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2012年12月31日 (月)

名寸隅の記(104)

2012年が暮れていきます

 2012年12月31日の江井ヶ島の天候は、晴れていると思えば曇ってくるということの繰り返しでした。10時過ぎからはしばらく雪が舞いました。風もありました。
 例によってアメダス(明石市二見町)のデータによりますと、最高気温はなんと、未明の0時17分の6.8度でした。それから8時までは次第に気温が下がって、8時は3.2度でした。10時18分に最低気温1.6度を記録しています。23時の気温は2.5度です。
 風も強くて、最大瞬間風速は5時56分の西北西の風18.9メートルです。昼間も5~10メートルの風が吹きました。
 16時から海岸に出て、日没の写真を撮りました。風があって波立っていました。残念ながら、雲がかかって、水平線に沈む太陽は撮れませんでした。毎日のことですが、何人もが日の入りの様子を眺めていました。小豆島と家島群島はきれいに見えました。

【6枚の写真はいずれも、赤根川の河口から見た夕景。2012年(平成24年)12月31日16時14分から17時03分までに撮影。】
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【掲載記事の一覧】

 2006年8月末にブログを始めて、毎日欠かさず1つ以上の記事を書いてきました。記事の総数は2465件となり、アクセスしていただいた数は30万件を超えました。
 今は『名寸隅の記』を続けていますが、これは間もなく一旦中断します。しばらく充電の時間を持つためです。 
 1116回にわたって連載してきた『明石日常生活語辞典』は、ハードディスクの事故があって中断しましたが、旧稿を絶版として、新しく改訂最終版の連載を始めます。
 長い間にわたって中断している『言葉カメラ』は、資料はたくさん集まっていますので、いずれ再開したいと思っています。

 ブログをお読みくださってありがとうございます。
 お気づきのことなどは、下記あてのメールでお願いします。
    gaact108@actv.zaq.ne.jp
 これまでに連載した内容の一覧を記します。

◆名寸隅の記 (1)~(103)~継続予定
    [2012年9月20日~2012年12月31 日]

◆言葉カメラ (1)~(385)~継続予定
    [2007年1月5日~2007年1月31日]
    [2007年2月21日~2007年2月28日]
    [2007年3月16日~2007年3月31日]
    [2007年4月19日~2007年4月30日]
    [2007年5月9日~2007年5月30日]
    [2007年10月1日~2007年10月13日]
    [2007年11月1日~2007年11月26日]
    [2007年12月13日~2007年12月30日]
    [2008年1月19日~2008年1月30日]
    [2008年2月1日~2008年2月10日]
    [2008年5月1日~2008年5月10日]
    [2008年6月1日~2008年6月8日]
    [2008年7月21日~2008年7月30日]
    [2008年8月1日~2008年8月30日]
    [2008年9月25日~2008年9月29日]
    [2008年10月1日~2008年10月30日]
    [2008年11月1日~2008年11月11日]
    [2008年12月1日~2008年12月7日]
    [2008年12月16日~2008年12月30日]
    [2009年1月20日~2009年1月30日]
    [2009年2月9日~2009年2月15日]
    [2009年3月17日~2009年3月31日]
    [2009年5月1日~2009年5月17日]
    [2009年5月27日~2009年5月31日]
    [2009年7月1日~2009年7月7日]
    [2009年7月25日~2009年7月31日]
    [2009年8月10日~2009年8月13日]
    [2009年12月29日~2009年12月30日]
    [2010年2月19日~2010年3月10日]

◆改稿「国語教育を素朴に語る」 (0)~(102)
    [2008年2月25日~2008年3月30日]
    [2008年4月23日~2008年4月29日]
    [2008年5月11日~2008年5月30日]
    [2008年6月9日~2008年7月20日]

◆消えたもの惜別 (1)~(10)
    [2009年9月1日~2009年9月10日]

◆地名のウフフ (1)~(4)
    [2012年1月1日~2012年1月4日]

◆ことことてくてく (1)~(26)
    [2012年4月3日~2012年4月11日]
    [2012年4月17日~2012年5月3日]

◆テクのろヂイ (1)~(40)
    [2009年1月11日~2009年1月19日]
    [2009年2月1日~2009年2月8日]
    [2009年3月1日~2009年3月15日]
    [2009年6月23日~2009年6月30日]

◆神戸圏の文学散歩 (1)~(5)
    [2006年12月27日~2006年12月31日]

◆母なる言葉 (1)~(10)
    [2008年1月1日~2008年1月10日]

◆六甲の山並み[言葉つれづれ] (1)~(4)
   [2006年12月23日~2006年12月26日]

◆おもしろ日本語・ふしぎ日本語 (1)~(29)
    [2007年1月1日~2007年1月4日]
    [2007年6月7日~2007年6月29日]
    [2009年6月1日/2009年6月4日]

◆西島物語 (1)~(8)
    [2008年1月11日~2008年1月18日]

◆鉄道切符コレクション (1)~(24)
    [2007年7月8日~2007年7月31日]

◆足下の観光案内 (1)~(12)
    [2008年11月14日~2008年11月25日]

◆写真特集・薔薇 (1)~(31)
    [2009年5月18日~2009年5月26日]
    [2009年6月1日~2009年6月22日]

◆写真特集・さくら (1)~(71)
    [2007年4月7日~2007年4月17日]
    [2008年4月1日~2008年4月22日]
    [2009年4月1日~2009年5月8日]

◆写真特集・うめ (1)~(42)
    [2008年2月11日~2008年2月24日]
    [2009年2月16日~2009年2月27日]
    [2009年3月1日~2009年3月16日]

◆写真特集・きく (1)~(5)
    [2007年11月27日~2007年11月29日]
    [2008年11月12日~2008年11月13日]

◆写真特集・紅葉黄葉 (1)~(19)
    [2007年12月1日~2007年12月7日]
    [2008年11月26日~2008年11月29日]
    [2008年12月8日~2008年12月15日]

◆写真特集・季節の花 (1)~(3)
    [2007年5月8日、5月31日、6月30日]

◆屏風ヶ浦の四季
    [2007年8月31日]

◆昔むかしの物語
    [2007年4月18日]

◆小さなニュース
    [2008年2月28日]

◆しょんがつ ゆうたら ええもんや (1)~(13)
    [2009年1月1日~2009年1月10日]
    [2010年1月1日~2010年1月3日]

◆辰の絵馬
    [2012年1月1日]

◆文章の作成法 (1)~(7)
    [2012年7月2日~2012年7月8日]

◆朔日・名寸隅 (1)~(19)
    [2009年12月1日]
    [2010年1月1日]
    [2010年2月1日]
    [2010年3月1日]
    [2010年4月1日]
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    [2010年9月1日]
    [2010年10月1日]
    [2010年11月1日]
    [2010年12月1日]
    [2011年1月1日]
    [2011年2月1日]
    [2011年3月1日]
    [2011年4月1日]
    [2011年5月1日]
    [2011年6月1日]

◆教職課程での試み (1)~(24)
    [2008年9月1日~2008年9月24日]

◆明石日常生活語辞典 (1)~(1116)
    [2009年7月8日~2009年7月24日]
    [2009年8月1日~2009年8月9日]
    [2009年8月14日~2009年8月31日]
    [2009年9月11日~2009年12月28日]
    [2010年1月4日~2010年2月18日]
    [2010年3月11日~2012年9月13日]

◆『明石日常生活語辞典』写真版 (1)~(4)
    [2010年9月10日~2011年9月13日]

◆相手を思いやる姿勢と、自分を表現する力 (1)~(3)
    [2006年10月2日~2006年10月4日]

◆学力づくりのための基本的な視点 (1)~(7)
    [2006年10月5日~2006年10月11日]

◆教員志望者に必要な読解力・表現力 (1)~(18)
    [2006年10月16日~2006年11月2日]

◆教職をめざす若い人たちに (1)~(6)
    [2007年6月1日~2007年6月6日]

◆これからの国語科教育 (1)~(10)
    [2007年8月1日~2007年8月10日]

◆現代の言葉について考える (1)~(7)
    [2007年7月1日~2007年7月7日]

◆自分を表現する文章を書くために (1)~(11)
    [2007年10月20日~2007年10月30日]

◆兵庫県の方言 (1)~(4)
    [2006年10月12日~2006年10月15日]

◆暮らしに息づく郷土の方言 (1)~(10)
    [2007年8月11日~2007年8月20日]

◆姫路ことばの今昔 (1)~(12)
    [2007年9月1日~2007年9月12日]

◆私の鉄道方言辞典 (1)~(17)
    [2007年9月13日~2007年9月29日]

◆高校生に語りかけたこと (1)~(29)
    [2006年11月9日~2006年12月7日]

