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2008年5月15日 (木)

改稿「国語教育を素朴に語る」(45)

23 作品提出ではなく試験で答えさせる〔上〕

 私は、ある大学に出講して、日本語日本文学を専攻する学生の必修科目である「文章表現法」を担当したことがありました。高等学校を卒業したばかりの学生を相手にした、2単位の講義・演習です。ある時の期末試験では、2つの問題を出しましたが、その一つは次のようなものでした。
 最近のニュースなどで話題になっていることや、自分が普段から関心を持っていることの中からテーマを選んで、自分の考え(主張)が強く出ている文章を書きなさい、という問題です。テーマは何でもよいのですが、何でもよいと言ってしまうと、かえってテーマを設定しにくいのではないかと思って、このような指示をしました。
 それに関連して、原稿用紙(解答用紙として配付)に800字以上で書くこと、構成は起・承・転・結の流れに沿って段落設定にも留意すること、などを指示しました。
 この問題は予め提示をして、しかも講義の最終回には、それに向けての指導もしました。
  この程度のものであれば、作品(レポート)を提出させて評価するという方法もあります。学生にとっては、試験よりも作品提出の方が気楽であるに違いありません。けれども、持ち込み無しの試験を行いました。そして、なぜ、そのような方法を採るのかということを、前もって説明しました。
      ◇      ◇      ◇
 作品(レポート)として出来上がったものを提出するのなら、そのために費やす時間の制限はありません。他人に相談することもできますし、何度も推敲することも可能です。言葉に自信がなければ辞書で確かめることもできます。それに対して、試験の場できちんとした文章を書くためには、自分の主張しようとする内容を頭の中に整理しておかなくてはなりません。論理を考えて、述べる順序などを決めておく必要があります。
 誤字・脱字、仮名遣いの誤り、言葉の誤用、文法上の誤りなどを防ぐためには、正しい言葉遣いを身につけなくてはなりません。
 試験の対策としては、きちんとした文章を下書きして、それをそのまま覚えておけばよいのかもしれません。けれども、たとえ800字余りといえども、一字一句を暗唱することは難しいと思いますし、そんなことをしてほしいとは思いません。
 同じような内容の文章が出来上がるにしても、試験と作品(レポート)提出とでは、一人一人が頭の中に文章の全体像を収めて、それを改めて表現していくという作業が異なっているように思います。学習の効果が違うといってもよいでしょう。

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