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2009年3月 8日 (日)

テクのろヂイ(25)【北淡路横断】

北淡路を東浦から西浦へ横断⑥

 淡路フェリーボートという航路がありました。1963年(昭和38年)に淡路・浦港と神戸・長田港を結び、それが船舶の大型化に伴って、1968年(昭和43年)に大磯港~須磨港に変わりました。大磯港(写真①)は、岩屋港とともに、阪神・播磨からの玄関としてにぎわっていました。明石海峡大橋の開通によって航路は廃止されました。今、大磯港には本四海峡バスの大磯港高速バスターミナル(写真②)があって、本土(舞子など)と結ばれています。同バスは、明石海峡大橋開通に伴い影響を受ける船舶会社の離職者対策会社として設立されました。
 歩を進めていくと道の駅があります。東浦ターミナルパーク、東浦物産館の名前が書かれています(写真③)。そのすぐ近くに淡路市立中浜稔猫美術館(写真④)があります。ここは、淡路市出身で猫の墨絵で知られる中浜稔画伯が描いた作品を展示しており、猫を専門にする珍しい美術館です。
 浦地区の河口に、場違いなほど立派な建造物があります(写真⑤)。三洋電機創業者であり、淡路フェリーボートにも貢献した井植歳男を讃える碑もある記念物です。その近くにひがしうら文化館(写真⑥)があります。
 楠木正成ゆかりの松帆神社(写真⑦)は山を背景にして、ゆったりとした境内です。神社のすぐ近くに淡路市役所東浦総合事務所(写真⑧)があります。旧・東浦町役場を、淡路発足に伴って改称したものです。続いて伊勢久留麻神社(写真⑨)があります。
 昔、妙に印象に残ったテレビ番組がありました。伊勢神宮と同じ緯度にいくつもの寺社や古墳が並んでいるというものでした。今回、ホームページを見ていて、それが、1980年(昭和55年)2月に放送された「太陽の通る道 知られざる古代~謎の北緯34度32分を行く」という番組であることを知りました。奈良の箸墓古墳を中心に東西に「二つの伊勢」があり、ひとつは約70㎞東の伊勢斎宮跡で、もうひとつは約80㎞の伊勢久留麻神社と北淡町舟木石上神社なのだそうです。

【写真は9枚とも、2009年(平成21年)3月1日に、兵庫県淡路市内で撮影。】

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コメント

実際のいわゆる「太陽の道」。三輪山の東西線の「北緯34度32分」線は
現在の伊勢久留麻神社の鎮座地(は大神神社の神宮寺、平等寺の真西)ではなく、
「真北」1.5キロ程に御鎮座の松帆神社(明治以前の旧称は「旗山八幡宮」1399年に創建。御神体は楠木正成公の守護神が出自)に成ります。
(手元のケイタイのGPS計測では50メートル以内の誤差。南隣の元神宮寺、西念寺との間に件のライン)

歴史的考証による私感(拝察)では、久留麻神社の元来の鎮座地はこの八幡宮の場所(欽明、敏達、用明期の都の真西)だったかと思っています。
遠来(伊勢国安芸郡(現、鈴鹿市白子)鎮座の久留真神社)の神祇を勧請して神社をわざわざ創建した理由は、
当時、猛威を振るった天然痘封じと敏達天皇の治世14年3月に図らずも罹患為さった陛下の病気平癒。(コレが一番の理由かも)

これは朝廷の危機管理による緊急プロジェクト。(国家と皇室祭祀と軍事を建国時から掌握していた物部氏の宗家、守屋が主導にほぼ断定)

投稿: たぬき | 2011年8月22日 (月) 21時07分

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