◆ゆったり ほっこり 方言詩 (1)~(42)
    [2007年2月1日~2007年2月20日]
    [2007年3月1日~2007年3月15日]
    [2007年5月1日~2007年5月7日]

◆高校生に向かって書いたこと (1)~(15)
    [2006年12月8日~2006年12月22日]

◆1年たちました (1)~(7)
    [2007年8月21日~2007年8月27日]

◆国語教育を素朴に語る (1)~(51)
    [2006年8月29日から、2007年12月12日まで] 4回に分けて連載。

◆明石焼の歌 (1)~(3)
    [2007年8月28日~2007年8月30日]

◆失って考えること (1)~(6)
    [2012年9月14日~2012年9月19日]

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名寸隅の記(103)

小学校時代の6年間⑳

 校舎や講堂の工事のことがいろいろ記録されています。校舎は普通教室ではなく、職員室や特別教室などをおさめる建物であったように思いますが、今はもう残っていません。子どもから見れば、何かが新しくなるというのはとても嬉しいことでした。7月に新講堂の上棟式がありましたが、このときには玉串をささげるという役に選ばれましたので憶えています。
 12月に落成式と落成祝賀演芸大会が行われたようです。演芸会の時刻が午後7時から11時までと記録されているのに驚きます。江井ヶ島の港の近くで演芸大会があって、漫談の西条凡児さんが出演したのを見たことがあります。それは夜であったことは憶えていますが、この日のことであったかどうかはわかりません。
 この頃、運動場の整備に駆り出されることがたびたびありました。担任の先生の他に、浜田琳三先生や小山舜教先生の指示で動くこともありました。浜田先生は若い先生、小山先生は薬師院(魚住町西岡)のお坊さんでした。卒業後も何かにつけて思い出す先生です。
 この時代に時間割というものがあったかなかったか、当然あったことと思いますが、それにこだわりなく伸び伸びと過ごさせていただいたように思います。学校の周りの田圃を駆け回ったのも、写生などで学校から出かけてなかなか帰らなかったのも、授業時間中のことだったと思います。
     ◆   ◆   ◆
 思い出すままに書き連ねてきた小学校時代の思い出は、このあたりで一旦終わることにしますが、折りに触れて、また別のこともよみがえってくるかもしれません。

【写真は、古い作り酒屋であった卜部家。2012年(平成24年)12月16日16時36分撮影。】

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2012年12月30日 (日)

名寸隅の記(102)

小学校時代の6年間⑲

 私たちの6年生「ろ組」の担任は原初子先生でした。もうひとつの「い組」の担任は井上俊久先生でした。
 最大の行事である修学旅行は奈良と伊勢でした。どういうルートであったかを正確に憶えているわけではありませんが、大阪の近鉄鶴橋駅の印象は強く残っています。自分たちが乗る電車を待っている間に、茶色や緑色などの、いろいろな型式の電車が次々とやってきて、出ていきました。当時の山陽電鉄は30分に1本程度でしたから、その頻度に驚いていました。
 奈良は東大寺、手向山八幡宮などを見ましたが、すぐに電車で伊勢に向かったはずです。なにしろ1泊2日の限られた日程でした。奈良からも近鉄に違いありませんが、途中のことは記憶にありません。 
 伊勢は当時は宇治山田市でしたが、宇治山田に着いてから伊勢神宮までは、1両編成の電車に乗りました。かなり長い直線区間があって、電車の最前部で線路の先を眺めていた記憶があります。それが三重交通神都線の電車であったということは後で知りました。既に廃止された路線です。
 宿泊は二見浦の宿屋であったように思います。当時の近鉄の線路は宇治山田まででしたから、2日目には、短い区間ですが国鉄に乗って、終点の鳥羽駅まで行きました。伊勢で訪れたところは内宮、二見浦、真珠島などでした。
 お土産はあらかじめ注文をとっていたように思います。今は赤福餅が知られていますが、私の頭の中にあるのは生姜板です。のしの形のボール紙の入れ物に、砂糖を固めたようなお菓子で、生姜の味のするものが入っていました。
 とぎれとぎれの記憶ですが、修学旅行は、子どもにとっては大事な思い出となって残っています。

【写真は、山陽電鉄西江井ヶ島駅。2012年(平成24年)12月16日14時36分撮影。】
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2012年12月29日 (土)

名寸隅の記(101)

小学校時代の6年間⑱

 天皇の行幸を迎えるために児童・生徒が動員されることがありました。舞子へ行った記憶があります。天皇の乗ったお召し列車を迎えるのですが、通過中は頭を下げておるようにという指示があったように思います。舞子のどこであったのかは記憶にありませんが、たぶん舞子駅の東側の舞子公園のあたりであったのでしょう。
 1954年(昭和29年)に第5回全国植樹祭が神戸で行われたときの行幸です。場所は小束山でした。私は勝手に「こたばやま」と読んでいました。これが現在の垂水区小束山なら「こづかやま」ですし、西区の小束野なら「こそくの」と読みます。どちらも山(丘)のような場所ですが、このときの植樹祭がどちらで行われたのかは知りません。
 天皇の宿泊は舞子ビラであったようです。舞子ビラは明治天皇の弟・有栖川宮熾仁親王の別邸を活用したものですから、そこが宿泊地であることに何の不思議もないのですが、そうすると、あれはお召し列車でなく、自動車に頭を下げたのかなぁという思いにもなります。事実はよくわかりません。
 7月に清水川関を迎えて小学校の運動場で相撲大会が開かれました。このことは、私と近い年齢層の人はよく憶えています。大相撲の清水川は地元・明石市の出身です。最高位は小結ですが、このときも小結であったように記憶しています。本名は鉾浦光男(ほこうら・みつお)と言うのだということが、いまだに頭に残っています。土俵では、何人もの小学生が一度にかかっていきましたが、びくともしなかったように思います。1925年(大正14年)生まれということですので、このときは29歳あたりの年齢です。引退後は年寄・間垣として後進の指導にあたりましたが、1979年(昭和54年)に没しています。
 遠足については、どの学年のときにどこへ行ったのかはきちんと憶えているはずもありません。けれども、潮干狩りが何度かありました。加古川市の別府(べふ)海岸や高砂市の海岸は恰好の場所でしたが、今は埋め立てられて工場用地になってしまっています。遠足の目的地を思い出すままに書くと、宝塚遊園地、阪神パーク、明石の菊人形などがありましたが、それらはすべて廃止(閉鎖)されてしまっています。

【写真は、山陽電鉄江井ヶ島駅。2012年(平成24年)12月20日13時16分撮影。】
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2012年12月28日 (金)

名寸隅の記(100)

小学校時代の6年間⑰

《昭和29年度=6年生》

4月6日 天皇陛下を奉迎するため舞子に遠足。
5月17日 遠足を実施。(全校、高砂浜へ潮干狩り)
5月27日 老朽校舎の調査のため、県・市の係員が来校。
6月4日 よい歯の児童を表彰。
7月26日 新講堂・新教室の上棟式を挙行。
同日 清水川関を迎えて相撲大会を開催。
8月7日 児童盆踊り大会を開催。あんどん掛けを行う。
8月23日 幻灯会を、地区ごとに開催。(25日まで)
9月13日 台風12号来襲により非常態勢をとる。
9月26日 台風15号来襲。
10月5日 6年生、奈良・伊勢方面へ修学旅行を実施。(6日まで)
10月23日 秋季運動会を開催。
10月29日 相撲大会を開催。
11月3日 明石市民体育大会に出場。
11月11日 第2期工事申請書を提出。
11月24日 第1期工事の完工検査を実施。
12月2日 落成式を挙行。(午前10時より)
       (来賓50人、校下の人150人)
同日 落成祝賀演芸大会を開催。(午後7時~11時)
       (1000人の参加があって盛会。)
11月4日 敬老会を開催。
12月14日 新講堂を一般用映画会に初めて公開。
12月18日 明石市連合音楽会、江井島小学校で開催。
12月22日 バレーと狂言の鑑賞会を開催。
1月7日 小畠潤、通学途上に山陽電鉄事故により死去。
1月15日 落成と成人の日を記念して、音楽会を市と共同主催で開催。
1月21日 マラソン大会を開催。
2月1日 校内ドッジボール大会を開催。
3月5日 学芸会を開催。(6日まで)
3月24日 卒業式を挙行。

【写真は、この頃まで残っていた管理棟の建物。江井島小学校発行の冊子より。】
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2012年12月27日 (木)

名寸隅の記(99)

