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2015年5月31日 (日)

【掲載記事の一覧】

 「【明石方言】 改訂最終版・明石日常生活語辞典」の全体編を始めました。この機会に、2009年7月に連載を開始してからの通算回数の表示に改めました。

 「日光道中ひとり旅」は、日光の鉢石宿まで踏破しましたので、近日中に連載を再開します。

 口永良部島の噴火、小笠原での大きな地震など、日本列島が揺れています。もうすぐ梅雨の季節です。けれども、自然の風物に恵まれた国に住む幸せを感じています。

 ブログをお読みくださってありがとうございます。

 お気づきのことなどは、下記あてにメールでお願いします。

 gaact108@actv.zaq.ne.jp

 これまでに連載した内容の一覧を記します。

 

◆【明石方言】 明石日常生活語辞典 ()(1990)~継続予定

    [2009年7月8日開始~ 最新は2015年5月31日]

 

◆日光道中ひとり旅 ()(43)~継続予定

    [2015年4月1日開始~ 最新は2015年5月13日]

 

◆新・言葉カメラ ()(18)~継続予定

    [201310月1日開始~ 最新は20131031日]

 

◆名寸隅の記 ()(138)~継続予定

    [2012年9月20日開始~ 最新は2013年9月5日]

 

……【以下は、連載を終了したものです。】……………………

 

◆中山道をたどる ()(424)

    [201311月1日開始~2015年3月31日終了]

 

◆江井ヶ島と魚住の桜 ()()

    [2014年4月7日開始~2014年4月12日終了]

 

◆言葉カメラ ()(385)

    [2007年1月5日開始~2010年3月10日終了]

 

◆『明石日常生活語辞典』写真版 ()()

    [2010年9月10日開始~2011年9月13日終了]

 

◆新西国霊場を訪ねる ()(21)

  2014年5月10日開始~ 最新は2014年5月30日]

 

◆放射状に歩く ()(139)

 2013年4月13日開始~ 最新は2014年5月9日]

 

◆百載一遇 ()()

    [2014年1月1日開始~ 最新は2014年1月30日]

 

◆茜の空 ()(27)

    [2012年7月4日開始~ 最新は2013年8月28日]

 

◆国語教育を素朴に語る ()(51)

    [2006年8月29日開始~20071212日終了]

 

◆改稿「国語教育を素朴に語る」 ()(102)

    [2008年2月25日開始~2008年7月20日終了]

 

◆消えたもの惜別 ()(10)

    [2009年9月1日開始~2009年9月10日終了]

 

◆地名のウフフ ()()

    [2012年1月1日開始~2012年1月4日終了]

 

◆ことことてくてく ()(26)

    [2012年4月3日開始~2012年5月3日終了]

 

◆テクのろヂイ ()(40)

    [2009年1月11日開始~2009年6月30日終了]

 

◆神戸圏の文学散歩 ()()

    [20061227日開始~20061231日終了]

 

◆母なる言葉 ()(10)

    [2008年1月1日開始~2008年1月10日終了]

 

◆六甲の山並み[言葉つれづれ] ()()

   [20061223日開始~20061226日終了]

 

◆おもしろ日本語・ふしぎ日本語 ()(29)

    [2007年1月1日開始~2009年6月4日終了]

 

◆西島物語 ()()

    [2008年1月11日開始~2008年1月18日終了]

 

◆鉄道切符コレクション ()(24)

    [2007年7月8日開始~2007年7月31日終了]

 

◆足下の観光案内 ()(12)

    [20081114日開始~20081125日終了]

 

◆写真特集・薔薇 ()(31)

    [2009年5月18日開始~2009年6月22日終了]

 

◆写真特集・さくら ()(71)

    [2007年4月7日開始~2009年5月8日終了]

 

◆写真特集・うめ ()(42)

    [2008年2月11日開始~2009年3月16日終了]

 

◆写真特集・きく ()()

    [20071127日開始~20081113日終了]

 

◆写真特集・紅葉黄葉 ()(19)

    [200712月1日開始~20081215日終了]

 

◆写真特集・季節の花 ()()

    [2007年5月8日開始~2007年6月30日終了]

 

◆屏風ヶ浦の四季 [2007年8月31日]

 

◆昔むかしの物語 [2007年4月18日]

 

◆小さなニュース [2008年2月28日]

 

◆辰の絵馬    [2012年1月1日]

 

◆しょんがつ ゆうたら ええもんや ()(13)

    [2009年1月1日開始~2010年1月3日終了]

 

◆文章の作成法 ()()

    [2012年7月2日開始~2012年7月8日終了]

 

◆朔日・名寸隅 ()(19)

    [200912月1日開始~2011年6月1日終了]

 

◆教職課程での試み ()(24)

    [2008年9月1日開始~2008年9月24日終了]

 

◆相手を思いやる姿勢と、自分を表現する力 ()()

    [200610月2日開始~200610月4日終了]

 

◆学力づくりのための基本的な視点 ()()

    [200610月5日開始~20061011日終了]

 

◆教員志望者に必要な読解力・表現力 ()(18)

    [20061016日開始~200611月2日終了]

 

◆教職をめざす若い人たちに ()()

    [2007年6月1日開始~2007年6月6日終了]

 

◆これからの国語科教育 ()(10)

    [2007年8月1日開始~2007年8月10日終了]

 

◆現代の言葉について考える ()()

    [2007年7月1日開始~2007年7月7日終了]

 

◆自分を表現する文章を書くために ()(11)

    [20071020日開始~20071030日終了]

 

◆兵庫県の方言 ()()

    [20061012日開始~20061015日終了]

 

◆暮らしに息づく郷土の方言 ()(10)

    [2007年8月11日開始~2007年8月20日終了]

 

◆姫路ことばの今昔 ()(12)

    [2007年9月1日開始~2007年9月12日終了]

 

◆私の鉄道方言辞典 ()(17)

    [2007年9月13日開始~2007年9月29日終了]

 

◆高校生に語りかけたこと ()(29)

    [200611月9日開始~200612月7日終了]

 

◆ゆったり ほっこり 方言詩 ()(42)

    [2007年2月1日開始~2007年5月7日終了]

 

◆高校生に向かって書いたこと ()(15)

    [200612月8日開始~20061222日終了]

 

◆1年たちました ()()

    [2007年8月21日開始~2007年8月27日終了]

 

◆明石焼の歌 ()()

    [2007年8月28日開始~2007年8月30日終了]

 

◆失って考えること ()()

    [2012年9月14日開始~2012年9月19日終了]

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1990)  [全体編(31)]

この辞典の記述の仕方⑬ 言葉の用例について

 

 『明石日常生活語辞典』では、言葉の持つそれぞれの意味に、具体的な使い方(用例)を示すことを原則とします。

 用例は、できるだけ文の形で表現しますが、句の形(体言止めの用例)もあります。用例の仮名遣いは、発音に近い表記にします。長音は「ー」で書きます。ただし、現代仮名遣いの助詞「は」「へ」「を」は、読むときの煩雑さを避けるため、「わ」「え」「お」に置き換えることはしません。外来語に由来する言葉はカタカナで書きます。

 その語に2つ以上の品詞がある場合、それぞれの品詞の用例を示すように努めますが、必ずしもそのようになっていないものもあります。

 次に、『明石日常生活語辞典』の特徴のひとつとして、用例として取り上げる文は、文節に分けるとともに、それぞれの文節を単語に分解します。単語と単語の間には「・」の印を入れます。ひとつひとつの用例をすべて品詞分解しているのです。分解したそれぞれの言葉は、この辞典の項目を引くことによって確かめられます。用例が2文にわたることがありますが、その場合は、前の文の最後に句点「。」を入れます。

 品詞分解をした文は、いくつもの「・」によって区切られていますから、目障りに感じられるかもしれませんが、この辞典を読み進めていくとしだいに煩雑さを気にしなくなるはずです。

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2015年5月30日 (土)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1989)  [全体編(30)]

この辞典の記述の仕方⑬ 言葉の意味について()

 

 小学生が、「[しんどい]というのは、どういう意味?」と尋ねたとします。

 その場合、その子は[しんどい]という言葉を知らない(あるいは、じゅうぶんに理解が行き届いていない)のでしょうが、[意味]という言葉のあらわす働きや用法は、ある程度(あるいは、きちんと)理解できていると考えてよいでしょう。

 改めて、「[意味]というのは何のことですか、説明してみなさい」と命じたら困ってしまうかもしれませんが、そうでもしない限りは、[意味]という言葉はわかっていると判断するのが普通でしょう。

 けれども、辞典として、ひとつひとつの言葉の意味を記述し始めると、誰でもわかっているような言葉(例えば、[空]とか[石]とか)にも、説明を加えなければなりません。易しい言葉ほど、持って回ったような(あるいは、妙に理屈っぽい)説明をすることになってしまいます。やむを得ないことです。

 さて、『明石日常生活語辞典』の意味の説明は、ほぼ3種類の書き方をしています。

 1つ目は、他の言葉に置き換える(もちろん、なるべく言葉を尽くして書く)という方法です。例えば、「たきぐち【焚き口】」を「かまどやストーブなどで、薪や石炭などの燃料を投げ込むところ」と書いたり、「たきこむ【炊き込む】」を「野菜や魚・肉などをご飯の具としてを混ぜて炊く」「長い時間、炊き続ける」とする書き方です。この場合、「炊き込む」の説明に、「混ぜて炊く」「炊き続ける」というように「炊く」を使ってはいけないというルールを作ることはできます。「炊く」と書く代わりに「火を通して食べ物や飲み物にする」と書くことはできますが、冗長になるという欠点が生じます。とにもかくにも、名詞や動詞などは、言葉の置き換えという方法で説明が可能です。

 2つ目は、「……の様子」というように書く方法です。例えば、「たきたて【炊き立て】」とか「たきたき【炊き炊き】」とかの言葉は、「炊き上げたばかりの、ご飯などの食べ物」という名詞としての使い方とともに、「炊き上げたばかりの様子」という形容動詞としての使い方もあります。形容詞や形容動詞などは単純に他の言葉に置き換えることができない場合があって、「……の様子」と書くことが多くそうです。

