を調査しているわけではありませんが、そのような意味にも解釈できます。農業に関する研究をしているようですから、これは「生徒による生育調査」なのですね。
 もっとも、人間(生徒)の場合は「成育」という文字の方がよいのかもしれません。けれども、「生育歴」という言葉の使い方もあります。

【写真は、2003年(平成15年)7月22日に、兵庫県赤穂郡上郡町内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Photo_113

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月28日 (土)

言葉カメラ(61) 【国さかい】

摂津・播磨の国さかい

 都道府県の境界を鉄道の車窓から見ることがあって、大きな看板で知らせてもらえる場合があります。ちょっと地形が険しくなってくるような場所もありますが、川の流れひとつが境界になっていることもあります。トンネル内で境界を越えることもあります。
 写真は旧国名の境界です。摂津は畿内で、播磨は山陽道です。昔であれば大変な境界であったと思いますが、今はそれを観光リフトの足元に眺めているのです。神戸市の須磨区は摂津で、垂水区は播磨です。

【写真は、2004年(平成16年)3月4日に、神戸市須磨区・垂水区の境界地点で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Photo_112

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月27日 (金)

言葉カメラ(60) 【こぅえん(公園)】

「こぅえん(公園)」と「ファィブ」

 公園は発音どおりに書くと「コーエン」です。神戸は「コーベ」で、大阪は「オーサカ」です。神戸の仮名表記が「こうべ」であり、大阪が「おおさか」であるということは文法の論理で説明できても、感覚的に納得できない人は多いでしょう。さて、公園ですが、これも感覚的には、「う」を小さく書きたいと思う人がいても不思議ではないでしょう。長音表記の一つの方法だというわけです。
 1枚目の写真はデジタルカメラなどなかった時代のもので、撮影年月日は記録に残しておりません。山陽電気鉄道の須磨浦公園駅で見かけました。駅名の下に広告が入っていますが、今は「みなと銀行」となっている前身の一つ「兵庫銀行」の、更に旧名である「兵庫相互銀行」の名があります。(プリントした写真をデジタルカメラで撮り直しましたので、下の部分をカットしました。) そのような古い時代のものです。今は「すまうらこうえん」と書かれています。
 2枚目の写真は、「ファィブアップ」となっていますが、この表記どおりの発音はできません。何気なく見過ごしてしまいますが「イ」を小さく書くと、日本語の発音としては無理です。社名(固有名詞)だから、それでいいのだと反論されればそれまでです。玩具小売りチェーンの「トイザらス」というような変則的な表記も市民権を得ているのですから。

【1枚目の写真は、撮影年月日不詳、神戸市須磨区内で撮影。2枚目の写真は、2007年(平成19年)2月6日に、神戸市東灘区内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Sumaura Photo_111

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月26日 (木)

言葉カメラ(59) 【通過時刻表】

通過時刻表

 工事に携わる人たちなどに向けた、いわば業務用の「通過時刻表」はあるでしょうが、これは一般の人に向けたものです。撮影したときは、「平成7年4月時点」から8年も経っていましたが、大きな変更はないのでしょう。
 場所はJR日暮里駅のすぐ北側を走る道路の歩道部分で、跨線橋の下に、山手線、京浜東北線、新幹線(東北・上越・長野の各線)、常磐線、京成電鉄の順に線路が並んでいるところです。鉄道写真を撮るのに最適な場所です。ここに書かれている列車以外にも著名な列車がしょっちゅう走っていますから、この時刻表を意識する必要はないほどですが、観光名所に一役買っているのでしょう。かくいう私も鉄道ファンで、ここに何度か行って写真を撮りました。

【写真は、2003年(平成15年)8月3日に、東京都荒川区内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Photo_110

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月25日 (水)

言葉カメラ(58) 【現在位置】

「現在位置」って変化するの?

 1枚目の写真はびっくりして撮りました。「現在位置」の標高や東経、北緯が書かれているのを見て、スケールの大きさに驚いたのです。100年とか、1000年とか経てば、標高は変化しているかもしれません。東経や北緯を表す制度(?)も改訂されているかもしれません。
 2枚目の写真のように、地図に「現在地」を記入するのは、旅人にとっては便利です。このような表記は、いくらでも例があります。旅人は移動し続けていて、今、自分がどこにいるのかを知りたいのです。
 1枚目の写真に戻ります。これは地図に書き入れられたものでなく、文字で説明されています。それが違和感を覚えた理由の一つだと思います。もう一つの理由は、この施設(建物)へ行く人は、そこを通過地点でなく目的地点とすることが多いから、「現在」という言い方はそぐわないと思ったのです。けれども、人の行動は一定していませんから、ここを通過地点の一つとして移動する人もあるはずだと思い直しました。

【1枚目の写真は、2000年(平成12年)5月4日に、神戸市北区内で撮影。2枚目の写真は、2007年(平成19年)4月11日に、兵庫県赤穂市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Photo_108 Photo_109

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月24日 (火)

言葉カメラ(57) 【動物注意】

イノシシを意味する「動物注意」

 神戸・芦屋・西宮などの都市は背後に六甲山系が迫っていますから、野生の動物が人家近くにあらわれます。とりわけイノシシが多く、目撃情報は珍しくありません。
 1枚目の写真には「動物注意」という文字が書かれていますが、イノシシのことをあらわしていることは絵を見れば瞭然としています。西宮土木事務所という文字が見えますが、立てられていたのは阪急電鉄芦屋川駅のすこし北です。
 2枚目の写真には「危険」の文字があります。市街地の真ん中で、JR摂津本山駅の近くで見かけました。街の中を駆け抜けることもあるのでしょう。
 3枚目の写真は梅林を見に出かけた保久良山で見かけたものです。「野生のキバ」という言葉にドキッとします。実際に、4枚目の写真のようにイノシシが近くで戯れていました。(ぶれた写真で失礼!) 地元の住民(と思われる)二人が、そんな状況には慣れているのか、ちょっと離れた位置にあるベンチに座って悠然と話をしておられました。