小学校時代の6年間⑯

 戦後の混乱もおさまってきたからでしょうか、学校施設・設備の充実が図られるようになってきました。新校地の地均し工事の地鎮祭とか、新築地鎮祭とか、新築のため庭園取り壊しとか、の言葉が並ぶようになりました。教室が新しくなったわけではありませんが、新しい講堂の建築が始まりました。
 小さな2階建ての講堂は風格がありましたが、狭苦しい建物であったと記憶しています。職員室などがあった建物も、明治・大正の面影を持った建物でした。撤去された講堂は、後に東江井に移築されて使われましたが、今は存在しません。
 神戸大学学生による人形劇鑑賞も記憶の片隅にあります。夕刻から、運動場の一画で行われたように思います。直接の関係はないかもしれませんが、夕鶴の話の人形劇か幻灯かを見たことが頭の中に残っています。このときの人形劇であったか、他のときであったのか、あいまいですが…。
 6月4日の虫歯予防デーというのは古くからの行事であったようで、小学校では、よい歯の児童の表彰がありました。どういう基準で選ばれたのかはわかりませんが、私も選ばれて表彰状をもらいました。選ばれた人数は大勢でした。そのお陰で歯には自信があったのですが、今は見る影もありません。
 台風13号のことが記録されています。台風を「号」で呼ぶようになったのはいつからのことかは知りませんが、この年の13号は、9月25日に志摩半島から伊勢湾を経て知多半島に上陸したようです。四国から関東地方にかけて、暴風雨により被害が続出したようです。昔は大きな台風に襲われることが多かったというのが、子どもの頃の思い出です。

【写真は、この頃に建設された講堂。江井島小学校発行の冊子より。】
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2012年12月26日 (水)

名寸隅の記(98)

小学校時代の6年間⑮

 私の5年生の担任は岡田貞一先生でした。その年の4月に転任してこられた、若いスポーツ好きの先生でした。ソフトボールだったか何であったか忘れましたが、チームを作って前任校の児童と試合を企画されていたことを思い出します。私はスポーツは苦手の方ですから、その試合に行ったことはありません。
 5年生の頃には、ひとりひとりが書道具箱を持っていました。硯や筆を入れて学校に持っていく、細長い木製の箱でした。みんな同じものを持っていますから間違えやすいのです。岡田先生に、その書道具箱に彫刻刀で名前を彫ってもらいました。全員であったのか、希望する者だけであったのか、記憶ははっきりしませんが、小さな漢字できちんと名前が彫られて、驚嘆するとともに嬉しく感じたのでした。
 6月に、小使いさん(と、当時の子どもは呼んでいました)の前田さんが亡くなられました。告別式は東島の長楽寺で行われました。先述のように長楽寺は井上俊久先生が住職をされていたお寺です。その式に参列したことは憶えています。小使い室からは、給食の時に当番が大きなヤカン(確か学級に2つずつだったように思います)にお茶を入れて運びました。小使い室の入口辺りには井戸が掘られていて、つるべで水を汲み上げていました。
 学校の行事の中で、何回も行われたように思うのは写生会です。春の小運動会、秋の運動会、冬の学芸会などは恒例のものとなっていましたが、写生会も何度もあったように思います。記録されている回数よりも多く行われたのではないでしょうか。画板を抱えて写生に行きました。白い画用紙の他に、赤・青・黄色などの色画用紙に人気があった時代です。けれども、写生会は白い画用紙に限定されていたかもしれません。校内で書くこともあれば海岸や港の近くへ出かけていくこともありました。田圃に腰をおろして、みんなで並んで描くこともあったように思います。
 学芸会でバザーが始まったのがこの年であってようですが、前売り券方式の完全予約制でした。余分なものを作って無駄にしてはいけないという時代であったからでしょう。うどんとか蜜豆とかのメニューがあったことを思い出します。

【写真は、長楽寺と東島の集落。2012年(平成24年)10月1日15時52分撮影。】
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2012年12月25日 (火)

名寸隅の記(97)

小学校時代の6年間⑭

《昭和28年度=5年生》

4月28日  遠足を実施。(3年生以上…阪神パーク、2年生・1年生…明石)
5月2日 憲法記念日・こどもの日記念運動会を開催。
5月16日 映画会を開催。
5月26日 新校地の地均し工事の地鎮祭を挙行。
6月4日 よい歯の児童を表彰。

6月9日 使丁の前田柾一氏が死去、その告別式に参列。
6月11日 写生大会を開催。
7月10日 海水浴を実施。(14日まで)
7月25日 児童盆踊り大会を開催。行灯掛けを行う。
7月28日 地区対抗ソフトボール大会を開催。(30日まで)
8月20日 神戸大学学生による人形劇を鑑賞。
9月7日 夏休み作品展覧会を開催。
9月15日 敬老会を開催。
9月25日 台風13号による豪雨・大雨のため授業を中止。
9月30日 育友会の映画会を開催。
10月4日 秋季運動会を開催。バザーを実施。
10月27日 遠足を実施。(5年生…京都、4年生…姫路、3年生…垂水、2年生・1年  生…舞子)
11月3日 小運動会を開催。
11月11日 明石市西部音楽会に出場。(二見小学校にて)
11月20日 校内の植物に名札を付ける。
12月24日 学芸会を開催。
1月12日 書き初め展覧会を開催。
2月8日 校内ドッジボール大会を開催。
2月27日 学芸会を開催。バザーを実施。(28日まで)
3月8日 新築地鎮祭を挙行。
3月12日 新築のため庭園取り壊し。

【写真は、西島にあるため池「大池」にコハクチョウが飛来することを告げる案内板。2012年(平成24年)11月12日16時41分撮影。】
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2012年12月24日 (月)

名寸隅の記(96)

小学校時代の6年間⑬

 小学校6年間の前半は橋本侑一先生、後半は大西正次先生が校長でした。今なら離任式・着任式と言うことが多いのですが、送別式・新任式という言葉を使っているのは校長先生だけを対象にした式典にしたからなのでしょうか。
 小学校ではいろいろなものを見たり聞いたりする機会がありました。人形劇やハーモニカについては記憶が残っています。地域では、広場を囲ってスクリーンを設けて、入場料を取って、夜に映画会をするようなこともありました。映画も幻灯も人形劇も大きな楽しみでした。
 夏休み作品展覧会や冬休み作品展覧会は一日だけの日付になっていますが、実際には何日も続いていたと思います。講堂の壁面いっぱいに掲示物が並び、フロアには工作などの作品があふれていました。最初の日に、先生に引率されて見に行き、あとは昼休みなどに自由に見に行きました。保護者の姿もありました。優れた作品には、「一等」「二等」だったか「優」「良」だったか忘れましたが、小さなラベルが貼ってあったように思います。
 校庭で盛んであったのはドッジボールです。体育の時間にもしましたし、休憩時間にもしました。それでも足りずに早朝に集まってすることもありました。あれは、校内ドッジボール大会にそなえての練習だったのでしょうか。
 どんま(胴馬)、陣取り、べったん(メンコ)、ラムネ玉遊びなどは、主として近所の友だち同士の遊びで、学校ではドッジボール、鬼ごっこなどの多人数でする遊びに興じていたように思います。鉄棒、うんてい、攀登棒、ブランコ、滑り台、平均台など、学校にしかない遊具を使った遊びもしました。
 とにもかくにも、朝から晩まで遊んでいたという記憶が残っています。学年の異なる子どもが集まって、木登りもしましたし、田圃の中を駆けめぐるようなこともしました。海岸で魚釣りもしました。それでも大きな事故は起きませんでした。のどかで伸びやかな時代でした。

【写真は、海岸近くにある西島の墓地。2012年(平成24年)10月9日10時16分撮影。】
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2012年12月23日 (日)

名寸隅の記(95)

小学校時代の6年間⑫

 4年生の夏休み期間中の8月4日に児童盆踊り大会が開かれました。この年から始まったのでしょうか。よくわかりませんが、1・2年生の頃に参加した記憶はありません。
 盆踊りを前にして、1学期の末頃から、「江井ヶ島音頭」の歌を習って、踊りの振り付けを覚えました。「来いよ 揃(そろ)たか 学校(がっこ)の庭に コリャサ 歌は新作 新踊り ヨーイヤサ…」と続く歌でした。なんだか大人の歌のように感じました。「歌は新作 新踊り」という言葉がありますが、古いものを再活用したのか、このときの「新作」なのかはわかりません。「学校の庭に」というところは、もともとは「お寺の庭に」となっていたのを小学校で開催するから言い換えたのだと聞いたことがあります。お寺の境内での盆踊り大会に使われた歌かもしれませんが、詳しい経緯は定かではありません。この江井ヶ島音頭の歌詞については、項を改めて、後日に書くことにします。
 歌と踊りは高橋政晴教頭先生が教えてくださいました。この高橋教頭先生は昭和27年度から3年間、江井島小学校に勤められましたから、赴任の最初の年度でした。身振り・手振りを交えて熱心に教えていただきました。
 一方で、やはり1学期の末から、盆踊りの会場に並べる行灯を一人一つずつ割り当てられて準備をしました。朝顔を書いたり、向日葵を描いたり、星を描いたり、障子紙を張った行灯に水彩絵の具を使って、さまざの絵を工夫しました。このとき初めて「納涼」という言葉を知って、行灯に書いた記憶があります。行灯の横側には自分の名前を書き入れました。
 当日は、夕闇が迫る頃から、児童も父母たちも学校に集まります。運動場にはずらりと行灯が掛け並べられていました。電気屋さんが拡声器の準備をしていました。その時に、はじめて「本日は晴天なり」というテスト・アナウンスを聞きました。雨が降ったら、どう言うのだろうと興味を持った記憶があります。
 薄暗い照明を受けながら、何重にもなった円の中で踊ったのは、子供心にとってはずいぶん長い時間だったように思います。大人も子どももいっしょになった行事でしたが、夜店やバザーのようなものがあったかどうかの記憶はあやふやです。