 3つ目は、「……を表す言葉」というように書く方法です。例えば、「たり」という助詞について、「歩いたり走ったりしてゴールに着いた」とか「病院では寝たり起きたりしていた」とかの用例では「2つ以上の動作が混じっていることを表す言葉」と説明し、「泣いたりしたら、あかんぞ」という用例では「1つの動作を強調したり、例示したりするときに使う言葉」と説明します。助詞や助動詞などはこの方法でしか書けないことがあります。

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2015年5月29日 (金)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1988)  [全体編(29)]

この辞典の記述の仕方⑫ 言葉の意味について()

 

 『明石日常生活語辞典』は、ひとつ一つの言葉の意味を説明するときに、言葉の置き換えにとどまることを排除して、可能な限り詳しく説明することを基本的な姿勢としました。それとともに、専門的な言葉はできるだけ避けて、日常の言葉でわかりやすく説明しようと努めました。日常語である方言を、日常語で説明しようと考えたのです。意味の記述は、小型の国語辞典の記述よりも詳しくしたいと考えました。

 また、後にも述べますが、言葉と言葉を関連づけて対照できるようにしたのが『明石日常生活語辞典』の大きな特徴のひとつです。その場合、対照させた言葉同士が、互いに相手方の言葉を使って説明したのでは意味がありません。

 共通語で説明をします。例えば、『新明解国語辞典・第四版』では、「しめる【閉める】」という言葉を、「あいていた窓を端まで、戸を柱や他の戸の所まで動かして、すきまの無いようにする。」と説明しています。このような詳しい説明はありがたいと思います。

 「しめる【閉める】」と関連する言葉に「とじる【閉じる】」があります。『新明解』は「とじる【閉じる】」を、「外に向かっている口などをしめて、他とのかかわりを持たない・(本来の機能が果たせない)状態になる。また、そのような状態にする。」と説明しています。

 この場合、「とじる」と「しめる」が関連する言葉(対照させてみるべき言葉)であると考える場合は、「とじる」の説明文の中に「外に向かっている口などをしめて、」というように、「しめる」という言葉を使いたくないというのが私の立場です。

 そのようなことが100パーセント可能であるとは思いませんが、できるだけ努力をしてみたつもりです。

 『日本国語大辞典』や『広辞苑』はもちろんですが、『新明解』をはじめたくさんの辞書のお世話になりながら、意味の説明をしました。できるだけ易しい言葉を使って説明しようと試みましたが、その際に、何種類も発行されている、小学生向けの国語辞典も大きな力になってくれました。

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2015年5月28日 (木)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1987)  [全体編(28)]

この辞典の記述の仕方⑪ 品詞について(成句と、発音が融合した言葉)

 

(13)成句

 《成句》は、慣用表現となっているもので、長めのものをこのように表示します。慣用表現であっても、短めのもので、それを組み立てている単語数の少ないものは、複合語として、それぞれの品詞に分類します。

 囃し言葉のようなものには、細かく単語に分割するのが不可能なものもあります。長い形をとった成句は、いくつかの品詞から成り立っていますから、品詞に分類しません。ただし、慣用表現の末尾が活用語である場合は、活用の種類を付記します。

 

(14)発音が融合した言葉

 どの地域の方言であっても、言葉と言葉が結びついて、発音が融合した言葉はたくさんあります。共通語にもあります。代名詞の「これ」と副助詞の「は」が結びついた「これは」が、「こら」となるようなものです。

 そのような言葉については、できるだけ元の発音を示すとともに、それがどのように変化したかを示します。ただし、見出しは融合した発音の形で示します。

 

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2015年5月27日 (水)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1986)  [全体編(27)]

この辞典の記述の仕方⑩ 品詞について(接頭語と接尾語)

 

(12)接頭語、接尾語

 《接頭語》《接尾語》は、それ自体は独立した言葉の働きをしませんが、他の言葉と結びついて一つの単語となるものです。

 接頭語は、他の言葉の前に付きます。「お花」の「お」、「ご飯」の「ご」、「ど阿呆」の「ど」などです。

 「あたしんどい」「あた面倒くさい」「あた殺生や」などと言う「あた」は用言の前に付いて、不快感をあらわに表す気持ちが表現されます。

 接尾語は、他の言葉の後ろに付きます。「子どもたち」の「たち」、「私ども」の「ども」、「来週あたり」の「あたり」などです。

 その接尾語が活用する言葉である場合は活用の種類も書きます。

 接尾語のうち、数量を表す語に添える言葉は《助数詞》と書きます。「2つ」の「つ」、「3箇」の「箇」などで、漢字で書く場合も多くあります。

 接頭語や接尾語は品詞ではありません。例えば、「花」に「お」という接頭語が付いた場合は、「お花」で一つの名詞となります。同様に、「3位」「4番」などが一つの名詞です。

 ただし、『明石日常生活語辞典』では、接頭語や接尾語を独立した見出しとして立てて、それぞれの場所で説明をします。それとともに、接頭語や接尾語と結びついて一つの単語となったものを見出しとすることもあります。

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2015年5月26日 (火)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1985)  [全体編(26)]

この辞典の記述の仕方⑨ 品詞について(補助動詞)

 

(11)補助動詞

 本来は動詞としての働きをする言葉が、一方で他の動詞の連用形に続いて、いろいろな意味を加えることがあります。ただし、前の動詞と後ろの言葉とが直接には結びつかないで、間に接続助詞「て」が入ります。

 例えば、「行ってみる」の「みる」は、「見る」という意味は薄れて、試みるというような意味になっています。この場合、「て」と「みる」とを分けないで、「てみる」を一語として扱います。

 この「てみる」のような言葉を《補助動詞》と呼びます。補助動詞は大半が「て…」という形です。したがってこの辞典では「て」の項目の中で集中的に記述をしています。

 「走ってくる」「読んでもらう」なども、「来る」「貰う」という直接的な意味は薄らいでいます。

 補助動詞の他に、補助形容詞というのもあります。数はごく限られています。

 例えば、「あいつは、そんなことを知っとらへん。」というのと同じ意味で、「知ってない。」と言うこともあります。この「てない」は有無を言っているのではなくて、打ち消しの意味になっています。補助動詞と共通する働きです。

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2015年5月25日 (月)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1984)  [全体編(25)]

この辞典の記述の仕方⑧ 品詞について(助詞)

 

(10)助詞

 もう一つの付属語である《助詞》は、いろいろな言葉に付いて、言葉と言葉の関係を示したり、意味などを加えたり、その他の働きもします。活用はしません。

 助詞は、《格助詞》、《副助詞》、《接続助詞》、《終助詞》に分類します。

 格助詞は、文中の体言(名詞)に相当する部分が他の言葉と関わり合う関係を示します。例えば、「私が神戸へ行く。」の「が」や「へ」がそれです。

 格助詞のうち「の」「のん」「ん」は、体言(名詞)に準じる働きをする言葉で、準体助詞と言います。「これはお前のや。」の「の」は、お前の物という意味です。

 副助詞は、ある言葉について、意味を限定したり、意味に方向性を与えたりします。例えば、「小さい子どもでさえ分かる。」の「さえ」がそれです。

 接続助詞は、文の前の部分が、後ろの部分とどんな関係で続くのかを表します。例えば、「台風が来るさかい運動会は中止や。」の「さかい」がそれです。

 終助詞は、話し手の感情や、聞き手に対する訴えかけなどを表し、主として文末に使われます。例えば、「朝から天気が悪いなあ。」の「なあ」がそれです。

 

 以上の10種類が、学校文法に基づいた分類で、『明石日常生活語辞典』はそれに従いますが、品詞の分類とその呼び方には、さまざまな説があります。

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2015年5月24日 (日)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1983)  [全体編(24)]

この辞典の記述の仕方⑦ 品詞について(助動詞)

 

()助動詞

 助動詞と助詞は付属語です。

 《助動詞》は、動詞などに付いていろいろな意味を加える言葉です。後ろに続く言葉によって活用をします。

 その意味(文法的意味とも言います)は、受け身、可能、自発、尊敬、使役、打ち消し、過去、完了、存続、強意、推量、意志、仮定、伝聞、希望、断定、比況など多様なものがあります。ただし、一つひとつの言葉の説明では、そのような文法的意味で片付けないで、もっと詳しい言葉で説明するように心がけます。

 具体的な例を挙げて説明します。

 例えば、朝、目が覚めたときに戸外を見て、「あっ、雨が降っとる。」と言うとします。この場合、状況によって2通りの意味が考えられます。一つは、今、雨が降り続いているという意味です。もう一つは、今は止んでいるのですが、夜の間に雨が降っているという意味です。「とる」という助動詞には、動作・状態などが継続しているという意味と、動作・状態などが完了しているという意味があるのです。

 「よる」という助動詞を使う場合は、「雨が降りよる」というのは継続の意味であって、完了の意味では使いません。「学校へ行きよる途中で忘れ物に気がついた。」というような使い方をします。

 助動詞の活用は多様です。動詞の活用に準じるもの、形容詞の活用に準じるもの、形容動詞の活用に準じるものなどがありますが、それらとは別に、特殊な活用を示すもの(打ち消しの「ん」「へん」、過去の「た」など)があります。

 助動詞の中には、「今日はしんどいさかい、行きとみないねん。」の「とみない」のように、次第に使われなくなりつつある語もあります。

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2015年5月23日 (土)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1982)  [全体編(23)]

この辞典の記述の仕方⑥ 品詞について(接続詞と感動詞)

 

()接続詞

 《接続詞》は、文と文とを結んで、その2つの文の関係を示す言葉です。

 具体的な例を挙げて説明します。

 接続詞は基本的には、「けれども、私は賛成しなかった。」のように、文のはじめに使われますが、「私は、けれども、賛成しなかった。」というような順序になることもあります。

