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2015年10月31日 (土)

【掲載記事の一覧】

 晴天が続いて、歩くのには絶好の季節です。甲州道中を日本橋から上野原宿(山梨県)まで歩き終えました。11月には上野原から甲府または韮崎まで歩くことにしています。

 10月も「日本語への信頼」を書き続けましたが、一方で「奥州道中10次」も始めました。奥州道中の連載はあとしばらく続きます。

 「【明石方言】 改訂最終版・明石日常生活語辞典」の全体編は休載のままですが、この辞典の修正・加筆作業は毎日続けております。加筆した部分がかなりの量になってきています。

 ブログをお読みくださってありがとうございます。

 お気づきのことなどは、下記あてにメールでお願いします。

 gaact108@actv.zaq.ne.jp

 これまでに連載した内容の一覧を記します。

 

◆奥州道中10次 ()(15)~継続予定

    [20151012日開始~ 最新は20151031日]

 

◆日本語への信頼 ()(119)~継続予定

    [2015年6月9日開始~ 最新は20151019日]

 

◆【明石方言】 明石日常生活語辞典 ()(1998)~継続予定

    [2009年7月8日開始~ 最新は2015年6月8日]

 

◆日光道中ひとり旅 ()(58) 連載終了

    [2015年4月1日開始~ 最新は2015年6月23日]

 

◆新・言葉カメラ ()(18)~継続予定

    [201310月1日開始~ 最新は20131031日]

 

◆名寸隅の記 ()(138)~継続予定

    [2012年9月20日開始~ 最新は2013年9月5日]

 

……【以下は、連載を終了したものです。】……………………

 

◆中山道をたどる ()(424)

    [201311月1日開始~2015年3月31日終了]

 

◆江井ヶ島と魚住の桜 ()()

    [2014年4月7日開始~2014年4月12日終了]

 

◆言葉カメラ ()(385)

    [2007年1月5日開始~2010年3月10日終了]

 

◆『明石日常生活語辞典』写真版 ()()

    [2010年9月10日開始~2011年9月13日終了]

 

◆新西国霊場を訪ねる ()(21)

 2014年5月10日開始~ 最新は2014年5月30日]

 

◆放射状に歩く ()(139)

 2013年4月13日開始~ 最新は2014年5月9日]

 

◆百載一遇 ()()

    [2014年1月1日開始~ 最新は2014年1月30日]

 

◆茜の空 ()(27)

    [2012年7月4日開始~ 最新は2013年8月28日]

 

◆国語教育を素朴に語る ()(51)

    [2006年8月29日開始~20071212日終了]

 

◆改稿「国語教育を素朴に語る」 ()(102)

    [2008年2月25日開始~2008年7月20日終了]

 

◆消えたもの惜別 ()(10)

    [2009年9月1日開始~2009年9月10日終了]

 

◆地名のウフフ ()()

    [2012年1月1日開始~2012年1月4日終了]

 

◆ことことてくてく ()(26)

    [2012年4月3日開始~2012年5月3日終了]

 

◆テクのろヂイ ()(40)

    [2009年1月11日開始~2009年6月30日終了]

 

◆神戸圏の文学散歩 ()()

    [20061227日開始~20061231日終了]

 

◆母なる言葉 ()(10)

    [2008年1月1日開始~2008年1月10日終了]

 

◆六甲の山並み[言葉つれづれ] ()()

   [20061223日開始~20061226日終了]

 

◆おもしろ日本語・ふしぎ日本語 ()(29)

    [2007年1月1日開始~2009年6月4日終了]

 

◆西島物語 ()()

    [2008年1月11日開始~2008年1月18日終了]

 

◆鉄道切符コレクション ()(24)

    [2007年7月8日開始~2007年7月31日終了]

 

◆足下の観光案内 ()(12)

    [20081114日開始~20081125日終了]

 

◆写真特集・薔薇 ()(31)

    [2009年5月18日開始~2009年6月22日終了]

 

◆写真特集・さくら ()(71)

    [2007年4月7日開始~2009年5月8日終了]

 

◆写真特集・うめ ()(42)

    [2008年2月11日開始~2009年3月16日終了]

 

◆写真特集・きく ()()

    [20071127日開始~20081113日終了]

 

◆写真特集・紅葉黄葉 ()(19)

    [200712月1日開始~20081215日終了]

 

◆写真特集・季節の花 ()()

    [2007年5月8日開始~2007年6月30日終了]

 

◆屏風ヶ浦の四季 [2007年8月31日]

 

◆昔むかしの物語 [2007年4月18日]

 

◆小さなニュース [2008年2月28日]

 

◆辰の絵馬    [2012年1月1日]

 

◆しょんがつ ゆうたら ええもんや ()(13)

    [2009年1月1日開始~2010年1月3日終了]

 

◆文章の作成法 ()()

    [2012年7月2日開始~2012年7月8日終了]

 

◆朔日・名寸隅 ()(19)

    [200912月1日開始~2011年6月1日終了]

 

◆教職課程での試み ()(24)

    [2008年9月1日開始~2008年9月24日終了]

 

◆相手を思いやる姿勢と、自分を表現する力 ()()

    [200610月2日開始~200610月4日終了]

 

◆学力づくりのための基本的な視点 ()()

    [200610月5日開始~20061011日終了]

 

◆教員志望者に必要な読解力・表現力 ()(18)

    [20061016日開始~200611月2日終了]

 

◆教職をめざす若い人たちに ()()

    [2007年6月1日開始~2007年6月6日終了]

 

◆これからの国語科教育 ()(10)

    [2007年8月1日開始~2007年8月10日終了]

 

◆現代の言葉について考える ()()

    [2007年7月1日開始~2007年7月7日終了]

 

◆自分を表現する文章を書くために ()(11)

    [20071020日開始~20071030日終了]

 

