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2007年7月31日 (火)

【掲載記事の一覧】

 ブログをお読みくださってありがとうございます。
 これまでに連載した内容について、コメントを添えてご案内します。
 お読みくださって、感想・意見・連絡などがありましたら、
       kokugo.kyoiku@gmail.com
  宛に、よろしくお願いします。

≪掲載を継続しているもの≫
◆国語教育を素朴に語る (01)~(40)~継続予定
    [2006年8月29日~2006年10月1日]
    [2007年4月1日~2007年4月6日]
 雑誌『月刊国語教育』(東京法令出版)に毎月連載している、中学校・高等学校の国語科教員向けの文章です。現在のところ、2007年(平成19年)10月号までの執筆を終えました。それが連載46回目にあたります。このブログのタイトルは、その題名をそのまま使っています。

◆神戸圏の文学散歩 (01)~(05)~継続予定
   [2006年12月27日2006年12月31日]
 雑誌『月刊国語教育』(東京法令出版)に、年2回のペースで連載しているものです。カラーグラビアに文章を添えて4ページ構成です。1回につき30枚以上の写真を載せますから、取材・撮影にも時間がかかります。①明石、②須磨、③有馬、④高砂、⑤尼崎、⑥生田・布引、⑦芦屋が雑誌に掲載済みです。⑧は加古川の予定です。

◆言葉カメラ (01)~(85)~継続予定
    [2007年1月5日~2007年1月31日]
    [2007年2月21日~2007年2月28日]
    [2007年3月16日~2007年3月31日]
    [2007年4月19日~2007年4月30日]
    [2007年5月9日~2007年5月30日]
 書き下ろし(撮りおろし)です。言葉に関する写真にコメントを添えています。
 1冊の本にまとめられたら嬉しいと思っています。まだまだ材料はいっぱいあります。

◆ゆったり ほっこり 方言詩 (01)~(42)~継続予定
    [2007年2月1日~2007年2月20日]
    [2007年3月1日~2007年3月15日]
    [2007年5月1日~2007年5月7日]
 方言で書かれた詩や、方言にまつわる詩です。学生たちが書いた作品を紹介しています。

◆六甲の山並み[言葉つれづれ] (01)~(04)~継続予定
   [2006年12月23日~2006年12月26日]
 書き下ろしです。折に触れて言葉に関して考えたことです。この連載は、時々、再開する予定です。

◆おもしろ日本語・ふしぎ日本語 (01)~(27)~継続予定
    [2007年1月1日~2007年1月4日]
    [2007年6月7日~2007年6月29日]
 書き下ろしです。新聞・雑誌などの文章の事例に基づいて、感じたことを書き綴ります。この連載は、時々、再開する予定です。

◆鉄道切符コレクション (01)~(24)~継続予定
    [2007年7月8日~2007年7月31日]
 これまでに収集した鉄道(ロープウエイ、ケーブルカー、バスなども含む)の記念乗車券などを紹介します。もとより、系統的なコレクションではありませんが、珍しいものも含まれているかもしれません。連載は100回を超えるかもしれませんが、何回かに分けて連載します。

◆写真特集・さくら (01)~(11)~継続予定
    [2007年4月7日~2007年4月17日]
 兵庫県内を中心として、桜の写真10枚で構成しました。これからも続けますが、再開するのは来春です。

◆写真特集・季節の花 (01)~(03)~継続予定
    [2007年5月8日、5月31日、6月30日]
 季節の花の写真10枚で構成しました。これからも、折りに触れて掲載します。

◆昔むかしの物語 (01)~継続予定
    [2007年4月18日]
 何かの記事や出来事に触発されたときに、思い出したように書くことになるだろうと思います。

≪掲載が完結しているもの≫
◆相手を思いやる姿勢と、自分を表現する力 (1)~(3)
    [2006年10月2日~2006年10月4日]
 雑誌『兵庫教育』(兵庫県教育委員会)に掲載した、教員向けの文章です。

◆学力づくりのための基本的な視点 (1)~(7)
    [2006年10月5日~2006年10月11日]
 雑誌『月刊ホームルーム』(学事出版)に掲載した、学級(ホームルーム)を担当している教員向けの文章です。

◆教員志望者に必要な読解力・表現力 (01)~(18)
    [2006年10月16日~2006年11月2日]
 雑誌『教職課程』(協同出版)に掲載した、教員志望者(学生など)向けの文章です。

◆教職をめざす若い人たちに (01)~(06)
    [2007年6月1日~2007年6月6日]
 機関誌『教職教育センター年報2006年度』(甲南大学教職教育センター)に掲載した、教員志望者(学生など)向けの文章です。

◆これからの国語科教育 (1)~(6)
    [2006年11月3日2006年11月8日]
 高等学校国語科教員向けの講座(兵庫県教育委員会)で話した内容をまとめました。

◆現代の言葉について考える (1)~(7)
    [2007年7月1日~2007年7月7日]
 入学したばかりの高校1年生に向けて話したことを文字に直したものです。文章体の原稿を準備していましたので、それを使いました。

◆兵庫県の方言 (1)~(4)
   [2006年10月12日2006年10月15日]
 ラジオ関西で放送したものの原稿です。時間は30分間で、対象は高齢者(と一般聴取者)です。

◆高校生に語りかけたこと (01)~(29)
    [2006年11月9日~2006年12月7日]
 自家版『ことば旅3』からの転載です。いろんな機会に高校生に向かって話したことを集めたものです。

◆高校生に向かって書いたこと (01)~(15)
    [2006年12月8日~2006年12月22日]
 自家版『ことば旅3』からの転載です。いろんな機会に高校生に向かって書いたことを集めたものです。

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鉄道切符コレクション(24)【近鉄上本町~宇治山田間全通50周年】

近鉄上本町~宇治山田間全通50周年

 現在の近畿日本鉄道の母体は大阪電気軌道(略称・大軌)ですが、1931年(昭和6年)3月17日に大軌の姉妹会社である参宮急行電鉄(略称・参急)の山田(現・伊勢市)~宇治山田間の開通によって、上本町~宇治山田間が全通しました。
 大軌の上本町~桜井間39.8㎞と、参急の桜井~宇治山田間97.5㎞を合わせると、137.3㎞の長距離路線です。当時、この区間を急行は2時間30分で結びました。
 「上本町・宇治山田間《大軌・参急》全通50周年記念特急券」は、1981年(昭和56年)に発行されて、500円の特別急行券は同年5月31日まで有効となっています。
 記念券の表面は、全通当時のポスターを載せています。「上本町より急行二時間半、京都奈良方面からも便利になりました」「優秀ロマンスカー連結運転、煙草ものめ、便所もあります」というフレーズが見えます。
 裏面は、上本町~宇治山田間の主要駅(工事区間)と、それぞれの区間の開通年月日が書かれています。また、2215+3000形+2200形の2扉の3両編成電車の写真も載せています。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月30日 (月)