 同じ「けれども」であっても、文のはじめに出てくる場合は接続詞で、「走ったけれども、乗り遅れた。」のように、文の途中に使われて、1つの文の中での関係を示すのは助詞(接続助詞)です。

 

()感動詞

 《感動詞》は、動いた心のままに発せられる言葉や、応答・呼びかけなどの言葉です。

 具体的な例を挙げて説明します。

 「なあ、ちょっと私の話も聞いておくれ。」の「なあ」のように、文のはじめに使われます。「まあ、きれいな花やなあ。」のように文末に使われるのは助詞(終助詞)です。

 

 以上述べた8つの品詞は自立語と呼ばれ、次の項目以降で述べる助動詞と助詞は付属語と呼ばれます。接続詞・感動詞に関連する言葉の中には、似たような言葉であっても、使われる場所などによって自立語(接続詞・感動詞)であったり、付属語(助詞)であったりするものがあるのです。

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2015年5月22日 (金)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1981)  [全体編(22)]

この辞典の記述の仕方⑤ 品詞について(副詞と連体詞)

 

()副詞

 《副詞》は、活用がない言葉で、主に用言を修飾する言葉です。

 副詞には、単に《副詞》と表示したものと、「あおあお【青々】」《副詞と》などと示したものとがあります。《副詞と》というのは、見出し語だけの「あおあお」だけでも使いますが、「あおあおと」という使い方もあることを示しています。

 具体的な例を挙げて説明します。

 「がくんがくん」という言葉は、足腰が衝撃を受けるように震えて落ち着かない様子を表したり、短い間に繰り返して衝撃を感じる様子を表したりします。この言葉の品詞は《副詞と、形容動詞や()、動詞する》と考えます。「今日はよー歩いて足ががくんがくんになってもた。」の「がくんがくんに」は形容動詞の連用形です。「電車ががくんがくんとして止まった。」の「がくんがくん()」は形容動詞の活用とは考えられませんので、副詞として扱います。また、「足ががくんがくんする。」の「がくんがくんする」はサ行変格活用の複合動詞です。

 この辞典では、擬声語、擬態語もできるだけ多く採り上げることにしています。共通語と同じような意味・用法の擬声語・擬態語もありますが、方言特有のものもたくさんあります。

 

()連体詞

 《連体詞》は、活用がない言葉で、主に体言を修飾する言葉です。

 具体的な例を挙げて説明します。

 「大きい」は形容詞ですが、「大きな」は形容詞の活用したものとは考えられませんので連体詞になります。

 「元気な」は形容動詞の活用したもの(連体形)ですので、連体詞ではありません。

 連体詞として扱う言葉の数は、意外に少ないのです。

 

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2015年5月21日 (木)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1980)  [全体編(21)]

この辞典の記述の仕方④ 品詞について(形容詞と形容動詞)

 

()形容詞

 《形容詞》は、ものごとの性質や状態などを表す言葉です。言い切るときの形(終止形)は、基本的に「たかい【高い】」「まぶしい【眩しい】」のように「い」で終わります。後ろから2音節目が「まぶしい」の「し」のようにイ段音である場合は、語末が長音化して「まぶしー」となります。

 形容詞の活用の仕方は複雑です。そのことについては別の項で説明します。

 

()形容動詞

 《形容動詞》も、ものごとの性質や状態などを表す言葉です。言い切るときの形(終止形)は、基本的に「げんきや【元気や】」のようになりますが、この辞典では語幹の部分である「げんき【元気】」を見出し語とします。

 形容動詞は、すべて《形容動詞や》と表記しています。これは、見出し語に「や」をつけて形容動詞の終止形となることを表します。ただし、終止形は「や」だけでなく「だ」「です」「だす」などとなることもあります。その煩雑さを避けるため「や」と記します。

 例えば、げんき【元気】《形容動詞や》の終止形には、元気や、元気です、元気だす、などの形があります。

 《形容動詞や()》または《形容動詞や()》と書いているのは、形容動詞の連体形が「げんき【元気】な 男の 子」のように「ナ」となるか、「ありのまま【有りの儘】の 姿」のように「ノ」となるかの区別を示しています。両方ともが存在する場合は、よく現れる方を前にして(ノ・ナ)のように書きます。

 形容動詞は、語幹だけの言い方で名詞としての働きもします。ほぼ例外なく成り立ちますので、「■名詞化=〇〇」という注記はしません。

 ただし、名詞としての使い方が主で、ときに形容動詞としての使い方があるという語については《名詞、形容動詞や》と書きます。

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2015年5月20日 (水)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1979)  [全体編(20)]

この辞典の記述の仕方③ 品詞について(動詞)

 

()動詞

 《動詞》は、ものごとの動作や状態などを表す言葉です。言い切るときの形(終止形)がウ段の音になります。

 動詞は、品詞名のうしろに、《名詞、〇行〇段活用》というように「活用の種類」を記します。活用の種類は、大きく分けると五段活用、上一段活用、下一段活用、変格活用ですが、それに加えて活用する行も示します。

 動詞は一つの行(例えば、カ行)だけで活用しますが、例外としてア行とワ行の両方にわたって活用するものがあります。古典文法では、動詞は必ず特定の行だけで活用するのですが、現代語では、実際の発音の変化や仮名遣いの変化によって2つの行にわたって活用するということが生じたのです。

 五段活用、上一段活用、下一段活用の他に、サ行変格活用(「する【為る】」に関連する言葉)と、カ行変格活用(「くる【来る】」に関連する言葉)とがあります。また、本方言では、特別な活用の姿を見せる語もあります。

 名詞と併記して、《名詞、動詞する》としている語がたくさんあります。本方言では、例えば「あまもり【雨漏り】をする」というときの「を」を省略することがしばしば、あります。その場合は複合のサ行変格活用動詞として扱います。他の辞典に比べると『明石日常生活語辞典』は動詞(サ行変格活用動詞)の数が格段に多くなっています。

 「する」で代表させていますが、「べんきょう【勉強】する」を例にすれば、「べんきょうする」の他に「べんきょうできる」(可能の意味)や「べんきょうさす」(使役の意味)などとなることもあります。

 動詞の連用形は名詞となることがあります。すべての動詞でそれが成り立つわけではありませんので、名詞になることがある語は、「■名詞化=〇〇」のように示します。

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2015年5月19日 (火)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1978)  [全体編(19)]

この辞典の記述の仕方② 品詞について(名詞)

 

 見出し語の次に、《品詞》を書きます。

 品詞の分類のしかたは、一般的な学校文法によって分類します。それぞれの品詞などについて簡単に説明します。

 品詞は大別すると、名詞、動詞、形容詞、形容動詞、副詞、連体詞、接続詞、感動詞、助動詞、助詞になりますが、それをさらに分類したり、細かく注記したりしながら示します。また、品詞以外の書き方をするものもあります。

 

()名詞

 《名詞》は、人やものの名前を表したり、物事の状態などを名付けたりする言葉の中で、活用のない言葉のことです。

 《名詞》とだけ記しているものは、普通名詞を表します。それ以外は《固有名詞》《代名詞》などとして区別します。

 《固有名詞》は江井島・西島地区の字名などのうち、方言としての特徴を説明するのに役立つと思うものを取り上げます。固有名詞は、明石市内に広げて記載することはしません。

 《数詞》や《助数詞》も方言としての特徴的な使い方がありますから、積極的に取り上げます。

 一つひとつのの言葉を説明する中で、「体言」「用言」という言葉を使うことがあります。「体言」とは、前述のように、人やものの名前を表したり、物事の状態などを名付けたりする言葉の中で、活用のない言葉のことです。名詞がそれにあたります。「用言」とは、活用のある言葉で、単独で述語となりうる言葉です。動詞、形容詞、形容動詞がそれにあたります。

 

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2015年5月18日 (月)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1977)  [全体編(18)]

この辞典の記述の仕方① 見出し語と漢字表記

 

 『明石日常生活語辞典』の記述の仕方についての概略を述べます。

 この辞典は文法に関することも記述の内容として扱っておりますから、文法についての基本的なことも、改めて後に述べることにします。

 文法に関することは、できるだけわかりやすく述べるようにしますが、文法に興味のない方は、この辞典の文法に関する記述を無視して、ひとつひとつの言葉の意味や用例のみを見ていただいても差し支えはありません。

 文法に関する記述は、この辞典からすこし専門的なことを読みとろうとされる方に向けたものです。

 

 まず、この辞典の見出しとして立てる言葉について述べます。

 見出し語は太字で書きます。文字は平仮名を使います。仮名遣いは、現行の仮名遣いの規則にしたがって表記します。外来語に由来するものはカタカナで書きます。

 見出し語の次の〔 〕内に実際の発音を書きます。発音の変化や、発音の崩れも〔 〕内に書きます。外来語に由来するものも、平仮名で発音を示します。長音は「ー」で書きます。

 発音の変化のうち、長音になるもの、長音がなくなるものは同一の見出しで扱います。同じ言葉に促音や撥音が加わったり省かれたりするものは別の見出しにすることを原則とします。見出し語の清音と濁音の関係は、明らかに清音・濁音を意識して使い分けている(または、それが習慣になっている)ものは、両方に見出しを立てることがあります。

 見出し語は、類似の発音もできるだけ別の見出し語としての項目を作りますが、それは語数を増やす目的ではなく、いろんな形から項目を引きやすくするためです。

 また、やや長い言葉(慣用的な言い方や成語など)を見出し語とする場合もあります。方言の特徴的な言い方であると思われる場合は、どしどし見出し語に採用します。

 見出し語を並べる順は一般の国語辞典と同じにします。

 見出し語の次に、【漢字表記】を記します。漢字表記は、意味をとらえやすくする目的で書きますから、常用漢字以外の、普段使うことの少ない文字であっても参考として表示します。発音が崩れたものは【( )】として書きます。常用漢字の枠にとらわれず、考えられる漢字であればなるべく書くのは、意味や語源との関係を示すためです。

 外来語に由来する語は、参考のため、【言語名=もとの言語の綴り】を書きます。

 