【写真は、魚住町中尾の住吉神社の能舞台にかけられている行灯。これは錦浦小学校の児童の作品であるが、江井島小学校での盆踊りの行灯も同じような形と大きさだった。2011年(平成23年)7月31日15時10分撮影。】
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2012年12月22日 (土)

名寸隅の記(94)

小学校時代の6年間⑪

《昭和27年度=4年生》
4月7日 橋本校長の送別式を挙行。
4月8日 大西正次校長の新任式を挙行。
5月2日 憲法公布・講和発効記念式を挙行。
  同日 小運動会を開催。
5月13日 遠足を実施。(明石公園、王子公園、阪神パーク)
5月29日 子ども銀行のことで、神戸銀行から表彰を受ける。
6月23日 給食調理室改築完成祝賀式を挙行。
8月4日 児童盆踊り大会を開催
8月24日 人形劇鑑賞会を開催。(夜、運動場にて)
9月8日 梶又一氏、ハーモニカ指導のため来校。
9月9日 夏休み作品展覧会を開催。
9月27日 敬老会を開催。
10月12日 秋季運動会を開催。
10月22日 遠足を実施。(京都、宝塚、姫路)
1月12日 冬休み作品展覧会を開催。
1月30日 校内ドッジボール大会を開催。
3月3日 学芸会を開催。(4日まで)

【写真は、江井ヶ島海岸の白波。海が凪いでいても、波打ち際に白波ができることがある。2012年(平成24年)12月6日15時04分撮影。】
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2012年12月21日 (金)

名寸隅の記(93)

小学校時代の6年間⑩

 私事になりますが、このブログを読んでくれている同級生がいます。長く首都圏に住んでいる友人で、懐かしがってくれています。その友人、自称「同級のわんぱく坊主」さんから、次のようなメールが届きました。

 名寸隅の記(89)を見ました。遠足の金ケ崎と須磨浦公園は憶えています。砂場の砂運びは、酒絞りのなが細い茶色の袋がほとんどでした。江井ヶ島海岸の砂浜から、江井ヶ島唯一の料亭旅館(名前は忘れた)の下の細道を通り、学校へ運んだものです。
 3年・4年は、若くてきれいな渡邊先生が担任でした。この先生を泣かせてしまい、職員室に謝りにいきました。理由は、運動場で遊ばせてほしいとみんなを煽り、みんなで授業をできなくしてしまったと記憶しています。

 このようなメールが届くと、嬉しくてしかたがありません。それをきっかけに、いろんなことが思い浮かんでくるのです。
 3年生の11月と12月に研究授業があったようですが、勉強の記憶などは消し飛んでしまっています。彼は「い組」の渡邊トシ子先生の学級でした。上記の出来事とは関係ありませんが、渡邊先生は4年生の担任が終わった昭和27年度末に異動されています。
  3年生のときにも、砂取り作業とか、全校のシラミ駆除とかの言葉があります。砂運びは「わんぱく坊主」さんが書いているように、酒造会社が酒絞り用に使っていた、細長く丈夫な渋染めの袋を使いました。あれは小学校の備品であったのか、酒蔵からもらったものを家から持っていったのか、自信がないので曖昧な書き方をしてしまいました。江井ヶ島海岸の砂浜から、「かまくら旅館」と阪本燃料店との間の細い道を通って、細い坂を登って小学校に運びました。
 1月に「気象観測所を整備」とありますが、たぶん百葉箱のことだろうと思います。箱の中には温度計の他に何があったのでしょうか。雨をためて雨量をはかるものは、芝生の地面に設けられていました。当番だったのか、委員だったからか、記録をしたことがあるので憶えているのです。

【写真は、日没前に西島海岸の突堤で、魚釣りを楽しむ人たち。2012年(平成24年)12月16日16時27分撮影。】
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2012年12月20日 (木)

名寸隅の記(92)

小学校時代の6年間⑨

 小学3年生は「ろ組」で、担任は高木喜義先生でした。3年生・4年生は同じ担任の先生でした。この年から学級の人数が少し増えました。昔ながらの集落にある学校ですから、転入生や転出生はごく珍しいのですが、校区の拡大によるものです。4月から「柳井地区の児童33名を江井島小学校に編入」したからなのです。
 この年1月に、明石郡大久保町と魚住村は、加古郡二見町とともに明石市に編入・合併しました。魚住村(合併後は魚住町)の金ヶ崎の児童は、魚住小学校に通学していたのですが、かなり遠いところにある小学校でした。とりわけ金ヶ崎の柳井地区は、金ヶ崎の中心集落から離れた南部にありました。江井島小学校が見えるところと言っても過言ではありません。どちらも明石市に属することになって、柳井地区を江井島小学校の校区としたのです。すべての学年の児童が江井島小学校に通うことになったのですが、この地区の全児童数は33名ですから、ひとつの学年では数名でした。それでも、友だちが増えたことは嬉しい出来事でした。
 子どもにとってはわからないことでしたが、江井島幼稚園が、地区立から明石市立になったのもこの年のようです。
  市長・市会議員選挙や知事・県会議員選挙の棄権防止運動が続いたようですが、家々を回って、後々まで印象に残っているのは、このあたりの学年のことかもしれません。
  6月に狂言「ぶす」の鑑賞会をしています。江井ヶ嶋酒造株式会社の幹部社員の方々に能や狂言の同好の集まりがあって、小学校に来ていただいて見せてもらったことがあります。身につけておられる装束に目を見張った憶えがあります。このときも社員の方々が演じられたのかもしれません。
 ルース台風というのは、ジェーン台風ほどではありませんが、頭に残っている名前です。調べてみると、10月14日夜に鹿児島県に上陸し、速い速度で九州を縦断し、山口県・島根県を経て日本海に出て、北陸・東北地方を通って15日夕方には三陸沖に進んだようです。兵庫県は直撃されていないのですが、勢力の強い台風で、暴風半径が非常に広かったので全国で暴風が吹いたようです。台風の後は、いろんなものが吹き飛ばされてしまって、新鮮な印象を持ちました。

【写真は、江井ヶ島海岸に立てられている「津波注意」の警告板。2012年(平成24年)12月6日15時08分撮影。】
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2012年12月19日 (水)

名寸隅の記(91)

小学校時代の6年間⑧

《昭和26年度=3年生》
4月5日 柳井地区の児童33名を江井島小学校に編入。
4月7日 運動場の周囲にタチバナモドキを植え付け。
4月16日 明石市立江井島幼稚園を小学校に併設して開園。
4月21日 給食用の食器を整備。
4月23日 市長・市会議員選挙棄権防止運動を展開。
4月24日 遠足を実施。
4月28日 温床を作製。
4月30日 知事・県会議員選挙棄権防止運動を展開。
5月3日 小運動会を開催。
5月5日 こどもの日の行事を実施。(幻灯・おとぎ話・コンクール等)
5月10日 江井島小学校改築推進委員会が結成される。
5月17日 給食炊事婦2名が任命される。
6月4日 よい歯の児童を表彰。
6月11日 砂取り作業を実施。
6月16日 狂言「ぶす」鑑賞会を開催。
7月9日 羽仁説子女史の講演会を開催。(婦人会が対象)
10月7日 秋季運動会を開催。
10月15日 台風ルースが来襲。
10月19日 遠足を実施。
11月6日 研究授業を実施。(3年ろ組・高木先生、他)
12月10日 研究授業を実施。(3年い組・渡辺先生)
1月15日 創立記念日。展覧会を開催。
1月19日 全校のシラミ駆除を実施。
1月29日 気象観測所を整備。
3月1日 学芸会を開催。(2日まで)
3月3日 敬老会を開催。
3月8日 学校給食の希望をA型(週5日)に決定。
3月25日 豚小屋が完成。