【1枚目の写真は、2007年(平成19年)4月6日に、兵庫県芦屋市内で撮影。2枚目の写真は、2007年(平成19年)2月20日に、神戸市東灘区内で撮影。3枚目と4枚目の写真は、2007年(平成19年)3月14日に、神戸市東灘区内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Photo_104 Photo_105 Photo_106 Photo_107

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月23日 (月)

言葉カメラ(56) 【A・K・O】

肘掛け文字

 校庭やスタンドいっぱいに広がる人文字を書いたり、植え込みなどを刈り取って文字やマークを浮き立たせたりすることは、あちらこちらで見られます。
 ところで、町の片隅に置かれたベンチの肘掛けの部分が文字になっているのは秀逸です。A・K・Oの文字が自然な感じで利用されています。手前(左側)から順番に、文字が少しずつ小さくなっているのも面白いと思います。忠臣蔵で知られる赤穂市で見かけました。

【写真は、2007年(平成19年)4月11日に、兵庫県赤穂市内で撮影。】

Photo_103

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月22日 (日)

言葉カメラ(55) 【おおきに】

感謝の言葉は「おおきに」

 どんな場合でも「ありがとう」という感謝の気持ちを忘れてはいけませんが、商売の場合はなおさらです。
 「ありがとう」と声をかけられたら気持ちが和みますが、同じことを言われても、もっと心にしみるのは地元の言葉で語りかけられた場合です。
 1枚目の写真は、自動販売機ですが「おこしやす おおきに」と、いかにも京都らしさが漂っています。2枚目の写真も「おおきに」です。「また、きんかぁ!」というのは少し押しつけがましく感じるかもしれません。
 京都と姫路ではアクセントが異なると思いますが、いずれにしても、関西一円では、「おおきに」という言葉が人と人との心をつないでいます。

【1枚目の写真は、2000年(平成12年)6月4日に、京都市中京区内で撮影。2枚目の写真は、2004年(平成16年)10月19日に、兵庫県姫路市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Photo_101 Photo_102

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月21日 (土)

言葉カメラ(54) 【ひらう】

方言とは思っていない「ひらう」

 方言とは意識していない方言(俚言)は、各地にいろいろとあることでしょうが、これも、その例です。
 ほんのちょっとした発音の違いですから、「拾(ひろ)う」を「ひらう」と言い、文字に書いてもまだ、共通語との違いに気づいていないのです。

【写真は、2000年(平成12年)5月19日に、兵庫県津名郡津名町(現在は、淡路市)内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Photo_100

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月20日 (金)

言葉カメラ(53) 【幼園児】

「幼児」+「園児」

 「小中学生」というのは小学生と中学生とを合わせた言葉です。同じように「中高一貫教育」とか「高大連携」という言葉もあります。
 ところで、「幼園児」というのは、ちょっと見慣れない感じの言葉です。幼児と園児を合わせた言葉だということはわかりますが、その二つをなぜ合わせたのでしょうか。
 幼児とは、幼い子です。児童福祉法では、1歳から小学校に就学するまでの者を幼児というのだそうです。
 小学校入学前の子どもは、保育園や幼稚園に通っていることが多いから「園児」と言ってよいのでしょうが、入園していない子どもがいないわけではありません。そのような配慮から、幼児と園児を合わせて「幼園児」と言ったのではないかと思いました。それが正しいかどうかはわかりません。

【写真は、2004年(平成16年)8月24日に、兵庫県豊岡市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Photo_91

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月19日 (木)

言葉カメラ(52) 【語頭の「ゑ」「を」】

語頭の「ゑ」「を」

 現代仮名遣いでは、「ゑ」があらわれることはなく、「を」は格助詞で使うだけです。ところが看板などでは、語頭の「ゑ」「を」を見かけることがあります。
 1枚目の写真は、どうして「M」が「ゑむ」で、「N」が「えぬ」なのかわかりません。2枚目の写真は、うがった見方をすれば、趣がある、愛らしいという意味の「をかし」と掛けているのかとも思いますが、「レネっと」というカタカナ・ひらがな混じりの文字遣いからすれば、「を菓子」も文字の奇抜さで注目させる意図が働いているのかもしれません。

【1枚目の写真は、1999年(平成11年)6月5日に、兵庫県洲本市内で撮影。2枚目の写真は、2007年(平成19年)3月7日に、兵庫県明石市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

199906 Photo_90

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月18日 (水)

昔むかしの物語(01) 【カコ・コーラ】

カコ・コーラのこと

 コーラを初めて口にしたとき、その匂いによって、まるで洗濯石鹸を溶かした液体を飲んだように感じた記憶が、今も強く残っています。
 コカ・コーラが今も昔もトップシェアを誇っているのでしょうが、カコ・コーラという商品を目にして驚いたことがあります。自分も飲んだように記憶しています。コカ・コーラの偽物と断じることができないのは、地元商品の命名であったからです。地ビールならぬ地コーラです。昭和40年代の話です。
 ところで、新・かこがわ事典編集委員会(編)『新・かこがわ事典』(2006年7月5日発行)に「カコ・コーラ」の項目がありました。その一部を引用します。
      ◆   ◆   ◆
 「今から33年ほど前、加古川東高校の脱靴場前の自動販売機で『Caco-Cola(カコ・コーラ)』という清涼飲料水を売っていた記憶があります。ビンの形も味も良く似ているけれど『Coca-Cola(コカ・コーラ)』ではないのです。……〔中略〕……ここまで見事に語呂の合ったネーミングは加古川しかできないですね。
 この記憶の裏づけをとるために、加古川東高校の33~35年前の卒業生に問い合わせてみましたが、『確かにあった』という人は数名のみで、大部分の人は記憶にないとのこと。」
      ◆   ◆   ◆
 「今から33年前」を、発行時の2006年より33年前とすると、1973年(昭和48年)となります。
 私は、1965年(昭和40年)4月から、1975年(昭和50年)3月までの10年間、加古川東高校に勤めました。木造校舎の時代で、鉄筋コンクリートの新館が少しだけ建ち始めている頃でした。
 校内に「自動販売機」が導入されたのはいつのことなのかは記憶にありませんが、私が初めてカコ・コーラを目にしたのは、校内の購買部(と言っていたように思います)です。その売店のおばちゃん(失礼!)は、菅原さんとおっしゃる方でした。菅原さんの親戚に歌を歌っている人があって、その人はいずれ有名になるかもしれないという話を聞いたことがあります。本当に有名になった、その人の名前は菅原洋一さんで、加古川東高校の卒業生でした。
 前記の文章の中にある「加古川東高校の脱靴場」というのも懐かしい言葉です。「ダッカジョー」というのは、今では使わないでしょう。下履きの靴から上履きに履き替えるところで、生徒全員の靴箱が並んでいました。今は、たぶん「生徒昇降口」と言うでしょう。
 話を元に戻します。「カコ・コーラ」は間違いなく存在しましたが、記憶に残している人が少ないのに驚きます。ビンの形も似通っていましたから、コカ・コーラだと思っていたのかもしれませんし、コーラの銘柄などは何であってもよいと考えていたのかもしれません。
 とにもかくにも懐かしい商品名です。