鉄道切符コレクション(23)【関門トンネル開通40周年②】

関門トンネル開通40周年②

 旧・国鉄の門司鉄道管理局が発行した、関門トンネル開業・電化40周年記念乗車券で、門司駅発行という文字が見えます。
 1982年(昭和57年)11月15日の発行はゴム印で示されています。右側に門司→下関の乗車券、左側に下関→門司の乗車券が付いて、往復280円です。
 表面には、1921年(大正10年)12月に就航した関門連絡船の第3関門丸と、関門トンネルの門司側の入り口の写真があって、その下に乗車券が付いています。
 裏面には、銀色印刷の素地の上に「関門トンネル建設の歩み」の文章と、「関門トンネルの縦断面」の図とが記載されています。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月29日 (日)

鉄道切符コレクション(22)【関門トンネル開通40周年①】

関門トンネル開通40周年①

 海底に鉄道を通すという関門トンネルが具体化したのは1911年(明治44年)のことで、鉄道院総裁の後藤新平の命によって調査が始まりました。けれども、曲折があって、実際に着工したのは1936年(昭和11年)9月19日でした。
 そして、5年後の1942年(昭和17年)3月27日に3600メートル余りの下り線が貫通し、同年11月15日から旅客列車の運転が始まりました。この記念乗車券は、そのときからの40周年を記念したものです。
 続いて1949年(昭和19年)9月9日には上り線も使った複線運転も始めました。
 関門トンネル開通40周年記念往復乗車券は、下関駅の発行で、右外側に下関→門司の「ゆき」の乗車券、内側に門司→下関の「かえり」の乗車券が付いて、往復280円です。写真は、錆を防ぐために車体をステンレス外板に改造した電気機関車ですが、写真の左下にはJNRのマークとともに「国鉄・広島」の文字が入っています。
 関門トンネルの開通に伴って下関駅が移転しましたが、門司側では大里(だいり)駅が門司駅に改称して、旧・門司駅は門司港駅に改称しました。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月28日 (土)

鉄道切符コレクション(21)【小田急多摩線(延伸)開通5周年】

小田急多摩線、小田急永山・小田急多摩センター間開通5周年

 小田急電鉄の多摩線の新百合ケ丘~小田急永山間6.8㎞が開通したのは1974年(昭和49)6月1日でした。そして、1975年(昭和50年)4月23日に小田急永山~小田急多摩センター間2.3㎞が延伸して開通しました。この記念乗車券は、昭和55年5月31日まで有効の5枚の乗車券、合計金額500円で発行されています。延伸から5周年にあたります。
 乗車券は厚紙で「多摩線名場面集①~⑤」のカードになっています。
 ①は、小田急多摩センター駅に停車している2100形です。
 ②は、新百合ケ駅付近で、ロマンスカーあさぎり号も写っています。
  ③は、小田急永山駅付近の多摩丘陵です。
 ④は、黒川駅付近に連続するトンネルです。
 ⑤は、黒川駅付近の夕景です。
 小田急多摩線は、その後、小田急多摩センター~唐木田間が1990年(平成2年)3月27日に開通しています。川崎市麻生区と東京都多摩市を結ぶ路線の中心駅・小田急多摩センター駅の1日平均乗降人数はほぼ4万人です。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月27日 (金)

鉄道切符コレクション(20)【阪神電鉄武庫川線延伸】

阪神電鉄武庫川線延伸

 阪神電気鉄道が武庫川線の武庫川~旧・洲崎(現・武庫川団地前)間の旅客営業を始めたのは1943年(昭和18年)11月でした。翌・1944年(昭和19年)8月には、武庫川駅から北に伸ばして武庫川~武庫大橋間の旅客営業をしています。同じ年の11月には国鉄の甲子園口駅の西方にまで線路を延ばして、国鉄西ノ宮~洲崎間の貨物輸送を開始しています。
 武庫川線は、戦時の必要から生まれた鉄道です。西宮市高須町にあった川西航空機への従業員輸送と資材輸送を目的に、軍の要請によって突貫工事で完成したものです。西ノ宮駅から国鉄の貨車を乗り入れさせるために武庫大橋~洲先間は三線軌条式になっていました。しかし、開業後1年も経たないうちに川西航空機の工場とともに空襲の被害を受けました。
 戦後になって1946年(昭和21年)1月には武庫大橋~旧・洲崎間の旅客営業を休止しています。武庫川~現・洲崎の旅客営業を再開したのは1948年(昭和23年)10月ですから、2年半以上は貨物輸送だけを行っていたことになります。貨物輸送は1958年(昭和33年)7月に休止し、1970年(昭和45年)に廃止しています。ただし、武庫川駅以北の線路(跡)はその後も長く目にしました。廃止されたのは1985年(昭和60年)4月です。
 一方、武庫川駅以南では、1983年(昭和58年)に洲崎~武庫川団地間(約600メートル)の延伸・整備工事を始めて、翌・1984年(昭和59年)4月に延伸が完成して、旅客営業を始めました。
 これは、その時の記念乗車券です。乗車券は武庫川団地駅から170円区間3枚で構成されています。
 1枚目は、武庫川団地駅(左側)と武庫川団地(右側)のイラストが描かれています。
 2枚目は、阪神電鉄(広軌)と旧・国鉄(狭軌)が乗り入れられるように、三線軌条になっている線路です。電車とともに蒸気機関車が写っています。
 3枚目は、武庫川線の線路図です。武庫川の右岸(西宮市側)を単線で、ワンマン運転、所要時間5分で走っています。
 なお、阪神電鉄本線の武庫川駅は、尼崎市・西宮市境を流れる武庫川に架けられた橋上駅で、改札口は尼崎市側と西宮市側の両方にあり、西宮市側は武庫川線の駅につながっています。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月26日 (木)

鉄道切符コレクション(19)【三陸鉄道開通②】

三陸鉄道開通②

 三陸鉄道開通記念入場券は、120円券3枚のセットです。外袋には、「はじめての旅」とあります。
 入場券は、透明のフィルムに、気動車と波の模様が描かれています。深緑、黄緑、オレンジ色の順に気動車の絵が、大・中・小の大きさで描かれています。3枚を重ねて楽しめるようになっており、さらに黄色の厚紙が添えられています。黄色の紙を4枚目に置くと、絵が鮮やかに見えます。
 黄色の厚紙は、裏面に、「愛称のある駅・三陸鉄道」として北リアス線14駅、南リアス線9駅の愛称が並べられています。これは、昨日紹介した記念乗車券の各駅紹介と同じものです。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月25日 (水)