【写真は、消防署の江井島分署。2012年(平成24年)12月6日15時20分撮影。】
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2012年12月18日 (火)

名寸隅の記(90)

小学校時代の6年間⑦

 冬休み期間中の1月1日には学校へ行きました。毎年、新年祝賀式があって校長先生の話を聞きました。話の内容は憶えておりませんが、ミカンを2つずつ(だったと思います)もらって帰りました。帰りに赤根川のところへ来ると、消防団(警防団?)が出初めとして放水していたのを眺めたという記憶があります。見たのは毎年であったかどうかはわかりません。
 1月10日の大久保町の解町式、1月15日の明石市合併祝賀会というのは、江井島小学校の行事でなく全町・全市の行事であったのでしょうか。明石郡大久保町、同魚住村、加古郡二見町が明石市に編入されたのは1951年(昭和26年)1月10日です。これによって江井島小学校の校区が4月から変わる(拡大する)ことになります。合併後には、浜県道に市営バスが走り始めました。
 この合併の後、明石市と神戸市の合併問題が起こりました。子供心にも、いつ神戸市明石区大久保町になるのかなぁなどと考えたことがありますが、1955年(昭和30年)に住民投票が行われて、反対多数で不成立となりました。
 明石郡視聴覚教育研究委員会、明石郡学校保健体育研究会、明石郡連合運動会、明石郡連合音楽会などという言葉が並んでいます。旧・明石郡の伊川谷村、玉津村、櫨谷村、押部谷村、平野村、神出村、岩岡村は、1947年(昭和22年)3月に神戸市に編入されて垂水区の一部になりました。(後に、この地域だけが神戸市西区として分離されました。)したがって、1950年頃の明石郡は大久保町と魚住村の2つだけです。大久保町には大久保小学校と江井島小学校があり(後に谷八木小学校と山手小学校ができました)、魚住村には魚住小学校と錦浦(きんぽ)小学校がありました。明石郡全体の小学校の数はわずかであったのです。何年生の時か(合併後であるかもしれません)錦浦小学校の連合音楽会に行ったという記憶があります。自分の校区を出て、どこかへ行ったりすると印象に残ります。

【写真は、山陽電鉄江井ヶ島駅前の交差点の表示。2012年(平成24年)10月1日16時23分撮影。】
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2012年12月17日 (月)

名寸隅の記(89)

小学校時代の6年間⑥

 2年生のときの、私の学級担任は長尾約先生でした。年のいった、男の先生です。秋の遠足で須磨へ行ったことは憶えています。今のような大型電車ではありませんし2両編成でしたから、遠足は貸切電車に乗ることになります。山陽電鉄の須磨浦公園駅で降りて、鉢伏山に登りました。鉢伏山にロープウエイが架けられて、須磨浦公園駅の位置が変わったのは後のことです。現駅の少し西に、崖にへばりつくような駅があって、降りたらすぐに階段を上る構造になっていたと記憶します。
 2年生・1年生・幼稚園が同じところへ遠足をしたことになっています。江井島小学校内に置かれた「江井島地区立江井島幼稚園」もちゃんと一人前になって、小学校といっしょに遠足に行ったのでしょう。
 ついでに思い出したことがあります。私の1年生のときの遠足は金ヶ崎(かながさき)の山でした。金ヶ崎は学校から歩いて3キロ足らず、小高い丘ですが、金ヶ崎神社の辺りまで歩きました。なぜ、このことを憶えているかと言いますと、金ヶ崎には祖母の実家があって、遠足の途中で、その親戚の人に出会った記憶が残っているからです。
 学校は整備が進んでいました。国旗掲揚柱竣工式とか校舎樋工事完了とか放送室完成とかが記録されています。運動場の拡張工事も行われたようです。運動場が北に少し広がって、生け垣としてタチバナモドキが植えられたことは憶えています。
 砂場の砂は、江井ヶ島海岸の砂を運びました。「砂運び」は何年にもわたって行われたように思います。2年生のときに砂運びをしたかどうかはわかりませんが、4年生・5年生あたりでは何回か駆り出されたように思います。「全採取量、約90台分」というのは何でしょう。トラックではなく、リヤカーか荷車に換算しての量でしょうか。大きな砂場ではありませんが、作り替えたり、場所が変わったりした記憶もありますから、そのたびに砂を運んだのでしょう。破れにくい布袋を家から持参して、海岸と学校を往復して砂を運びました。1回に運んだ量はわずかなものでしょうが、子どもにとっては重労働でした。
 この連載の(40)で書いた「子ども銀行」は2年生のときに始まりました。ぺらぺら二つ折りの通帳であったように思います。

【写真は、江井ヶ島海岸。砂場の砂を運んだのも、海水浴をしたのもこの辺りであるが、昔とは様子が違っている。2012年(平成24年)9月26日14時21分撮影。】
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2012年12月16日 (日)

名寸隅の記(88)

小学校時代の6年間⑤

 日本国内すべて同様だったと思いますが、この時代の衛生状態はよくありませんでした。5月に全校清潔教育強調週間とあります。7月には寄生虫駆除剤を服用とありますが、体の中に回虫などがいる子どもは珍しくありませんでした。体の外も不衛生でした。戦後の風俗として、頭にDDTを振りかけられている写真を見ることがありますが、私にはその経験はありません。眼病のトラホームにかかっている子どもはたくさんいました。私も、保健室(衛生室?)で、洗眼液を受ける器具を目の下に当てて、洗眼してもらった経験があります。洗眼の後、粘っこい薬をガラスのような棒で目に塗ってもらいました。
 4月に草花苗の植え付け、10月に球根を植え付けと花壇の整備とあり、12月に豚の種付けとあります。学校で豚を飼っていたことを思い出しました。鶏もいたかもしれません。豚を飼っている家もありました。この頃はウサギを飼うことが多くて、家庭でも学校でもウサギの姿をよく見ました。学級の委員(係?)の中に、栽培係や飼育係がありました。夏休みなどには水やり当番が決められて、何回か学校に行ったように思います。
 懐かしい言葉である農繁休業というのが書かれています。一般には農繁休暇と言っていたと思います。私の家は農家ではありませんでしたが、実際に誰が(あるいは全員が)休暇を取ったのか、全く記憶はありません。
 参議院議員選挙棄権防止運動とか兵庫県教育委員選挙棄権防止運動というのが書かれていますが、何人かでグループを作って、家々を回って、「もう、選挙に行ってきましたか」と投票を促して回った記憶があります。地域を回って、今どき考えられないようなことをやっていたと思いますが、当時の選挙は休日でなくウイークデーに行うのが常であったように思います。
 夏休みや冬休みが終わってからの作品展覧会は、毎年続いた恒例の行事でした。絵や工作や習字など、休みが終わったら提出することが義務づけられていたと思います。この時に父兄会が開かれたようですが、保護者は父と兄に限りません。今の保護者会のことを父兄会と称するのは慣例として長く続いていたと思います。
 草木を倒し、バックネットを倒壊させたのはジェーン台風です。9月3日高知県室戸岬のすぐ東を通り、徳島県日和佐町付近に上陸、淡路島を通過し、12時過ぎには神戸市垂水区付近に再上陸した台風です。兵庫・大阪・和歌山などの府県で大きな被害が出て、死者は400人近くになっています。江井ヶ島で高潮などの浸水被害があったのかどうか、記憶にはありません。

【写真は、西島の海岸近くにある蛭子神社。地元では「えべっさん」と呼んでいる。2012年(平成24年)10月5日16時19分撮影。】
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2012年12月15日 (土)

名寸隅の記(87)

小学校時代の6年間④

《昭和25年度=2年生》
4月18日 庭園に草花苗を植え付け。
4月22日 大久保町会教育委員が視察。
5月9日 こどもの日記念小運動会を開催。
5月18日 全校清潔教育強調週間を始める。
6月3日 国旗掲揚柱竣工式を挙行。
6月4日 参議院議員選挙棄権防止運動を展開。
7月3日 明石郡視聴覚教育研究委員会生まれる。
  同日 明石郡学校保健体育研究会生まれる。
             どちらも、本部を江井島小学校に置く。
7月11日 寄生虫駆除剤を服用。
7月14日 海水浴を実施。(4年生以上)
7月20日 校舎の樋工事が完了。
7月21日 運動場の拡張工事に着手。
               (完成は昭和26年2月)
7月22日 放送室(スタジオ)が完成。
9月3日 台風のため草木が倒れ、バックネットが倒壊。
9月12日 夏休み作品展覧会および父兄会を開催。
9月29日 砂取り作業を実施。(全採取量、約90台分)
10月2日 遠足及び修学旅行を実施。
           (6年生…京都・奈良、5年生…大阪、4年生…宝塚、
      3年生…神戸、2年生・1年生・幼稚園…須磨)
10月6日 球根を植え付け。花壇を整備。
10月22日 秋季運動会を開催。
11月3日 明石郡連合運動会に参加。(魚住中学校にて)
11月6日 農繁休業。
11月10日 兵庫県教育委員選挙棄権防止運動を展開。
12月12日 豚の種付けが完了。
1月1日 新年祝賀式を挙行。(育友会によりミカンを配付)
1月10日 大久保町の解町式を挙行。
1月15日 明石市合併祝賀会を開催。
1月24日 冬休み作品展覧会および父兄会を開催。
2月1日 江井島小学校子ども銀行を開始。
2月10日 学芸会を開催。(11日まで)
2月23日 学校給食について兵庫県教育長より表彰される。
3月3日 明石郡連合音楽会に出場。
3月15日 敬老会を開催。 