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0706_1 Cimg0707

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月17日 (火)

写真特集・さくら(11) 【大阪市内】

足早く咲いた大阪市内の桜

 大阪市内の桜は、明石や姫路に比べると早く咲いて、早く葉桜へ移りゆくようでした。
 造幣局の桜でもなく、大川端の桜でもなく、歩いて何気なく通りすぎたあちらこちらの桜の様子です。
 自然の景物を背景にしたもよいのですが、ビルを背にした桜もまた異なった味わいがあるように思います。

【写真は、2007年(平成19年)4月12日に、大阪市北区内および西区内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0598_1 Cimg0599_1 Cimg0600 Cimg0601_1 Cimg0602 Cimg0616 Cimg0617 Cimg0621_1 Cimg0628 Cimg0635

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月16日 (月)

写真特集・さくら(10) 【明石城】

可愛い櫓の明石城

 明石城はJRや山陽電鉄の明石駅から間近に見えます。緑豊かな公園に白亜が印象的です。17世紀初めの築城ですが、可愛い櫓だけの城です。築城当時は、本丸に御殿を築いて、四隅に三重の櫓を配し、天守台の石垣は築かれましたが、天守閣は建てられませんでした。
 城とその周辺は県立明石公園として市民に開放され、桜の名所にもなっています。

【写真は、2007年(平成19年)4月12日に、兵庫県明石市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0650 Cimg0652 Cimg0647 Cimg0658 Cimg0649 Cimg0664 Cimg0662 Cimg0675 Cimg0673 Cimg0670

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月15日 (日)

写真特集・さくら(09) 【赤穂城】

「忠臣蔵」の赤穂城

 人口5万人余の赤穂市は「忠臣蔵」で知られた浪士の故郷です。
 赤穂城は海岸平城で、天守閣は築かれず天守台のみが作られました。赤穂城は取り壊されましたが、昭和時代に隅櫓が、平成になって本丸門が復元されています。城内には大石神社があり、風情のある街並の中に花岳寺があります。
  桜の木は多くはありませんが、あちらこちらに植えられていて、それぞれの場所で華やかさを演出しているように見えました。

【写真は、2007年(平成19年)4月11日に、兵庫県赤穂市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0511 Cimg0544 Cimg0529 Cimg0530 Cimg0501_1 Cimg0516 Cimg0486 Cimg0489_1 Cimg0549 Cimg0495

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月14日 (土)

写真特集・さくら(08) 【姫路城】

世界遺産の姫路城

 白鷺城(しらさぎじょう、はくろじょう)とも呼ばれる姫路城は、国宝としても、世界遺産としても知られています。
 三の丸跡の芝生とその周辺は、満開を迎えて大勢の花見客であふれていました。姫山公園などを含めるとソメイヨシノやシダレザクラなどが、およそ1000本あるそうです。日本のさくら名所100選にも数えられ、さまざまな催し物に彩られます。

【写真は、2007年(平成19年)4月11日に、兵庫県姫路市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0580 Cimg0584 Cimg0599 Cimg0587 Cimg0598 Cimg0589 Cimg0590 Cimg0591 Cimg0593 Cimg0596

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月13日 (金)

写真特集・さくら(07) 【剛ノ池】

額縁の中の剛ノ池

 剛ノ池は明石公園の中にある桜の名所です。ボートなどの浮かんでいる池の周りにぐるりと桜が取り巻いています。北の方には芝生が広がっていて家族連れや若者グループなどで大にぎわいです。
 池の傍らに大川洽一郎さんの句碑が建っていますが、まさに「もろ人に花照る城の大芝生」というのにぴったりです。
 写真のアングルには事欠かないのですが、まずは句碑、そして剛ノ池と、池の周りの様子のわかる写真を載せます。合計4枚です。
 あとの6枚は岸辺の桜の枝を通して撮った写真、いわば額縁のような桜風景です。

【写真は、2007年(平成19年)4月12日に、兵庫県明石市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0644_2 Cimg0626 Cimg0710 Cimg0621 Cimg0633 Cimg0694 Cimg0702 Cimg0701 Cimg0703 Cimg0700 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月12日 (木)

写真特集・さくら(06) 【赤穂】

赤穂民俗資料館前

 赤穂市立民俗資料館は、明治41年に完成した建物で、塩専売法に伴って設置された塩務局の庁舎として使われたものです。現在は、兵庫県指定重要有形文化財に指定されています。資料館には、なくなりつつある日常生活用具などが展示されています。
 その資料館の前をほぼ東西に走っている道路と、すぐ東の十字路から南に延びる通りの桜は見事です。クルマの行き来は多くありませんし、花見をして飲食するのにふさわしいと思えない地形であるということが幸いして、落ち着いた雰囲気になっています。

【写真は、2007年(平成19年)4月11日に、兵庫県赤穂市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0493 Cimg0492 Cimg0491 Cimg0489 Cimg0503 Cimg0501 Cimg0505 Cimg0509 Cimg0506 Cimg0507

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月11日 (水)