鉄道切符コレクション(18)【三陸鉄道開通①】

三陸鉄道開通①

 三陸鉄道は、1984年(昭和59年)4月1日に、旧・国鉄の盛線・宮古線・久慈線と、旧・日本鉄道建設公団で建設中の路線を引き受けて開業した、第三セクターの鉄道第1号です。
 記念乗車券は「三陸鉄道北リアス線・南リアス線開通」と書かれた、釜石発・吉浜行の300円の乗車券1枚だけです。この乗車券には、三陸鉄道開業とともに16両が新製されたディーゼルカーの36形気動車が描かれています。三陸鉄道は、北リアス線(宮古~久慈間)71キロメートルと、南リアス線(盛~釜石間)36.6キロメートルの2つの路線から成っていますが、乗車券の絵の枕木の部分に、小さな文字で各駅の紹介が書かれています。なお、36形というのは「さんりく」をもじった形式です。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月24日 (火)

鉄道切符コレクション(17)【樽見鉄道開業】

樽見鉄道開業

 旧・国鉄の樽見線(大垣~美濃神海間)が開通したのは1958年(昭和33年)4月のことですが、国鉄から切り離されて1984年(昭和59年)10月6日に第三セクターの樽見鉄道として開業しました。
 記念乗車券は、第三セクター開業に際して発行されたもので、二つ折りにした厚紙に、大垣~本巣間と、北方真桑~神海間の2枚の乗車券が添えられて、合計500円です。写真は、根尾川第一橋梁を渡るレールバスのハイモ180形の単行です。ハイモ180-202は樽見鉄道の発足に際してデビューした車両で、富士重工業が作りました。この車両は、翌1985年に、鉄道友の会のローレル賞を受賞しています。
 乗車券は、二つ折りの内側に、沿線案内のイラストや写真があり、線路図には神海からの延長予定線が伸びています。
 実際に神海~樽見間を開業したのは、5年後の1989年(平成元年)3月25日で、このときに当初の目的地である樽見までがつながりました。鉄道収入を支えていたセメント輸送の貨物列車が2006年(平成18年)3月28日 に廃止されました。
 樽見鉄道を支えるためにNPO法人樽見鉄道を守る会などが活動されているようです。中部の駅百選にも入っている名物駅の樽見駅が本年(2007年)4月28日深夜に火災に遭ったのは残念なことでした。
 さて、話題が転じますが、昨日(2007年7月23日)は、同じ第三セクターのひとつである三木鉄道(兵庫県、厄神~三木間)が、90年の歴史に終止符を打って、国土交通省に廃止の届け出をしました。来年3月末で廃止される予定です。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月23日 (月)

鉄道切符コレクション(16)【神戸市営地下鉄山手線開通】

神戸市営地下鉄山手線開通

 神戸市営地下鉄は1971年(昭和46年)11月25日に西神線(名谷~新長田間)の工事を起工し、1977年(昭和52年)3月13日に西神線が開通しました。 そして、1983年(昭和58年)6月17日に山手線の新長田~大倉山間が開通しました。この乗車券は、その開通を記念したものです。乗車券は、地下鉄の他に市バスの乗車券を1枚加えて、合計5枚で、合計金額は500円です。
 長田駅から60円区間(小児)の乗車券は、大正末期に京町筋に建てられたクレセントビルの絵です。
 上沢駅から120円区間の乗車券は、明治32年に竣工した兵庫運河の風景を描いています。
 湊川公園駅から60円区間(小児)の乗車券は、神戸開港(1868年)とほぼ同時に作られたメリケン波止場の絵です。
 大倉山駅から120円区間の乗車券は、山手通の風景で、赤煉瓦の栄光教会を描いています。この絵は、乗車券セットの袋の絵としても使われています。
 神戸市バス140円の乗車券は、神戸港に入港した観光船を描いています。
れは、
 これら5枚の絵は、神戸市兵庫区生まれの水彩画家・別車博資(1900~1976)の作品です。
 この後、地下鉄は、1985年(昭和60年)6月18日に、西神線の名谷~学園都市間と、山手線の大倉山~新神戸間が延伸されました。さらに、1987年(昭和62年)3月18日には西神線の学園都市~西神中央間が延伸されて、現在の西神・山手線の全線開通に至りました。
 一方、1988年(昭和63年)4月2日には北神急行電鉄北神線(新神戸~谷上間)が開通し、相互乗り入れ運転(谷上~西神中央間)を開始しました。また、2001年(平成13年)7月7日には神戸市営地下鉄の海岸線(新長田~三宮・花時計前間)が開通して、現在の形になりました。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月22日 (日)

鉄道切符コレクション(15)【ニュートラム開通】

ニュートラム開通

 大阪市交通局によるニュートラムは、中ふ頭~住之江公園間6.6㎞新交通システムです。神戸のポートライナーより約1か月後の1981年(昭和56年)3月16日の開通です。全線の大人120円乗車券2枚と、小人用60円券1枚で構成されています。
 全線複線で4両編成の定員は294人です。自動列車制御装置(ATC)を備えて自動運転をしています。
 厚紙1枚を2つ折りにしたものに、車両の図などが描かれていて、その下部に乗車券が配置されています。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月21日 (土)

鉄道切符コレクション(14)【ポートライナー開通】

ポートライナー開通

 神戸新交通株式会社のポートアイランド線が開通したのは1981年(昭和56年)2月5日でした。埋め立てによって生まれたポートアイランドへの足として、三宮駅(国鉄駅[現在のJR西日本駅]に接続)から中公園駅までは複線、中公園から市民広場を経て中公園までは時計と反対周りの一方通行(単線)です。三宮発・三宮行のループ運転です。複線部が2.9㎞、単線部が3.5㎞あります。愛称は「ポートライナー」です。記念乗車券は全線均一料金の160円の乗車券が3枚で構成されています。
  電車は自動列車制御装置(ATO)による無人運転で、ゴムタイヤをつけて、側方両側案内方式によってガイドウェイに沿って走行しています。6両固定編成の1列車は450人の輸送力を持っている中量輸送システムです。
 この新交通システムは、神戸市と大阪市が国内の開業一番乗りを競いましたが、神戸が少しだけ早く開業しました。
 横長の2枚の乗車券は、海上未来都市、神戸港、博覧会などのイラストに電車の斜め位置の写真を配しています。
 縦長の乗車券「ポートピア81」の文字があり、電車の正面写真が添えられています。
 人工島の完成を記念して開催された博覧会が「ポートピア81」で、その記念乗車券も発売されましたが、それは改めて紹介することにします。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月20日 (金)

鉄道切符コレクション(13)【餘部鉄橋(オレンジカード)】

餘部鉄橋(オレンジカード)