【写真は、江井島小学校のプール改築工事を示す表示。2012年(平成24年)10月3日15時21分撮影。】
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2012年12月14日 (金)

名寸隅の記(86)

小学校時代の6年間③

 給食の思い出はいっぱいありますが、1年生のときから給食が始まっていたのかどうか、記憶はあいまいです。
 江井島小学校は、昭和24年の10月に学校給食指定校となり、11月に給食物資保管倉庫が完成し、12月から学校給食の充実が図られたようですが、その内容は、いも汁、シチュー、みそ汁、肉汁、ミルクとなっていて簡素な感じがします。
 このメニューは昭和24年のものであって、しだいに変化していったはずですが、思い出したことがあります。ある時期までは、ご飯を家から持っていって、おかずだけが給食であったという記憶があります。それがどのぐらいの期間続いたのか、記憶にはありません。また、コッペパンが給食に出ていた時期もあります。たぶん、卒業するまではコッペパンが続いたのだろうと思います。パンは貴重品ですから、欠席した者には、近くの友達がパンを届けました。
 給食用の食器は、円くて背丈のある金属製のもので、ふた、おかず入れ、ご飯入れの3つを組み合わせたものだったと思います。毎日、持っていって、持ち帰ったように思います。
 戦後の学校給食について語られるとき、脱脂粉乳をはじめとして、食べる気持ちが起こらないものが多かったという話がよく出てきます。けれども、私は学校給食がまずくて食べられなかったという記憶はありません。むしろ給食は楽しみでした。シチューというものを初めて食べたのは給食でした。脱脂粉乳が混じっていたかどうか知りませんが、あの味と香りは好きでした。
 あの給食を誰が作っていたのか、ということになると、しだいに専任の人になったと思いますが、江井島小学校では、一時期、保護者が調理の当番をしていました。学校で母に出会って、そうだ、今日は給食の当番で来ている日なんだと思ったことがありました。

【写真は、江井島小学校の南側の門。2012年(平成24年)10月8日15時25分撮影。】
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2012年12月13日 (木)

名寸隅の記(85)

小学校時代の6年間③

 本当は、昭和25年度のこと、昭和26年度のこと…というように続けていくべきなのでしょうが、たった1年間の記録だけを書いても、関連していろいろなことが思い出されてきます。
 入学したときの校長は橋本侑一先生ですが、橋本先生は昭和16年4月に着任されて、昭和27年3月に離任されています。一般の教員から、教頭を経て、校長になられたのでしょうか。髪の毛が少なく、ぴかぴかしていた頭を思い出します。
 私たちの学年の学級数は2つで、「い組」と「ろ組」でした。1組・2組…でなく、A組・B組…でもないところが昔風です。私たちの担任は、この年に着任された大西秀子先生でした。(隣の学級のことは憶えておりません。)
 幼稚園のことを思い出します。小学校に入学する前年に、土曜幼稚園(と呼んだように思う)がありました。行く気があるかないかなどと問われて、何回か行ったような記憶がありますが、あれは正式に幼稚園ができる前の試行であったというわけでしょう。
 幼稚園が明石郡大久保町立でなく、江井島地区立であったというのはどういう経緯によるのでしょうか、当時の江井ヶ島の地区は西島・東島・西江井・東江井の4つの集落です。地域でお金を出し合って運営したのでしょうか。
 子どもにとって見れば、たった1回限りのことであっても、それが毎年行われていたのかもしれないという思いになることがあります。
 秋季運動会は、現在よりも遅くて、秋が深まっていく頃に行われていました。それだけではなくて、1学期に「小運動会」が行われたという記憶があります。練習を繰り返して開催するようなものではなく、規模の小さい運動会だったと思いますが、毎年あったのか、そうでないのかはわかりません。
 購買部で、ノートや消しゴムや、「委員」のバッジを買ったような記憶があります。(もしかしたら、バッジは中学校の時と混同しているかもしれません。)
 小学校時代の身体検査と言えば、お医者さんの井上先生、歯医者さんの満谷先生に診ていただいた記憶があります。学芸会は確かに2日間でした。狭い講堂に保護者がおおぜい集まりました。
 幻灯機は、フィルムをくるくる巻いたものを1コマずつずらしていくようになっていました。せいぜい十数コマです。円い小さな筒にフィルムが入っていて、筒に題名が書いてありました。幻灯を見せてもらうのは楽しみでした。映画(もちろん白黒です)を見ることは少なく、幻灯(これはカラーです。天然色と言いました)を見ることの方が多かったと思います。
 以上に書いたことは、1年生のときとは限りません。もっと後の体験も加わっていると思います。
 給食のことは、次回に書きます。

【写真は、江井ヶ島海岸にある休憩・展望施設。「浜の散歩道」の北側の高くなっている場所に設けられている。2012年(平成24年)9月26日14時27分撮影。】
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2012年12月12日 (水)

名寸隅の記(84)

小学校時代の6年間②

《昭和24年度=1年生》
4月15日 前任の熊谷校長が退職。橋本侑一教頭が校長に昇格。
9月8日 江井島地区立江井島幼稚園設立。
10月1日 学校給食指定校となる。
10月12日 秋季運動会を開催。
10月20日 幻灯機を購入。
10月25日 映画による視覚教育の実施に着手。
11月2日 校内放送設備が完成。
11月15日 6年生の奉仕作業により砂場が完成。
11月20日 農具室を改良し、給食物資保管倉庫を完成。
     これにより、給食調理室の設備が充実。
9月~12月 全児童の身体検査を実施。
12月6日 学校給食の充実を図る。
     (月曜日…いも汁、火曜日…シチュー、水曜日…ミルク、
      木曜日…みそ汁、金曜日…肉汁、土曜日…ミルク) 
1月10日 学校購買部を新設。
2月24日 明石郡連合音楽会に出演。
3月3日 学芸会を開催。(4日まで)
3月5日 敬老会を開催。
    
【写真は、明石市立少年自然の家。この場所は昔の江井島小学校のあった跡地。2012年(平成24年)10月31日14時34分撮影。】
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2012年12月11日 (火)

名寸隅の記(83)

小学校時代の6年間①

 筆者は、1949年(昭和24年)4月に、当時の明石郡大久保町立江井島小学校に入学し、途中で合併により設置者が変わって、1955年(昭和30年)3月に明石市立江井島小学校を卒業しました。
 この6年間のことを再現してみたいという思いから、もう20年以上も前のことですが、江井島小学校の「学校日誌」を見せていただいたことがありました。筆者も教職にあったということもあり、閲覧を許されました。応接室のような部屋で、日誌のページを繰りながらメモを取らせていただきました。
 それによって、6年間の生活の様子の一部が組み立てられたのですが、その内容は同級生が集った同窓会の時に、「江井島小学校の6年間」と題して印刷し、配りました。
 戦後の混乱期に小学生になったのですが、あの頃、自分たちには教科書があったのだろうかということを振り返ってみますと、しばらくの間は教科書が無かったような気がしてなりません。何年生の時かわかりませんが、社会科の教材であったと思うのですが、『まさおのたび』というのが配られて、印象に残っています。(この『まさおのたび』は、先年、東京書籍が復刻をしたのを手に入れることができて、とても懐かしい気持ちになりました。)
 平屋建ての木造校舎でしたが、5・6年生になると2階建ての「新校舎」(と呼んでいました)に入ることができました。学校の運動場からは山陽電鉄の2両連結の電車はもちろん、遠くを走る国鉄・山陽本線の蒸気機関車に引かれた列車も見えました。
 次回から、その6年間の記録を、何回かに分けて掲載することにします。

★この連載期間中の写真は、文章内容とは関係なく、江井ヶ島のあちこちの様子を写したものを掲載します。
【写真は、コスモスが咲く田圃のそばを走り抜ける新幹線の列車。西江井地区営農組合は11月11日にコスモス祭りを開催した。2012年(平成24年)10月31日14時59分撮影。】
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2012年12月10日 (月)