写真特集・さくら(05) 【岡本南公園】

桜守の岡本南公園

 「この岡本南公園は水上勉の小説『桜守』のモデルとなった桜の愛好家笹部新太郎氏の邸宅跡を神戸市が買収して市民の憩いの場所に整備したものです」という銘板(1枚目の写真)が設けられています。邸宅の門(2枚目)も残っています。
 ここには、ササベザクラ(3枚目)、オカモトザクラ(4枚目)、イトザクラ(5枚目)、ヤマザクラ(6枚目)、ドヒガンザクラ(7枚目)、カスミザクラ(8枚目)、オオシマザクラ(9枚目)などが、それぞれに目を楽しませてくれます。花筏(10枚目)も始まっていました。

【写真は、2007年(平成19年)4月3日に、神戸市東灘区内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0393_2 Cimg0394 Cimg0403 Cimg0397 Cimg0399 Cimg0411_2 Cimg0413 Cimg0418 Cimg0421 Cimg0429

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月10日 (火)

写真特集・さくら(04) 【須磨浦公園】

須磨浦公園・暮色

 時間がなくて、須磨浦公園を訪れたのは夕暮れが迫る時刻でした。須磨は源平の古戦場として知られるところです。鉢伏山上へはロープウエイが通じています。
 山陽電気鉄道の須磨浦公園駅の一帯は桜の名所でもあります。駅から西の方へ上っていけば、与謝蕪村の「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」の句碑と、松尾芭蕉の「蝸牛(かたつむり)角(つの)ふりわけよ須磨明石」の句碑もあります。

【写真は、2007年(平成19年)4月9日に、神戸市須磨区内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0436_2 Cimg0450 Cimg0440_1 Cimg0449 Cimg0456 Cimg0458 Cimg0461 Cimg0466 Cimg0467 Cimg0443_2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月 9日 (月)

写真特集・さくら(03) 【明石海浜公園】

明石海浜公園

 海のそばの公園と言うよりも、海の中(埋め立て地)にできた公園と言うのが正しいかもしれません。明石市二見町にある明石海浜公園は、地元の人には知られた桜の名所です。木の種類はほとんどソメイヨシノだけですが、海と桜を一望する景色も、桜並木の散歩道も、なかなか見応えがあります。

【写真は、2007年(平成19年)4月8日に、兵庫県明石市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

P4080022 P4080023 P4080024 P4080026 P4080031 P4080032 P4080033 P4080041 P4080037 P4080039

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月 8日 (日)

写真特集・さくら(02) 【芦屋川】

芦屋川に沿って

 阪急電鉄芦屋川駅は、文字通り芦屋川の上にプラットホームが伸びています。芦屋川駅の上流も下流も、桜の見頃を迎えています。芦屋川駅のプラットホームが既に一つの花見スポットなのですが、そこから上流を少し歩いてから、下流まで往復しました。
 JR東海道本線は、天井川になっている芦屋川をトンネルで潜っているのですが、そのトンネル部分の上では、さくらまつりが開かれていて、露店が並んでいました。阪神電気鉄道芦屋駅のちょっと手前で、両岸の桜並木は終わってしまいますが、やはり芦屋川の上にプラットホームがある阪神芦屋駅から下流には立派な松が生い茂っている芦屋公園が広がっています。

【写真は、2007年(平成19年)4月6日に、兵庫県芦屋市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0387Cimg0388 Cimg0392_1Cimg0393 Cimg0400 Cimg0407 Cimg0408 Cimg0411_1 Cimg0409 Cimg0404

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 7日 (土)

写真特集・さくら(01) 【日岡山公園】

日岡山公園

 季節ごとの様子などを写真で紹介する特集をはじめます。全体的な紹介はしますが、1枚ごとの写真の説明はしません。
 桜花爛漫の季節です。さしあたって、桜の特集を何回か続けてみます。
     ◆     ◆     ◆     ◆
 東の明石川と西の加古川の間の地域は「いなみ野」と呼ばれていますが、加古川市の日岡山(ひおかやま)公園は、播磨地域では知られた桜の名所です。1500本のソメイヨシノが咲き誇る眺めには圧倒されます。ここには、景行天皇の皇后である稲日大郎媛(いなびのおおいらつめ)を祀ったと伝えられる御陵もあります。

【写真は、2007年(平成19年)4月5日に、兵庫県加古川市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0444_1 Cimg0440 Cimg0428_2 Cimg0425 Cimg0441_2 Cimg0442 Cimg0443_1 Cimg0434_1 Cimg0435_3 Cimg0436_1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 6日 (金)

国語教育を素朴に語る(40)

文末をきちんと表現する習慣

 日本語は、英語や中国語と違って、文の末尾まできちんと書いたり読んだりしないと誤解が生じることがあります。国語科で表現を指導するときには、そのことに神経を使っています。文末がおろそかになっている文章は、教科書にはあまり採用されていません。
 けれども、日常生活では、文末に執着しない傾向が強まっています。会話文なら多少の省略などがあっても、前後の文脈から判断できます。書き言葉である新聞の文章も同じような方向が顕著になってきています。
 例えば、納豆のダイエット効果を取り上げたテレビ番組についてのニュースとして、ある新聞は、リード文に続く本文をこんな具合に書き始めています。

 番組は7日夜のフジテレビ系の情報番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」。納豆に含まれるイソフラボンにダイエット効果があるとうたい、正月太りを納豆で解消しよう、といった内容。朝晩1バックずつ納豆を食べ続けた男女が減量に成功した例を紹介した。
 1世帯あたりの納豆の年間購入金額が、全国の県庁所在地で最下位の和歌山市。05年の総務省の家計調査年報によると、和歌山市(1882円)は1位の福島市(6259円)の3分の1以下。それなのに、スーパーの陳列棚から納豆のパックが姿を消し、品薄状態が続いている。

     ◆   ◆   ◆
 NIE(教育に新聞を)推進に新聞社は力を入れています。NIEなどという言葉が使われていなかった時期から、国語の指導に新聞掲載の文章を採り入れてきた私は、現今の新聞の文章には失望しています。
 新聞は、限られた行数の範囲内で表現しなければなりませんから、文字数を減らそうと努めています。文中で重要な役割を持っている部分を省略できませんから、文末をそぎ落とすことになります。そして中途半端な文が連続していくことになるのです。これは、文学作品の体言止めなどとは異質なものです。
 新聞の文章は、読むときに誤解が生じないように工夫されています。しかし、文末をきちんと表現しようとする姿勢を持たなくてもいいのだというような風潮を広げてはいけません。そんな文章を、中学生・高校生の文章の手本にはできません。
 ここに引用した新聞の文章を読み進めていくと、こんな文にも出会います。