 これは記念乗車券ではありません。2004年(平成16年)に、JR福知山支社・豊岡鉄道部が発行したオレンジカードです。1000円券が2枚で構成されています。
 1枚目(左側)は、餘部鉄橋を通過するキハ47系の普通列車で、集落から見上げた写真です。現在、餘部鉄橋を通過する普通列車は、上り・下りとも13本程度(日によって運休する列車がある)で、ほぼ1時間に1本という間隔です。
 2枚目(右側)は、餘部鉄橋を通過する寝台特急「出雲」で、餘部駅の南から見下ろした写真です。「出雲」の運転経路は何度か変更されましたが、餘部鉄橋を走る「出雲」は2006年(平成18年)3月18日ダイヤ改正で廃止されました。現在は、東海道・山陽本線・伯備線を経由して寝台特急電車「サンライズ出雲」が東京~出雲市間を走っています。

【写真は、当該カード。】

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2007年7月19日 (木)

鉄道切符コレクション(12)【餘部鉄橋70周年】

餘部鉄橋70周年

 「5月に架け替え工事が始まった兵庫県香美町の余部鉄橋を、段ボールで再現した組み立て式のジオラマが、この夏からJR西日本の駅売店などで売り出される。」
  [朝日新聞・大阪本社発行 2007年(平成19年)7月18日・朝刊、13版、31ページ]

 というニュースを見ましたので、今回は餘部鉄橋開通70周年の記念入場券です。国鉄時代の福知山鉄道管理局が、1982年(昭和57年)3月に発行したものです。山陰本線の城崎駅(現在は城崎温泉駅)の入場券5枚でセットになっています。
 餘部鉄橋は、2年の歳月、33万円あまりの費用、延べ25万人の労力によって建設され、1912年(明治45年)3月1日に開通しました。高さ41.45メートル、長さ309.42メートルで、建設当時は東洋一と言われました。
 1枚目は、建設中の餘部鉄橋です。工事の着手は1909年(明治42年)12月16日、完成は1912年(明治45年)1月13日です。
 2枚目は、後藤新平総裁(前から4人目)が工事現場を視察している様子で、1910年(明治43年)9月のことです。
 3枚目は、餘部鉄橋を渡る、蒸気機関車に牽引された列車です。蒸気機関車が見られたのは1968年(昭和43年)9月末まででした。
 4枚目は、餘部鉄橋を通過する気動車特急「まつかぜ」号です。「まつかぜ」の登場は1961年(昭和36年)10月で、京都始発、山陰本線経由でした。現在、餘部鉄橋を通過する気動車特急は「はまかぜ」です。大阪始発、東海道・山陽本線、播但線、山陰本線経由で、浜坂まで2往復、鳥取まで1往復、計3往復が運転されています。
 5枚目は、未来の餘部鉄橋として、新形電車(新幹線?)が描かれたイ ラストです。

【写真は、当該新聞記事と当該乗車券。】

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2007年7月18日 (水)

鉄道切符コレクション(11)【弘南鉄道50周年】

弘南鉄道50周年

 関西を離れて青森県の弘南鉄道の乗車券です。入手した経緯は忘れてしまっていますが、通信販売か何かで買ったものなのでしょう。
  弘南鉄道には、弘前市を中心として弘南線(弘前~黒石間)と大鰐線(中央弘前~大鰐間)の2路線があります。弘南線は1927年(昭和2年)9月7日に弘前~津軽尾上間で営業を開始し、1950年(昭和25年)7月1日に津軽尾上~黒石間を延長しています。
 大鰐線は弘前電気鉄道として開業した路線で、1970年(昭和45年)に買収しています。また、旧国鉄の黒石線(黒石~川部間)を1984年(昭和59年)に継承し、黒石線として営業していましたが、1998年(平成10年)に廃止しています。
 50周年記念乗車券は1977年(昭和52年)9月7日の発行です。有効期限が9月30日までの乗車区間指定の3枚です。
 平賀~弘南尾上間の乗車券には、開業時の東奥日報の新聞記事と平賀駅の入場券が配されています。
 弘南弘前~平賀間の乗車券は、当時の蒸気機関車と、日の丸を掲げた列車が弘前駅に停車している写真です。
 平賀~弘南黒石の乗車券は、岩木山を遠望しながら津軽平野を走る電車です。弘南線の電化は、1948年(昭和23年)に完成しています。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月17日 (火)

鉄道切符コレクション(10)【明石市営バス30周年】

明石市営バス30周年

 鉄道ではなく、バスの記念乗車券を紹介します。
 西部3町村(明石郡大久保町・明石郡魚住村・加古郡二見町)を合併して市域が拡大した明石市に市営バスが走り始めたのは1951年(昭和26年)2月1日でした。その明石市営バス開通30周年記念乗車券は、1981年(昭和56年)2月1日に発行されました。このときの市営バスの1日乗車人数はおよそ3万5千人と書いてあります。
 記念乗車券は、「あかし昔ばなし」のシリーズ5枚で構成されて発売額は500円です。絵は、神戸市長田区に住んでいた漫画家・丘あつし(1943~2002)の作品です。
 昔話は「かにがさか」「赤石」「桜町の桜」「茶碗屋の娘」「盲杖桜」の5つですが、乗車券の裏面にはそれぞれ500字程度の物語が書かれています。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月16日 (月)

鉄道切符コレクション(09)【神戸電鉄50周年】

神戸電鉄50周年

 開通50周年記念乗車券は、私が購入したものには1978年(昭和53年)11月28日の、鈴蘭台駅のゴム印が押されています。発売初日であったと思います。
 カバーの絵は60周年に復刻された「沿線名所交通図」です。3枚の乗車券(いずれも乗車区間指定)で構成されて発売額は500円です。
 「湊川~有馬口」の乗車券は、デ1形電車です。紅葉と有馬温泉の女性が描かれて、神戸有馬電気鉄道の社章が添えられています。
 「恵比須~電鉄栄」の乗車券は、デ201形電車です。三木市の伝統産業である金物を象徴するふいご祭の様子が描かれて、神有三木電気鉄道の社章が添えられています。鈴蘭台から分岐する三木線は1938年(昭和13年)1月28日に開通し、その後、1951年(昭和26年)12月28日に小野まで、そして1952年(昭和27年に)4月10日に粟生まで伸びて、国鉄(現在のJR西日本)と接続することになりました。現在は粟生線と呼んでいます。
 「湊川~長田」の乗車券は、デ3000形電車です。神戸・新開地の神鉄ビルが描かれて、神戸電気鉄道の社章が添えられています。
 これら3枚の絵は、明石市在住の漫画家・彫画家・伊藤太一さん(1935~)の作品です。

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2007年7月15日 (日)