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2015年5月17日 (日)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1976)  [全体編(17)]

辞典対象地域のこと⑧  現在の人口と交通

 

 まず明石市のことを書きます。

 2014(平成26)10月1日のデータをもとにすると、明石市の人口は291357人で、全国で73位になります。面積は49.42平方キロで、全国650位です。1平方キロあたりの人口密度は5895.53人で全国58位です。

 次に、江井島および西島について書きます。

 2015(平成27)4月1日の明石市の統計によれば、明石市全体の人口は297341人ですから、上記のデータよりも漸増しています。

 江井島(すなわち、東江井、西江井、東島の合計)の人口は6116人で、世帯数は2598です。

 西島の人口は1万0077人で、世帯数は4018です。

 江井島と西島を合わせると、人口は1万6193人、世帯数は6616です。

 東江井、西江井、東島、西島はそれぞれで自治会を作っていますが、この地域には集合住宅や団地も増えてきましたから、その単位で小さな自治会を編成しているところもあります。

 西島自治会の場合は、世帯数が2000余で、それを150ほどの隣保に分けて運営しています。地区内に集合住宅や団地単位の自治会がいくつもあります。世帯数で言うとほぼ半数が別個の自治会を作っていて、他地域から移り住んできた方々の比率は高いのです。

 地域内をJR山陽新幹線、JR山陽本線(愛称・神戸線)、山陽電気鉄道が並行して走っていますが、駅は山陽電気鉄道に江井ヶ島駅と西江井ヶ島駅とがあります。(JR山陽本線は西島の一部をかすめる形で通っています。)

 道路は、国道250(愛称・明姫幹線)と県道718号が走っていますが、国道2号はこの地域よりも少し北を通っています。

 南側は海です。播磨灘に面して、淡路島、家島群島、それに小豆島(香川県)が見えます。明石市内は標高100メートルを超えるところはありません。江井島・西島地区も標高は2~15メートル程度ですから、津波の心配がないわけではありません。

 

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2015年5月16日 (土)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1975)  [全体編(16)]

辞典対象地域のこと⑦  魚住の荘としての西島()

 

 『角川日本地名大辞典・兵庫県』(昭和63年、角川書店発行)をめくると、このあたりの事情がわかります。

 明治時代前期の「魚住村」について、次の記述があります。

 「明治8年~22年の村名。明石郡のうち。西島村・森村が合併して成立。地名の由来は、かつての荘名による。地内の赤根川河口付近に、かつて行基の築いた名寸隅の船瀬(魚住の泊)があったと推定されることも、村名を魚住とした理由の一つである。明治12年の田77町余・宅地4町余、同14年の戸数112、人口558(播磨国地種便覧)。同22年当地の西隣に魚住村が成立、当地は大久保村の大字となる。」(同書234ページ)

 明治時代後期から昭和時代前期の「魚住村」については、次の記述があります。

 「明治22年~昭和26年の明石郡の自治体名。金ヶ崎・長坂寺・清水・中尾・西岡の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。役場は、はじめ長坂寺の遍照寺に、明治36年魚住小学校に、昭和23年から魚住中学校内に置かれた。」(同ページ)

 さらに、「魚住」の項では、

 「明治22年~大正9年の大久保村の大字名。(中略) 西隣の魚住村と紛らわしいことから、大正9年西島と改称。」(同ページ)

とあります。

 つまり、明治22年から大正9年までは、明石郡大久保村魚住村と明石郡魚住村とが併立していたことになります。魚住村という呼称は、明石郡大久保村魚住村(すなわち西島のこと)の方が先行しています。

 魚住という地名は、春成秀爾さんの文章にもあるように、現在の明石市魚住町よりも広い範囲を指すものであり、赤根川河口の西島も「魚住」に含まれ、そこにあった港が「名寸隅の船瀬」「魚住の泊」と呼ばれたのは自然なことであったのです。

 魚住の荘という広い地域を指す地名が、ここ1世紀余りの間に、西島よりも西にある地域、現在の明石市魚住町に「魚住」が定着し、今では西島を「魚住」と称することはなくなっているということなのです。

 神戸姫路電気鉄道(現在の山陽電気鉄道)によって明石-姫路間の電車が開通したとき(大正12年8月)には、2つの魚住村の併立が終わっておりましたから、明石郡魚住村中尾に「魚住駅」が、西島に「西江井ヶ島駅」ができています。国鉄(現在の西日本旅客鉄道)の「魚住駅」の設置は戦後の昭和36年です。

 いずれにしても前述した住吉神社が広く魚住地域の鎮守であることには、昔も今も変わりはありません。

 なお、「名寸隅」と「魚住」の文字の関係については、名寸隅は魚隅の誤写で、魚隅→魚次→魚住と変化したという説もありますが、定説には至っておりません。

 

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2015年5月15日 (金)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1974)  [全体編(15)]

辞典対象地域のこと⑥  魚住の荘としての西島()

 

 江井ヶ島は、今ではマンションなどの高い建物があちこちにあって、新しい住民の方が増えました。けれども、昔の地名に従うと東江井村、西江井村、東島村、西島村がもとになっています。

 この東西の「江井」と東西の「島」を合わせた地域が江井ヶ島ですが、これによって江井ヶ島という地名になったのか、江井ヶ島という地名を分割して四つの村の名にしたのかはわかりません。江井ヶ島の地名伝説としては、一般に、次のような言い伝えがあります。

 「かつて江井ヶ島一帯は〔嶋〕と呼ばれていました。ここに港を作った行基が海上安全の祈祷をしているときに、港の中に畳二枚ほどもある大きな?(エイ)が入ってきました。村人たちは気味悪がって追い払おうとしましたがいっこうに動きません。行基が酒を飲ませてやると?は満足そうに沖へ帰っていきました。この後、このあたりを?向島(えいがしま)と呼ぶようになりました。」

 行基は風土記が編纂された時代の人ですから、このような地名伝承が成立してもおかしくはないでしょうが、「?向島」という表記は定着していません。

 また、江井ヶ島は世に知られた酒造地で、西灘とも呼ばれています。良い水が湧き出るところから、良い(ええ)水の出る島()が江井ヶ島になったという説がありますが、語誌の上からはあまり古い時代には遡れないでしょう。

 これら四村のうち、東江井、西江井、東島は、いっしょに秋祭りを行っていますが、西島は、現在の魚住町に属する中尾、西岡とともに住吉神社の祭りを行っています。前述のように魚住の住吉神社の秋祭りは、九月頃から始まる播州路の秋祭りの最後を飾って、十月の最終土曜・日曜日に催されます。東江井、西江井、東島の秋祭りはそれより一週間早くなるのが通例です。

 さて、私が小学生の頃に、我が家の隣の、オイシャハンという家号で呼ばれていた旧家の表札に「明石郡大久保村魚住村」という文字が残されていて、不思議に思ったことがあります。私たちの住んでいるところは大久保町西島であって、大久保町の旧称が大久保村であったとしても、西島でなく魚住村と書かれていたことを奇異に思っていたのです。

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2015年5月14日 (木)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1973)  [全体編(14)]

辞典対象地域のこと⑤  名寸隅の船瀬のありどころ()

 

 国立歴史民俗博物館名誉教授の春成秀爾さんは、筆者の中学校および高等学校時代の同級生ですが、明石の歴史についてさまざまな論考を書いてくださっています。

 『明石の古代』(201311月、発掘された明石の歴史展実行委員会発行)という冊子の「Ⅰ 明石の古代」という章では、魚住泊について次のような記述があります。

 「魚住の地名は、『万葉集』に『名寸隅の船瀬』とでてきますが、これは『魚隅』の誤記とみてよいでしょう。『住吉大社神代記』731(天平3)年には、『明石郡魚次浜』の範囲は、東限を大久保尻、南限を海の棹がおよぶ際、西限を歌見江尻、北限を大路としています。大久保尻は谷八木川付近、歌見江尻は西二見になります。古代に『名隅』『魚次』、つまり魚を掬う浜と呼んでいた範囲は広いので、現在の魚住の地域に限定して魚住泊の位置を考えることはできません。」(同書8ページ)

 「初期の魚住泊は岸と並行に直線状に築いた石の突堤のことをさしており、これによって護られた船溜りが魚住泊の始まりだったようです。」(同書10ページ)

 現在の明石市魚住町、つまり「現在の魚住の地域」に限定して考えることはできないという考えです。

 ここに書かれている谷八木川の川尻から西を眺めると、江井ヶ島のあたりが岬になっていて、その向こうに見えるのは二見人工島です。もともとの二見あたりの海岸線は北側に湾曲しています。また逆に、二見人工島から東を眺めると、江井ヶ島の岬が突き出していて、明石市中心部の海岸を見やることはできません。赤根川河口に位置する江井ヶ島は海上を東から来ても西から来ても、少し突き出た形になっていますから、何気なく通り過ぎることはできません。今は小さな灯台が岬の位置を示しています。

 それに比べると谷八木川河口や、西側の瀬戸川河口(明石市魚住町)、更にもっと西側の喜瀬川河口(加古郡播磨町)が滑らかな海岸線となっているのとは違っています。

 海岸線に並行するのに比べて、突き出した岬というのはわずかな角度の差に過ぎません。しかし、この突き出した形になっているところから淡路島を眺めると、江井ヶ島音頭に歌われているように、淡路島西岸(一般に、西浦と言います)に正対するおもむきになって、淡路島を間近に感じることになります。江井ヶ島から見える淡路島の北端は江埼灯台や松帆の浦までであって、島の玄関口である岩屋港のあたりは東に回り込んでいるので見えません。

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2015年5月13日 (水)

日光道中ひとり旅(43)

古河宿から徳次郎宿まで(16)

 

ゴールは上徳次郎バス停

 

 下徳次郎のバス停のあたり【写真】もこんもりとした木立が続いています。実はここまでは宇都宮駅からバスの便が多いのですが、それは近くに団地があるからです。もう少し中徳次郎を経て、上徳次郎の方へ歩こうと思いますが、バスの時刻を気にしながら進みます。