 買い物に訪れた主婦(33)は「友人から『どこに行っても売り切れてる』とメールが来たが、本当なんですね」。

 「主婦は」に対する述語がありませんが、このような表現は、新聞では珍しくありません。個人の感想・意見を文章の中にちりばめていく手法がしばしば用いられて、唐突に引用文があらわれます。しかも、誰の発言であるのかわからないようなことも多いのです。
     ◆   ◆   ◆
 文字で書く文章が、話し言葉に近づいて、きちんと前後を対応させた表現をしなくても、誤解が生じなければよいだろうというような傾向が強まってきました。
 けれども、言葉の教育をする場では、この状況を容認するわけにはいきません。次期の学習指導要領は「言葉の力」を各教科・科目の基礎に置こうとしています。生徒に対しては、文末まできちんと表現した文章を書く習慣をつけさせるべきだと思います。NIEで新聞の活用を呼びかけているのですから、新聞は自戒しなければなりません。
 納豆が品切れだという報道の後、10日も経たないうちに、このテレビ番組がデータを捏造していたというニュースが流れました。NIEはメディア・リテラシーを育てる目的もあるのですが、テレビ局の意図的な情報操作は許されません。それとともに、納豆品切れのニュースを、尻馬に乗ったように報道した新聞社も軽率のそしりは免れないでしょう。

【この文章は、東京法令出版発行『月刊国語教育』2007年(平成19年)4月号に掲載されました。】

【季節のたより(06)】

 4月2日の黄砂の写真は、霞んでいる様子を実感していただけたでしょうか。
 比較のために、快晴のもとで、ほぼ同じ方向の写真を撮りました。
 左の写真は、明石市西端の二見人工島から東方を見たものです。先端の江井ヶ島が小さな岬になっていて、その先方がゆるやかに湾入していますから、明石海峡大橋が地上の位置に見えるのです。右の写真は、西方にある二見漁港です。

【2枚の写真は、2007年(平成19年)4月5日に、兵庫県明石市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Photo_98 Photo_99

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 5日 (木)

国語教育を素朴に語る(39)

他人への意識と、他人との関係

 電車内が騒がしいということを多くの人が感じています。車内アナウンスの声や、携帯電話での通話などによるのです。
 車内アナウンスで最小限の案内(停車駅名、到着時刻、他線への接続など)をすることは必要でしょう。けれども、車内マナーについての繰り返し放送や、広告・宣伝の要素が加わったアナウンスは行き過ぎであるようにも思います。
 メール利用の高まりから、車内で通話をする人は減ってきました。携帯電話での傍若無人な話し声は少なくなりました。緊急の用件などで、口元を押さえながら遠慮がちに話している人が気の毒に思えたりします。
  けれども、大音量で長々とした車内アナウンスに苦情を言う人よりも、携帯電話での通話に立腹している人の方が多いようです。
 それ以外で、私が不快に思うのは、少し混んでいるロングシートの車内で、並んで座れずに、対面する位置に座った同士が、通路をはさんで、大声で話している風景です。
     ◆   ◆   ◆
 どういうことを快・不快と感じるかは、人によって異なるでしょうが、共通するものもあるようです。自分(たち)だけの空間を作って、周りの人への配慮をしない人を不愉快に思う気持ちは多くの人に共通しています。
 乗客の一人である自分に向かってのアナウンスは、少し辛抱しながら聞いています。それに対して、携帯電話の場合は、通話をしているのが乗客であっても、その相手は車外の人です。会話の一方(乗客)の声だけを脈絡もなしに聞かされる不快さです。声の大小は関係がありません。
 対面する座席で話をしている二人の場合、双方の話し声が乗客には聞こえていますから、話の脈絡はわかります。しかし、通路に人がいても、それらの人を飛び越えて、自分たちの世界を作っているのです。
 不特定多数の人がいる空間で、周りの人との関係を断ち切って、しかし、声だけがその空間を浮遊しているという状態です。他人の存在を意識する能力がなくなっているとは思いませんが、他人に配慮しようとする気持ちは失われているのでしょう。
     ◆   ◆   ◆
 敬語の種類を5つに増やそうという提案があり、賛否が分かれています。
 言葉を研究対象とするのなら、いくらでも細かく分ければいいでしょう。けれども、教育の場で指導することを考えれば、煩雑さが増し、教えられる生徒の負担が増えるという難点があります。
 敬語は、尊敬・謙譲・丁寧というような分類や、その用法がわかれば使いこなせるというものではありません。敬語を使えば人間関係がうまくいくという保証もありません。
 日本には、敬語をほとんど使わないとされている地域があります。けれども、敬語を使う・使わないということと、敬意を込めた言葉遣いをする・しないということとはイコールではありません。
 はじめに挙げたいくつかの例は、言葉の中身にどんなに敬語が使われていても、不快なものは、どこまでいっても不快です。
     ◆   ◆   ◆
 人と人との関係は、言葉遣いによって、うまく展開したり、よくない結果を招いたりします。しかし、言葉遣いだけが重要だというわけではありません。言葉を発する前に、他人をどのように意識するかということや、その人とどのような距離にあるのかと判断することが必要です。その意識・判断によって、言葉遣いが変化します。その言葉遣いの一つに、敬語という要素があるということでしょう。
 他人をどのように意識するかということ、他人との関係をどのように取り結ぶかということ、その人に向かってどのような言葉を発するかということを総合的にとらえて指導するのが、国語教育においては重要であると思うのです。