◆兵庫県の方言 ()()

    [20061012日開始~20061015日終了]

 

◆暮らしに息づく郷土の方言 ()(10)

    [2007年8月11日開始~2007年8月20日終了]

 

◆姫路ことばの今昔 ()(12)

    [2007年9月1日開始~2007年9月12日終了]

 

◆私の鉄道方言辞典 ()(17)

    [2007年9月13日開始~2007年9月29日終了]

 

◆高校生に語りかけたこと ()(29)

    [200611月9日開始~200612月7日終了]

 

◆ゆったり ほっこり 方言詩 ()(42)

    [2007年2月1日開始~2007年5月7日終了]

 

◆高校生に向かって書いたこと ()(15)

    [200612月8日開始~20061222日終了]

 

◆1年たちました ()()

    [2007年8月21日開始~2007年8月27日終了]

 

◆明石焼の歌 ()()

    [2007年8月28日開始~2007年8月30日終了]

 

◆失って考えること ()()

    [2012年9月14日開始~2012年9月19日終了]

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奥州道中10次(15)

本陣跡のしゃれた建物

 

 喜連川は本陣・脇本陣・旅籠茶屋が軒を連ねた、にぎやかな町であったと言いますが、本陣は残っておらず、本陣の跡には警察署、郵便局、銀行などが開設されたそうです。

 喜連川の街中を進んでいくと、和い話い広場の建物(写真・左)があります。街の情報館で、いろいろなパンフレットなどが並んでいます。そこでもらった資料に、狐川から喜連川に転じたという地名伝承の一つが書いてありました。「きつねの嫁入り」行列はそれに関係のあることなのでしょう。

 脇本陣跡などを通り過ぎると、街の駅「本陣」(写真・中)があります。ここは喜連川宿の本陣があった場所ですが、建物は1882(明治15)以降に建てられたという旧喜連川警察署です。西洋風のおしゃれな建物ですが、内部には拘置所跡なども残っているとのことでする。現在はカフェレストラン「蔵ヶ崎」になっています。近くに一里塚があったはずですが、遺構は残されていません。

 街を出外れたところに、大きな道祖神(写真・右)があります。金色に輝く御紋章があって、目を引きます。

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2015年10月30日 (金)

奥州道中10次(14)

喜連川の町に入る

 

 古道は長く続きません。しばらく行くと集落に出てしまいます。喜連川の町が近づいたところで荒川(写真・左)の岸辺に出ます。この川は、那珂川と合流して鹿島灘に注ぎます。

 連城橋で荒川を渡りますが、その橋のたもとに道標(写真・中)があります。「右江戸道 左下妻道」と記されて、1748(寛延元年)の建立です。

 橋を渡ると喜連川の町です。道は緩やかに左にカーブしていきます。「きつねの嫁入り」が1024日に行われるというポスター(写真・右)が貼られていますが、どのような行事なのかはわかりません。

 喜連川は温泉の町です。日本三大美肌の湯だという宣伝もされていますが、公営、私営のいろいろな施設があるようです。ナトリウム塩化物泉という湯に浸かりたいとは思いますが、そんな時間の余裕はありません。

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2015年10月29日 (木)

奥州道中10次(13)

奥州道中には珍しい古道

 

 道が下り坂になってきたところの右側に、奥州街道(古道)の入り口を示す表示(写真・左)があります。

 その道に分け入っていくと、久しぶりに江戸時代の面影を残すような道(写真・中)になっていきます。道から少し入ったところに、若山牧水と親交のあった歌人の高塩背山の墓や、河東碧梧桐の句碑があります。

 この道はさくら市の史跡であると示されています(写真・右)。東海道や中山道にはこのような道はあちこちにありましたが、奥州道中では珍しい存在です。このあたりは、たびたび山腹の崩壊などが起こり、1880(明治13)に迂回路が開かれました。それによって古道は拡張されずに残ったというわけです。

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2015年10月28日 (水)

奥州道中10次(12)

一里塚に出会う

 

 このあたりは国道293号を歩きます。

 奥州道中には現存する一里塚が少なくなっているようです。氏家には堂原一里塚もあったそうですが、今はなくなってしまっています。狭間田の一里塚(写真・左)は日本橋から32里の距離にあたります。北側の塚はなくなり、南側だけが残っていますが、今は個人のお宅の中にあるという形になっています。

 10分余り歩いたところに明治時代の水準点(写真・中)があります。1876(明治9年)から翌年にかけて、東京-塩釜間の高低測量を行ったときのものだそうです。

 道は登りになって弥五郎坂(写真・右)にさしかかります。1549(天文18)に、那須・喜連川の軍勢し宇都宮軍とが戦ったところです。

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2015年10月27日 (火)

奥州道中10次(11)

洪水の痕跡に驚く

 

 201510月1日の9時40分。JR氏家宿から歩き始めます。これからの奥州道中は、東寄りに進み、南北に走るJR東北線からしだいに遠ざかっていきます。宿は大田原市の民宿を予約しておりますから、そこまで歩かなければなりません。

 薬王寺の前を通っていくと、やや広い道路にぶつかります。「さくら東通り」という道です。そして、その交差点が「さくら市」の「櫻野中」(写真・左)です。ローマ字表記によれば「櫻野」というところの「中」です。さくら市の木も、さくら市の花も、どちらも桜が指定されています。

 紡績業で財をなした瀧澤家のあとが記念館になっていますが、そのあたりに、五十里洪水の水位痕(写真・中)が示されています。1723(享保8年)8月10日の暴風雨で五十里湖が決壊して、死者が1万2千人という惨事になったそうです。五十里湖は1683(天和3年)9月1日の日光大地震により川がせき止められてできた湖だと言います。洪水の水位痕は人の背丈を越えています。

 道の左側に、十九夜塔や二十三夜塔などが並んでいます(写真・右)。このあたりから家並みが少しずつ途切れていくようになりました。

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2015年10月26日 (月)

奥州道中10次(10)

いったん中休み

 

 町中に入ると、ごく普通の民家の庭先と思われるようなところに、「従是西 宇都宮領」という石柱(写真・左)が立っています。案内板などはありませんから、経緯や理由などはわかりません。

 氏家の町並み(写真・中)は静かに時間が流れているような雰囲気です。野中を歩いているときは静かであるのが当然のように思っています。けれども、町の中で行き交うのが時々の車だけで、歩いている人と出会わないのは、時代の変化というものでしょう。

 通りから左に折れて、JR氏家駅(写真・右)に着いて、ここでひとまず終わります。

 

 これで、5月の旅をいったん終わります。このあと、夏の間は歩くことを中断しました。少し涼しくなった9月の末に再開しましたので、旅の続きはこのまま連載します。休んでいる間に鬼怒川の決壊を含む豪雨禍がありました。

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2015年10月25日 (日)

奥州道中10次(9)

旧奥州街道踏切を過ぎる

 

 お伊勢の森(写真・左)にまつられている神明宮は、伊勢神宮の末社を勧請したもので、旅人が詣でることによってご利益があると信じられてきました。あちこちにある道祖神とともに旅人の安全を守ってくれると信仰されたものでしょう。

 集落をぬけて、歩いていくと次第にJR東北本線に近づいて、踏切があります。旧奥州街道踏切(写真・中)です。東海道や中山道に比べると、奥州道中は鉄道と交差するところが少ないのです。平面交差は珍しく、ここが街道と鉄道とが交わる代表的な箇所と言ってよいのでしょう。

 踏切を過ぎて真っ直ぐ行くと、古町(写真・右)に、地蔵さんや馬頭観音がまつられているところが交差点になっていて、そこから左へ折れて、氏家の町の中に入っていきます。

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2015年10月24日 (土)

奥州道中10次(8)

さくら市に入る

 

 地名が平仮名書きになることは賛成ではありませんが、「さくら市」は氏家地区と喜連川地区が合併したときに採用されています。勝山公園、早乙女の並木などの桜の名所があって、市名として選んだようです。近くには千葉県佐倉市、茨城県桜川市があって、差別化のために平仮名を選んだのかもしれません。

 橋を渡り終えると「奥州道中、これより先一里、氏家宿」(写真・左)という看板があります。このあたりの地名が上阿久津で、信号のある交差点で左へ直角に曲がります。古い集落の中の道を進みます。

 堂原のイチョウ(写真・中)はおよそ600年の樹齢の大木です。元の氏家町の天然記念物として大切にされているようです。

 将軍地蔵(写真・右)は、源義家が奥州に進軍したときに悪蛇に苦しめられたのを、将軍地蔵が現れて退治したという言い伝えがあります。江戸時代には地蔵堂となって、奥州街道の道中安全にご利益があるとして信仰を集めたようです

 集落を歩いていても人に出会いません。のんびり歩を進めていきます。

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2015年10月23日 (金)

奥州道中10次(7)

鬼怒川を渡る

 

 前方に盛り土をした道路が見えてきて、鬼怒川の橋があることがわかります。この地点で、堤防には88㎞の表示(写真・左)があります。鬼怒川は茨城県守谷市で利根川に合流しますから、その地点からこれだけの距離があるのです。

 橋の名前は阿久津大橋(写真・中)で、路面は改修工事をしています。

 上流側の川の中州には草が生えていますが、下流側(写真・右)は一面の砂利です。水の流れは少ないのです。

 鬼怒川は、春から秋にかけては舟による渡しで、冬の渇水期は仮橋を通ったと言います。増水時の川幅は800メートルに達したそうですが、想像はできません。舟運も盛んで米などの物資が行き交ったと言うことはうなずけます。

 今年9月には、台風18号から変わった温帯低気圧による豪雨で、常総市内で堤防が決壊して、大きな被害が出ましたが、5月末にはそのようなことは予想もできないような流れでした。

 鬼怒川という表記からはやや恐ろしげな印象も伴いますが、江戸時代以前は衣川、絹川という表記であったようです。

 この橋を境にして手前は宇都宮市、対岸はさくら市となっています。

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2015年10月22日 (木)

奥州道中10次(6)

白沢の一里塚

 

 5月28日、バスで白沢に戻って、奥州道中を歩き継ぎます。8時50分ですが、今日の目的地は氏家宿で、それで今回の3泊4日は終わります。

 道は東に向かいます。宿を離れてしばらく行くと、西鬼怒川橋という短い橋があり、そこから100メートルほど右へ入ったところに「江戸時代の鬼怒川の渡し」という標示(写真・左)があります。草が茂っていて、流れは見えません。大きな鬼怒川とは思えませんが、かつての流れがこのあたりであったのでしょうか。

 またしばらく歩くと、白沢の一里塚址という標石(写真・中)があります。傍の説明板によれば、この一里塚は鬼怒川の河原にあったため、たびたびの洪水で壊れてしまったとのことです。この一里塚址は、場所を移して広場に作られたようです。したがって、土を盛り上げた塚の形はありませんが、仕方のないことです。

 再び、新川という小さな流れを渡ると、白沢の宿は終わります。集落を出外れたところで道は北に向かいます。

 既に田植えを終えて、水がたたえられている田圃がありますが、一方で、麦の刈り入れをしているところ(写真・右)もあります。関西では麦を作っている風景が極端に少なくなってしまいましたから、麦秋の風景を見ると、嬉しくなります。

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2015年10月21日 (水)

奥州道中10次(5)

短い街道筋の家並み

 

 白沢は、宿場の外側に白髭神社、北野神社、明星院、薬師堂などの社寺が点在していますが、街道沿いは民家の集まりです。

 案内板(写真・左)があって、白沢宿は宇都宮宿から2里28町だと書いてあります。白河宿まで1834町とあります。近くに白沢宿の説明板もありますが、昭和末年の設置ですから文字が読みにくくなってきています。

 旧家の屋号を書き記した堺屋などという家もありますが、本陣などは見当たりません。この宿の街道筋はあまりにも短く、すぐに通り抜けてしまいます。

 道の突き当たりが井上清吉商店(写真・中)で「澤姫」の酒樽が積まれています。

 ここで道は直角に右折して、小さな流れを渡ります(写真・右)が、その向こうに郵便局が見えます。

 時刻は1550分ですが、今日はここまでとします。宇都宮の追分からゆっくり歩いて3時間ちょっとです。バスでいったん宇都宮に帰って、明日、改めて歩き続けることにします。

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2015年10月20日 (火)

奥州道中10次(4)

ゆったりとした白沢の宿

 

 北に向かっていた道がぐるっと東向きになって、江戸から30里の距離にある白沢宿に入っていきます。

 宿場の入り口に、漢方薬を砕く薬研に似ているから名付けられたという薬研坂(写真・左)があります。道は緩やかに下っていきます。左右が小高くなっていますから確かに薬研と言われれば、そのようにも思われます。ここは宇都宮市ですが、説明板は、合併前の河内町の名のままです。右手の地蔵堂の隣には夫婦の大きな榎のあったところと伝えられています。

 このあたりは、とちぎのふるさと田園風景百選に選ばれていると言いますが、ひなびた風景が広がります。一画に、江戸時代の公衆便所跡(写真・中)というのが残されています。それがあったということに意味があるのでしょうが、跡地をのぞいても感興は起きません。

 道が直角に曲がって北向きになるところの交差点名は「白沢宿」で、ここから先の街路には水が流れて、小さな水車が作られています(写真・右)。車が通りすぎますが、人の姿はありません。時間がゆっくり流れています。

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2015年10月19日 (月)

日本語への信頼(119)

ガラガラして、落ち着きのない言葉

 

 新聞に記事を書く人たちの、言葉に対する心構えはどのようになっているのでしょうか。前回に続いて、記者には「心耳」を持ってほしいと思わずにはいられません。「訂正して、おわびします」という欄などよりも、もっと大事なことが新聞社には欠けているかもしれないのです。

 

 スマートフォン全盛の時代に「ガラパゴスケータイ(ガラケー)」とも言われる従来型の携帯電話(フィーチャーフォン)。消えゆく運命かと思いきや、根強い人気があり、新しい機種も発売されています。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1017日・朝刊、13版、9面)

 

 なんとも不思議な文です。こういう文を新聞が書いておきながら、NIE(教育に新聞を)を推奨されると、がっかりしてしまいます。

 「スマートフォン全盛の時代に『ガラパゴスケータイ(ガラケー)』とも言われる従来型の携帯電話(フィーチャーフォン)。」という表現は、まったく文の形になっておりません。「A時代にB。」という形は、文節相互の関係も、文の仕組みも考えていない、まったくキャッチフレーズの出来損ないのような表現です。

 ところで、同じ一つのものを表すのに4つの言葉を並べたのはどういう意図なのでしょうか。「ガラパゴスケータイ」「ガラケー」「従来型の携帯電話」「フィーチャーフォン」という4つも並べなければ、読者には理解できないと考えたのでしょうか。それとも、記者はこんなにいろんな言葉を知っているぞと言いたいからなのでしょうか。

 この記事の見出しは、

 

 「ガラケー」 シンプル 根強い人気

 

となっています。「ガラケー」などという汚らしい言葉を使わなくても、「従来型の携帯電話」と言えばじゅうぶんです。そもそも「ガラパゴスケータイ」というのは軽蔑する気持ちが含まれている言葉ではないのでしょうか。「ガラケー」などという、耳障りな発音で落ち着きのない言葉を使う必要はありません。記者の自己弁護は、「世間で使われているから、私も使う」という理屈になるのでしょうが、新聞には美しい日本語を守り育てるという認識が大きく欠如していると思うのです。

 「訂正して、おわびします」の欄に、「内容に間違いはありませんが、日本語の表現としては不適切でした。訂正します。」という言葉が現れるのは、いつのことでしょうか。そのようになってはじめて、私はNIEが本物になったと思うのです。

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2015年10月18日 (日)

日本語への信頼(118)

言葉についての「心耳」を持ってほしい

 

 二つの言葉に接しました。

 その一つは、コラム「天声人語」からです。

 

 心耳と書いて「しんじ」と読む。心の耳。すなわち心を澄まして聞こえないものを聞きとるという、美しい言葉だ。9年前の朝日歌壇にこんな一首があった。〈病む母のわが眼をみつめ発したることば以前を心耳もて聴く〉飯塚哲夫。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1017日・朝刊、13版◎、1面)

 

 小さな国語辞典にも出ています。ほんとうに美しい言葉だと思います。それに対して氾濫するカタカナ語は、お世辞にも美しいとは言えません。

 二つ目は、特集面からです。

 

 「エゴサーチ」とは、インターネット上で自分の名前やハンドルネーム(ネット上のニックネーム)を検索すること。ネット上で情報発信をしていない自分には関係ない、なんて思っていませんか?

 (朝日新聞・大阪本社発行、1017日・朝刊、b10)

 

 見出しは「『エゴサーチ』をしたことはある?」となっていました。新聞はまた一つ、新しい言葉を広めようとしているようです。

 インターネット上で「エゴサーチ」という言葉がどれほど使われているのかは知りません。仮に頻繁に使われていたとしても、それはその世界の言葉に過ぎません。一般読者向けには、わかりやすい言葉を使う方がよいでしょう。

 わざわざ、カタカナ語を提示して、エゴサーチとは……、と解説から始めるのはどういう意図なのでしょうか。エゴサーチなどという言葉を使わなくても、自己名検索、自名検索などと言えば、理解できます。新聞社にはカタカナ語信奉者がウヨウヨしているようです。

 たぶん、美しい日本語を使おうとする人たちの気持ちがわからないのでしょう。新聞記者には、言葉についての「心耳」の持ち主が極端に少ないように思えてなりません。

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2015年10月17日 (土)

日本語への信頼(117)

「道行き」……薄れゆく本来の意味

 

 読売新聞の夕刊コラム「よみうり寸評」に次のような文章がありました。冒頭の一節です。

 

 家から駅まで続く歩道で、よくすれ違う若い女性がいる。電動車いすに乗って、前からゆっくりと進んでくる。

 通勤か通学か。何のための道行きかは存じないが、一つ見当がある。約半年前、歩道の改修工事が終わった。傷んだ路面が滑らかな石畳に変わり、以来、見かけるようになった気がする。

 (読売新聞・大阪本社発行、1016日・夕刊、3版、1面)

 

 電動車いすの女性を、「通勤か通学か。何のための道行きかは存じないが、」と書く文章に、突き放したような冷たさを感じるのは私だけでしょうか。

 ところで「道行き」という言葉に変化が生じようとしているように思います。日本語の本来の使い方では、ただ単に道を行くことが「道行き」ではなかったはずです。このような場面に「道行き」を使ったことが、筆者の冷たい目を感じることにもつながっています。

 「道行き」とは、相愛の男女が連れ立って旅を続ける場面を言い、歌舞伎や浄瑠璃で言われた言葉です。相愛とは言え、駆け落ちであったり、心中に向かう場面であったりします。それとは別に、旅の途中の風景や旅情などを綴った韻文のことも道行きと言います。

 本来の日本語の使い方を知っている人が、このコラムを読んだ場合、長い道のりの前途に何か不吉なものがあるかのような印象を持ったとしても不思議ではありません。

 一つひとつの言葉には長い伝統があり、意味や用法に慣例が生じきています。その言葉の持つイメージも同様です。用法やイメージをうち壊そうとしても壊れない強さをそなえているのが言葉です。まして、その言葉の意味や用法を心得ないで使った場合は、誤解や悪印象をふりまいてしまうことにもなりかねません。

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2015年10月16日 (金)

日本語への信頼(116)

「シェア」と「相乗り」「民泊」

 

 何でも横文字に変えなくても、もともとの日本語で表現できるということがわかるような記事がありました。

 

 自宅の空き部屋を人に貸したり、自家用車に人を相乗りさせて運んだりする「シェアリング・エコノミー(共有型経済)」と呼ばれる新しいビジネスについて、政府が普及の後押しを始めた。 …(中略)

 地域を限って規制を緩める「国家戦略特区」の会議で、自宅やマンションなどの空き部屋をホテルとして提供する「民泊」の事業化を、東京都大田区で来年1月から認めることを決めた。 …(中略)

 自家用車の「相乗り」事業を進めるための規制緩和を秋田県仙北市と兵庫県養父市が提案。こちらも、自家用車の「運転手」と「客」を結ぶ仲介会社や営業地域を事前に定めたうえで認める方向だ。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1015日・朝刊、13版、3面)

 

 「シェアリング・エコノミー」と「共有型経済」とがほぼ同じ意味ならば、カタカナを使う必要はありません。一貫して「共有型経済」という言葉を使えばよいのです。既に「シェア」という言葉が行きわたっているから使うというのは理屈に合いません。行きわたらせたのは誰なのでしょうか。答は明白です。

 「カーシェアリング」という言葉をよく聞きますが、それを「相乗り」という言葉を使って表せるのならそれで十分でしょう。

 「シェアルーム」というような言葉をやめて「民泊」と言えるのなら、その言葉を広めたいものです。「民宿」と「民泊」とは違う内容ですから、言葉の住み分けはできます。

 政府や公的機関がカタカナ語を使うと、無批判に追随するのが深部や放送の常です。報道の自由とかを口癖にしながら、自主性が欠如しています。政府や公的機関もそのことがわかっていますから、次々に新しいカタカナ語を乱造していきます。新聞や放送がそのまま使ってくれることになるからです。

 新聞は、日本語のあるべき姿を論じるときにはカタカナ語の氾濫を嘆きますが、日常の報道姿勢とは大きな矛盾を呈しているのです。新聞には、カタカナ語の氾濫を論評する資格はありません。

 

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2015年10月15日 (木)

奥州道中10次(3)

白沢宿を目指して歩く

 

 宇都宮宿から白沢宿までは2里28町余、およそ11㎞の道のりです。宇都宮を昼過ぎに発ちましたから、この日の目的地は白沢です。

 田川を幸橋(写真・左)で渡ってから、宇都宮駅方向から来た道に合流し、ここからはほぼ北に向かっての道となります。

 黒漆喰を用いた土蔵建物の旧篠原家住宅(写真・中)は国指定重要文化財です。醤油の製造や肥料商をして、財をなした家です。

 今泉町を過ぎて東北新幹線をくぐります。このあたりで在来線と新幹線とが離れていくことになります。

 歩いている道は県道125号で氏家宇都宮線と書いてあります。沿道に建物が並んでいるところから、少しずつ家並みが途切れたりするように変化していきます。左側に広がる宇都宮化成の工場を過ぎて、海道町まで来たところで、白沢まで5㎞という表示(写真・右)があり、しばらくして稚児坂の緩い登りにかかります。この坂は、12世紀末に奥州総奉行所の初代奉行が任地に向かうときに、同行の幼子を亡くして葬ったという哀史が語られています。

 奥州道中は江戸時代の五街道の一つですが、古くから陸羽街道として開かれていた道で、古い白河関に通じていた道です。

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2015年10月14日 (水)