 徳次郎城跡【写真】は少し離れていますので、立ち寄ることはしません。

 智賀都神社【写真】は日光二荒山神社から勧請した神社です。長寿の夫婦欅という樹高40メートルの大木があります

 日光の連山が近づいてきました【写真】。なだらかな姿の山です。

 1130分に、上徳次郎のバス停【写真】に着きました。8時ちょうどに東武宇都宮駅近くの宿を出発して、3時間半、歩きました。歩数は2万2000歩強。距離は14㎞余りです。1143分発のバスでJR宇都宮駅に向かいます。今回はこれでお終いです。

 

●この連載は、今回でいったん中断して、日光まで歩き終えた段階で再開します。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1972)  [全体編(13)]

辞典対象地域のこと④ 名寸隅の船瀬のありどころ()

 

 万葉集に詠まれた「名寸隅の船瀬」も、奈良時代の僧・行基が開いたと言われる摂播五泊の「魚住の泊」も、明石市大久保町西島の、赤根川の河口であろうと推定されています。

 私が学んだ明石市立江井島小学校の校歌の一番は、

 

  なみ静かなる 瀬戸の内

  明石の浦の 磯づたい

  遠き祖先の 築きけむ

  船瀬のあとさえ なおのこる

  家並にぎわう わが郷土

  あ江井ヶ島 われらの誇り

 

という歌詞です。「築きけむ」の「けむ」(過去推量の意の助動詞)のような古語も使われていますが、今も歌い継がれています。

 この校歌は、万葉研究者として知られた阪口保(神戸山手短大教授、のちに学長)の作詞により、昭和27(1952)に制定されました。

 この校歌によって、一般にはなじみの薄い「船瀬」という言葉が、江井ヶ島では親しい感じを漂わせた言葉になっています。

 とは言いながら、現在は明石市大久保町に属する赤根川河口に名寸隅の船瀬(魚住の泊)という名称があっていいのかというのが子どもの頃の疑問でした。

 事実、魚住の泊があったのは、赤根川河口の他に、瀬戸川河口という説もあるようです。瀬戸川の河口は現在の魚住町西岡です。

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2015年5月12日 (火)

日光道中ひとり旅(42)

古河宿から徳次郎宿まで(15)

 

一里塚と接合井

 

 木立の繁った道を歩き続けます【写真】。ツツジが咲いているところもありますが、木は松、杉、桜などが入り混じっています。

 日光宇都宮道路【写真】をくぐっても並木道は続きます。

 高谷林の一里塚【写真】は、上戸祭の一里塚と同様にきちんと整備・保存されています。やはり1983(昭和58)度に修復整備されたそうです。

 東北自動車道をくぐって歩くと、すぐに道の右側に、国の登録有形文化財に指定されている第6号接合井【写真】があります。この接合井は、今市浄水場の水を26㎞離れた戸祭配水場に送る際に、送水管にかかる水圧を弱めるために設けられた施設で、日光街道沿いに標高が30メートル下がるごとに置かれたものです。1949(昭和24)の今市地震で大半が倒壊しましたが、この第6号だけは創設当時の姿を残しているそうです。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1971)  [全体編(12)]

辞典対象地域のこと③  富田砕花の持ったイメージ

 

 盛岡市生まれの富田砕花は、大正の頃は民衆詩派の詩人として活躍しましたが、最後は芦屋市に住みました。砕花の『歌風土記 兵庫県』(昭和25五年、神戸新聞社発行)は、兵庫県内の旧・5国を旅して詠んだ作品群です。

 その中に、「明石郡・大久保町江井ヶ島」として3首が収められています。

 

   雲凝りて重く閉ぢたる屏風浦けふはしまきて浪ぞ騒げる

 

   東島の船瀬を越してしぶき入る秋浪荒き日の海のいろ

 

   酒蔵を棚田のまにま建てつらねひそけき秋の江井ヶ島かも

 

 それに続いて、「明石郡・魚住村字城山……住吉神社」として、次の1首が載っています。

 

   住吉の四社明神の秋祭な寄せそ風浪これのきりぎし

 

 富田砕花は江井ヶ島や魚住のあたりを秋に訪れたようです。これらの歌には「浪」という言葉が繰り返されて、「しまきて(風が吹き巻いて、という意味)浪ぞ騒げる」「秋浪荒き」「な寄せそ(寄せてくるな、という意味)風浪」という言葉になっています。ふだんの江井ヶ島の様子とは少し異なる気持ちがします。

 住吉神社の秋祭りは播磨の沿岸地域で最も遅く催される祭りです。もともとは10月の29(宵宮)30(本宮)でしたが、現在は10月の最終土曜・日曜日の2日間に改めています。筆者は住吉神社を氏神としている地域に住んでいます。10月末の祭礼の日は、たいていは穏やかな日和に恵まれるのですが、折り悪しく寒風が吹き荒ぶような年もあります。富田砕花が訪れた年は、江井ヶ島や魚住のあたりが荒れていた年であったのかもしれません。笠金村の万葉歌とはずいぶん印象が異なります。

 富田砕花のスケールの大きい歌は万葉集を思わせて、古い言葉を多用することにも支えられて、私は大好きなのですが、笠金村の持った印象とは格段に異なるようです。

 

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2015年5月11日 (月)

日光道中ひとり旅(41)

古河宿から徳次郎宿まで(14)

 

街道風景と一里塚

 

 4月23日、最終日は徳次郎宿に向かって歩きます。天気に恵まれて、快晴です。

 奥州街道との分岐点から清住通りを歩きます。蒲生君平の墓があるというお寺【写真】に立ち寄りましたが、その墓はよくわかりませんでした。

 戸祭のあたりで道は国道119号に合流して、日光の社寺まで23㎞という表示【写真】に出会います。ちょっと元気が出てきます。

 しだいに街道らしくなって、並木が続くようになります【写真】。

 文星芸大のあたりに来ると並木が鬱蒼としてきますが、そこに一里塚【写真】があります。上戸祭の一里塚の説明【写真】によれば、江戸から28里の位置にあって、1983(昭和58)度に修復整備されたそうです。ちゃんとした一里塚が少ない日光街道ですから、このように残されているのを見ると嬉しくなります。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1970)  [全体編(11)]

辞典対象地域のこと②  笠金村の長歌と反歌

 

 江井ヶ島は、万葉集の歌に詠まれている名寸隅にあたります。明石を詠んだ万葉歌はたくさんありますが、名寸隅を詠み込んだ作品は笠金村の有名な長歌と反歌(短歌)に限られます。

 その歌には、「三年丙寅の秋九月十五日、播磨の国の印南郡に幸したまひし時に、笠朝臣金村の作りし歌一首 短歌をせたり」という詞書きがあります。その歌を記します。

 

935  名寸隅の 船瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘子 ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ ますらをの 心はなしに たわやめの 思ひたわみて たもとほり 我はそ恋ふる 船梶をなみ

 

 そして、「反歌二首」という文字があって、2首の短歌が続きます。

 

936  玉藻刈る海人娘子ども見に行かむ船梶もがも波高くとも

 

937  行き巡り見とも飽かめや名寸隅の船瀬の浜にしきる白波

 

 この歌が作られた「三年丙寅」とは神亀3年(726)のことで、笠金村は聖武天皇の印南野邑美頓宮への行幸に従っていました。

 935の歌は、「名寸隅の船瀬から見える淡路島の松帆の浦に、朝なぎに玉藻を刈って夕なぎに藻塩を焼いて海人娘子がいるとは聞くが、それを見に行くすべがないので益荒男としての心もなしに手弱女のようにしおれて、行きつ戻りつして私は恋い慕っている、船も梶もないので」という意味です。

 936は、「玉藻を刈る海人娘子たちを見に行ける船や梶があればよいのに、波が高くても」という意味であり、937は、「歩き回って見ても飽きが来ようか、名寸隅の船瀬の浜に後から後から寄せる白波は」という意味です。

 一連の歌は、宮廷歌人である笠金村が、淡路の松帆の浦を遠望して、そこに住む海人娘子たちを激しく恋い慕っている内容になっています。宮廷歌人として天皇の行幸に従っていたにしては、個人的な感情が述べられています。「ありとは聞けど」とあるように、人づてに聞いているだけであるのに、このように恋い焦がれるのは不自然だとも考えられます。そのような理由で、宴席での座興の歌ではないかという説もあります。

 このあたりの海岸はかつては浸食が激しかったのですが、現在は国土交通省の東播磨海岸の養浜事業によって広い浜辺が復活しています。渚に打ち寄せる「しきる白波」の様子は往古も今も変わらないと言ってよいでしょう。

 「行き巡り」の歌は、明石市魚住町中尾にある住吉神社の境内に碑が建てられています。住吉神社は、他の神社との区別のために中尾住吉神社とか魚住住吉神社と紹介されることもあります。

 なお、小倉百人一首には撰者と考えられている藤原定家自身の歌が入れられており、それ以降、松帆の浦は有名な歌枕となりました。その歌は、

  来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ

ですが、この歌は、笠金村の作を本歌としており、「松帆の浦」「夕なぎ」「焼く」「藻塩」の言葉が笠金村の歌から取られています。読み手が男性(金村自身)から女性(藻塩を焼く人)に変わっているのが、大きな違いです。

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2015年5月10日 (日)

日光道中ひとり旅(40)

古河宿から徳次郎宿まで(13)

 

宇都宮市内へ

 

 蒲生君平の勅碑【写真】と史跡・略歴の説明板【写真】を見てから、北に向かって歩き続けます。

 宇都宮簡易裁判所のところで広い道路に出ます。それを右に折れると国道119号です。

 しばらく行くと、日光街道と奥州街道の追分【写真】があります。その先の朝日坂【写真】はかつての宿駅の中心地で、東に向かって緩やかな下り坂になっています。

 東武宇都宮駅に宿を予約していますので、いったん宿に寄ります。8時30分に小金井駅前から歩き始めて、1500分まで、6時間30分歩いたことになります。歩数は3万7000歩弱、距離は24㎞弱です。