【この文章は、東京法令出版発行『月刊国語教育』2007年(平成19年)3月号に掲載されました。】

【季節のたより(05)】

 明石市内の自宅から、自転車に乗って、のんびりと加古郡稲美町を経て加古川市へ行きました。天気は上々で、あちらこちらで桜に出会いました。黄色い菜の花も咲き乱れていました。
 雑誌『月刊国語教育』に1年に2回の割合で連載している「神戸圏の文学散歩」(グラビア4ページ分)の取材のためです。町役場と市役所では観光案内などの資料をいただきました。自宅からこの地域にかけては、雨量が少なく、溜め池の多いところとして知られています。枕草子などでは「いなみ野」と書かれているところです。日差しは強くなかったのですが、帰ってきたら顔がヒリヒリしてきました。
 「神戸圏の文学散歩」については、写真特集をしようと考えていますので、とりあえず今日は、稲美町役場の近くにある「いなみ野 万葉の森」の写真を2枚、載せます。
 左の写真は、みつまたです。万葉名は「さきくさ」です。右の写真は、かたくりです。古名は「かたかご」です。

【2枚の写真は、2007年(平成19年)4月5日に、兵庫県加古郡稲美町内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫Photo_94Photo_97

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 4日 (水)

国語教育を素朴に語る(38)

言葉の来歴を知ることの意義

 「昨日のゲームで、応援している球団が勝って、とってもハッピーな気分だった。」などと生徒が話をしています。教室に向かう途中で、ふと耳にした言葉です。
 それをとらえて、高等学校の国語の時間にこんな話をしたことがありました。
 わざわざ「ゲーム」だの「ハッピー」だのと言わなくても、きちんとした日本語があるではないかと、むきにならなくてもよいと思います。「ゲーム」も「ハッピー」も既に定着している外来語です。
  けれども、この時の話題は、「ゲーム」「ハッピー」を日本語で言うとどうなるかということです。答えは簡単です。「試合」「幸せ」です。(他の言い方もあるでしょうが、今は、そのことは気にしないで話を進めます。)
     ◆   ◆   ◆
 漢字で「試合」「幸せ」と板書して、すぐさま、平仮名で「しあい」「しあわせ」と添えます。何を問題にしているのか、生徒には察しがつかないと思います。
 次に、この二つの言葉を古典仮名遣いで書けばどうなるだろうかと質問してみます。多少の間違いが生じることがあっても、ヒントの一言、二言で、「しあひ」「しあはせ」にたどり着きます。
 質問を続けます。「しあひ」や「しあはせ」という言葉はどうして出来上がったのだろうか、ということを考えます。わからないという顔もたくさんありますが、これは動詞の連用形から転じたものではないかという答えが出てくると、しめたという気持ちになります。生徒にも、話題の方向性が見え始めてきたようです。「しあひ」は動詞「しあふ」(ハ行四段活用)の連用形であり、「しあはせ」は動詞「しあはす」(サ行下二段活用)の連用形です。
  次に、「しあひ」は必ずしも「試合」という文字に結びつかないということに気付かせます。「泥仕合」は「泥試合」とは書きません。「しあはせ」は、「幸せ」だけでなく「仕合せ」とも書きます。
 このようにして、「しあひ」と「しあはせ」には「仕合(う)」という共通点があることに思い至ります。もっとも「仕」も、当て字と見るべきかもしれません。本来はサ変動詞の「す(為)」です。
 「しあふ」には、互いに(いっしょに)する、優劣を競いあう、などという意味があって、ゲーム性の強いものを「試合」と書くようになったのでしょう。
 「しあはせ」は、めぐり合わせ(運命、機会)という意味で、良い場合にも悪い場合にも使われましたが、良い意味で使われることが多くなるにつれて「幸せ」という文字が定着したのでしょう。
     ◆   ◆   ◆
 それにしても、昔の人たちには、幸福は自分の手で作り出すものだというような、思い上がった気持ちは少なかったのではないでしょうか。めぐり合わせで得た「幸せ」を大切にしたように思います。
 余談ですが、私の父や祖母などは、「しあせ(仕合せ)がええ(良い)。」「しあせがわるい。」という言い方を口癖のようにしていました。この言い方は、存命の母はもちろん地域でも、しょっちゅう使っています。幸も不幸も自分の力だけでは作り出せるものではない、運命や機会にめぐり合わせることなのだという考えが生き続けているように思います。
 漢字で書けば「試合」「幸せ」という、一見、無関係のような言葉の間柄が見えてきました。こんなことは、授業時間に余裕が生じたときなどに、雑談のように話せばいいことでしょう。
 けれども、このような些細な話から、生徒たちが、日本語の成り立ちや来歴を知って、日本人の考え方や言葉の奥深さや面白さをわかってくれたら嬉しいのです。
 言葉を慈しむ気持ちは、一つ一つの言葉を、単に意味を表す道具のように見ないことから生まれるはずです。外来語にしても、もとの言語の中で使われてきた背景を抜きにして日本語に取り入れることはすべきではないと思います。

【この文章は、東京法令出版発行『月刊国語教育』2007年(平成19年)2月号に掲載されました。】

【季節のたより(04)】

 やっぱり今日も桜です。日本には至るところに桜の名所がありますが、わざわざ足を伸ばさなくても、通勤途上にも目を楽しませてくれるところがあります。
 阪急電鉄の神戸・三宮のターミナルを出る大阪・梅田行きの特急電車の次の停車駅は岡本ですが、ここにも桜があります。
 左の写真は、駅に沿った道路から上りホームを撮ったもので、右の写真は、下りホームから上りホームを眺めたものです。

【2枚の写真は、2007年(平成19年)4月3日に、神戸市東灘区内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Photo_92 Photo_93

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 3日 (火)

国語教育を素朴に語る(37)