鉄道切符コレクション(08)【神戸電鉄60周年】

神戸電鉄60周年

 神戸有馬電気鉄道から、神有三木電気鉄道、そして神戸電気鉄道へと変遷してきた神戸電鉄(現在の社名)は、1928年(昭和3年)11月28日に湊川~有馬温泉間が開通しています。そして、そのすぐ後の同年12月18日には唐櫃(現在の有馬口)~三田間が開通しています。今では神戸電鉄の要衝になっている鈴蘭台駅は、小部という駅名でスタートしています。
 開通60周年記念乗車券は、1968年(昭和63年)に発行され、有効期限は11月30日となっています。3枚の乗車券の額面合計の600円が、発売額になっています。乗車券には、有馬ヘルスセンター(現在は、有馬ビューホテル・太閤の湯)の入場割引券が添えられています。
 資料が充実しています。往時の「神戸有馬電気鉄道沿線案内」(黒・赤の二色刷り)が復刻され、それに、「神戸有馬電鉄沿線名所交通図」(カラー版)、「神戸有馬電気鉄道沿線名勝案内」と「絵に添へて一筆」(ともに、カラー版の裏面)が添えられています。また、表紙には人物画(カラー版)が描かれています。
 表紙の人物画には、有馬にちなんだ大貳三位の歌、「有馬やま いなのささ原 風吹けば いでそよ人を わすれやはする」が書かれています。この人物画と、「神戸有馬電鉄沿線名所交通図」(カラー版)は、各地の風景地図を描いて名を馳せた鳥瞰図絵師・吉田初三郎(1884年~1955年)が描いています。「絵に添へて一筆」の文章を読むと、京都山科に住み、有馬温泉に心引かれている画家の気持ちが伝わってきます。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月14日 (土)

鉄道切符コレクション(07)【山陽電車50周年】

山陽電車50周年

 今年・2007年が100周年ですから、50周年は1957年(昭和32年)のはずです。
 けれども50周年記念乗車券は1983年(昭和58年)に発行されています。創立以来の年数というのは、通常、少しでも長い歴史を誇ろうとするものですが、これは謙虚な数え方です。
 この50周年については、記念乗車券に、「昭和8年6月6日(50年まえ) 宇治川電気株式会社電鉄部から分離独立し、山陽電気鉄道株式会社設立」と書いてあります。山陽電車と呼ばれるようになってから50周年というわけです。こういう年数計算の記念乗車券は、これ以後には発行されていないようです。
  乗車券は硬券3枚で合計金額は400円になっています。乗車駅は電鉄高砂(現在は高砂)に統一されています。
 110円券の1枚目は、3050系のアルミカーで、左上に国宝の姫路城の写真が入っています。電車の撮影場所は東二見検車区と思われます。
 110円券の2枚目は、加古川橋梁(尾上の松~電鉄高砂間)を渡る3050系の4連です。川下から川上に向かって撮影されています。
 180円券は、3000系のアルミカーで、左上に明石市立天文科学館(東経135度の子午線上)の写真が入っています。これも、電車の撮影場所は東二見検車区と思われます。
 この乗車券には、電車の先頭車54本の写真が並んでいます。保育社発行の『私鉄の車両7 山陽電気鉄道』[1985年(昭和60年)8月25日発行]の136~137ページの「車両編成表」には、3連、4連のすべての編成が掲載されていますが、その本数は52本です。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月13日 (金)

鉄道切符コレクション(06)【山陽電車65周年】

山陽電車65周年

 創立65周年は1972年(昭和47年)のはずですが、65周年記念乗車券に発行日は記載されていません。乗車券3枚の合計金額は150円になっています。紙質は3枚とも同じです。
 30円券にはバッテラ型という文字が見えます。兵庫電気軌道の開通時の電車です。裏面には「バッテラとはオランダ語でボートのことです。当時の人々は文明開化の担い手である木造車の勇姿に舶来語をつかってバッテラという愛称をつけました。このバッテラは明治40年に創立された兵庫電軌時代に最新鋭車として活躍しました」という説明があります。
 50円券にはPC型と書いてあります。大正期の神戸姫路電気鉄道の電車です。裏面には「総括制御装置にアメリカGM社製のPC型を使用したため、この型式の電車を一般にPC型とよびました。(Pneumatic Controllerの略) 昭和2年に兵庫電軌、神姫電鉄がそれぞれ宇治川電気に合併され、昭和3年に兵庫・姫路間の直通運転が開始されたとき、この電車は兵庫電軌線の600V区間と神姫電鉄線の1500V区間を直通運転するために複電圧装置をつけていました」という説明があります。
 70円券は3000型と書いてあります。描かれている電車は3630番を先頭とする4連です。3630-3530-3051-3050の4連は第1次3000型冷房車として1972年(昭和47年)に川崎重工業で作られています。いわば、この記念乗車券の発行時点での最新鋭車です。裏面には「昭和8年に山陽電車として分離独立し、その後昭和16年には網干まで営業線を延長しました。昭和43年神戸高速鉄道開通により阪急、阪神電車と山陽電車が相互に乗り入れ運転を開始することになり高性能の3000型車両が新造されました。現在では山陽電車の主力車両として活躍しています」と説明されています。3000型は1964年(昭和39年)から製造が開始されています。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月12日 (木)

鉄道切符コレクション(05)【山陽電車70周年②】

山陽電車70周年②

 創立70周年の第2集です。
 この記念乗車券は1977年(昭和52年)の発行ですが、第2集の有効期限は10月末日となっています。第1集と同時ではなく、後に発行された可能性が高いと思います。乗車券5枚の合計金額は400円になっています。紙質は5枚とも同じです。
 60円券の1枚目は820形で、1948年(昭和23年)川崎車両の製造です。須磨浦公園にある「みどりの塔」のそばを駆け抜ける特急電車です。
 60円券の2枚目は2002型で、1961年(昭和36年)に川崎車両で作られた電車です。2連の特急です。
 60円券の3枚目は3000型のアルミカーで、1964年(昭和39年)川崎車両の製造です。加古川橋梁を渡る3連の急行です。
 120円券は3030型で、1972年(昭和47年)に川崎重工業で作られました。4連の特急で阪急六甲行き(現在は、阪急三宮以東の乗り入れは廃止)です。撮影場所は須磨浦公園~電鉄須磨(現在は山陽須磨)間です。
 100円券はロープウェイ乗車券で、ゴンドラの「うみひこ」号です。1967年(昭和42年)川崎車両の製造です。
 付録として、兵庫電気軌道の通勤定期乗車券が両面印刷されたものがあります。「一日一往復」という文字が見えます。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月11日 (水)

鉄道切符コレクション(04)【山陽電車70周年①】

山陽電車70周年①

 創立70周年には第1集、第2集が発行されました。まず第1集を紹介します。
 70周年記念乗車券は1977年(昭和52年)の発行で、第1集の有効期限は8月31日となっています。乗車券5枚の合計金額は400円になっています。紙質は5枚とも同じです。
 60円券は兵庫電軌1形で、1910年(明治43年)、川崎造船所の製造です。右上に開通当時の兵庫駅の写真が添えられています。
 もうひとつの60円券は76形で、宇治川電気時代の1930年(昭和5年)に川崎車両で作られた電車です。左上に開通当時の姫路駅の写真が添えられています。
 70円券(小人用)は114形で、1943年(昭和18年)に帝国車両で作られたものです。右上に大正時代の塩屋本通りの写真が添えられています。
 90円券は200形で、山陽電気鉄道となって後の1936年(昭和11年)に川崎車両で作られました。線路は西代~長田間の併用軌道で、右下に旧・長田駅の写真が添えられています。
 120円券は700形で、1947年(昭和22年)に川崎車両の製造です。右下に旧・西代駅の写真が添えられています。
 付録として、兵庫電気軌道の尋常小学生定期乗車券が両面印刷されたものがあります。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月10日 (火)

鉄道切符コレクション(03)【山陽電車80周年】

山陽電車80周年

 創立90周年のときにも記念乗車券は発行されているはずであり、私も買っていて当然なのですが、どこにしまいこんだのか見つかりません。出てきたときに掲載することにして、先へ進みます。
 80周年記念乗車券は1987年(昭和62年)の発行で、有効期限は8月31日となっています。乗車券4枚の合計金額は900円になっています。
 200円券は黄土色の紙に兵庫電軌1型の写真です。兵庫~須磨間の開通時に走り始めたもので川崎造船所(後の川崎車両、現在の川崎重工業)の製造です。
 250円券は乳白色のトレーシングペーパー様のものに820型です。1948年(昭和23年)以降に川崎車両で作られたロマンスカーです。
 300円券は黄色のセルロイドに3000型です。1967年(昭和42年)以降に川崎車両で作られました。上半分が卵色、下半分がブルーの旧・山電カラーで登場した後、1986年(昭和61年)以降に塗装が新しくなりました。
 150円券(小人用)はアルミ箔に5000型アルミカーです。1986年(昭和61年)以降に川崎重工業で作られ、現在は山陽姫路~阪神梅田間の直通特急で活躍しています。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月 9日 (月)

鉄道切符コレクション(02)【山陽電車100周年】

山陽電車100周年

 1907年(明治40年)7月2日に兵庫電気軌道株式会社が設立され、その時から数えて100周年を迎えました。電車は1910年(明治43年)3月15日に兵庫~須磨間(5.7㎞)が開通しています。
 1917年(大正6年)4月12日に兵庫~明石間(17.9㎞)の全線が開通しています。私事になりますが、翌4月13日は、今年90歳を迎えた私の母の誕生日です。
 明石以西は、別会社の神戸姫路電気鉄道の手で、1923年(大正12年)8月19日に明石~姫路間(39.0㎞)が開通しています。
 100周年記念乗車券(発売金額1000円)は、B5判サイズ8ページの冊子形式になっていて、山陽電気鉄道の歴史が写真入りで紹介されています。そして、記念乗車券(全線乗車券)4枚と、記念入場券(特定駅の入場券)4枚が添えられています。山陽電気鉄道は全駅が自動改札機になっていますから。乗車券(磁気券)はすべての駅に対応しています。駅員がいない駅が増えましたから、入場券(スタンプ押印)は駅員常駐の12駅に限定されています。
 記念入場券を使う機会は少ないと思いますが、山陽電気鉄道の運賃は、西代~山陽姫路間が片道790円ですから、記念乗車券4枚だけでも、使いようによってはかなり割安になっています。

【写真は、当該乗車券。】

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2007年7月 8日 (日)

鉄道切符コレクション(01)【はじめに】

はじめに

 神戸新聞創刊85周年記念として『兵庫県大百科事典』(上・下2巻)が発行されたのは1983年(昭和58年)10月1日のことでした。
 その辞典に方言についての項目を執筆しましたが、それとは別に、下巻の248~250ページの「鉄道切符」の項目も執筆しました。編集段階では、そのページとは別に、カラーグラビアとしてさまざまな記念切符を掲載するという話もあって、資料を送りましたが、結局は実現しませんでした。
 今年7月2日には、山陽電気鉄道(前身は兵庫電気軌道)が設立されて100周年を迎えました。その記念切符を見ているうちに、私のこれまでのコレクションを紹介しながら、鉄道に関するよもやま話をしてみたいと思うようになりました。
 記念切符と言っても、乗車券もあれば入場券もあり、その他の種類のものもあります。収集しているものには鉄道だけでなく、バスなどのものもあります。最近は、磁気カードのものも増えています。それらを断続的に紹介していくことにします。

【写真は、『兵庫県大百科事典』(下巻)の表紙と当該ページ。】

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2007年7月 7日 (土)

現代の言葉について考える(7)

4 言葉は論理である

 ところで、国語という教科をどのように感じているでしょうか。
 国語は、感覚的なことを求められている、理屈で考えても無駄だ、というように考えてはいませんか。勘で応えるのが国語であると考えてはいませんか。
 別の言い方をすれば、国語はたまたま良い成績をとることもあるが、たまたま悪い成績もある、きちんと勉強しても成績が上がるとは限らない、偶然に左右される教科であると思ってはいませんか。
 私は、そのような考えとはまったく逆の考え方をしています。国語は生まれつきのセンスというようなもので成績が左右するものではない。生まれつきというような言葉を使って努力を放棄してはならないと思います。

 はじめにも言ったように、言葉は実用的なものです。前述の新聞記事の中に「日本語が通じない」という指摘が書かれていますが、これこそ、最大の国語力のピンチです。漢字は正確に書くにこしたことはありませんが、多少の間違いがあっても相手に通じることにはなるでしょう。けれども、話の脈絡を無視して書いたり、自分だけがわかっている言葉を使って書いたのでは、相手(読み手)に理解してもらえないのです。
 実用ということは、言葉は相手に伝わらなければ意味がありません。相手に伝わるためには、相手と自分とが、言葉に関しての同じ約束事の上に立って話をすることになります。個人的な感覚やセンスで話をしたのでは話が通じません。
 文学というのは、言葉を使った高いレベルの作品です。けれども、文学も、書く人の勝手な感覚で書かれたのでは、読む人にきちんと伝わりません。読む人の勝手なセンスで読まれたのでは、書いた人の意図が伝わりません。
 言葉は人と人との約束事です。理屈っぽいものです。つまり、言葉は論理であるというわけなのです。

 だから、センスがなければ国語の成績があがらないなどと考えないでください。「国語はセンスである」というのは実に都合のいい言葉です。それは、教員にとっては、成績の上がらない生徒を非難する言葉として使われます。生徒自身にとっては、国語の成績が伸びないことの理由付けに使うことができるからです。
 私は、「センスがなければ国語の成績は伸びない」とは考えていません。言葉の持っている論理性を身に付ければ、国語の成績はきっと向上すると、私は断言します。
 誤解が生じるといけませんから、付け加えて申しておきます。私は、センスというものを否定はしていません。センスも大切です。私は、センスとは論理をたどって表現したり理解したりするときの速さや緻密さであると考えています。突飛なものの考え方をするのがセンスではありません。