名寸隅の記(82)

東島の長楽寺

 この連載の(14)で江井島小学校と長楽寺の関係について書きました。
 「なかでら(中寺)」と呼ばれる東島の長楽寺は744年(天平16年)に行基が建立したと言われています。1207年(建永2年)に、法然上人が四国に流される時、教化を受け浄土宗になったといわれますから、この点は定善寺と共通しています。
 東島は漁師さんの村として発展してきました。漁業をしている集落に共通していると思われるのは、家々が軒を連ねて立ち並び、道が広くはないということです。東島の集落も同じです。けれども、長楽寺の境内は穏やかに広がっています。立派な鐘楼があります。境内に墓地も設けられています。
 明石市内最古の小学校が設けられたところですが、ブログの筆者が小学生の頃、井上俊久先生がいらっしゃいましたが、その井上先生は長楽寺の住職でもあられました。
 長楽寺の地蔵尊の厨子の中に行基の位牌があって、その位牌の裏側には江井ヶ島と行基のことが書かれているそうです。江井ヶ島の人たちは行基菩薩を尊崇する気持ちはとても強いのです。「行基さん」と親しまれる地蔵尊は毎年8月23日と24日の地蔵盆の時に開帳されるそうです。

【写真は、長楽寺の本堂と墓地。2012年(平成24年)10月1日15時54分撮影。】
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2012年12月 9日 (日)

名寸隅の記(81)

東島の定善寺

 この連載の(75)で「どっこいしょ」のことを書きましたが、そのときに、定善寺の門前に「寺水」とか「どっこいしょの井戸」と呼ばれた名水があるということを引用文で紹介しました。
 今、このお寺の門前は静かなたたずまいで、「どっこいしょ」が湧いているようには思えません。
 東島には二つの寺があって、長楽寺を「なかでら(中寺)」と呼び、定善寺(じょうぜんじ)を「にしでら(西寺)」と呼んでいます。
 定善寺は、8世紀の天平勝宝年間に、行基菩薩が開基したという言い伝えがあります。その後、法然上人が四国へ流されるとき、1207年(建永2年)に浄土宗になりました。現在ももちろん浄土宗です。本尊は阿弥陀如来だそうです。
 定善寺は東を向いて建てられています。寺のすぐ西側を赤根川が流れています。寺の裏側の、赤根川との間に墓地が広がっています。赤根川の堤防はかさ上げされましたから、堤防に沿った道も高くなっています。定善寺の墓地は、その道からは見下ろす位置になります。

【写真は、静かな時間が流れる定善寺。2012年(平成24年)12月6日14時47分撮影。】
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2012年12月 8日 (土)

名寸隅の記(80)

県花のじぎく

 キク科の花「のじぎく(野路菊)」は兵庫の県花です。短日植物で10月下旬頃から開花すると言われています。こののじぎくが、今、江井ヶ島海岸でも咲いています。直径3センチから5センチぐらいの可愛い花です。花の色は、真ん中が黄色で、周りが白です。多年生植物で、牧野富太郎が発見し命名したとして知られています。
 兵庫県は、2006年(平成18年)の第61回国民体育大会をのじぎく国体と名付けました。県はそれ以前から、公的な施設や機関などにのじぎくという名称を多く用いています。人権啓発協会の建物をのじぎく会館と名付けていますし、特別支援学校の中にのじぎくを冠した学校もあります。
 のじぎくは、九州・四国・中国(瀬戸内側)などの海岸の崖などに自生する植物で、兵庫県のあちらこちらで見られますが、姫路市には、大塩のじぎくの里という公園があります。そののじぎくを江井ヶ島でも保護育成しています。江井ヶ島海岸の育成地に建てられている案内板の中に書かれている言葉を一部だけ引用します。

 かつては、明石以西の高砂・姫路辺りの海岸を中心に広く分布していたが、開発にともない、近年その数を減らしている。
 明石市は、江井島校区高年クラブの協力の下、この地においてノジギクの保護育成に努めている。
 
 可憐なのじぎくが潮風に吹かれている様子は、力強ささえ感じられます。群落が広がっていってほしいと思います。

【写真は、のじぎく育成地と、立てられている案内板。2012年(平成24年)12月6日15時11分撮影。】
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2012年12月 7日 (金)

名寸隅の記(79)

続・夕陽の名所

 この連載の(60)で、夕陽のことを書きました。そして、11月16日の夕陽の写真を掲載しました。あれから20日ほど経ちました。
 日没は、少しずつ早くなっています。また、日の落ちる場所も少しずつ変わってきています。新聞の地域版に「暦」が掲載されています。12月7日の日の出は6時53分、日の入りは16時48分となっています。たぶん神戸を基準にした時刻だろうと思います。
 日の落ちる場所は、だんだん左にずれてきます。しだいに西寄りから南に動いてきているのです。今では小豆島を離れて、島の東の水平線に落ちます。20日という間隔で見るとかなりの変化です。
 さて、12月6日は、北日本・東日本では大荒れの天気であったようです。アメダスのデータに寄れば、この日の明石の最大瞬間風速は、深夜2時59分に23.3メートルの風でした。風の音で、夜中に目が覚めました。近畿地方のテレビ・ニュースには、この明石の数字が紹介されました。
 けれども夜が明けてからは、最大でも9.5メートルの風です。最高気温は、ちょっと信じられないのですが、風のすさまじかった深夜2時04分の12.9度だそうです。最低気温は深夜24時00分の1.5度だそうです。
 日没前の16時30分頃は、気温が5度前後、風速は7メートル前後でした。外出を厭うような寒さではありません。夕陽の写真を撮るために人が集まるスポットがあります。西江井の住吉神社のすぐ前の海岸です。この季節になると、ここにカメラを持った人が集まります。上記のような天候ですから、12月6日もたくさんの人が集まっていました。
 なぜこの場所に? という理由は明確です。太陽が海に沈む位置が、ここから見ればちょうど江井ヶ島港の灯台の近くになるのです。水平線に沈む太陽と灯台とをカメラに収めるのです。ところで、この日は日没前には輝いていた太陽が、日没の瞬間には水平線の近くの雲に遮られてしまい、待機していた人たちからため息がもれました。けれども、翌日には人が、きっと再び集まるはずです。

【写真は、江井ヶ島海岸で夕陽を撮る人たち。2012年(平成24年)12月6日16時42分撮影。】
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2012年12月 6日 (木)

名寸隅の記(78)

江井ヶ嶋酒造蒸留所

 1991年(平成3年)11月1日発行の『市政だより・あかし』(明石市役所発行)の624号は、市内を対象にした第1回建築文化賞に選ばれた6つの建物を紹介しています。建築文化賞は、美しい町並みを守り、育て、作り出すような優れた建物を表彰し、快適で魅力ある町作りを進めようという趣旨で設けられたものです。
 このとき選ばれたのは、太陽神戸銀行(現・三井住友銀行)明石支店、藤江屋分大本店ビル、県立弓道場(明石公園内)、ノーリツ明石本社工場、明石愛老園、そして、江井ヶ嶋酒造蒸留所です。
 江井ヶ嶋酒造蒸留所というのは、1984年(昭和59年)に新しいウイスキー蒸留所として竣工したもので、スコットランド地方の様式を取り入れた造りであるそうです。
 江井ヶ嶋酒造は1919年(大正8年)にウイスキー製造免許を取得し、長い歴史を刻んできています。ホワイトオークという銘柄です。ホワイトオーク蒸留所はモルトを中心にシングルモルトとブレンデッドを製造しています。会社側は「モルトの香りが高くモルトウイスキー本来の味わいを楽しめる」と言っています。「ホワイトオーク地ウイスキーあかし」などのラベルで売り出しています。
 さて、その蒸留所は、周囲の黒っぽい酒蔵群の中にあって、さわやかな空気が流れる感じの白亜の建物です。神戸を舞台にしたNHKテレビの朝の連続ドラマ「風見鶏」が放送されたのは1977年(昭和52年)10月からの半年間でしたが、この蒸留所にも、鶏をかたどった風向計の風見鶏が設けられています。

【写真は、江井ヶ嶋酒造蒸留所の風見鶏。2012年(平成24年)10月9日10時13分撮影。】
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2012年12月 5日 (水)

名寸隅の記(77)

玉石浜

 西島の辺りの海岸は、昔に比べると、養浜事業によって砂浜の部分が広くなっています。小さな石や砂を運び込むことによって海岸を広げたのです。大勢の人たちが海岸での遊びを楽しめるようになっています。
 海岸に設置されている説明板によれば、このような浜を「玉石浜」と言うようです。護岸(防潮堤)に近いところに砂を敷き詰めて、その沖合に「玉石」を敷いています。玉石は水際の向こう側(水面下)に続いていき、その沖合は海岸と平行に大きな石を沈めて堤のようなものを作って、砂や石の流出を防いでいるようです。ところどころに大きな石を置いて、単調な海岸線に変化を持たせています。波を弱める効果もあるのでしょう。
 玉石という言葉は、日常的には使いませんが、あるホームページでは次のように説明していました。