漢文もしっかりと学習させよう

 2007年を迎ました。まずは、「謹賀新年」と申し上げます。訓読すれば、「謹みて新しき年を賀す」です。「謹賀新年」の文字が年賀状の決まり文句であっても、このように訓読して理解している人が多いかどうかはわかりません。
 出講している大学で、教職課程の国語科教育法を担当しています。学生たちは国語科の種々の教材を使った学習指導の構造を考えたり、学習指導案などを作成したりして熱心に取り組んでいます。
 ところが時に、驚くようなことに出会うことがあります。その一つは漢文の力です。高等学校の「国語総合」の教科書を使って、古典の漢文を扱うことになると、ちょっと様子がおかしくなってくるのです。基本語や句法などがあいまいな学生がいますし、既に読んでいるであろうことを期待して漢文の作品名を挙げても、知っていないことがあるのです。
     ◆   ◆   ◆
 大学では多様な入試が行われていて、さまざまな能力や特性などをそなえた学生が入学しています。そのことは評価します。
 けれども、筆記による入学試験が現代文だけで行われていたり、古典が入試科目になっていても漢文を含まないことになっていたりという現実があります。
 高等学校で必修科目であった「国語Ⅰ」(旧課程)や、選択必修の「国語総合」(新課程)には漢文も含まれていますから、一応の学習をしています。けれども、高等学校で、入試に即応する授業が行われて、クラス編成や選択科目の関係で、漢文を深く勉強しないまま卒業した生徒も多いように思います。大学の教職課程で国語科の免許状を取得しようとする学生の中にも、その傾向を感じるのです。
 そのような状況ですから、国語科の免許状を取得しても、漢文を読むための知識や能力などが低くなっているかもしれないという懸念を持ちます。学生たちが、高校時代に受けた漢文の授業をそのまま再現するのなら、国語科における漢文の将来を憂えたい気持ちになります。
 高等学校学習指導要領の「国語総合」では、「内容の取扱い」の項で、「古典と近代以降の文章との授業時数の割合は、おおむね同等とすることを目安として、生徒の実態に応じて適切に定めること。なお、古典における古文と漢文の割合は、一方に偏らないようにすること。」と述べています。
 偏ると言わないまでも、漢文の指導に充てる時間は少なくなっており、高校2年生、3年生に進むと漢文を勉強することが極端に少なくなることもあるようです。授業があっても、受験科目でないから授業を受けるのに熱が入らないという現実があるかもしれません。
     ◆   ◆   ◆
 「国語総合」の漢文教材は、入門期のものだと言ってもよいでしょう。漢文との触れ合いが本格的に行われていないままで、漢文を卒業してしまうのは寂しいことです。
  固有文字を持たなかった日本人にとって、漢字・漢文との出会いは、書き言葉を手に入れる、大きな出来事でした。漢字・漢文が日本語に与えた影響の深さを見過ごすわけにはいきません。漢字・漢語を避けて外来語にすり寄っていくような、現代語の傾向を助長してはいけないと思います。
 漢字ばかりの文章を訓読しながら読み進めることに抵抗があるのなら、書き下し文を教材にするという方法があります。書き下し文は、古典文法に則って読んでいますから、古文教材と同等に扱ってもよいはずです。
 書き下し文をもとにして詩文、史話、思想などの漢文の世界に分け入り、生徒がその原文を読みたいという欲求を持ったときに漢文(訓点付きの文、または白文)を読むということをしたらいかがでしょう。
 書き下し文として与えても、漢字などは元のまま提示しますし、文章の味が損なわれることはないでしょう。書き下し文は、古文教材であっても、元の漢文へさかのぼる道を閉ざしてしまっていないと思うのです。

【この文章は、東京法令出版発行『月刊国語教育』2007年(平成19年)1月号に掲載されました。】

【季節のたより(03)】

 桜の国の桜の季節です。明石市の二見人工島(神戸のポートアイランドのような名前ではなく、古風な命名です)には、明石海浜公園が設けられていて、桜並木があります。
 左の写真でわかるように、満開にはまだ少し早いのですが、右の写真のように、誇らしげに咲いている木もあります。

【2枚の写真は、2007年(平成19年)4月2日に、兵庫県明石市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

P4020004 P4020005

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 2日 (月)

国語教育を素朴に語る(36)

答案の部分点をなるべく排除したい

  師走を迎えました。2学期制の学校は例外でしょうが、12月は、期末考査を実施し、採点をして、成績を評価する必要があって、教員には大忙しの時期です。
 試験というと思い出すのは、自分の学生時代のことです。教職を目指す者が集まっている学部だから、試験の際に不正防止のために監督をしてもらうなどということは面目が立たないという考えに基づいて、監督者のいない試験を続けていました。
 もちろん、不正が皆無だとは保証できません。学生一人一人は、「もし試験で不正を行えば、自ら大学を去る」ということを書面で宣誓して、試験に臨みました。現在、広く行われている、「不正が発覚したら、その期の試験すべてを零点とする」というような処置よりも厳しいものであったのです。
     ◆   ◆   ◆
 大学の期末試験の場合は、わずか一題だけの記述問題ということもあります。当てが外れたときは不合格の憂き目にあうことにもなりかねません。設問に正面から答えられない学生は、「この問題はさておき…」と、設問とは異なる内容を得々として論じて、それでも合格できたという、のどかな時代もあったようです。
 けれども、それは、いわばお伽話のような世界です。尋ねられている設問に、正面から答えられるかどうかは、知識や見識の他に、理解力や表現力も関係しています。大学の一般的な科目ならいざ知らず、教職課程の科目では、誤解であれ曲解であれ、設問と異なった方向で書かれた答案を大目に見るわけにはいかないと、私は考えています。
 例えば、「現在、進められている義務教育の構造改革を要約して言えば、どのようなことを行おうとしているのですか。また、それについて、あなたの意見を述べなさい。」というような設問の場合、前半を無視して(あるいは、知識などが欠如しているから書けなくて)、自分の意見だけを述べた答案に出会うことがあります。
 専門教科が何であれ、設問を無視する習慣があったり、理解力や表現力が不足したりしている者は教員になってほしくありません。
     ◆   ◆   ◆
  中学校・高等学校の国語の答案を採点する場合は、○や×の他に、△で部分点を与えることが多いように思います。せっかく答えているのだから、少しでも点数を与えたいという気持ちはわかります。けれども、長い目で見ると、そのやり方は、かえって弊害を生むかもしれません。
 あちらこちらの△の点数を寄せ集めると、かろうじて合格点に達するという答案は、価値のある答案ではありません。きちんとした答案が書けないのは、理解力や表現力がじゅうぶんでないことを表しています。
 採点するときの基準として、キーワードを使っているかどうかということを物差しにすることがあります。答案の表現の中にどうしても必要な言葉がある場合は、その言葉がなくては正解とは言えません。けれども、それを逆に考えてはいけないと思います。キーワードを使っておれば、表現の拙さには目をつぶって、ある程度の点数を与えるという採点方法がありますが、それには賛成できません。
 設問の意味を取り違えている答案は、どんなに優れたことを書いていても部分点を与えるべきではないと思います。少し関係のありそうなことを書いておけば、△で、部分点が与えられるという、甘い考えが広がることを排除したいと思います。△が多いのは、ものごとをきちんと考えようとする姿勢が欠如しているからかもしれません。理解力や表現力を伸ばすためには、厳しい採点をする方が効果を上げるはずです。
     ◆   ◆   ◆
 試験を出題する側も、設問の意図を取り違えて解釈されそうな表現は避けなければなりません。出題者のせいで生徒を惑わせるのは困りものです。
 試験開始後に訂正をしてまわったり、試験終了後に誤りに気付いたりするのは、恥ずかしい風景です。