奥州道中10次(2)

追分から出発する

 

 「日光街道と奥州街道の追分」という案内板が設置されているところ、そこが奥州道中への旅立ちの場所です。これまでは、東海道も中山道も日光道中も出発地点をお江戸・日本橋として歩き始めましたが、唯一、奥州道中だけは宇都宮の追分から分岐していきます。もう一度、日本橋から歩き始めてもよいのですが、それは日光道中の同じ道を再び辿ることになりますから、宇都宮から白河までを歩くことにしました。そうすると全部で10宿です。あっけなく終わることになりそうです。

 もともとは江戸からの全行程が奥州道中であったようですが、日光東照宮が造営されてからは、江戸から日光までが日光道中と呼ばれるようになって、奥州道中は宇都宮から先を指すようになったようです。

 2015(平成27)5月27日の1235分。東武日光駅前から北に出た大通り、その東西に走る大通りを少し西寄りに行ったところが「追分」(写真・左)です。実は、この日は日光から、JR日光線に乗って宇都宮に戻りましたから、JR宇都宮駅からここまで歩いてきて、改めてここを出発地点にしたのです。

 奥州道中を歩き始めると、すぐ近くに「高札場跡」(写真・中)がありますが、これも案内板だけです。宇都宮は大きな町です。大通りから古いものは姿を消しています。

 大通りを少し歩いてから、二筋南に入った通り「オリオン通り」というアーケード街に入ります。その通りはすぐに終わって、左に曲がって、「上河原通り」(写真・右)に入ります。ここの説明板によれば、本多正純による街道の付け替えがあって、伝馬町で日光道中と分岐して、現在のような市街地を貫く道になったと言います。上河原という地名は、江戸時代から続く初市の場所だそうです。

 宇都宮は二荒山神社の門前町で、下野国の「一宮」が訛って宇都宮となったとも言い、奥州攻めの「討つの宮」だとも言います。どれが正しいのかというよりも、なかなか楽しい地名伝承です。

 鬼怒川の舟運で江戸とも結ばれていた宇都宮は発展を遂げて、今は県都として堂々とした町になっています。

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2015年10月13日 (火)

日本語への信頼(115)

肩こりを願っても、肩こりになれない

 

 重い荷物をカバンに詰めて持ち歩くのは肩がこるものです。それを防止する記事の中に図が書いてあって、その図の見出しが「肩こりしづらいカバンの持ち方」となっています。(朝日新聞・大阪本社発行、9月12日・朝刊、e5面)

 「…()づらい」というのは、動詞の連用形に付いて複合語を作る言葉です。

 世界のあちこちに出かけたいけれども、費用や日程の点から「行きづらい」場所があります。すらすら読みたいけれども「読みづらい」言葉や文字が書かれている文章があります。つまり、「…()づらい」は、事柄が円滑に運んでほしいという願いとは裏腹に、差し支えが生じることを表す言葉です。

 「肩こりしづらい」とは、肩こりをしたいのに、肩こりができないという意味になります。これが、この言葉の一般的な使い方であると思います。

 この場合は、「肩こりしにくいカバンの持ち方」と言えば、何の抵抗もありませんが、「肩こりしづらい」には大きな抵抗感があります。

 もしかして、「「…()づらい」」という言葉の用法に何かの変化が生まれてきているのでしょうか。

 もっとも、この図には、次のような言葉も添えられています。

 

1 リュックサックは重心を調節するため、背中が曲がり首が前に出てしまいがち →あごを引き、胸を張る姿勢を保つ

2 (前文略) →あごを引き、胸を張る姿勢を保つ

3 (前文略) →腕に力を入れて、肩が傾かないようにして持つ

 

 肩こりになりたいという願望を持っていても、「→」印の後に書いてあるようなことをしたら、肩こりになれませんよ、と言いたいのかもしれないと思いました。それが、本当の「肩こりしづらい」の意味であるのです。

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2015年10月12日 (月)

奥州道中10次(1)

はじめに

 

 江戸時代の五街道を東海道、中山道の順に歩いてきて、今年5月27日には日光道中を歩き終えました。

 その27日にはJR日光線で宇都宮に引き返して、日光道中と奥州道中の分岐点に戻り、27日と28日の2日間、宇都宮宿から氏家宿までを歩きました。

 暑い夏の間は昼寝をむさぼっておりましたが、10月1日から3日まで、氏家宿から白河宿までを歩き終えました。東海道53次や中山道69次に比べると、奥州道中はわずかに10次ですから、あっと言う間に終わりました。

 歩くのを休んでいた間に、あの関東・東北の豪雨禍がありました。日光道中は南から北に向かう道ですから、あの豪雨が居座った地域と一致しているのです。利根川は古河宿の手前で越えました。鬼怒川は白沢宿と氏家宿の間で渡りました。どちらも晩春・初夏のことです。

 能因法師に「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」という歌があります。後拾遺和歌集の詞書きによると、作者が陸奥に下ったときに、白河の関で詠んだ歌となっています。春霞と秋風を対比して、道のりの遠さを詠んでいます。けれども、平安時代の末期になると、この歌は虚構であるという説が有力になりました。

 都から白河関まで歩くにしてもそんなに長い時間は必要でないのです。いささか誇張された歌であることは否定できません。

 私は、今年の春、3月23日に東都・日本橋を出発して、日光まで行ってから奥州道中に入り、10月3日に白河の関を越えて白河宿に着きました。まさに「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」という印象ですが、実際に歩いた日数はそんなに多くはありません。

 ただし、能因の歌の「都」は江戸ではなくて京です。江戸時代の五街道に準じて言うと、東海道(京都から東京まで)と日光道中(東京から宇都宮まで)と奥州道中(宇都宮から白河まで)とを歩き継いだことになります。

 さて、これからしばらくの間、奥州道中を歩いた文章を、写真とともに連載します。私は、1019日に日本橋を発って、次は甲州道中を下諏訪に向かう予定にしています。奥州道中記の次は甲州道中記を書く予定です。

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2015年10月11日 (日)

日本語への信頼(114)

ずいぶん長い言い訳

 

 新聞の1面を広げて、真っ先に読むのは新聞の顔とでも言うべきコラムの文章です。気持ちのよい文章を読んだら、その日が爽快に始まります。そうでなければ、その反対の気分です。「天声人語」でこんな文章に出会いました。

 

 敬愛する他紙の名文家が、コラムを書くときは「第一感」に従うなと著作で言っていた。例えば土用の丑の日なら、ウナギ好きだった斎藤茂吉の歌や逸話がまず思い浮かんでも、それは捨てろと。自分がすぐに思いつくことは、誰でも思いつく。

 雪なら中谷宇吉郎博士の「雪は天から送られた手紙」の言葉、野球なら正岡子規-では発想が陳腐すぎると厳しい。となればサンマに佐藤春夫などもってのほか。だからこっそり書くのだが、〈あはれ/秋風よ/情(こころ)あらば伝へてよ……〉。今年も「秋刀魚(さんま)の歌」の季節である。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1010日・朝刊、13版、1面)

 

 このあとにサンマの話題が続くのですが、ここまでで全体の4割の文字が使われています。ずいぶん長い言い訳です。「敬愛する他紙の名文家」の考えに従わないのなら、こんなことを書く必要はありません。後ろに書く文章内容が短すぎるから、こんなことをダラダラ書いたのかとも思いたくなります。

 もう一つ、気になることがあります。段落構成です。

 佐藤春夫の話題が持ち出されるところ(「となれば…」以降、または「だからこっそり」以降のどちらか)で段落が改められると考えるべきでしょう。それより前を一段落とするか、二段落とするかはどちらでもよいと思いますが、ともかくこのままの段落構成はおかしいと思います。

 コラムという性質上、仕方のないことかもしれせんが、「天声人語」の段落の切り方は実におかしなことが頻出します。何行か過ぎたら無造作に▼印を入れているのです。

 「天声人語」を「名文」として書き写しを推奨するのなら、段落構成をしっかりさせなければなりません。新聞のコラムは何行か置きに▼印を入れなければならないというのは言い訳です。▼印から次の▼印までの間がきちんとした段落内容となるように考えて文章を書かなければなりません。

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2015年10月10日 (土)

日本語への信頼(113)

閉館する百貨店の開店

 

 開館の対語は閉館、開店の対語は閉店です。開店は、初めて店を開いて商売を始めることにも使い、店を開けてその日の商売を始めることにも使います。けれども、2つの意味を交えて文章を書くことは避けるべきでしょう。

 

 建て替えのため、1230日に閉館する大丸心斎橋店本館(大阪市中央区)で9日、「売り尽くしセール」が始まった。歴史的価値のある景観で知られるため、外壁を残すなどして2019年に新装開店する予定だ。

 開店の午前10時前、計約500人が店の前に並んだ。店内は婦人靴やアクセサリーなどのセール品を探す客でにぎわった。

 (朝日新聞・大阪本社発行、10月9日・夕刊、3版、10)

 

 これは記事の冒頭から途中までの引用です。

 「閉館」の対語が「(新装)開店」となっています。いったん閉店する百貨店ですが、歴史的価値のある建物ですから「閉館」と書いたのでしょう。

 「閉館」する予定の百貨店が、午前10時前に「開店」したというのは、「開館・閉館」「開店・閉店」という言葉にそれぞれ2つの意味がありますから仕方のないことでしょう。

 それでも、言葉に厳密な対応関係がないということが気になります。

 おかしいと言えば、「計約500人」というのは、何と何を合わせた「計」なのでしょうか。入口がいくつかあったのでしょうか。書かれていないからわかりません。

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2015年10月 9日 (金)

日本語への信頼(112)

「物の名」の歌の面白さ

 

 伊勢物語に出てくる、よく知られた歌「からごろも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」は、物の名を一首の歌に隠して詠み込んでいます。昔、清音と濁音は、表記の上では区別されておりませんでした。ここに揚げた歌も、本来は清音ばかりで書かれていました。この歌の5音・7音のそれぞれの初めの音を並べると「かきつはた」(すなわち、杜若)になります。

 高野公彦さんの『ことばの森林浴』(柊書房刊、20081120日発行)を読んでいて、こんな楽しい歌に出会いました。

 

 いづみ川いせきいせきにかかる浪の憂し名の立たむ恋よ逢はずも

 

という歌です。(同書、31ページ)

 この歌には「国の名十づつを入れて恋の心を」という前書きがあるそうです。この歌に詠まれている国の名は、順に、伊豆、三河、伊勢、紀伊、加賀、美濃、信濃、丹後、伊予、阿波の十か国だそうです。実はそのものずばりで和泉も入っているのですが、同じ部分を2回使うことになるので除外したのでしょう。阿波と同音の国名に安房もあります。

 前書きがなければ、この歌の技巧はなかなか見つけられないと思いますが、昔はこのような言葉遊びをしていたのです。

 この本の同じページに、こんな歌も紹介されています。

 

 腰高のきみ飛行機のタラップを降りつつころぶ上海に来て

 

 こちらは現代の作品で、青柳秀忠さんが、高野公彦さんの名を詠み込んだ歌だと言います。

 さて今回は、そのような紹介でお終いです。それに倣って(習って)私も一首といきたいところですが、未完成です。こういう遊びはなかなか時間がかかるものです。いずれそのうちに拙作もご紹介したい思いますが、まだまだ先のことになりそうです。

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2015年10月 8日 (木)

日本語への信頼(111)

「未病」のブランド化

 