 一般的には直径20cm前後の丸っこい自然石を指すことが多いが、「土質材料の工学的分類体系」などで規定された分類名ではない。特に規定はないため、直径10cm程度から60cm程度まで、様々な大きさの自然石が玉石と呼ばれている。

 私がいだく「玉石」という言葉のイメージは、まるっこい石で、あまり大きくない自然石です。ホームページには「直径20cm前後」とありますが、西島海岸の石はもっと小さなもの、例えば握りこぶしぐらいのもの、あるいはもっと小さなものが多いのです。「丸っこい自然石」とありますが、とがったような石、荒削りな感じの石も混じっています。
 それはともかく、玉石浜という言葉からは滑らかさを感じますし、この海岸の穏やかな風景にはふさわしい言葉であるのかもしれません。

【写真は、「玉石浜」の説明板。2012年(平成24年)12月2日16時42分撮影。】
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2012年12月 4日 (火)

名寸隅の記(76)

甘辛しゃん

 江井ヶ嶋酒造の酒蔵のそばの道を通ると、「甘辛しゃん 神鷹酒蔵」というプレートが目に入ります。小さなプレートです。
 「甘辛しゃん」は、1997年(平成9年)10月から1998年(平成10年)4月初めまで、150回にわたってNHK総合テレビ放送された、15分間の朝の連続ドラマです。灘の酒蔵を舞台に、女性酒職人を目指す主人公とその家族が描かれています。最高の酒を讃える「しゃんとあがった秋晴れの味」という言葉がタイトルになっています。
 NHK大阪局が制作しましたから関西各地をロケ地にしていますが、酒蔵は江井ヶ嶋酒造の六番蔵が使われたそうです。江井ヶ嶋酒造には七つの木造の酒蔵があります。酒蔵は窓を少なく、壁を厚くして、外気の影響を受けにくいようにしています。ひとつの敷地内で七つの木造蔵があるのは日本でも珍しく、現在もなおそれぞれが別々の役割を持って使用されているそうです。
 ロケに使われた六番蔵というのは1918年(大正7年)に竣工したといいますから、建てられてから今年で94年になります。清酒と味醂の貯蔵蔵として使われているようです。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で、神戸・灘の酒蔵の中には大きな被害を受けたものがありましたが、明石市の江井ヶ島周辺の被害は、幸いなことに甚大なものではありませんでした。1889年(明治22年)に建てられた江井ヶ嶋酒造の一番蔵は現在も健在です。

【写真は、「甘辛しゃん」のプレート。2012年(平成24年)11月26日13時46分撮影。】
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2012年12月 3日 (月)

名寸隅の記(75)

浅井戸としての「どっこいしょ」

 「どっこいしょ」について、別の本、神戸新聞出版センター編の『山陽電車 駅と沿線100年の旅』(2007年8月20日、神戸新聞総合出版センター発行)は、ひとつひとつの駅ごとの紹介が書かれていますが、西江井ヶ島駅の項の中に、次のような文章があります。

 昔は海岸に近い定善寺の門前に「寺水」とか「どっこいしょの井戸」と呼ばれた名水があって、牛車で酒蔵まで水を運んだ記録が残っている。時代が変わって、今はそれぞれの酒蔵の湧水を使っている。

 この文章は、前記「西摂から播磨の名水めぐり」と同趣旨の文章となっています。
 もう一つ、前にも紹介した『いなみ野ため池ミュージアム ため池再発見』(いなみ野ため池ミュージアム推進実行委員会発行)にも「どっこいしょ」のことが書かれています。(同書34ページ)

 昔は「どっこいしょ」といわれる地下水が、いくらでも湧き出してくるところが、赤根川のまわりではあちこちにありました。きれいな水だったので、酒造りに使われたり、また共同洗い場の水としても重宝され、この地域の人たちのかけがえのない憩いの場所ともなっていました。

 この文章に書かれているように、西島のあちこちの家や酒蔵の中に「どっこいしょ」がありました。共同洗い場という使い方は知りませんが、身近な存在であったことは確かです。
 ところで、「どっこいしょ」を『日本方言大辞典』で調べてみますと、奈良県生駒郡に「どっこいしょ」という発音が、山形県東置賜郡に「どんこんしょ」があります。他に「どっこんすい」「どっこんせー」「どっこんせ」などの類似した発音が列挙してあります。けれども、これらの言葉の意味するところは、すべて、掘り抜き井戸です。井戸に関係のある言葉として使われていますが、掘り抜き井戸というのは、「不透水層に達するまで地下を深く掘って、地下水を湧出させる井戸」(『日本国語大辞典』の説明による)のことです。江井ヶ島周辺に見られるような浅井戸のことを指していないのです。

【写真は、江井ヶ島の酒蔵風景。2012年(平成24年)10月9日10時12分撮影。】
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2012年12月 2日 (日)

名寸隅の記(74)

どっこいしょの寺水

 この連載の(27)と(58)で、「どっこいしょ」のことを書きました。その続きです。
 山陽電気鉄道に『山陽ニュース』という月刊広報誌がありました。20ページに満たないような薄さですが、文化の香りのする文章や絵や写真がいっぱい詰まっていました。1950年(昭和25年)2月に創刊して、2000年(平成12年)12月号で終刊となりました。残念なことでしたが、2001年(平成13年)1月号からは沿線情報紙『escort』に様相を変えました。
 その『山陽ニュース』の1985年(昭和60年)2月号に、「西摂から播磨の名水めぐり」という文章の第3回(同誌12~14ページ)が載っており、「どっこいしょの井戸」という項目があります。筆者は伊達嶺雄さんです。その文章を引用します。

 江井ヶ島の人なら誰でも「どっこいしょ」が井戸であることを知っている。江井ヶ島は地下水の豊富なところで、どこを掘っても水が湧いて、酒造りを盛んにし、港に寄る船の飲料水にも利用された。特に赤根川尻に近い定善寺境内の井戸は「寺水」と呼ばれ、酒蔵の人たちは牛車で運んでいたという。それが二〇年程前に突然水質に塩分が増して使えなくなり、自噴もしなくなって、今ではコンクリートの蓋でふさがれてしまった。
 定善寺は江井ヶ島駅の西南1・1㎞。漁船の船溜りの西はずれ、住吉神社の参道を入った、神社前の西、突き当り。井戸は寺の門前広場にある。

 灘五郷の酒に使われるのは「宮水」として知られていますが、江井ヶ島(西灘)の酒は「寺水」だというわけです。宮と寺、神社と仏閣の対比も面白いと思いますが、定善寺に代表される「どっこいしょ」の水は、あたり一帯のあちこちから豊富に湧き出していたのです。
 なお、文章の中にある「住吉神社」は、これまで何度も話題にした魚住町中尾の住吉神社(西島の氏神)ではなくて、東島にある「住吉神社」のことです。江井ヶ島には、西江井にも「住吉神社」があります。

【写真は、赤根川河口の夕景。2012年(平成24年)11月16日17時08分撮影。】
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2012年12月 1日 (土)

名寸隅の記(73)

のどやかに、秋から冬へ

 立冬も過ぎました。紅葉の季節ですが、江井ヶ島に山はありませんから、本格的な紅葉狩りをするためには足をのばさなければなりません。家々の庭や街路の木々の落葉は盛んで、落ち葉の始末に忙しい季節になりました。けれども、冬枯れの木立になるのはもう少し先のようです。のどやかに季節が移ろいゆきます。
 北国からは雪の便りが聞こえてきますが、江井ヶ島辺りではまだ冬の風情にはなっていません。電車の乗客には、コートを来ている人がしだいに増えてきました。まだ手袋はいりません。
 ホームページを見ると、アメダスの観測データを見ることができます。明石の観測地点は二見町南二見にあります。一般に人工島と呼ばれている埋め立て地で、一帯は工場群です。観測地点は、北緯34 度41.2 分、東経134 度52.6 分で、標高は3メートルだそうです。江井ヶ島からはすぐ近くです。
  11月30日は、晴れたり曇ったりの天気で、夕方に江井ヶ島ではにわか雨がありましたが、アメダスの雨量はゼロになっています。この日の最低気温は7時00分の6.0度、最高気温は14時05分の14.9度です。風は、ほぼ一日中、北寄りの風で3~4メートルでした。

【写真は、アメダスの観測地点でもある二見町の人工島。小型のモーターボートなどが係留されているところ。2012年(平成24年)11月29日15時02分撮影。】
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