【この文章は、東京法令出版発行『月刊国語教育』2006年(平成18年)12月号に掲載されました。】

【季節のたより(02)】

 春の風物詩である黄砂がやってきました。昨日は朝から濃霧で交通機関が乱れましたが、今日は朝から黄砂です。中国大陸の近さと、その砂塵の量を再認識させられます。
 左の写真は、黄砂にかすむ明石海峡です。明石市の西端にある二見人工島からいつもは東方に見える明石海峡大橋が、今日は見えません。右の写真は、二見漁港です。西方に向かって撮った写真です。近くの橋も鉄塔も霞んでいます。

【2枚の写真は、2007年(平成19年)4月2日に、兵庫県明石市内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

P4020001 P4020028

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月 1日 (日)

国語教育を素朴に語る(35)

板書の技術を捨て去るのはしのびない

 200人とか300人を相手にした講演を聞く機会が、これまでに何度もありました。そんな講演で、講演者が板書をすることがあって、大きな文字で、限られた単語だけを板書していることがありました。もっと工夫した板書ができないものかと思ったものです。
 最近になって、それは仕方のないことでもあったのだと気づきました。大学で教職課程を担当すると、200人規模の講義をしなくてはならなくなりました。大教室では板書の文字は大きく書かなければならず、細かく図示することなどは無理になりました。マイクを使って講義を進めるというのも初体験でした。
 大きな教室での講義はパワーポイントなどを使ったものが多くなっているようです。資料を印刷して配付し、文字や図表を投影して話を進めますと、板書する必要が減っていきます。けれども、それは喜ばしいことなのでしょうか。
     ◆   ◆   ◆
 一方で、出講している別の大学において、さほど多くない人数を相手に国語科教育法を担当しています。こちらは対話しながら講義を進めることができますし、黒板に文字や図示したものを書き連ねることができます。将来、国語教育を担当することになる人たちにとって、板書を効果的に行うことは、習熟すべき技術の一つです。「黒板とチョーク」は、旧来の指導方法の象徴のように言われてもいますが、国語教育はそれから抜け出るわけにはいきません。
 話がそれますが、一年間だけ出講していた大学で、国語科教育法に割り当てられた教室がホワイトボードであったことがあります。ホワイトボードと黒板では、ずいぶん勝手が違うと感じます。筆記具(マーカー)の滑り具合が違いますし、黄色のチョークに相当するマーカーはありません。黒板の代わりにホワイトボードを設置している中学校や高等学校の教室はほとんどないように思います。国語教育での板書を重要なものだと考えると、ホワイトボードの教室で模擬授業を行うことは望ましくないと考えて、教室を変更してもらいました。
     ◆   ◆   ◆
 教育機器の発達に異を唱えるつもりはありませんが、それに伴って教員の板書の技術が衰えていくのなら、困ったことだと思います。
 板書は、授業の展開にそって書き進められます。教員の板書につれて、生徒たちの頭も手も動いていきます。行きつ戻りつしながら、一度書いたものを書き改めるということも、学習指導においては大切なことです。
 ノートは、板書を機械的に写すものではありませんから、板書は書き過ぎないのがよい、と私は考えています。板書で示した言葉をもとに、生徒自身が言葉を補いながらノートを作っていくのが望ましいと思うのです。そのためにも、そのようなノート作りを誘導していくような板書の工夫が必要であると思います。
 板書は時間の経過につれて少しずつ進んでいきます。板書の特性の一つは、時間の経過と共に歩むことです。話すことにおいては、声の大きさや間(ま)の取り方などが大切です。板書も、文字の大小や、書く速さの緩急などが、授業のアクセントとしての役割を果たしています。
 授業を始める前に板書計画をしっかりと立てておくことは大切なことですが、その計画は融通性のあるものです。
 板書に比べて、パワーポイントなどで投影されるものは、あまりにも整いすぎています。講義や授業を始める前に完成させている文字や図表などを次々と、一瞬のうちに提示していくのは、能率がよくても、行きつ戻りつという思考過程と相容れない場合もあります。
 教員たちが長年にわたって培い、継承してきた板書の技術を、教育機器の発達の前で簡単に捨て去るのはしのびないことです。板書をするかしないか、どのように板書を書き進めるかというようなことが、生徒の学習活動に大きな影響を与えると思うからです。

【この文章は、東京法令出版発行『月刊国語教育』2006年(平成18年)11月号に掲載されました。】

【季節のたより(01)】

 文章だけを掲載する日の末尾に「季節のたより」という写真を載せます。文章の掲載のないときに「特集・季節のたより」を掲載することもあります。
 文章は午前1時00分に掲載するように予約設定をしていますが、写真はその日のうち(23時59分まで)であれば、追加掲載をすることがあります。

 笹部新太郎さんゆかりのササベザクラが咲き始めました。左の写真にあるように、岡本南公園は「桜守」として知られる笹部さんの邸宅跡を公園にしたものです。右の写真のように、可憐な花が目を楽しませてくれます。ここには、ササベザクラの他に、オカモトザクラなど、幾種類もの桜が咲いています。

【2枚の写真は、2007年(平成19年)3月28日に、神戸市東灘区内で撮影。】

≪画像をクリックしてください。大きくて鮮明な画像になります。≫

Cimg0411 Cimg0415

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »