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2015年6月30日 (火)

【掲載記事の一覧】

 新しく「日本語への信頼」の連載を始めました。国会をはじめ、あらゆるところで言葉が弄ばれています。言葉はもっともっと内実の伴うものであるはずです。マスコミの世界も言葉だけが躍っているという感じは否めません。日本語についての私の思いを、具体的な事例にそって書いていきます。

 「【明石方言】 改訂最終版・明石日常生活語辞典」の全体編は、しばらく休載しています。近いうちに再開します。この辞典の修正・加筆作業は毎日続けておりますが、語彙編の完成原稿は、出版によって公表するつもりです。

 「日光道中ひとり旅」は、連載を終了しました。次は、奥州道中記を書く予定ですが、10月頃から書き始める予定です。

 ブログをお読みくださってありがとうございます。

 お気づきのことなどは、下記あてにメールでお願いします。

 gaact108@actv.zaq.ne.jp

 これまでに連載した内容の一覧を記します。

 

◆日本語への信頼 ()(11)~継続予定

    [2015年6月9日開始~ 最新は2015年6月30日]

 

◆【明石方言】 明石日常生活語辞典 ()(1998)~継続予定

    [2009年7月8日開始~ 最新は2015年6月8日]

 

◆日光道中ひとり旅 ()(58) 連載終了

    [2015年4月1日開始~ 最新は2015年6月23日]

 

◆新・言葉カメラ ()(18)~継続予定

    [201310月1日開始~ 最新は20131031日]

 

◆名寸隅の記 ()(138)~継続予定

    [2012年9月20日開始~ 最新は2013年9月5日]

 

……【以下は、連載を終了したものです。】……………………

 

◆中山道をたどる ()(424)

    [201311月1日開始~2015年3月31日終了]

 

◆江井ヶ島と魚住の桜 ()()

    [2014年4月7日開始~2014年4月12日終了]

 

◆言葉カメラ ()(385)

    [2007年1月5日開始~2010年3月10日終了]

 

◆『明石日常生活語辞典』写真版 ()()

    [2010年9月10日開始~2011年9月13日終了]

 

◆新西国霊場を訪ねる ()(21)

 2014年5月10日開始~ 最新は2014年5月30日]

 

◆放射状に歩く ()(139)

 2013年4月13日開始~ 最新は2014年5月9日]

 

◆百載一遇 ()()

    [2014年1月1日開始~ 最新は2014年1月30日]

 

◆茜の空 ()(27)

    [2012年7月4日開始~ 最新は2013年8月28日]

 

◆国語教育を素朴に語る ()(51)

    [2006年8月29日開始~20071212日終了]

 

◆改稿「国語教育を素朴に語る」 ()(102)

    [2008年2月25日開始~2008年7月20日終了]

 

◆消えたもの惜別 ()(10)

    [2009年9月1日開始~2009年9月10日終了]

 

◆地名のウフフ ()()

    [2012年1月1日開始~2012年1月4日終了]

 

◆ことことてくてく ()(26)

    [2012年4月3日開始~2012年5月3日終了]

 

◆テクのろヂイ ()(40)

    [2009年1月11日開始~2009年6月30日終了]

 

◆神戸圏の文学散歩 ()()

    [20061227日開始~20061231日終了]

 

◆母なる言葉 ()(10)

    [2008年1月1日開始~2008年1月10日終了]

 

◆六甲の山並み[言葉つれづれ] ()()

   [20061223日開始~20061226日終了]

 

◆おもしろ日本語・ふしぎ日本語 ()(29)

    [2007年1月1日開始~2009年6月4日終了]

 

◆西島物語 ()()

    [2008年1月11日開始~2008年1月18日終了]

 

◆鉄道切符コレクション ()(24)

    [2007年7月8日開始~2007年7月31日終了]

 

◆足下の観光案内 ()(12)

    [20081114日開始~20081125日終了]

 

◆写真特集・薔薇 ()(31)

    [2009年5月18日開始~2009年6月22日終了]

 

◆写真特集・さくら ()(71)

    [2007年4月7日開始~2009年5月8日終了]

 

◆写真特集・うめ ()(42)

    [2008年2月11日開始~2009年3月16日終了]

 

◆写真特集・きく ()()

    [20071127日開始~20081113日終了]

 

◆写真特集・紅葉黄葉 ()(19)

    [200712月1日開始~20081215日終了]

 

◆写真特集・季節の花 ()()

    [2007年5月8日開始~2007年6月30日終了]

 

◆屏風ヶ浦の四季 [2007年8月31日]

 

◆昔むかしの物語 [2007年4月18日]

 

◆小さなニュース [2008年2月28日]

 

◆辰の絵馬    [2012年1月1日]

 

◆しょんがつ ゆうたら ええもんや ()(13)

    [2009年1月1日開始~2010年1月3日終了]

 

◆文章の作成法 ()()

    [2012年7月2日開始~2012年7月8日終了]

 

◆朔日・名寸隅 ()(19)

    [200912月1日開始~2011年6月1日終了]

 

◆教職課程での試み ()(24)

    [2008年9月1日開始~2008年9月24日終了]

 

◆相手を思いやる姿勢と、自分を表現する力 ()()

    [200610月2日開始~200610月4日終了]

 

◆学力づくりのための基本的な視点 ()()

    [200610月5日開始~20061011日終了]

 

◆教員志望者に必要な読解力・表現力 ()(18)

    [20061016日開始~200611月2日終了]

 

◆教職をめざす若い人たちに ()()

    [2007年6月1日開始~2007年6月6日終了]

 

◆これからの国語科教育 ()(10)

    [2007年8月1日開始~2007年8月10日終了]

 

◆現代の言葉について考える ()()

    [2007年7月1日開始~2007年7月7日終了]

 

◆自分を表現する文章を書くために ()(11)

    [20071020日開始~20071030日終了]

 

◆兵庫県の方言 ()()

    [20061012日開始~20061015日終了]

 

◆暮らしに息づく郷土の方言 ()(10)

    [2007年8月11日開始~2007年8月20日終了]

 

◆姫路ことばの今昔 ()(12)

    [2007年9月1日開始~2007年9月12日終了]

 

◆私の鉄道方言辞典 ()(17)

    [2007年9月13日開始~2007年9月29日終了]

 

◆高校生に語りかけたこと ()(29)

    [200611月9日開始~200612月7日終了]

 

◆ゆったり ほっこり 方言詩 ()(42)

    [2007年2月1日開始~2007年5月7日終了]

 

◆高校生に向かって書いたこと ()(15)

    [200612月8日開始~20061222日終了]

 

◆1年たちました ()()

    [2007年8月21日開始~2007年8月27日終了]

 

◆明石焼の歌 ()()

    [2007年8月28日開始~2007年8月30日終了]

 

◆失って考えること ()()

    [2012年9月14日開始~2012年9月19日終了]

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日本語への信頼(11)

不易のコラムへの期待

 

 コラム「日本語への信頼」は、朝日新聞の「天声人語」を話題にすることから始めました。これからも、それは続けることになると思います。

 「パブリックエディターから」という文章(朝日新聞・大阪本社発行、5月23日・朝刊、10版、10)では、「天声人語」のことを次のように書いていました。

 

 いつ頃からという潮目がはっきりしているわけではありませんが、「天声人語」が話題にのぼる時、まるで時候の挨拶のように「最近の天声人語はつまらないね」「昔はもっと面白かったのに」というセリフを聞くようになりました。何が不満だ、というよりも漠然とした印象論。期待がそれだけ大きいことの裏返しかもしれません。

 

 同感です。ただし、「何が不満だ、というよりも漠然とした印象論」であってはいけませんから、具体的な指摘を、これからも書きたいと思います。「期待がそれだけ大きい」のですから、それに応えてほしいのです。

 毎月に1度ずつ、「ああ、またか」と思う文章があります。月末に書かれる「〇月の言葉から」というものです。その月のいろいろな人の言葉の中から引用してまとめるものです。6月30日にも、そんな文章が掲載されるのでしょう。既に聞き知っている言葉もありますから、改めて紹介してもらっても、感動が乏しいことがあります。

 もうひとつ、毎年1度ずつ、「やっぱり、またか」と思う文章があります。東洋大学が主催する現代学生百人一首から引用して紹介する文章です。学生や生徒の作品を高く評価しつつ、感想が添えられます。

 惰性というか、慣例というか、こういう文章には迫力がありません。理由の一つは、同じような体裁の文章が繰り返されたら、もうそれだけで新しみが失せてしまうということです。もう一つの理由は、他人の書いたものを引用して、断片的な感想を添えただけでは安易さがぬぐい去れません。書いている当人にとっては、楽な作業なのか、それとも逆に工夫が求められて苦しいのか、どちらにしても、読者としては面白みがありません。

 かつての「天声人語」は文章の長さの制約が緩やかであったのに、今は603字だと聞きます。文章に制限字数があるのは当然ですが、コラムの両端に広告を置いて、長くも短くもできない窮屈さというのは滑稽です。あまりにも形式的です。

 沖縄の新聞2紙をつぶせという馬鹿な発言があったら、それについて書かなければならないと考える必要はありません。終戦記念日にはそれに関することを書くべきだということを感じる必要もありません。

 新聞には社説があって、それは時流にそった話題になることは当然でしょう。それに対して「天声人語」のようなコラムは、もっとじっくりと構えたものであってよいと思います。流行は社説にまかせて、「天声人語」は不易を底流として、流行にも少し触れる、ということであってよいのではないでしょうか。

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2015年6月29日 (月)

日本語への信頼(10)

大和言葉は日常生活にあふれている

 

 ある雑誌の広告が掲載されていて、その巻頭特集が「使えば好印象と注目されて密かなブーム! 話題の大和言葉、分かりますか?」となっていました。(朝日新聞・大阪本社発行、6月16日、13版、7面の下欄)

 ずいぶん長い特集のタイトルですが、大和言葉が密かなブームだそうです。どのように密かなのかはわかりませんが、大和言葉に関心が向いているのは喜ばしいことだと思います。

 それと呼応するように、同じ日に書籍の広告も出ていました。『日本の大和言葉を美しく話す -こころが通じる和の表現』という書名です。(同紙・同日、13版、2面の下欄)

 大和言葉と言っても古めかしい言葉を連想する必要はありません。ごく普通の日常語の中に大和言葉はあふれています。漢字の音読・訓読のうちの訓読にあたる系列の言葉を思い浮かべればよいのです。

 私は今、『明石日常生活語辞典』を作りつつありますが、日常生活の言葉(方言)は、圧倒的に大和言葉の部類に入ります。ふだんは大和言葉を基本にして生活しているのですが、外から押し寄せてくる言葉の多くが漢語(音読する熟語など)や外来語であるのです。

 一方で、漢字ブームということも言われていて、言葉さえ知っておればワープロソフトで打ち出せますから、ずいぶん難しい文字を若者が使ったりしています。テレビの画面に難解な文字が登場することがあります。

 

 さて、今、大和言葉を大いに使ってほしいと思うのは、テレビの番組を作っている人や、その広報にあたっている人です。

 徹底調査、完全密着、独占取材、衝撃告白、完全無欠、史上最大、作戦敢行、最新情報、爆走SP、全記録、大作戦、最大級、初公開、激ウマ、超グルメ、……

 テレビ番組紹介欄を、手近な新聞から拾ってみても、このような言葉であふれています。これは一例に過ぎません。番組表はもちろんですが、番組の字幕などでも、激しい言葉を競争して使っています。文字は踊っていますが、貧困な語彙です。中身のない、大げさな言葉が多いのです。

 放送の番組表の発信は、特定の通信社が握っていて、全国の新聞社は、そこで作られた言葉を、いわば無批判に伝達しているようです。異なる新聞でも、番組表には同じ言葉が並んでいます。言葉を送り出す側の言いたい放題になっています。新聞社は取捨選択したり、言い換えたりする力も備えていないようです。いわば番組表のページは、全面広告に近い形であると思います。

 新聞社は、ジャーナリズムとか表現の自由とか、都合よくそんな言葉を使いつつ、記事の中には無批判そのもののページもあるのです。

 

 上に挙げたような空疎な漢語を、大和言葉で表現すればどうなるか。放送関係者は、一度、そんな頭の体操をしてください。四字熟語などではなく、ゆったりして奥の深い言葉に出会えるはずです。こんな大げさな熟語を毎日毎日使いながら、飽きることを知らない人が世の中に存在するのが不思議です。

 

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2015年6月28日 (日)

日本語への信頼(9)

語彙も発音も方言の個性です

 

 東京新聞のコラム「筆洗」の6月16日付の文章に興味を持ちました。はじめの部分を引用します。

 「東北地方の温泉宿に泊まった夫婦が散歩に出た。玄関で番頭が『じいさん、ばあさん、お出かけ』と言った。夫婦は黙っていたが、帰った時、再び『じいさん、ばあさん、お帰り』と言ったので、さすがに注意した。『ひどいではないか』。番頭はそんな失礼なことは言わないと否定する。調べると夫婦の部屋番号が十三番。福島、宮城、山形あたりでは『じ』も『ず』も『じゅ』も同音になりやすく『十三番さん』と言っていたのだが、相手には「じいさん、ばあさん」と聞こえた。言語学者の金田一春彦さんが書いている。」

 

 このコラムを読んで、思い出した文章があります。同じ金田一春彦さんの文章です。金田一さんが、どこかの食堂で食事をしていたら「金田一さん」と呼ばれました。あたりを見回しましたが知っている人はいないので不思議に思いました。しばらくすると、また「金田一さん」と呼ばれましたが、やっぱり知り合いはいません。そのうちに、その謎が解けたそうです。「金田一さん」という呼びかけに聞こえた言葉は、実は食堂の人が、注文を受けて、早口に「チキンライス、一丁」と伝えていた言葉であったというお話です。よく似た発音を、私たちは誤解して受け取ることがあります。

 

 この日の東京新聞のコラムでは、1950年の山形県鶴岡市の調査で、猫のことを「ネゴ」と言うと答えた人が37%あったのに、最新の調査では3%に減った、ところが「鶴岡弁らしく発音してみせて」と聞くと、9割近い人が「ネゴ」と言ったということを紹介しています。

 コラムの文章の趣旨は、われわれは状況や相手によって共通語と方言を上手に使い分けているようだ、ということです。

 しかし、方言はしだいに消えていくというのが通説です。福島原発事故の地元では、地域社会の人たちの避難先が多方面にわたり、方言の語彙で消滅する恐れがあるものがいくつもあるということを、東北大学の研究者が調査して、危惧しています。

 

 私たちの日常生活は方言の上に成り立っています。語彙は共通語と同じものをたくさん使っているでしょうが、音韻(発音)、文法、アクセントなどは、その地域がはぐくんできたものからは抜け出すことが難しいでしょう。それが、その地域の言葉の個性です。個性は大事にしたいものです。語彙も発音もアクセントも、東京になびく必要はありません。文法にすら、共通語とは異なる特徴を備えていることもあるのです。

 共通語と方言を上手に使い分けながら、方言を大切にしていきたいと思います。

 

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2015年6月27日 (土)

日本語への信頼(8)

「立ち上げる」から「立ち上がる」へ

 

 「立ち上がる」は自動詞です。「椅子から立ち上がる」のように、座ったり横になったりしている姿勢から体を起こして立つという意味で使います。また、「津波の被害から立ち上がる」のように、苦しい痛手を克服して活力を取り戻すという意味でも使います。「丼から湯気が立ち上がる」のように、目に見える形の気体などが上の方へ昇っていくという意味の使い方もあります。これらは、本来の日本語としての使い方です。

 それが転じて、「立ち上げる」という他動詞として使われるようになってから、久しい時間が流れています。機械やコンピューターを起動するとか、組織や計画を作り、動かし始めるという意味です。

 「立ち上げる」は外来語を使うのと同じような働きをしている、と私は考えています。何かを始めたり、何かが始まったりすることを「オープン」と言い、様々な内容に見境なく使っています。同様に「立ち上げる」も一種の流行語のごとく、何にでも使っています。「立ち上げる」と言っておけば、その内容によって、構想する、設立する、発足する、完成する……というような言葉の使い分けをする煩わしさを跳び越えてしまえるのです。安易な使い方です。

 

 そして、その「立ち上げる」が、自動詞の「立ち上がる」へ回帰していく現象が始まりました。こんな表現を見つけました。

 「バスやトラック、タクシー運転手が、脳ドックの半額ほどの『簡易脳検査』を会社や団体単位で受けられる仕組みが7月、立ち上がる。」(朝日新聞・大阪本社発行、6月22日・朝刊、13版、1面)

 「運転者に簡易脳ドック呼びかけ  事故予防へ集団検診 全国展開めざす」という見出しのついた記事の冒頭の文です。

 まるで何かがひとりでに動き始めるかの印象です。誰かが企画・立案をして、その機能を発揮させるための努力をしたに違いありませんが、そのようなこととは関係なく、ひとりでに「立ち上がっ」たという印象です。

 たぶん、これは他動詞「立ち上げる」に受け身の助動詞「られる」がつながった「立ち上げられる」を簡単に「立ち上がる」と言ってしまったのでしょう。

 「立ち上がる」という自動詞への回帰、それは、「他動詞+受け身の助動詞」の簡素な言い方として広がっていくのかもしれません。用例を注意深く探してみたいと思います。

 とは言え、そんな用例が見つからないことを望んでいます。他動詞の「立ち上げる」も、回帰してきた自動詞の「立ち上がる」もなくなってしまってほしいと願っているのです。

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2015年6月26日 (金)

日本語への信頼(7)

「レッテル」と一方的評価

 

 私が小学生の頃に、教室でレッテル集めが流行っていたことがあります。レッテルと言っても、やみくもに様々なレッテルというのではありません。

 私たちが住んでいるのは、神戸・灘の酒造地に対して、西灘という名前で呼ばれていたほど酒蔵が多く並んでいた地域です。集めたのは、一升瓶の前面に貼られているB5判よりちょっと小さいくらいのレッテルです。一つの酒蔵でいくつもの銘柄を出していましたから、種類は豊富です。子どもにとっても驚くほどきれいなレッテルがありました。半世紀も前であるのに、中には金色を使っている豪華なものもありました。

 それらのレッテルは酒瓶からはがしたものではありません。今から思えば、未使用のレッテルが何枚も、何種類も子どもの手に渡ったのが不思議です。たぶん親たちが、その酒蔵を勤め先にしていたとか親戚であるとかという、何らかの関係があったからに違いありません。一過性のブームでしたが懐かしい思い出です。それらの酒蔵も、ひとつ減り、ひとつ減りして、今ではわずかしか残っていません。

 

 こんなことを思い出したのは、現今の国会で「レッテル貼り」が流行っているという新聞記事を読んだからです。(朝日新聞・大阪本社発行、6月21日・朝刊、13版、5面)

 昨年7月14日の衆議院予算委員会での安倍首相の発言として紹介されているのは、次の言葉です。

 「私がレッテルを貼ったなら謝るが、海江田さんもレッテルを貼ったなら取り消していただきたい。海江田さんがまずレッテルを貼ったから、私もレッテルを貼った。レッテル貼りではなく中身の議論をすべきだと思う。」

 朝日新聞は、レッテル貼りの意味解説の欄で、「『レッテルを貼る』とは、『一方的に、ある評価・判断を下す』意味。」としています。

 一升瓶の銘柄や品質や製造元などの中身を表すために貼るのが酒のレッテルであるのならば、国会の議論の中身をわかりやすい形で示すのがレッテルとして表現された言葉なのでしょう。ある人物や事柄に対する、他人からの評価がレッテルです。自己評価(それは当然、良いことが強調されるはずですが…)のことをレッテルとは言わないようです。

 けれども、広い意味で言うと、キャッチフレーズとして使われている「アベノミクス」という言葉もレッテルです。自分で宣伝する場合はプラス面を強調しています。自分で貼るレッテルは宣伝文句になります。そして、他人が貼る場合は、「一方的に、ある評価・判断を下す」という、マイナス面が強調されることになるのでしょう。

 「レッテル」という言葉は、損な役回りを演じさせられています。それにしても、この場合に使われる言葉は、どうして「ラベル」ではなく「レッテル」なのでしょうか。「レッテル」には、缶や瓶にこびりついて剥がれない執拗さを感じてしまいますが、そのことが、比喩の言葉として効果を表すと思われたからなのでしょうか。

 

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2015年6月25日 (木)

日本語への信頼(6)

「聞き手」は聞き役に徹すべし

 

 新聞や放送のインタビューの「聞き手」は聞き役に徹すべきだと思います。聞き手が、話し手の先々を語っていくのは実に見苦しいものです。ベテランになればなるほど、自分は何でも知っているぞと言わんばかりに、聞き手の先を語ってしまいがちです。

 それはすなわち、「聞き手」が話し手を操縦して、話をさせているという印象になります。話を聞かせていただいているという姿勢が失せてしまいます。そのようなインタビューに接すると、インタビューを受けている人だけでなく、読者や視聴者も気持ちを落ち着けることができなくなってしまいます。

 朝日新聞に、各界の著名な人にインタビューする「人生の贈りもの -わたしの半生」という連載記事があります。元アナウンサー・エッセイストの山川静夫さんに聞く、10回の連載が始まりました。「聞き手」の名前もきちんと書いてあります。

 「質問」にあたる文が書かれていて、その後ろに答えにあたる文章が続きます。その「質問」に注目したいと思います。質問文の冒頭に、もとの記事にはなかった①②③…の番号をつけます。

 

①最近は、どんなテレビをご覧になりますか。

②アナウンサーが主役に返り咲くには、どうすれば。

③反対にダメなのは。

④最近、ラジオの方は。

⑤デジタルメディアは、ごらんになりませんか。

  (朝日新聞・大阪本社発行、6月22日・夕刊、3版、3面)

 第1回は話の導入ですから、相手の気持ちをほぐして、いろいろなことを語ってもらおうとする姿勢が見られます。「聞き手」としての位置はしっかりしています。

 

⑥山川さんのファミリーヒストリーを。

⑦いつごろからアナウンサーをこころざすように。

⑧玉音放送はおぼえていますか。

⑨戦後は旧制静岡中へ。

⑩それからは。

  (朝日新聞・大阪本社発行、6月23日・夕刊、3版、3面)

 第2回から、様子が変わってきます。⑥では、「ファミリーヒストリーを」述べるようにと、方向性を指示しています。これは必要なことでしょう。

 ところが、⑨の「戦後は旧制静岡中へ。」から、話がおかしくなっていきます。こういうことは、インタビューを受ける人が語るべきであって、「聞き手」が先に言うべきことではありません。まるで、あなたの履歴は調べておりますよ、と言わんばかりの言い方です。

 

⑪昭和27(1952)年大学進学で上京されました。

⑫ご両親の期待を一身に背負いながら、いつのまにか歌舞伎三昧の日々に。

⑬のめりこまれましたね。

⑭やがて大向こうの会に入会が認められたそうで。

⑮声を使うわけですから、ひょっとするとアナウンサー修業になりましたか。

  (朝日新聞・大阪本社発行、6月24日・夕刊、3版、3面)

 第3回は、その傾向がますます強くなります。⑪も⑫も⑭も、インタビューを受ける人が語る前に、「聞き手」が言ってしまってよいとは思えません。履歴は本人の口から話すべきことでしょう。この話題で話すようにという指示になっているのです。

 一つの段落のテーマを述べて、話にまとまりをつけようという意図があるのかもしれませんが、あまりにも強引です。「聞き手」が主で、「話し手」が従になってしまいます。

 実際の取材の場での話のやりとりは、この記事と同じではないでしょう。けれども、それをまとめる際に、一問一答のような形にして、その「問い」の部分が、このような言葉になるのはおかしいと思います。

 

 これと同じようなインタビューの例は枚挙にいとまがありません。ラジオの例を一つ挙げるならば、『これで生きるのが楽になる』(扶桑社発行)という本の随所に見られます。この本は「日曜はがんばらない」というラジオ番組から選んで、そのやりとりを再現しているのですが、ベテランの、元NHKアナウンサーの発言は、ゲストに語らせる前に肝腎なことを次々と言ってしまっているのです。ゲストについての予習は必要でしょうが、予習したことを次々と口に出すことは慎まなければなりません。

 

 さて、山川静夫さんに聞く「人生の贈りもの -わたしの半生」の第4回以降の「聞き手」の発言がどう変化していくのか、注目したいと思います。

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2015年6月24日 (水)

日本語への信頼(5)

一日中「モーニング」

 

 「コーヒー1杯には、2時間程血流をよくする作用があります。心臓の拍動を高めて血流を良くしてくれるため、朝が苦手な低血圧の方も、体を動かしやすくなる効果を得ることができます。」というのは、全日本コーヒー協会がモーニングコーヒーのことを広報しているホームページの言葉です。

 私には、毎朝必ずコーヒーを飲むという習慣はついておりませんが、喫茶店のモーニングサービスを利用することが、どこかへ出かけた時などにはあります。

 喫茶店などのモーニングサービスには、コーヒーなどの飲み物の他に、トースト、ゆで卵などがついています。店の案内によると、9時までとか10時までとか書いてあります。朝の時間帯に限っているからモーニングサービスです。朝食代わりの手軽な飲食物を割安な料金で提供するということが、この言葉の定義なのでしょう。

 中京圏ではモーニングサービスの種類や量などが他の地域とは桁違いになっているというテレビ報道を見たことがあります。トースト、ゆで卵、サラダ、フルーツなどと種類が広がり、量も多くなっているようです。このサービスの発祥地が一宮市だとか豊橋市だとか言われており、競争も激しいのでしょう。

 街を歩いていると、最近は「午後2時までモーニング」などと書いてあり、中には「一日中モーニング」という看板も見かけるようになりました。そうなると、この言葉の定義も、飲み物とセットにした軽食を割安な料金で提供すること、というように変化してきているのでしょう。店の営業姿勢などの変容によって、言葉の意味もたえず変化しているようです。こうなってくると、和食の食堂にもモーニングのセットがあったり、夜中にモーニングがあったりしても、おかしくはないということになるのでしょうか。

 この「モーニングサービス」は和製英語だという指摘があります。英語で言うモーニングサービスは、キリスト教の日曜日の朝の礼拝を指しているというのです。

 ところで、和製英語という言葉は、英語にない表現であったり、英語とは違った意味で使ったりしている場合に、そう呼んでいるようです。衣生活に関係のあるミシンやアイロンは、日本語では、英語の意味の一部に限定して使っていますし、発音もずいぶん崩れています。これも和製英語の範疇に入るのでしょうか。

 出自が外国語であっても、日本語の文脈で使われる言葉は外来語です。外来語は外国語ではありません。その外来語は本来の外国語の意味・用法に基づいて日本語に取り入れていますが、時間が経つにつれて、外国語の意味や発音からずれていっても仕方がないでしょう。日本語の中で咀嚼をし続けているのですから。

 このように考えると、モーニングサービス(あるいは単に、モーニング)という言葉に、キリスト教とは関係のない意味が与えられたり、朝という時間帯に限らない意味が加わっていくのも、外来語という趣旨からすれば大きく外れていないのかもしれません。ただし、私の気持ちとしては、朝という時間帯に関係なくモーニングと称することには違和感があって、納得できない部分が残り続けます。

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2015年6月23日 (火)

日光道中ひとり旅(58)

徳次郎宿から日光まで(15)

 

鉢石を見る

 

 今市で見たのと同じような並木寄進碑【写真】が建っています。緑に埋もれているような風情です。

 大谷川を渡って街へ入っていきます。板垣退助の像【写真】があります。戊辰戦争の時、日光東照宮を戦火から守った縁で、ここに像が建てられたようです。

 宿場の名となっている鉢石【写真】は、表通りから入った、狭いところにありました。地中から突起した岩盤の一部【写真】ですが、鉢を伏せたような形に見えます。日光道中の最後の宿場として、このあたりは賑わったことでしょう。

 

 今回で日光道中の連載を終わります。実は、この日、JR日光線の電車で宇都宮に出て、追分(日光道中と奥州道中の分岐点)から、奥州道中に入りました。現在のところ、白沢宿を経て氏家宿まで歩き終えました。けれども、この続きは9月に歩く予定です。奥州道中の連載は秋(10月頃?)に始めるつもりです。

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2015年6月22日 (月)

日光道中ひとり旅(57)

徳次郎宿から日光まで(14)

 

静かな道を下る

 

 東照宮の本社を修理する際に祭神を移して祀る御仮殿【写真】は重要文化財です。仮殿が常設されているのは珍しいことのようです・

 赤い殿舎が背後の緑に映えています【写真】。

 そこから後は、観光客のルートとはなっていない道をたどって下ることにしました。これが、静かでなかなかよろしい。途中に御旅所などがあります。最後は石段となって、降りきったところに、世界遺産と刻んだ石【写真】がありますが、半ば放置されている感じは否めません。

 この石段は二社一寺の参道【写真】となっていますが、この道を歩いて上る人はいないのでしょう。お手軽観光客とは無縁の道で、独り占めするのはもったいないと思うほどでした。

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2015年6月21日 (日)

日光道中ひとり旅(56)

徳次郎宿から日光まで(13)

 

大猷院と輪王寺

 

 二荒山神社の石段を下って右に折れると、大猷院霊廟【写真】があります。輪王寺は、徳川家光の眠る霊廟をはじめ、日光山内の仏教関係り堂宇を総称したものです。

 家康を敬愛していた家光は自らも日光に眠ることを望んで、この地に廟【写真】が作られました。東照宮が白と金を基調としているのに対し、大猷院は黒と金を基調にしています。

 東照宮が建立されるはるか前、766(天平神護2年)創建の輪王寺【写真】は、日光の中心に腰を下ろしています。

 重要文化財の黒門【写真】は、輪王寺の表門です。明治4年に本坊が焼けたときに、ただ一つ焼け残った建物だと言います。

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2015年6月20日 (土)

日光道中ひとり旅(55)

徳次郎宿から日光まで(12)

 

森閑とした二荒山神社

 

 高校野球ではトンボと言いますが、神社では何と言うのでしょうか。神官がそれを引っ張って文様をつけていきます【写真】。東照宮前に比べると、こちらは実に静かです。

 夫婦円満のご神木の夫婦杉というのが立っています。その奥の方には、ご神木の三本杉【写真】があります。こちらには注連飾りがしてあります。この神社にはいくつものご神木がありますが、いずれも神々しい感じがします。

 拝殿【写真】は朱色です。その横にある末社日枝神社の本殿は保存修理工事が行われています。

 神門【写真】を通って、来たときとは別の石段を下ります。

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2015年6月19日 (金)

日本語への信頼(4)

「真逆」と「まあギャク」

 

 朝日新聞の「ことばの広場-校閲センターから」という欄で、「真逆」という語が取り上げられていました。(6月17日掲載、大阪本社発行、10版、13)

 新しい言葉には抵抗感を示すことが多い私ですが、この言葉については少し違ったとらえ方をしています。

 この記事では、2011年度の文化庁の「国語に関する世論調査」の結果なども引用しながら解説し、「今や『正反対』をしのぐ勢い」という見出しを付けています。

 法政大学教授のコメントも紹介していますが、その「訓読み()と音読み(ぎゃく)が交ざった『湯桶読み』をする珍しい熟語」という解説には異を唱えたいと思います。

 この記事の中に、「……出演者が使った『真逆』という言葉に、ベテランのアナウンサーが抵抗感もなく受け答えしていることに驚いたそうです。」という文がありますが、たぶんこれは「まぎゃく」と三音節で発音したのでしょう。

 ここからは、私の日常生活の言葉(いわば、方言)と、共通語との関係です。

 関西では一音節の言葉を長音にする傾向が強くて、「真」は「まあ」となります。「まあ後ろ」「まあ前」とか「まあ東」「まあ西」と言います。その場合、「真後ろ」の「まあ」と「後ろ」は密接な一語になっているという印象ではなく、「まあ」は瞬間的な呼吸を置いてから「後ろ」にかかっていく、いわば修飾語のような働きをしているように感じられます。

 例えば「まあ正面」は、先に引用した「訓読みと音読みが交ざった『湯桶読み』をする熟語」にあたります。話題になっている「真逆」にあたる日常語は「まあ反対」であって、これも湯桶読みです。湯桶読みは珍しいことではありません。私たちの地域の日常生活の言葉としては、「まあ逆」と言っても、何の違和感もありません。

 「真()」について言うと、「真逆」と文字に書く印象と、「ま逆」という共通語の発音から受ける印象と、「まあ逆」という長音化した日常語の使い方とは、それぞれ異なった印象を受けるのです。「まあ逆」は滑らかな響きを持つ言葉であると思います。

 言葉にも、地方分権的な視点を持つことは大切なことだと思います。

 

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日光道中ひとり旅(54)

徳次郎宿から日光まで(11)

 

東照宮前から二荒山神社へ

 

 1617(元和3年)に徳川家康の霊廟として創建された日光東照宮【写真】は、3代将軍・家光による寛永の造替で、現在の社殿に生まれ変わっています。

 五重塔【写真】は、大名が奉納したもので、この免震構造は東京スカイツリーにも応用されていると言います。「日光を見ずして結構と言うなかれ」ですが、時間の都合で陽明門は見ないで過ごします。実は、小学生の団体が石段を上って拝観に行こうとしているのに出くわしたことも、敬遠した理由の一つです。

 左手斜めの道をとって、石灯籠の並ぶ神社への参道【写真】をたどります。

 山岳信仰の中心であり、我が国の神仏習合のルーツと言われる日光二荒山神社【写真】は人影があまりありません。

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2015年6月18日 (木)

日光道中ひとり旅(53)

徳次郎宿から日光まで(10)

 

太郎杉から長坂の表参道へ

 

 大谷川を渡って左に折れます。堂々とした太郎杉【写真】が見えます。このあたりで最も大きな杉です。樹齢は550年と言われますが、昭和30年代の道路拡張に際して、伐る・伐らぬという論争になり裁判にまでなった木です。

 二社一寺への表参道【写真】を上ります。長坂と言われている道です。すがすがしい道が続きます。人に出会わぬのが嬉しいことです。

 途中に、長坂の滝【写真】があります。落差はありますが、水の落ち口はささやかなものです。

 坂を上りきると勝道上人像【写真】があります。

 芭蕉が「奥の細道」で訪れたのは4月1日でした。夏のはじめです。今年の5月27日は旧暦の4月10日にあたります。私の旅は、芭蕉より少し遅れているのです。

 

  卯月朔日、御山に詣拝す。往昔、此の御山を二荒山と書きしを、空海大師開基の時、日光と改め給ふ。千歳未来をさとり給ふにや、今此の御光、一天にかゞやきて、恩沢、八荒にあふれ、四民安堵の栖、穏やかなり。猶、憚り多くて筆をさし置きぬ。

  あらたうと 青葉若葉の 日の光

 

 空海大師の開基というのは、勝道上人の思い違いですが、「あらたうと青葉若葉の日の光」という新緑は今が盛りです。

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2015年6月17日 (水)

日光道中ひとり旅(52)

徳次郎宿から日光まで()

 

大谷川の神橋

 

 5月27日、快晴です。7時40分、ホテルを出て、日光の二社一寺に向かって、広い道路【写真】を歩きます。人通りはごく僅かです。なだらかな山並みが迫っています。日光のひめこまつ碑、日光郷土センターなどを見ながら進みます。

 日光物産館【写真】は国の登録有形文化財で、ここで大谷川【写真】を渡ることになります。

 神橋へは、別の入り口【写真】があり、橋の古材が展示されています。20年に一度の間隔で修理・造替が行われてきています。

 一般の車道・人道は神橋に並行して架けられていますから、神橋を間近に眺めることができます。

 朱塗りの神橋【写真】は二荒山神社の所有で世界遺産に含まれています。二社一寺への玄関で、日光開山の祖である勝道上人のゆかりの橋です。

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2015年6月16日 (火)

日光道中ひとり旅(51)

徳次郎宿から日光まで()

 

日光駅前に着く

 

 JR日光駅【写真】は、私鉄・日本鉄道時代の1890(明治23)に開設され、現在の2代目駅舎は1912(大正元年)にできています。洋風木造2階建てで、全国の木造駅舎の代表格です。関東の駅100選に入っているのは当然のことです。それにしても1日の乗車人数が1000人を割っているのは残念なことです。

 JR駅から東武駅への道の中程に、「JR新宿-東武日光直通特急列車乗り入れ記念碑」【写真】があります。2006(平成18)から「日光」「きぬがわ」号として運行されています。関西と違って東武、小田急などは狭軌ですから、JRとの相互乗り入れが優等列車で実施されています。

 東武日光駅前の広場に、標高543メートルの表示【写真】があります。

 東武日光駅【写真】は、1929(昭和4年)に開業しています。山小屋を思わせる三角屋根の駅です。特急の観光列車の発着駅ですが、それでも、1日の乗車人数は3000人程度です。

 5月26日。バス停の上徳次郎を出発したのが1015分で、日光駅前に着いたのが17時ちょうどです。6時間45分をほぼずっと歩き続けて、歩数は3万7700歩、距離は24㎞余りになりました。

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2015年6月15日 (月)

日本語への信頼(3)

機械の顔色を見ながら文章を書く時代

 

 大学の入学試験で出題する小論文をコンピューターで自動採点しようとする試みが大学入試センターの研究者のもとで進められているというニュースに接したのは、ちょうど10年ほど前のことでした。こういうことを研究テーマにしている人が存在することは驚きであるとともに恐ろしさを感じました。このシステムが実用化されると、採点に時間がかかり、採点者によってばらつきが出やすい小論文の判定に威力を発揮しそうだ、というのが新聞報道の要点でした。

 この時は、ホームページにもそのシステムが公開されましたので、自分で書いた文章などを判定してみました。800字から1600字の文章が対象で、①文章の形式(5点)、②論理構成(2点)、③問題文に対応している内容かどうか(3点)の、10点満点で判定するというものでした。

 私はいろいろ試してみて、連載コラムを担当していた雑誌『月刊国語教育』に感想などを書きました。ほぼ同時期に、ある日本語学者が雑誌『日本語学』に同様の文章を寄せていました。もちろん、このシステムを評価するつもりはありませんでした。

 

 さて、このたび、2020年度から始まる大学入試の新テストで、記述式問題でコンピューターによる採点支援を検討しているというニュースが報じられました。(朝日新聞・大阪本社版、6月14日・朝刊、13版、1面トップ記事)

 10年前のニュースに比べると、「採点支援」という言葉からもわかるように、ずいぶん後退しているように感じました。当然のことです。

 記事の中にこんな一節があります。「例えば正解に必要な単語の有無をコンピューターが判断し、無ければ、採点する人に示すことなどを想定している。」

 なんと安易な考え方でしょうか。単語の有無をコンピューターが調べるのは容易なことでしょう。けれども、それならば、どんなに下手な文章を書いていても、必要な単語があれば第一段階はクリアーすることになります。

 日本語は豊富な語彙に満ちています。正解に必要な単語と同じ意味のことを他の言葉で表現することも可能です。けれども、このシステムでは、表現の工夫や、文章の美しさなどという観点はどこかに忘れられてしまうことでしょう。

 短い文章を書かせて、その中に必要な単語があるかどうかということを判定するというやり方は、いくつかの選択肢を設けてその中から正しいものを選び出させるという設問とどれだけ異なるのでしょうか。一見、表現力を試すような出題をしているように見せかけながら、荒っぽい処理で済ませてしまったなら、本来の出題意図が実現できません。

 また、記事にはこんなことも書かれています。「膨大な量の答案をさばくには人手だけでは不十分なため、コンピューターによる採点支援も検討されている。こうした取り組みを巡っては、小論文で自動採点システムの開発が進められたケースもある。」

 この表現によると、冒頭に書いた小論文の自動採点システムは開発を推進することができなかったということであるようです。無駄な努力でした。人が心の中から絞り出して表現したものをコンピューターが荒々しく採点するという不謹慎は挫折するのが当然であると思います。

 機械の顔色を見ながら文章を書くという時代、あるいは、機械の癖を読み取って対策を立てるような文章を書かねばならない時代には、教育とは無縁のものがはびこっていくような危惧を感じるのです。

 こういうものによって採点されることがない時代に生きてきた私は、ずいぶん幸せな世代であると言うべきでありましょう。

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日光道中ひとり旅(50)

徳次郎宿から日光まで()

 

砲弾打込杉と並木太郎

 

 今市宿の標柱【写真】があって、町並みを歩いていくと、あっと言う間に町が終わって、杉並木がはじまります。ふたたび鬱蒼としたところを歩きます。

 並木ははるばると続いて、人と出会うことも少ないのです。

 砲弾打込杉【写真】は戊辰戦争の時に、官軍が幕府軍を攻撃した際に前哨戦を行ったところです。そう言えば、杉の幹が凹んでいるように見えます。ここの道端には、珍しくベンチが置かれています。今市からここまで毎日散歩をしているという80歳代の人が休んでいましたので、しばらく話をします。

 それからまた、てくてくと歩き続けます。右側に東武の電車、左側にJR日光線の電車を、ときどき見かけます。国道と2本の鉄道とが狭いところを寄り添って通っているのです。並木太郎という杉の木【写真】は、周囲5メートル35センチ、高さは38メートルという堂々とした木です。

 志渡渕アンダー【写真】というのはJRの下をくぐる道路ですが、アンダーというのは関西には見られない名付け方です。

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2015年6月14日 (日)

日光道中ひとり旅(49)

徳次郎宿から日光まで()

 

一本杉の船村徹

 

 東武鉄道のガードをくぐってから少し行くと、道の右側に出られるようになっていて、そこへ行くと東武の線路を見渡すことができます。折しも下今市から栃木市方向への電車【写真】が走ってきました。

 追分地蔵尊のところまで行くと杉並木がいったん途切れます。この追分は日光道中と日光例幣使街道の分岐点で、例幣使街道の方へも立派な並木【写真】が続いています。

 すぐ近くで、右手へ報徳二宮神社の参道【写真】が伸びています、寄り道はしないことにします。

 広場があって「船村徹記念館」【写真】があります。作曲家の船村徹は栃木県塩谷町の生まれで、今市中学校(旧制)の出身ですが、ここに記念館があるのを知りました。なんと今年の4月27日にオープンしたばかりということです。青木光一(柿の木坂の家、など)、村田英雄(王将、など)、春日八郎(別れの一本杉、など)、北島三郎(なみだ船、など)、島倉千代子(東京だよおっ母さん、など)、美空ひばり(哀愁波止場、など)、その他、大勢のヒット曲を作曲している人です。知っている歌が山ほどありますから、記念館に寄りたい気持ちがつのりますが、日光駅前までの道を急がなければなりません。

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2015年6月13日 (土)

日光道中ひとり旅(48)

徳次郎宿から日光まで()

 

杉並木を横切る高架線

 

 車の通行を禁止した区間が終わって、しばらく行くと杉並木が切れて、町中に入ります。ここも水無という地名です。

 日光市街(今市)まで6㎞、日光の社寺まで14㎞という表示【写真】があります。コンビニとか民家とかがあって、しばらくは普通の集落に戻ったようになります。下水無、上水無というバス停が続きます。

 そして、ふたたび杉並木にはいると、舗装されていない道【写真】になります。車の通行は禁止されていませんが、車には出会いません。来迎寺というお寺の前を通って、再び本格的な杉並木の中を歩くことになります。

 一里塚【写真】がありますが、日光杉並木街道一里塚と書いてあります。少し進むと、右側に、これまで何度か見た、水道の接合井があります。

 そこから10分足らずで東武鉄道と交差します。実は勝手に想像していたのは、杉並木が途切れたところで平面交差をしているのだろうと思っていましたから、杉並木を突き切るように高架で横切っている【写真】のには驚きました。ただし、大きな杉の木の足元を通り過ぎているような印象です。

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2015年6月12日 (金)

日本語への信頼(2)

論理の飛躍、論理の欠如

 

 そんな文章を読まされるたびに、そんな言葉を聞かされるたびに、「また同じことを繰り返している」と思って、不愉快になることがあります。

 今朝(6月12)もまた、性懲りもなく同じように書いている文章に出会いました。次のように書いてあります。

 

 神戸の灘中学・高校で長く教壇に立った。教科書を用いず、中勘助の小説『銀の匙』一冊を中学の3年間かけて精読する授業で知られた。ガリ版刷りの自作の教材を配る。作品に桃の節句が出てくれば、端午の節句や七夕にも及ぶ。大きく「横道にそれる」教え方だった。

 

 6月12日の朝日新聞「天声人語」は、第1段落で橋本武さんのことを紹介して、第2段落で上記の文章が続きます。

 橋本さんが話題になると、ほとんどすべての新聞や放送が、同じような色合いになります。人真似の文章を読まされるのですから、読む側には不愉快さが増幅します。

 学校教育法の第34条には「小学校においては、文部科学大臣の検定を経た教科用図書又は文部科学省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない。」と書いてあります。国公私立の別を問わず、すべての公教育に適用されます。

 ここで言う「小学校」は中学校や高等学校にも準用されます。こんなことは学校教育に携わる教員はすべて心得ております。知らないのは報道関係者です。あるいは、知っていながら知らないふりをして文章を書いているのかもしれません。

 そんな基本的なことを述べないで、教科書を使わないで行った素晴らしい授業という色合いで、読者・視聴者をある一定の方向に誘導しようとしています。この法律を知らない人には、間違ったイメージを植えつけてしまいます。

 教科書検定のことが話題になる時期になると論調は一変します。どんなによくない教科書を使ったとしても、(あるいは、教科書なんかを使わなくても、)教員が授業に工夫をすれば教育の質を上げることはできる、などという論調は聞いたことがありません。

 ひとつひとつの話題に応じて、論理が飛躍しているのです。あるいは全体を貫く論理が欠如しているのです。ひとりの新聞記者が、さまざまな話題に関して、すべての分野の専門家であるはずはありません。そんなことはわかっていますが、報道に携わる人は、人真似をせずに、謙虚にものごとを見つめて、静かに文章を書くことが大切です。

 橋本先生を批判しようと思っているのではありません。遠い昔、私は一度だけ橋本先生にお会いした記憶があります。ずっと以前からこのような授業をされていることは知っていましたし、すごいことだと感じておりました。

 灘中学・高校が生徒に教科書を買わせていないはずはありません。その教科書をまったく使わないで授業を進めたら、生徒も保護者も奇異に思うでしょう。衝撃的に、「教科書を用いず」という言葉で切り捨ててよいはずがありません。文章には当事者への配慮と、読む人への配慮が不可欠なのです。

 ところで、この日の「天声人語」で言いたいことは、文部科学省が国立大学に向けて、人文科学系や教育養成系の学部や大学院を見直すように求めた通知のことです。文章の半分ほどを橋本さんの話題に費やしながら、それは話の「まくら」に過ぎなかったという、後味の悪い文章でもありました。

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日光道中ひとり旅(47)

徳次郎宿から日光まで()

 

人と車と並木道と

 

 杉並木はしだいに狭い道になってきます【写真】。日の射しているところと射してないところとがありますが、こんもりとした並木の中を歩いていますから、暑さとは無縁です。

 これまでは時々、車と出会うことがありましたが、いっさい車の通行を禁止する区間【写真】があります。車の排気ガスや振動から並木を守るためと書いてありますが、当然のことでしょう。歩行者にとっても嬉しい処置です。

 国道119号、日光市大沢町【写真】という表示があり、舗装道路には白線が引かれたままですから、車に出会っても不思議ではないという雰囲気ですが、車は少し離れた左側のある道を走っています。

 水無一里塚【写真】には御成街道という文字が見えます。こんもりと盛り上がったところがありますが、あたり全体は成長した木々に囲まれています。

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2015年6月11日 (木)

日光道中ひとり旅(46)

徳次郎宿から日光まで()

 

旧・今市市を歩く

 

 「そばのまち今市」という看板【写真】があります。ところで、この看板には今市市・今市市観光協会という名が書かれています。日光市が、今市市などを含む周辺市町村を合併したのは2006(平成18)3月ですから、もう10年近く経っています。かつてのままの看板が残っているのは、今市の側の誇りゆえのことかもしれません。

 先ほど見た道路標識は、日光市街まで10㎞、世界遺産日光の社寺まで18㎞となっていましたが、ここで言う「日光市街」は今市の町のことのようです。

 「ようこそ杉並木の街今市へ」という歓迎の標柱【写真】があります。いよいよ日光杉並木がはじまります。日光市大沢から日光駅前までの国道119号の他にも、日光例幣使街道や会津道などにも杉並木があります。太さ30㎝以上の杉は1万3600本もあり、世界一距離が長い並木道です。杉は日光東照宮の神木でもあります。

 今市の山口地区に並木寄進碑【写真】が建っています。徳川家康からの3代に仕えて、東照宮造営の奉行も務めた松平正綱のことが記された石碑です。4箇所に建てられているものの一つです。

 日光杉並木街道がはじまりましたが、特別保護地域を示す標識【写真】があります。この標識を見ていくと、普通地域、保護地域、特別保護地域に分かれていることがわかります。

 天候に恵まれ過ぎて、熱い日射しが降り注いでいますが、並木のあるところが多いので、歩きやすい一日です。

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2015年6月10日 (水)

日光道中ひとり旅(45)

徳次郎宿から日光まで()

 

宇都宮市の北西端を行く

 

 田川という川は、これまで道の右側に沿って流れていましたが、街道の左側に移ります。細い川の橋を渡ります【写真】。道の右側には、「よって見らっせ」と書かれた地元野菜の直販所があります。このあたりの田圃は田植えが終わっています。

 石那田八坂神社【写真】には、天王祭が伝承されていて、その説明板があります。バス停には、石那田、石那田中央、原石那田という名前が続きます。中央という名付けが大仰に見えます。

 赤い布でぐるぐる巻きにされた地蔵尊【写真】があります。享保の時代、疫病が流行したときに、体の悪い部分に赤い布を貼り付けたら病気が治ったということから、このような習慣になったと説明されています。

 宇都宮市が終わって、日光市に入ります【写真】。前回の街道歩きの雀宮宿からはじまって宇都宮宿、徳次郎宿を経て、宇都宮市の市域の広さを感じました。

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2015年6月 9日 (火)

日本語への信頼(1)

文章には順序がある

 

 ひとつの設問を出します。「次の4つの文は、ある文章のひとつの段落に並んでいたものをばらばらに並べたものです。正しい順序に並べ替えなさい。」

 

① 教え子の一人が驚いていた。

② 「あんなに激しい口調で語る先生は見たことがない」。

③ 憲法学界の重鎮、京大名誉教授の佐藤幸治さん(78)である。

④ 6日、法学や政治学の専門家らがつくる「立憲デモクラシーの会」のシンポジウムで講演した。

 

 大学や高校の国語の入試問題に整序問題と言われるものがあります。いくつかの文を論理の展開にそって正しく並べるという問題です。そのような設問が入試問題にふさわしいかどうかという議論は別にしても、このような設問が成り立つのは、文章が論理の流れに基づいて書かれているという信頼感があるからなのです。

 ひとつの文が長いのは考えものです。けれども、①~④の文を、仮に、ひとつの文に押し込めて書くと、次のようになるでしょう。

 

 6日、法学や政治学の専門家らがつくる「立憲デモクラシーの会」のシンポジウムで、憲法学界の重鎮、京大名誉教授の佐藤幸治さん(78)が講演したが、(それを聞いた)教え子の一人が「あんなに激しい口調で語る先生は見たことがない」と驚いていた。

 

 さて、はじめの設問の答えは、たぶん信じられないと思いますが、①→②→③→④という順番なのです。論理も何もありません。思いつくまま並べたと言っては失礼かもしれませんので、筆者の考える重要度にそって並べたと言っておきましょう。けれども、話題の中心となる人の紹介が3つ目の文になるというのはおかしいと思います。しかも、ひとつひとつの文はあまりにも唐突な表現です。

 これは、本日(6月9日)の朝日新聞「天声人語」の冒頭の一段落の言葉です。短い随想文であったとしても、文章の冒頭で、こういう書き方をすることは問題だと思います。言葉には順序とか論理とかが大切です。読者がこのような文章に馴らされていったら、日本語の将来は困ったことになりそうです。

 新聞は自己宣伝を盛んに行っています。「天声人語」のノートを作り、書き写すことを推奨しています。けれども、このような文章は書き写す価値はなく、かえって正しい言葉遣いにとっての弊害となります。

 かつての「天声人語」の文章に比べて、現今は格段に劣るようになったと感じているのは私だけではないでしょう。新聞は言葉が命であり、読者の教育という役割も果たしていることを忘れてはいけないでしょう。

 なお、誤解があっては困りますので申し添えますが、この日の「天声人語」の文章で述べられている内容に異論はありません。それゆえに、文章の書き方によって文章内容の価値が落ちてしまうことが残念でならないのです。

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日光道中ひとり旅(44)

徳次郎宿から日光まで()

 

上徳次郎から歩き始める

 

 5月26日、宇都宮駅前からバスに乗って、上徳次郎の停留所に降りて、日光道中の残りの区間を歩き始めます。

 北向きの道がしだいに西向きに変わっていったところに、石那田の一里塚【写真】があります。バス停の名もずばり「一里塚」となっています。船生街道が分岐する地点です。一里塚の標柱は高いところに建っていますが、近づけないようになっています。

 このあたりの日光道中は、両側からは低くなっていて、両側の少し高いところに側道【写真】があります。右側よりも左側の側道の方が整備されている状況が続きます。日光道中の本道が谷間を通っているような印象ですが、車の傍を歩かなくてもよいのでありがたいと思います。

 二宮尊徳の遺跡としての石那田堰【写真】がありますが、寄り道は止めにします。

 道の右側には、水道の第五接合井【写真】があります。

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2015年6月 8日 (月)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1998)  [全体編(39)]

明石の言葉を使った会話の例(5・補記)

 

 話の中に出てきたことに関連して、明石の言葉(あるいは関西の言葉)の特徴について、補記をしておきます。

 

①土山、福知山、石山を「ツッチャマ」「フクッチャマ」「イッシャマ」と発音することがあります。〔花火を打ち上げる〕が「ウッチャゲル」となったりします。それは、言葉の二拍目より後ろにイ段かウ段の音があり、その次に母音や「ヤ」「ユ」「ヨ」「ワ」がくる場合、二拍が結びついて拗音(キャ・キュ・キョなど)一拍となって、減った一拍を「ン」または「ッ」で補うのです。関西に広くある現象です。

 

②発音が変化すると元の言葉が忘れ去られることがありますが、〔別状ない〕が変化したのが「ベッチョナイ」です。〔術ない〕が変化したのが「ズツナイ(腹や胸が苦しい)」です。「ドクショイ」という形容詞は〔毒性〕という言葉から変化しています。

 

③目、歯、手などの一拍の言葉を延ばして「メェ」「ハァ」「テェ」と発音することが多いのも関西の言葉の特徴です。「エー エーヲ コータ。」というのは「良()ー 絵(エー)を 買()ーた。」ということです。

 

④擬声語・擬態語を多く使うのも関西の言葉の特徴です。例えば次のような使い方をします。「チャッチャット(手際よく、素早く)」動き回る。ズボンが「キチキチ(ゆとりがない)」で破れそうや。「ウダウダ(いつまでも言い続ける)」説教されるのは苦手やねん。焼きそばにソースを「ドバッ(一度に、たくさん)」とかける。

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2015年6月 7日 (日)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1997)  [全体編(38)]

明石の言葉を使った会話の例()

 

 「一度、びっくりしたことがあるのです。父から、のこぎりをナオシておいてと言われたのですけど、壊れているようには見えなかったのです。父は、物置になおしておくようにと言ったのです。ナオスというのは、元の場所におさめるという意味だということを、父は標準語だと思っていたのですね」

 「そうや。しまうことをナオスと言うのは、どこの人にもわかると思っとったなぁ。おお、電話に気ぃとられとったけど、外を見たら、空が曇ってきて、ちょっとピリピリしてきたようやなぁ」

 「えっ、ピリピリ? 雷が光っているのですか。ピリピリって、感電したみたい…」

 「ああ、そない思うか。ピリピリというのは、小さい雨が降り始めるときに使う言葉や。ピリピリしてきたら、そろそろ洗濯物を取り入れようかと思うわなぁ。もうちょっと強い雨がソバエ(急に降り出し)てきたら、あわてんといかんけど、このぐらいやったら、まあベッチョナイやろ。東京は今、どんな空かいな。空はアカイか」

 「晴れています。けれども、夕焼けにならないと空は赤くなりません」

 「いや、そうやのうて、空が暗うないかと尋ねたんやけど」

 「空は明るいです」

 「そうか、やっぱり空はアカイのやなぁ」

 「あっ、思い出しました。古文の授業で、昔は、明るいことも赤いことも〔あかし〕という形容詞で表していたということを習いました」

 「そうや、それや。明るいも赤いも、関西ではアカイと言うねん」

 「やっぱり古い言葉が生きているのですね」

 「そうやなぁ。ところで、明石は鯛や蛸や海苔なんかで有名やけど、タマゴヤキも名物や。今度明石へ来たら、食べに連れて行ったるよ」

 「卵焼きって、目玉焼きのことですか。」

 「違うがな。タマゴヤキ〔玉子焼き〕は、大阪のたこ焼きに似て、マンマルコイ食べ物やけど、たこ焼きよりも上品な食べ物や。大阪のたこ焼きはソースをかけてコテコテ(濃厚)にするけど、明石のタマゴヤキは、出汁につけて食べるんや」

 「ぜひご馳走してください」

 「あんたは、前に来たのは小学校のときやったけど、今度は一人で来れるやろ。センドブリに会いたいなぁ」

 「あのときは家族みんなで行きましたが、今度は一人で行きますよ」

 「そうか。新幹線はニッシャカシで降りたらええねん」

 「ニッシャカシって? そんな駅がありましたか」

 「新神戸は知っとるやろ。新神戸の次がニッシャカシ〔西明石〕や」

 「秋になったら、明石へ行きたいと思います。タマゴヤキをご馳走してください」

 「ああ、ハリコン(奮発し)だるでぇ。タンノスル(飽きる)ほどギョーサン(仰山)食べさしたるよ。もしも、十月の最後の土曜・日曜に来るんやったら、中尾のスンミョシ〔住吉〕神社の秋祭りも見せてやりたいなぁ。ダンジリが出て、にぎやかやぞ」

 「はい。楽しみにします」

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2015年6月 6日 (土)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1996)  [全体編(37)]

明石の言葉を使った会話の例()

 

 「そうか。おっちゃんらは、子どもの頃は道で遊んどったなぁ。車が入って来んようなロージ(路地)は、子どもの天国やった」

 「とんな遊びをしたのですか」

 「そうやなぁ。ベッタンやバイやラムネなんかをしたな」

 「ベッタンって?」

 「東京では、めんこと言うらしいなぁ。長四角のボール紙に野球選手やスモントリ(相撲取り)の絵が描いてあった。相手のベッタンをひっくり返したり、相手のベッタンの下に潜り込ませたりしたら、勝ちや。バイは鋳物ででけた、コマイ(小さい)ゴマ(独楽)や。相手と一緒に回して、かちん、かちんとぶつけ合って、外を飛ばした方が勝ちや。ラムネも、道にばらまいて、ツクナン(しゃがん)で当て合いをしたりしたなぁ。そやけど、ベッタンもバイもラムネも、勝ったもんがもらうのが決まりやさかい、ばくちや言うて、禁止されとった」

 「弱い人はたいへんですね」

 「弱い子ぉがスッテンテン(すっかりなくなる)になったら可哀想やろ。そやさかい、ホンキ(本気)やのうて、ウソケ(嘘気)というて、勝ち負けがあっても物をやりとりせんというやり方もあったな。みんな、小さい子ぉや、マタイ(動作が鈍い)子ぉには、ドクショイ(非情な)ことをせんと、思いやりの気持ちを持っとったな。

 イシコイやり方で勝っても、しょうがないもんな」

 「イシコイ?」

 「ずるいということを、イシコイとか、スコイとも言うな、ひっくり返してコスイとも言うなぁ。ところで、一郎ちゃんは、学校の勉強では何が好きやねんな」

 「国語が好きです。この間の授業で聞いたのですが、古文に出てくる言葉は、昔の京都の言葉だそうですね。その昔の言葉で、今も残っている言葉があって、帰ることをイヌ(去ぬ)と言うそうですね」

 「そうや。タイガースがぼろ負けしとるさかい、今日の甲子園はあかんなぁ。ゴーガワク(腹が立つ)さかい、早よイノか、てなこと言うてな。そうかいな、イヌというのは普段よう使うけど、あれは昔からの言葉かいな」

 「昔の標準語みたいなものだと聞きました。関西には昔の標準語の言葉が残っているということを習いました。例えば、関西では今でも、下顎(あご)のことをオトガイと言ったり、夜のことをヨサリと言ったりしているって」

 「おお、言う、言う。オトガイにご飯粒がついとるとか、ヨサリに酒を飲み過ぎたとか、言うなぁ」

 「おじさんは、やっぱりお酒が好きなんですね」

 「あぁ、好きやで。明くる日に、二日酔いになったら、なんで酒を飲み過ぎてアタシンドイことをするねんと、みんなに笑われるけどなぁ」

 「アタシンドイというのは、古文には出てきませんが…」

 「あはは。タイガースが負けたらアタオモロナイし、酒を飲み過ぎたら頭がアタオモタイことになるんや。クソオモロナイとかクソオモタイとも言うけどな」

 「地団駄を踏んでいるような感じがしますね」

 「そうや、そうや、その通りや」

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2015年6月 5日 (金)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1995)  [全体編(36)]

明石の言葉を使った会話の例()

 

 「そうです。父と母は関西弁を使って話さないですね。おじさん。飲み過ぎちゃうのはよくないですね。気をつけてくださいね」

 「おお、気ぃつけるよ。そやけど、その〔飲み過ぎちゃう〕という言い方は、やっぱり東京の言葉やなぁ。こっちでも、若い人が、行っちゃうとか、来ちゃうとか言うのが増えてきとるけど、〔ちゃう〕というのは、やっぱり明石の言葉とはチャウ(違う)なぁ。ところで、一郎ちゃんは、何ぞ運動はやっとるんかいな」

 「サッカー部に入っています」

 「おお、サッカー部か。上手になったかいな。試合に出してもらえるんか」

 「先週の新人戦があって、出してもらいました」

 「そうか、コナイダ、試合に出たんかいな。そら、良かったなぁ」

 「でも、僕のミスで負けてしまって、みんなから、ドンマイ、ドンマイ〔Don't mind〕と言って慰められました」

 「そうか。慰めてもろたんか。そのドンマイと同じような意味で、こっちではダンナイと言うんやで」

 「そんなとき、ダンナイと言うのですか」

 「そうや。三振したってダンナイ、ダンナイ、今度の時に頑張ったらええんやと言うてな。ダンナイというのは、気にせんとき、大丈夫やという意味やなぁ。よう似た言い方でダンダイというのもあるんや。人を励ますような言葉ということではドンマイと同じやな。ダンダイもダンナイも、言うてもろた方は、気ぃが楽になって、嬉しいもんや」

 「英語と明石の言葉がよく似ているというのは面白いですね」

 「おっちゃんなんか、子どもの時はガキ大将でホタエ(ふざけて暴れ)まわっとったよ。ボールを蹴ったりホッ(投げ)たりして、近所の家のガラスをメグさかい、よう怒られたもんや。そんなとき、親父がダンダイ、わしが謝りに行ったると言うてくれて嬉しかったなぁ」

 「メグって、どうすることですか」

 「壊すことやがな。昔の家の窓のガラスはボールが当たったら、すぐにメゲたもんや。ボールをホッたり、そのボールをバットで打ったりしとったら、じきにガラスがメゲルねん」

 「メゲルって、元気がなくなるということでしょう。ガラスの元気がなくなるのですか」

 「あぁ、そうか。東京ではメゲルというのは、そういう意味で使うんか。試合に負けて元気がなくなることをメゲルと言うんやなぁ。関西でメゲルというのは、壊れるという意味や。そら、昔のガラスは薄かったさかい、今のガラスのように強かったわけではあらへん。元気のないガラスやったけどなぁ。ガラスをメンだら、黙ってほっとかれへん。マラウことをせんといかんやろ」

 「弁償するのですか」

 「そうや、マラウは弁償することや。マラウとかマドウとか言うなぁ。ところで、一郎ちゃんが小学生やった頃にはどんな遊びをしたんかいなぁ」

 「家の中でゲームをすることが多かったですね」

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2015年6月 4日 (木)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1994)  [全体編(35)]

明石の言葉を使った会話の例()

 

 明石の言葉の具体的な使い方の例を、物語の形で書いてみます。明石に住む人のところに、東京に住む甥(高校生)から電話があったという場面を想定して書きます。

 

 

 「もしもし。明石のおじさんですか。東京の一郎です。お久しぶりです」

 「おお、もしもし、一郎ちゃんかいな」

 「昨日、電話したのですけれど、その時はお留守のようでした」

 「おお、そうか。ごめんな。エンバナことやったなぁ。おっちゃんは携帯を持っとらへんさかいなぁ」

 「エンバナって?」

 「あいにくやった、ガイ(具合)の悪いことやった、ということや。一郎ちゃんは、元気かいな。もう高校生になったんやな」

 「元気です。高校2年生です」

 「一郎ちゃんとは、アイサニしか話すことがないさかい、何かゴッツ大きなったみたいな声やなあ」

 「えっ、アイサニ?」

 「アイサニというのは、時々、たまに、ということや。阪神タイガースはなんぼ応援しても、アイサニしか優勝してくれへんねん。ツツイッバイ(精一杯)頑張っとるけど、なかなか優勝でけへんねん」

 「そうですか、おじさんはタイガースファンなのですね。おじさんもお元気ですか」

 「ああ、おっちゃんは元気やで。元気やけど、昨日の晩、ツッチャマで飲み過ぎて、今日はちょっと頭が痛いねん」

 「飲み過ぎちゃったのですか。お酒が好きなんですね。」

 「そうやねん。頭が痛うて、ちょっとズツナイんや。」

 「ズツナイというのは、たいへんなことなのですか。」

 「飲み過ぎただけやのうて、食い過ぎて、ちょっと腹の中がおかしいんや。」

 「ふうん。たいへんなようのですね。ところで、そのツッチャマというのはお店の名前なのですか」

 「違うがな。ツッチャマというのはJRの駅の名前や」

 「えっ、駅の名前ですか。日本語ではないみたい。ツッチャマというのは、どんな文字で書くのですか」

 「知らんのんかいな。関西にはツッチャマやフクッチャマというとこがあるんや」

 「ツッチャマのチャマという文字がわからないのです」

 「そうかいな。ツッチャマ〔土山〕のチャマという字は、イッシャマ〔石山〕のシャマという字とおんなじやがな」

 「ふうん、そうですか。チャマとシャマがおなじ文字なんですか。

 おじさんは頭が痛いそうですが、困りますね。治りそうですか」

 「ああ、ベッチョナイ、ベッチョナイ」

 「関西の言葉はやっぱり、むずかしいですね」

 「そうかいな。ベッチョナイがわからんか。ベッチョナイは、大丈夫やということや。心配せんでも大丈夫や。

 あんたの父さんは明石の生まれやけど、関西の言葉は使わへんのかいな。あんたの母さんは東京の生まれやし、父さんの海外勤務も長かったさかい、関西弁とは縁がないんやなぁ」

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2015年6月 3日 (水)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1993)  [全体編(34)]

この辞典の出版について

 

 『明石日常生活語辞典』は、ブログで公開してきましたが、プログで全体を読むことなどはとうてい不可能です。自分の命がいつ終わるのかはまったくわかりません。もしも出版できなかったらということを考えて、ブログに記録してきたのです。

 この辞典は、最終的には書籍の形で出版します。どのように出版するかはこれからの課題です。出版費用のことや出版社のことには、考えが及んでいないというのが現状です。

 この辞典の文字量のことについて書いておきます。

 ワープロソフトを用いて、1行を40文字として設定して、原稿の加筆・修正を続けていますが、現在のところでは、それが5万行に達する予定です。単純に掛け算をすると200万文字ということになります。1ページを40文字×50行とすると1000ページになります。1ページに収める文字数を2倍にしても500ページになります。

 基本的には手書き原稿に等しいもので、それをワープロソフトで文字化しているに過ぎません。コンピュータの機能を駆使して編集することなどは私の手には負えません。加筆・修正のスピードはゆっくりしていますが、このペースで進めていきます。繰り返し考えながら書き続けているのです。

 原稿の加筆・修正には、時間をかけ続けるのが良いことはわかっていますが、自分の健康年齢がいつまで続くのかということとの関係があります。本年(もしくは、本年度)中は加筆・修正を続けて、来年(もしくは、来年度)に出版するというのが、現在の目標です。たとえ不十分であって、自分では満足できなくても、ある段階で出版に踏み切らざるを得ないと思っています。

 いったん出版してしまえば、訂正版や改訂版を出すことなどはできないと思います。ただ、世に送り出したものをどのように受け入れていただいたかを、自分の目で確かめたいという気持ちはあります。その意味で、元気の残っている間に出版に踏み切ろうと考えているのです。

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2015年6月 2日 (火)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1992)  [全体編(33)]

この辞典の記述の仕方⑮ その他の事柄

 

〇同一の見出し語で、品詞が複数にわたる場合は、それを並べて書きます。

 品詞名を並べる順序は、使用頻度の多い品詞を先にし、少ないものを後にすることを原則とします。

 元になる品詞を先にし、派生的なものを後にするという場合もあります。

〇用例は、それぞれの品詞に該当するものを並べ挙げるようにします。

〇それぞれの見出し語と関連する言葉として、対語、類語、関連語などを挙げます。

 対語については、いわゆる反対語とか反意語とか言うことがありますが、反対や反意という意味を追究すると難しい問題が生じます。軽く参考程度にご覧ください。

 すなわち、関連して参照してほしい語を示しているのであって、その種類を厳格に区別しようというつもりはありません。

〇派生語のうち、動詞から名詞になる場合は「名詞化」としてその語を記します。

 よく使われる派生語や、派生語に独特の意味が生じている場合などは、それを別の見出しとして立てることがあります。

〇動詞は、自動詞と他動詞の対応がわかるように書きます。

〇その言葉に関することを、やや詳しく説明したりエッセイ風に綴ったりしている箇所があります。★印で行を改めて書いているのがそれにあたります。

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2015年6月 1日 (月)

【明石方言】 明石日常生活語辞典(1991)  [全体編(32)]

この辞典の記述の仕方⑭ 意味・用法の類似した言葉の参照

 

 繰り返しますが、『明石日常生活語辞典』の目的は、共通語も俚言も含めて、日常的な言語生活で使う言葉を取り上げて、説明しようとすることにあります。

 同じような内容を、場面や相手の状況によって、いろいろな言葉を選んで表現することがあります。その場合、語彙が豊富であればあるほど、その場にふさわしい言葉を選ぶことができます。この辞典では、ひとつの言葉と重なる意味・用法などを持つ言葉や、かなり類似した意味・用法を持つ言葉があれば、それを関連づけるようにします。

 例えば、「古い新聞をまとめて捨てる。」という場合の、「すてる【捨てる】」と同じような意味を表す言葉として、「してる【(捨てる)】」、「ほかす【放下す】」、「ぽいする」、「ちゃいする」などがあります。この場合、それぞれの見出しで探し出したときに、〔⇒ 〕の記号を使って、他の言葉を参照できるようにしています。

 この場合、「ぽいする」はやや幼児語としての性格を持ち、「ちゃいする」は完全に幼児語と言ってよかろうかと思います。誰を相手にして話すのかということによって、選ぶ言葉は違ってくるでしょうが、意味の上ではほぼ共通した内容をそなえた言葉です。

 共通語と俚言の区別なく、それぞれの言葉を結びつけて参照することによって、「俚言と共通語の橋渡し」という、この辞典の目的に近づくように努めているつもりです。

 このような参照項目の提示は、類似の発音が多い言葉の場合は、やや煩わしくなっている場合がありますがお許しください。

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