 明日は徳次郎の方向に向かいますから、一度、JR宇都宮駅まで往復して、市内を見ておきます。東武とJRの駅の間は片道20分ほどで、賑やかな町並みが続いています。

 二荒山神社【写真】を経てJR宇都宮駅【写真】に着きました。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1969)  [全体編(10)]

辞典対象地域のこと①  江井ヶ島音頭の思い出

 

 これから、しばらくの間、『明石日常生活語辞典』記述の主な対象地域である明石市大久保町西島と同・江井島のことを理解していただくために、この地域のことについての文章を、7回に分けて連載します。

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 小学校に通っていた頃、昭和30年より少し前のことです。

 学校で、「江井ヶ島音頭」という歌を教えてもらい、踊りを教わりました。そして、夏休み期間のある夜に、小学校の校庭で盆踊り大会が開かれました。1学期が終わるまでに子どもたちひとりひとりが行灯に絵を描いて準備しておき、当夜はそれをずらりと吊り下げている会場で、大勢の地域の人たちといっしょに踊りました。この催しは毎夏の風物詩となっていました。

 音頭の歌詞はいまだに憶えていて、メロディも頭から離れません。次のような歌詞です。

 

一 来いよ揃(そろ)たか 学校の庭に ヨイヤサ

   歌も新作 新踊り ヨーイヤサ

 二 向かい淡路も 踊りの頃か ヨイヤサ

   粋なとしまに 火がついた ヨーイヤサ

 

 一番の歌詞の「学校の庭に」は、もともと「お寺の庭に」となっていたのを、盆踊りの会場を校庭にしたから改めたのだということを聞いたことがありますが、真偽はわかりません。歌詞に三番以降があったのかどうかも、記憶にありません。今では、この江井ヶ島音頭を聞くことも絶えてしまいました。

 二番の歌詞に「としま」という言葉が出てきますが、富島は淡路の地名です。江井ヶ島から南南東の方向、海上で三里ほどの距離です。空気の澄んだ日には、富島にある「かんぼの宿淡路島」の船を模した形の白い建物が見えます。富島には江井ヶ島と同様に港があり、対岸の土地として親近感があるのでしょう。実は、富島港は兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の震源地である野島断層のすぐ近くです。地震の時は目の前に震源地がありながら、断層が神戸の方に向かっていましたから、幸いなことに江井ヶ島は大きな被害に遭わずにすみました。

 富島が粋な町と言えるのかどうかは疑問です。「としま」という言葉は掛詞になっていて、富島は年増と同じ発音です。対岸の富島に灯がともったという意味の他に、粋な年増の女性に火がついたという意味であることはすぐわかるのですが、小学生にはわかるはずもありません。けれども、盆踊りの華やかさの中で、なまめかしさが添えられている言葉に、にんまりしている大人がいたであろうことは想像できます。

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2015年5月 9日 (土)

日光道中ひとり旅(39)

古河宿から徳次郎宿まで(12)

 

宇都宮が近づく

 

 雀宮神社を過ぎたところで、国道4号が、東京から100㎞という地点【写真】になります。氏家まで26㎞と書いてあります。国道は宇都宮を経て氏家へ続くのですが、氏家は宇都宮から分岐する奥州道中の、2つ目の宿場です。

 JRの線路と最も接近したところが一里という地名です。一里塚があったからの命名だと思いますが、そのようなものは残っていません。一里踏切【写真】を貨物列車が通り過ぎますが、バス停も一里となっています。

 さきほどは東京街道という表示゛ありましたが、ここで日光街道という表示【写真】に出会って、心穏やかになります。日光まで31㎞です。

 JR日光線【写真】とは平面交差かと思っていたら、国道の下をくぐっていました。予想通りの単線です。

 宇都宮の町らしくなってきて、東武鉄道日光線【写真】と交差します。こちらは土盛りの高架ですが、やっぱり単線です。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1968)  [全体編(9)]

この辞典の性格

 

 この辞典は明石の方言について記述するものですが、出版に際しては、副題を「俚言と共通語の橋渡し」とするつもりです。

 方言は、音韻、アクセント、語法、語彙などをすべてひっくるめた言葉の体系ですが、方言辞典は語彙に注目して記述をしています。そして、その語彙は、俚言、すなわち地方的な特色を持った言葉を中心にして編集されているのが、方言辞典の大半のやり方です。そのような方言辞典を作ることはたいへん価値のある営みであるのですが、どの地域に住む人であっても、俚言だけを使って話したり聞いたりすることはできません。

 私たちは日常生活において方言を使って話したり聞いたりしているのですが、その「方言」は厳密に言うと、俚言と共通語(全国共通語と、地域の共通語)とを織り交ぜて使っているのです。

 ほぼ同じ内容のことを俚言でも表現でき共通語でも表現できます。まったく同じ意味だと思われる場合もありますし、微妙に異なる場合もありますが、俚言と共通語とをうまく使いながら言語生活を行っています。俚言と共通語は言語生活の両輪です。

 俚言と共通語を含めた辞典を作ることが、その土地の言語生活の有り様を如実に表すことになると考えます。

 『明石日常生活語辞典』にはさまざまな特徴を持たせようと工夫をしましたが、はじめに、そのうちの5つを書いておきます。

 ①この辞典は、類義語辞典の性格をそなえています。言葉と言葉を参照することを随所で行っています。俚言と共通語との区別は考えないで、その対照を行っています。

 ②この辞典は、辞典を編集している時点だけでなく、時間を遡って使われていた言葉も記述しています。

 ③この辞典は、話し言葉の要素が強いとして国語辞典などに採録されていない言葉を積極的に取り入れています。擬声語・擬態語などや、発音の変化した(訛った)言葉も多く書き入れています。

 ④この辞典は、すべての語義について用例を書き入れていますが、用例の文はすべて品詞分解をして、他の項目と対照できるようにしています。

 ⑤この辞典は、文法的説明を積極的に取り入れています。品詞名や活用の仕方などがわかるようにしています。

 

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2015年5月 8日 (金)

日光道中ひとり旅(38)

古河宿から徳次郎宿まで(11)

 

東京街道の不思議

 

 上三川町【写真】に入りますが、ほんのしばらくだけで、再び下野市になって、それから今度は宇都宮市【写真】になります。

 国道4号を北に向かって歩いているのですが、東京街道という表示【写真】に出会ってびっくりします。国道4号は日本橋から続いているのですから、北を意識すれば日光街道、南を意識すれば東京街道であって、何の不思議もないのですが、宇都宮まで来て突然のように東京街道と言われると、何故なのかと思います。首都の道路の中心地へ向かう道路は、東海道でも中山道でも、愛称を東京街道としてもよいはずですが、宇都宮まで来て唐突に言われると面食らってしまうのです。

 茂原正観音道という道標【写真】があります。この観音道は茂原観音へ多くの参詣者が通った道だと言います。

 雀宮本陣跡【写真】という標柱があります。宿場の本陣跡という目印はなんとも拍子抜けするものですが、そう言えば、石橋宿でも宿場らしきものに出会わなかったのでした。

 雀宮神社【写真】があります。小さな郷社ですが、将軍の日光社参ではこの神社に参詣するのが通例になっていたそうです。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1967)  [全体編(8)]

編集者としての立場

 

 私が『明石日常生活語辞典』を編集するという立場について説明をします。明石方言(細かくは明石市大久保町西島および同・江井島の方言)について、私には調査者(研究者)の立場があります。一方で、私は被調査者(話者)の立場があります。

 私は、かつて文化庁が全国で行った「各地方言収集緊急調査」の兵庫県調査員のひとりとして調査にあたりました。この緊急調査の実施時期は都道府県によって多少の違いがありましたが、兵庫県の調査は昭和58年から昭和60年の3年間にわたって実施しました。 その調査では、被調査者(話者)について、全国共通の要件がありました。その一つは、被調査者(話者)の年齢は調査時において60歳以上とするということでした。二つ目は、被調査者(話者)の居住歴はその土地で生まれ育ち、よその土地に住んだことのない人、あるいは、その期間が短い人とするということでした。他の土地で暮らしたことのある期間は2~3年以内でないといけないという制約がありました。

 この方言収集緊急調査を行った当時は、60歳以上の人の中には兵役で外国にいた経験がある人が多数ありました。全国各地の出身者と長い間にわたって生活をともにすれば言葉に影響があらわれるのは当然のことです。それとは別に、故郷を離れて大学生活を送ったり、会社員として各地を転勤したりした人は、被調査者(話者)としての資格を持たないとしたのでした。純粋なその土地の方言を記録しようとしたのですから当然のことでした。 もちろん、その要件がありましたから被調査者(話者)の選定には苦労をしました。私は神戸市の中でも古くから住み続けておられる方の多い地区を調査対象として選びましたが、被調査者(話者)の要件を満たす方は多くはありませんでした。とりわけ、結婚によって故郷を離れることの多い女性について被調査者(話者)の要件をそなえた方を見つけることはたいへんでした。

 さて、方言調査の上記のような要件に照らし合わせると、現在の私は兵庫県明石市大久保町西島の方言についての被調査者(話者)の要件を十分に備えていることになります。

 前述のように、私は生まれたところも、生活を営んできたきたところも、そして多分、私が生涯を終えるところも、住所は番地に至るまでまったく同じです。(正直に言いますと、結婚した当初の1970(昭和45)からの2年間の住所は兵庫県加古川市平岡町新在家ですが、現住所との距離は10㎞以内で、しょっちゅう実家と往来していました。)

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2015年5月 7日 (木)

日光道中ひとり旅(37)

古河宿から徳次郎宿まで(10)

 

ほんのしばらく古道の風情

 

 自治医大前の駅を通り過ぎたところで、国道4号から左へ入って、古い道をたどって歩きます。

 真っ青な麦畑【写真】があります。麦を作らない田圃は、冬から春にかけて殺風景な感じになってしまいますので、麦の青さを見ると嬉しくなります。私が子供の頃はどこにでも麦畑はありましたので、このような景色が懐かしいのです。

 いかにも旧道らしいところ【写真】を歩いていきます。国道の騒音もあまり聞こえませんし、人も車も通りません。

 それでもしばらく行くと、結局は国道4号に合流してしまいます。丸大食品の工場には大きな観音像【写真】が立っています。ちょっと違和感も覚えます。

 夕顔橋の石仏群【写真】は国道を背にして、肩身が狭そうです。屋根が何とも粗雑な感じです。その先で、国道352号をくぐって進みます。

 古墳を境内に持つ愛宕神社【写真】参道の前を通ります。JR石橋駅が近づいてきました。

 上三川街道入口というバス停【写真】は手書きで、こういうのを見ると心が和みます。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1966)  [全体編(7)]

空間上の範囲のこと

 

 この辞典は明石方言について記述しますが、明石市の言葉の平均的な姿を記述しようとするものではありません。

 基盤とする地点を限定的に言うと、兵庫県明石市大久保町西島(にしじま)および大久保町江井島(えいがしま)です。西島と江井島とは大字の名前です。2つの地域は合わせて「江井島」と呼ぶことが多く、小学校の校区が同じで、生活や文化の基盤が同じです。

 その西島と江井島で使われた言葉、使われている言葉を集めたのがこの辞典です。

 言葉の体系は、ひとりひとりが少しずつ異なったものを持っていると言っても過言ではありません。もし、私の身近にいる人がこれと同じような辞典を作ったとしたら、まったく同じものが出来上がるとは思いません。しょっちゅう聞いたり言ったりしている言葉は同じでしょうが、細かなところでは完全に一致するわけではありません。私の身近な隣人がこの辞典を見て、異議を唱えることがあっても不思議ではありません。

 この辞典を読んで、この言葉は使わないと言う人がいても不思議ではありませんし、別の言葉を加えるべきだと言う人がいても不思議ではありません。それはたくさん出版されている全国共通語の国語辞典が一冊ごとに異なるものであるということにも似ています。

 したがって、極端な言い方をすれば、この辞典は、兵庫県明石市大久保町西島に生まれて以来、ずっとそこに居住している私個人の辞典であると言ってよいと思います。極論すれば、全国共通語も使い、近畿地域に広く分布する言葉も使い、東播磨から神戸市西部にかけて分布する言葉も使い、もっと狭い範囲にしか分布していない言葉も使う、そんな私の語彙を並べ挙げたものです。ただし、このような辞典がこれまでになかったということも事実なのです。

 

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2015年5月 6日 (水)

日光道中ひとり旅(36)

古河宿から徳次郎宿まで()

 

小金井の一里塚

 

 宿泊した小山からとって返し、4月22日は小金井駅前からスタートです。

 小金井の一里塚【写真】は、明治初めの道路改修の際に、旧・日光道中の隣に国道が開通したので、左右の塚が取り残される形で保存されたと言います。江戸から22番目の一里塚【写真】は、かろうじて生き延びたのです。

 東海道や中山道には、このような一里塚はいくつもあったのですが、日光道中においては貴重なものです。東海道に比べて、日光道中の一里塚の消滅ぶりには驚きます。都市化という点では現在の東海道地域の方が進んでいるのですが、江戸時代が終わりを告げて明治となった頃の人々の関心の具合などが違っていたからなのでしょうか。その理由を知りたいと思います。

 領主陣屋跡【写真】も、その保存・継承においては、もっと力を注いでほしかったと思います。

 ゆっくり足を止めて見るべきものが少なくなりました。どんどん足を進めます。

 国道の左側で、下野市新庁舎の建設【写真】が進められています。このあたりが今後の市の中心になるのでしょうか。このあたりはJRの自治医大駅の近くなのですが、駅【写真】は、いかにも簡素なたたずまいです。駅前は医大前何丁目という表示になっています。現代的な地名表示には味わいがありません。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1965)  [全体編(6)]

時間上の範囲のこと

 

 言葉は父母から子へと伝えられていくものです。父母は、その父母から伝えられています。子は、さらにその子へと伝えていきます。

 自分を中心に考えると、祖父母や父母から伝えられ、子や孫に伝えていくものです。つまり、自分を真ん中に置くと5つの世代です。昔の言葉と言っても、それは自分にとっては祖父母や父母の言葉のことになります。後の世代に伝えていくと言っても、精々子や孫の世代まででしょう。

 この『明石日常生活語辞典』で記録しようとする言葉の範囲は、祖父母の世代、父母の世代、自分たちの世代という3世代が使っていた(あるいは、使っている)言葉です。

 それを子や孫の世代に伝えたいという思いがあって、『明石日常生活語辞典』を作るのです。

 子は、その子や孫に伝えていきます。孫は、さらにその子や孫に伝えていきます。さらに、孫の孫も、その子や孫に伝えていきます。言葉とはそういうものです。そのための一つの手がかりとしての『明石日常生活語辞典』です。

 個人的なことを述べて恐縮ですが、私の父母は大正生まれであり、祖父母は明治生まれです。私は昭和(戦中)の生まれです。私の子は昭和生まれであり、孫は平成生まれです。

 

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2015年5月 5日 (火)

日光道中ひとり旅(35)

古河宿から徳次郎宿まで()

 

小金井に着く

 

 下野市に入ります【写真】。下野市は2006(平成18)に国分寺町、石橋町、南河内町が合併して生まれた、人口6万人弱の市です。

 本日の終着点はJR小金井駅です。小金井駅前には1945(昭和20)の小金井駅戦災を伝える「平和の礎」【写真】があります。

 また、薄墨桜【写真】は既に葉桜の季節を迎えていますが、これは樹齢1500年と言われる国指定天然記念物・根尾谷薄墨桜(岐阜県本巣市)をもとに移植されたものです。

 旧・国分寺町は鉄道とともに発展してきた町で、小金井駅の宇都宮寄りには小山車両センターがありますが、駅前にはC57蒸気機関車の動輪【写真】がモニュメントになっています。

 駅前の観光案内所を訪れると、かんぴょう生産日本一という展示【写真】があります。およそ300年前から栽培が続けられているそうで、ユウガオの実を紐のようにむいている展示【写真】もあります。

 さて、この日は8時50分に古河駅前から歩き始めて、1650分に小金井駅に着きました。ちょうど8時間ですが、昼食で40分ほど休みました。歩数はちょうど4万歩。距離は26㎞ほどになります。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1964)  [全体編(5)]

日常生活語について

 

 『明石日常生活語辞典』は、兵庫県明石市地域の日常生活で使われている言葉、および最近まで使われていた言葉について記述します。

 この辞典は「日常生活語」という言い方をしますが、それは俚言に限らず、日常生活でごく普通に使う言葉を記述しようと考えるからです。

 個人の持つ語彙は、ひとりひとり異なりますが、その地域に住む人たちがほぼ共通して持っている言葉を「日常生活語」と考えます。言葉は伝達の手段として使われますから、自分ひとりだけに了解しうるようなものではありません。

 別の言い方をするならば、自分の意思や感情などを周囲の人に伝えようとする場合は、相手の人にも理解してもらえるような言葉を使います。自分にもわかり周囲の人にもわかってもらえるような語彙体系を持っていて、その中の言葉を使って伝達をし合っているのです。

 言葉は教育によって得られるという要素も多いことは否定できません。現代社会において教育を受けない人はいません。けれども、仮に組織的・系統的な教育を受けなくても日常生活の中から学んで身につけている言葉もあるはずで、それを「日常生活語」と名付けることにします。

 ただし、どのような定義をしようとも、ひとつひとつの言葉を「日常生活語」の範疇に入れるか入れないかについては、百人百様の考えがあることは承知しています。この辞典は、厳密な定義をして、どこまでが「日常生活語」であるというような堅苦しい議論はしません。最終的には、筆者の取捨選択にお任せくださいとしか言いようがありません。

 これは、なぜ『明石日常生活語辞典』を編集するのかという目的と関わることがらです。使用頻度が高い・低いとか、共通語の色合いが強い・弱いとか、その他いろいろな尺度を設けることは可能でしょうが、この辞典では数値的な処理を行うつもりはまったくありません。あくまでも明石の言葉で現に使っている、あるいは使っていたことのある言葉を記録することが、当面の私の目標です。

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2015年5月 4日 (月)

日光道中ひとり旅(34)

古河宿から徳次郎宿まで()

馬力神と馬頭観音

 日枝神社の欅【写真】は、3本が樹齢400年以上だそうで、参道の太い幹が立派でした。

 ほんの少し進むと「馬力神」【写真】という石碑があります。馬力神というのは、栃木県や宮城県などで見られるもので、愛馬の供養のために、幕末から明治にかけて建立されたようです。栃木県内には274基あるという調査結果もあります。

 もちろん近くには馬頭観音【写真】もあります。馬頭観音は中山道などでもおなじみのものですが、馬力神は地域的な傾向があるようです。

 馬は人間にとって、農耕の場だけでなく、運搬や建設現場でも力を発揮してくれました。その馬が倒れたときには深い悲しみがあり、それがこのような石碑に残されたのでしょう。

 さて、街道は新田宿に入りますが、特別なものは残っていません。大町新田宿と書いて、屋号を書いた板が玄関先などにつるしてあります【写真】。日光道中ではなく奥州道中となっています。

 おはやし後継者育成指定地区【写真】と書かれています。具体的にはどのようなものなのかはわかりませんが、民俗行事などの継承には大きな努力が求められていることは頷けます。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1963)  [全体編(4)]

言葉の働き②

 

 私たちは、基本的には、話し手(書き手)と聞き手(読み手)の了解の上で言葉を用いています。相手に通じなくてもよいから、私は自分の言いたいことを言うのだというような頑なな人はむしろ例外でしょう。書き手は、読み手にわかってもらおうと思って文章を書いているはずです。