【この文章は、ある高等学校の1年生向けに話したことの、ごく一部です。】

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2007年7月 6日 (金)

現代の言葉について考える(6)

3 道順を説明する

 次に、普段の生活の場面の中での話すこと・聞くことについて、具体的なことをしてみましょう。皆さんは、学校のある場所を中心にして、いろんな地域から通学していると思いますが、一人一人異なったところに住んでいるはずです。
 例えば電話で、駅から自宅までの道筋を説明するということを考えてみてください。たとえ、それが歩いて10分ぐらいの距離であっても、上手に説明できるでしょうか。相手が誤解して聞き取った場合は、とんでもない方向へ行ってしまうかもしれませんね。
 それでは、どのように説明すればわかりやすいのかということを考えてみましょう。大切なことは、まず大筋を説明するということでしょう。駅からどちらの方向へ向かうのか、途中に目印になるものはないのか、距離(または所要時間)はどれくらいかというようなことを、最初にきちんと説明したいものです。
 道筋を説明するのですから、もちろん歩いていく順序に沿って述べるのがよいのでしょう。けれども、大筋から細かなことへという手順が大切です。「私の家は、駅から南西の方角にあります」とか、「普通に歩けば約8分です」とかいうようなことを初めに言っておいて、「途中に川があって、そこまでがおよそ5分です」とか「大きなスーパーがありますが、その角を右に折れます」とかの大きな目印を配置すれば、わかりやすくなります。(もっとも、必ずそのような目印があるとは限りませんが…)そして、次第に細かな説明に移っていけばよいでしょう。
 今は、道筋の説明ということを例にしたのですが、このことは、道筋の説明だけにあてはまることではありません。どのような文章を書く場合も同じです。大きなことから小さなことへ移っていく、広い視野からだんだん狭めていくことによって、聞く人・読む人はわかりやすさを感じることになると思います。

 だんだん狭めていくということについて、別の例で話をしましょう。
 佐々木信綱の短歌に
  ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
という作品があります。また、石川啄木の短歌に、
  東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる
という作品があります。
 一見してわかるとおり、「の」という格助詞が繰り返し使われています。この助詞を使うことによって、次々と焦点を絞っていっているのです。「大和の国」という広い地域から「薬師寺」という場所に限定して、しかも「塔の上」という一点に絞っていっているのです。
 石川啄木の短歌の「東海」というのは日本という意味です。この短歌も「東海」という広い地域から、そのうちの「小島」に狭めて、さらに「磯」のあるところ、「白砂」の浜辺へと焦点を絞っていっているのです。だんだんと焦点を絞っていって、最後のものにたどりつく、あるいは、最後のものを強調するというやり方です。
 すべての話や文章を、この方法で話したり書いたりするのがよいというわけではありません。けれども、話をしたり文章を書いたりするときの、大きなヒントになることは確かです。
 要するに、相手のことを考えてわかりやすく表現することが基本であるということです。相手が誤解を生じさせるのは、相手に対して失礼ですし、それは同時に自分にとっても不利益です。

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2007年7月 5日 (木)

現代の言葉について考える(5)

2 国語という教科の目標②

 言葉は相手に何かを伝えます。逆に言えば、相手から何かを伝えられます。聞き流していては何も伝わってこないのです。相手からの言葉を受け止めて理解し、自分のものにすることも、言葉の力なのです。
 そして、自分の気持ちや考えをまとめて、相手に伝えることも、言葉の力です。
 本当は、言葉の力というのは、これだけではありません。一つ一つ並べ挙げていけば、限りなく広がっていくことでしょう。けれども、その余裕がありませんから、とりあえず、これぐらいにしておいて、具体的なことを考えましょう。

 それでは、具体的なことをしてみましょう。
 資料を見てください。平成14年(2002年)8月20日、朝日新聞・大阪本社発行・夕刊・3版・1ページに載っていた記事です。【記事は、ここでは引用しません。】
 この記事の見出しに「国語力ピンチ」とあります。この記事では、どのような力のことを国語力と言っているのでしょうか。この記事の内容をきちんと読みとることも国語力です。そして、この記事に対して自分の考えを持つことも、言葉の力です。
 見出しだけから判断すると、漢字が書けないことや、読書する習慣が身についていないことを指摘しているようですが、それだけではないはずです。
 この記事が言おうとしている国語力とは何か、それを読みとって、箇条書きにしてみましょう。その際、一つだけ注意してほしいことがあります。それは、記事を正確に読みとることをして、自分で勝手な考えを付け加えないということです。
 つまり、事実と意見をきちんと区別することが大切です。この場合の事実というのは、記事に書かれている内容のことです。自分の考えは、その後で述べればよいのです。

 さて、この記事で指摘している国語力というのは、
  漢字を正確に書く力
  厚い本を読む力(本を長時間にわたって読む力)
  文章を正確に読みとる力
  文の形を整えて話す力
  日本語を使って相手と通じ合う力
などであると思いますが、このようなものの全体が国語力だということになります。もちろんのことですが、この記事が話題にしていないことで、大切な国語力も他にあることでしょう。
 誤解しないようにしてください。漢字書き取りの力は国語力の一つですが、それだけを伸ばしても国語力が伸びたとは言えません。いろいろな側面の力を蓄えて、最終的には、「日本語を使って相手と通じ合う力」を伸ばすことが大切です。そして、コミュニケーション(伝達手段)としての言葉を使いこなす力が重要なのです。

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2007年7月 4日 (水)

現代の言葉について考える(4)

2 国語という教科の目標①

 国語というのは、言葉を勉強する教科です。
 国語というのは、それぞれの国で、広く使われている言葉のことで、その国の公用語という意味でも使われています。公用語というのは、その国の公の目的、特に政府の媒体(伝達の手段)として用いられる言葉のことです。言うまでもないことですが、日本の国語は日本語です。
 私たちは、学校で国語を勉強しているのですが、国語という教科はどのような教科なのだろうかという話をします。
 私が話す内容は、他の先生から聞いたことと同じであるかもしれませんし、違っているかもしれません。どちらが正しいのかというような問題ではありません。これから述べるのは、あくまでも、私個人の考えです。
 私たちは、小学校でも中学校でも国語の時間があって、そして高等学校でも国語を勉強するのですが、国語という教科の目標を、もし一言で言うならば、言葉の力を身に付けるということだと、私は考えています。
 言葉の力を身につけるということの範囲はずいぶん広いのですが、そのうちの一つの例を申しましょう。
 例えば、メモを取るということについて考えてみましょう。メモをとるというようなことは、他人からの指示を受けてするものではありません。ごく自然に身に付けておくべきことだと思います。
 誰かが話をしていても、話の中身がわかりきったことばかりであるのなら、メモを取る必要はありません。けれども、何かこれまでに気づかなかったこと、知らなかったことを聞いたのならメモを取るのがよいでしょう。
 メモを取らないのは、メモを取る習慣が身に付いていないか、あるいは、メモの取り方がわからないか、そのどちらかなのでしょう。メモを取る習慣を身に付けることも、メモの取り方がわかることも、国語の大きな力の一つなのです。
 国語というのは、話したり、書いたりする力(つまり、表現すること)だけが重要なのではありません。聞いたり、読んだりする力(つまり、理解すること)も大切なのです。そのようなものすべてが、言葉の力ということになるのです。