 私たちは、背伸びをして難しい文章を読むことはあるでしょうが、むしろ自分に適した文章を選んで読んで、そこから糧を得ていることの方が多いのです。

 さて、方言の話になりますが、方言は話し言葉の世界です。そして、話し手と聞き手の間に、上に述べたような差はありません。易しい言葉を使って、日常の用を足しているのが方言の世界です。誤解しないでほしいのは、方言で話される内容はレベルが低いのではありません。易しい言葉を使って、考えや思いなどを相手に伝えているのです。さまざまな言葉を使って、方言で思想や感情を伝えることは可能です。日本語は、あるいは日本語の方言はそれだけの力を備えていると思います。

 私は長い時間をかけて『明石日常生活語辞典』を作りました。(完成までには、もう少しだけ時間が必要ですが、ほぼ最終段階に近づいています。)

 私がなぜ、このようなものを作ろうと考えたのかということをお話しして、その後で、この辞典の仕組みや凡例などについて述べていこうと考えます。

 

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2015年5月 3日 (日)

日光道中ひとり旅(33)

古河宿から徳次郎宿まで()

 

小山市内を行く

 

 正午を過ぎて、台湾料理店で昼食をとりました。ほっと一息ついて元気を取り戻します。

 再び歩き始めると、今度は国登録の有形文化財の酒蔵【写真】がありました。煉瓦造りの煙突、瓶詰め場、長屋門などが指定されているようです。

 小山宿は日本橋から数えて12番目の宿場です。小山宿通りという名前が書いてあります【写真】。町のあちこちには古いものが残っていますが、昔の宿場に関するものがあまり残っていないのは残念です。

 新幹線の駅でもある小山駅【写真】を横目に見て、歩き続けます。

 しばらく行くと、JR両毛線の踏切【写真】に出会います。1508分小山発、高崎行きの電車が通過していきましたが、高崎まではちょうど2時間かかります。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1962)  [全体編(3)]

言葉の働き①

 

 国語(と言うよりも、「日本語」と言うのがよいと思いますが…)を若い人たちに教えてきて、もう半世紀になります。この頃は、私と同世代かそれ以上の人たちに向けて話をする機会も多くなりました。

 学校における国語の授業は、学生や生徒のレベルよりも高い内容の教材を用いて、それを解説しているのではないか、だから教材が易しくて解説の必要がないようなものでは授業が成り立たない、という指摘があります。この指摘には謙虚に耳を傾けなければならないと私は考えています。

 例えば、古典の作品というものは、昔の言葉で書かれていますから解説が必要だという理由はわかりますが、それなら現代の文章はどうなのでしょうか。

 教室での授業ということを離れて言うならば、私は、文章は解説などを聞くこともなく、その文章をゆっくり、何度も読めばよいのではないかと思うようになりました。その文章を書いた人は、書き手として、読み手にじかに語りかけているのですから、読み手の私はそれを受け取ればよいのです。仲立ちとしての解説などは要らないと思います。解説が必要であるということは、書き手の工夫が足りないということになるのではないかとさえ思うのです。

 読み手にわからないだろうから解説をするというのは、おかしいのではないかと思うことの延長線上には、教育においては、その文章を読ませる適切な時期(成長段階)があると思います。生徒が未熟であって理解しにくいだろうから解説してやるのだというのなら、そんなことはやめて成熟する時期を待ってから、読むように奨めればよいのです。成人した大人向けに書かれた文章を、例えば中学生や高校生に読ませるのは不適切だと言わなければなりません。

 例えば古典の「源氏物語」などは、言葉の意味は理解できるとしても、成熟した大人の登場人物の心理や人情の機微をどこまで理解できるのでしょうか。大学入試に左右されるような古典教育は見直さなければなりません。

 ただし、学生や生徒に向けて、言葉についての教育が要らないと考えているわけではありません。話が国語教育の深みに入っていくことは差し控えますが、言葉は書き手が一定の読み手を想定して書いているのです。

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2015年5月 2日 (土)

日光道中ひとり旅(32)

古河宿から徳次郎宿まで()

 

間々田宿とジャガマイタ

 

 5月5日に行われる「ジャガマイタ」の祭りのポスター【写真】が目につくようになりました。

 江戸と日光のほぼ中間にあたる間々田宿に入ります。本陣跡を示す説明板【写真】がありますが、この宿は1843(天保14)の人口が942人と言いますから、野木宿の2倍近い規模です。

 間々田八幡宮【写真】はジャガマイタの行われる神社です。この祭りは毎年、田植えの時期を前にした5月5日に、五穀豊穣や疫病退散を祈願して行われています。頭が龍で体が蛇の、長さ15メートルを超えるものを子どもたちが担いで町を練り歩きます。そのかけ声が「ジャーガマイタ、ジャガマイタ」です。蛇は自治会ごとに作られて7体あると言います。

 その説明板【写真】によれば、ジャガマイタは国の選択無形民俗文化財に指定されているそうです。よく知られているのは重要無形民俗文化財ですが、それ以外のもののうちで、記録・保存・公開に際して経費の一部を公費による補助を受けることができるものとして選択されているのです。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1961)  [全体編(2)]

俚言と共通語

 

 『明石日常生活語辞典』は、兵庫県明石市の地域の日常生活で使われている言葉、および最近まで使われていた言葉について記述します。

 地域で使われている言葉を方言といいます。同じ日本語であっても、言葉は地域によって異なった発達を遂げて、音韻・語彙・語法の上で違った様相を見せています。方言とは、そのような言葉の体系です。個々の言葉(単語)を方言ということもありますが、本来は全体の体系を指す言葉です。

 ところで、「方言集」とか「方言辞典」とか言われるものは、その地域特有の言葉を収集したものが一般的です。地域特有の言葉は「俚言」と言いますが、その意味ではたいていの方言集は、俚言集であり俚言辞典です。

 私たちは日常の生活において、方言を使って話したり聞いたりしているのですが、その場合、俚言だけを用いて表現することは不可能です。山は「やま」であり、海は「うみ」であり、石は「いし」です。全国共通語と同じ言葉を使っています。もちろん、ある地域の方言において、「やま」という言葉が全国共通語の意味・用法とぴったり一致するとは限りません。

 俚言集は、それぞれの地域の言葉の有り様を特徴的に示していますから価値のあるものですが、俚言集はその地域で使われている言葉の全体像を示しているわけではありません。

 例えば兵庫県明石市に住む人は、共通語と同じ言葉をたくさん使っています。共通語は、全国共通語だけでなく、西日本に広がっている共通語、近畿地方で広く使われている共通語も使います。それとともに、もっと狭い地域だけで使うような言葉も使います。兵庫県に広がる言葉、兵庫県南部の言葉、明石の地域に限って使われる言葉……というように、幾層もの言葉の広がりがあって、その中で言語生活を営んでいるのです。極端なものとしてはごく狭い地域でしか使わない言葉もありますが、その数は、全体から見れば、ごくわずかに過ぎません。

 私は、兵庫県明石市方言で使われている言葉を、俚言や共通語(さまざまな流布範囲をもった共通語)という区別を設けずに記述しようと考えました。同じような内容を俚言と共通語の両方で表現することも可能です。よく似た意味を持つ言葉はお互いに参照できるようにします。それによって、俚言と共通語との関係も明らかになると考えるのです。互いに参照する言葉を示すことによって、この日常生活語辞典に、同意語辞典や類語辞典の性格も持たせようと考えました。

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2015年5月 1日 (金)

日光道中ひとり旅(31)

古河宿から徳次郎宿まで()

 

県内第2の都市、小山

 

 小山市【写真】に入ります。人口は16万人余りですが、宇都宮に次いで栃木県内2番目の都市です。新幹線の駅があり、鉄道交通の拠点でもあります。

 このあたりは梨や葡萄の栽培が盛んなようで、梨が白い花を咲かせていました【写真】。支考に「馬の耳すぼめて寒し梨子の花」という句がありますが、梨の花は晩春の風物です。

 国道4号を歩き続けていますが、「日本橋から」という表示がなくなって、「東京から」という表示になり、66㎞、67㎞、68㎞、69㎞とキロ数が増えていきます。逆に言えば、足を止めて見るようなものが少ないのです。70㎞地点では「国分寺まで16㎞」と書いてありました。

 登録有形文化財である小川家住宅【写真】は肥料問屋を営んでいた豪商です。隣に小山市立車屋美術館【写真】がありますが、車屋は小川家の屋号で、美術館の建物はかつての米蔵です。JR間々田の駅をちょっと過ぎた地点にあたります。

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【明石方言】 明石日常生活語辞典(1960)  [全体編(1)]

全体編を始めるにあたって

 

 『明石日常生活語辞典』の連載を始めたのは2009(平成21)7月8日のことでした。それは2012(平成24)9月13日まで続けて、1116回に達しました。

 しばらく休んでから、改訂版の連載を始めたのは2013(平成25)1月6日のことでした。それは2015(平成27)4月28日まで続けて、843回に及びました。

 この2つの連載は、明石の日常生活語の語彙の一つひとつについて記述をしたものです。個々の言葉についての記述に重点を置いて書き続けてきましたから、明石の言葉の全体像などについて書くことは後回しになってしまいました。

 語彙の記述に一応のめどが付きましたので、来年(2016)には出版をしようと考えています。語彙編の加除・修正はあと1年間ほど続けるつもりですが、プログでの語彙編の連載はいったん終えることにします。

 これからのブログは、いわば明石の言葉についての全体編です。語彙編に書き記していないことを書き綴っていきます。これは、出版に際しては、巻頭編や巻末編になるはずの内容と言ってよいでしょう。

 これまでの連載回数は合計で1959回に及びました。今回からは両方を合算した上で、1960回目としてスタートすることにします。

 これからの連載では、言葉についての私の考え方などを書いていくつもりですが、それとともに『明石日常生活語辞典』の記述の凡例にあたるようなことも書きます。気づいたことから書き進めるということになると思いますから、前後の秩序をやや欠いたものになるかも知れません。出版に際しては、順序を入れ替えたりして体裁を整えるつもりですが、ブログでの連載は、そこに至る過渡的なものであるということをご了解ください。

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