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2007年7月 3日 (火)

現代の言葉について考える(3)

1 言葉とは何か

 はじめに、言葉とは何かという話をします。
 人間が地球上に現れたのは、最も新しく見てもおよそ200万年以上前だそうです。
 そして、人間は言葉をいつ生み出したのでしょうか。そんな難しいことは私にはわかりません。
 けれども、言葉が生まれた理由はわかるような気がします。お互いに感じたことや考えたことなどを、自分以外の人(相手)に伝えるために言葉が生み出されたものであろうということは、容易に想像できます。
 たぶん、言葉は自然に生まれたもので、初めは叫び声や鳴き声のようなものだったのでしょう。それが、長い時間を経て、言葉の形になっていったのでしょう。
 したがって、人間にとって言葉というのは、話し言葉だけの時代が長く続いたはずです。文字が出来るのは、ずっと後になってからです。人間が文字を使うようになってからの歴史は、せいぜい数千年であって、1万年を超えることはないと思います。
 私たちが言葉(国語)について考えるとき、書いたり読んだりする「書き言葉」を優先することは間違いではありませんが、人間の言葉の歴史から考えれば、話したり聞いたりす
る「話し言葉を軽視してはならないと思います。
 話すこと・聞くことが、言葉の勉強の基本だということを忘れないようにしたい思います。私たちの一日を振り返ってみると、書くこと・読むことと同じくらいに、話すこと・聞くことをしているのです。問題であるのは、書くこと・読むことは勉強しなければならないと思っているのに比べて、話すこと・聞くことは勉強しなくてもなんとかなるのではないかと考えていることなのです。
 私は、長い間、国語を教えてきました。けれども、話すことは、やっぱり苦手です。話すことは気楽にできるのではありません。聞いている人にわかりやすく話すということは、とても大変な作業であると思っています。

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2007年7月 2日 (月)

現代の言葉について考える(2)

はじめに②

 全体のタイトルは「現代の言葉について考える」としました。お話の内容はプリントに書いているとおりです。
 (1)言葉(国語)とは、どのようなものか
 (2)言葉の力(国語の力)とは何か
 (3)言葉の力(国語の力)をどう伸ばすか
 大ざっぱに言うと、このような内容の話をしようと思っています。
 これからの時間は、私がする説明と、皆さんにやっていただく演習とで行います。言葉の学習は、手を動かすこと、体を動かすことが大事であると考えるからです。
 はじめに、言葉を使った活動とはどのようなものであるかということについて、基本的な考えを申しておきます。
 私たちは、話したり聞いたりするという活動をしています。話し言葉です。声を使って相手とのコミュニケーションをとるのです。それとともに私たちは、書いたり読んだりするという活動をしています。書き言葉です。文字を使って相手とのコミュニケーションをとるのです。
 別の観点から言いますと、聞くことと読むこととは、理解するという活動です。話すことと書くこととは、表現するという活動です。
 言うまでもありませんが、それらの活動はきちんと区別できるものではありません。私たちは、他人の話を聞きながら、それに反応して話すことをしていますし、他人の書いた文章を読みながら自分の考えを書き綴るということもしています。

 ところで、言葉に関するこれらの4つの活動について、私の基本的な考えをプリントに書いております。言葉について考えるときに大切なこと、国語の勉強にとって大切なこと、と言っていいと思います。
 (1)話している人・書いている人のことを考えながら理解をする
   逆に、
      聞いている人・読んでいる人の立場に立ちながら表現をする
 (2)論理(話のすじみち)をたどりながら理解をする
   逆に、
   論理(話のすじみち)を作り上げながら表現をする
 (3)無数の人たちから得たもの(理解をしたもの)をもとに
   自分の頭で考えて、新たなものを作り上げる(表現をする)
 このような内容を、これからお話ししようと考えているのです。この3つはちょっと抽象的で、難しいようにみえるかもしれませんが、心配はいりません。これらのことを、できるだけ具体例を用いながら話をしていくことにします。

 国語という教科では、ずいぶん多くの内容を扱いますが、今日のテーマは、コミュニケーション(伝達手段)としての言葉ということにします。私たちがふだん使っている言葉について考えようと思うのです。

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2007年7月 1日 (日)

現代の言葉について考える(1)

はじめに①

 この学校でお話をする機会を与えられて、ちょっと不思議な縁を感じています。
 私は明石生まれで、今までずっと明石に住んでいますが、中学生であった時の3年間、学年主任をしていただいたのが出羽秀夫先生という方で、龍野だったか赤穂だったか、西播磨のご出身でした。出羽先生の担当教科は私たちの中学時代は「職業」と言いましたが、今の技術家庭です。私たちの中学校の生徒であった頃は、のんびりした時代でしたから、出羽先生からは授業中、赤穂の話を何度も聞きました。私たちは、その話を聞きながら、赤穂の町並みや、赤穂の塩田の姿や、千種川の清流のようすなどを思い浮かべました。
 そして、たぶん中学2年生のことだったと思いますが、遠足の目的地が赤穂になって、バスで赤穂を訪れました。高取峠を越えて赤穂の町に入り、花岳寺や赤穂城跡などを見学しました。私が中学生であったときですから、ずいぶん昔です。その当時は、赤穂には流下式の塩田風景が広がっていました。お城の中に高等学校の建物がありました。
 それから何年か後、私は学校に勤めることになりましたが、教員になったとたんに、国語科の人たちが、転任される方への送別と、新しく加わった者への歓迎を兼ねた旅行をしてくださいました。その目的地が赤穂と、岡山県の備前焼の里でした。土曜日の午後から日曜日にかけての旅行でしたが、赤穂御崎に泊まりました。呑海楼という名前の旅館であったと、今でも憶えています。ただし、憶えているのは旅館の名前だけであって、建物などの印象はまったく残っておりません。
 今回は、こちらの学校の校長先生から直接に電話をいただきました。先生とは、かつて、同じ学校に勤めたことがあって、親しくさせていただいております。
 国語についての話をするようにとのことでした。どのような内容にしようかと考えましたが、限られた時間内にお話ししなければなりませんから、古典(古文や漢文)に関することは話をしないことにしました。現代の言葉について考えることにしようと思います。

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