 国語辞典にはまだ載っていないでしょうが、「未病」という言葉を目にすることがあります。

 この「未病」を定義づけている文章がありました。

 

 「未病」とは、健康と病気を明確に区分するのではなく、心身の「健康と病気の間で連続的に変化する」状態のことです。神奈川県は世界有数の速さで超高齢化・少子化が進んでいきます。ずっと元気に暮らしていくために、未病を身近なものとして考え、日常の生活の中で心身の状態を整えて、より健康な状態へ近づけていきましょう。

 (神奈川県 県民局 くらし県民部 広報県民課「かながわ県のたより」10月号、2面)

 

 この記事には、「MEBYO」いうロゴが書かれていて、次のようなことが書いてあります。

 

 MEBYO」は、「未病」の概念の普及に役立てるため、昨年商標登録しました。県は商標「MEBYO」のブランド化をめざしています。

 

 ブランドとは、人々や社会にとって価値のあるもののことで、物だけではなく、空間や考え方なども含まれると考えるのがよいのでしょう。そして、ブランド化とは、そのようなブランドが独自の価値を持つようになることでしょう。

 神奈川県のホームページでも「未病」のことを大きく取り上げています。「未病」という概念が広く社会に行きわたることを神奈川県は目指しているようで、大いに賛成です。ところで、概念の普及のために、ローマ字書きしたものを商標登録したというのですが、その意味や意図がよくわからないのです。ローマ字書きしたものは、神奈川県以外が使うことを認めないというような意図でもあるのでしょうか。

 

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2015年10月 7日 (水)

日本語への信頼(110)

「違和感」という言葉の違和感

 

 「違和感」という言葉の使い方が気になったのは、もう随分前のことです。スポーツ選手が、「腰のあたりに違和感があるので、出場を取り止める」とか、「右肘に違和感があって、力が入らない」とか言っているのを聞いたときです。「違和感」にそのような意味があるのかと驚いたのです。

 けれども、「三省堂国語辞典」には、医薬・病気の分野の意味として、「からだの調子が悪くて、なんとも言えないいやな感じ。」と書いてありました。「違和感」は、もしかしたら、それが出発点で、心の様子も表すようになったのかもしれません。

 違和感という言葉が話題として取り上げられている文章に出会いました。「天声人語」の文章の冒頭部分です。

 

 違和感という言葉は、なるべく使いたくない。辞書には、なんともいえない嫌な気分、しっくりしない感じ、などとある。何かを批判する時に「違和感がある」と言うと、もっともらしく聞こえるが、言われた方は具体的にどうすればいいかわからない。

 (朝日新聞・大阪本社発行、10月1日・朝刊、13版、1面)

 

 スポーツ選手の場合は、自分で自分のことを「違和感がある」と言っているのですが、一般的には、他者を批判するときに「違和感がある」と言うことが多いようです。コラムの筆者の言うとおりだと思います。

 「違和感がある」という言葉は、強い批判の言葉ではありませんが、「言われた方は具体的にどうすればいいかわからない」のです。ある種、無責任な、感覚的な批判になります。ただし、「違和感」という言葉に、「なんともいえない嫌な気分」というような重みがあるのだろうかという疑問は残ります。

 「新明解国語辞典・第四版」の説明は次のようになっています。

 

①生理的・(心理的)にしっくり来ないという感覚や、周囲の雰囲気や人間関係とどことなくそぐわないという判断。

②その人の理想像や価値観から見て、どこかしら食い違っているという印象。

 

 この説明のように、「どことなくそぐわない」とか「どこかしら食い違っている」とかという曖昧さが、「違和感」という言葉の本質であるように思います。だから、具体的な内容を指摘しないで、「違和感がある」と言うのは無責任な言い方だと思うのです。

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2015年10月 6日 (火)

日本語への信頼(109)

国語辞典の説明は難しい

 

 専門用語であるのか日常語であるのかはわかりませんが、「のり【法】」とか「のりめん【法面】」かいう言葉を聞くことがあります。

 「法面(のりめん)における防災対策を進めています」という広報記事に、次のように書いてありました。

 

 当社では、降雨時にも鉄道輸送の安全を確保するため、降雨に対する法面の強度を高める工事を継続的に行っています。平成27年度は、墨染駅から藤森駅間にある藤森橋梁付近の法面に対してコンクリートによる防護を実施しています。

 (京阪電気鉄道『K PRESS10月号、16)

 

 「日本国語大辞典」には「のりめん」という見出しはありません。「のり【法・則・矩・典・憲・範・制・程・度】」にはたくさんの意味が並んでいますが、次の説明が該当すると思います。

 

 築堤の切り取りなどの斜面の垂直からの傾斜の度合い。

 

 「広辞苑・第四版」にも「のりめん」という見出しはなく、「のり【法・則・典・範・矩】」の中の、次の説明が該当すると思います。

 

 築堤の切り取りなどの、垂直からの傾斜の程度。斜面。

 

 小型の国語辞典では、「のり」を「差し渡しの長さ。」などとしているものが多いようですが、それは「のりめん」の解釈には役立ちません。

 先の2つの辞典の説明によると、「のり【法】」は、〔築堤などの切り取りなどの斜面〕の〔傾斜の度合い(程度)〕だと言います。

 そうすると、「のりめん【法面】」は、〔傾斜の度合い(程度)〕のある〔築堤などの切り取りなどの斜面〕ということでしょうか。もっと簡単に〔築堤などの斜面〕と言ってしまって良いのでしょうか。

 『K PRESS』には写真が付いていますから誤解は生じません。けれども、この言葉を国語辞典の説明によって解釈しようとすると、なかなかたいへんなことになります。

 

 

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2015年10月 5日 (月)

日本語への信頼(108)

ありふれた言葉が人の心をとらえる

 

 食生活ジャーナリストと言われた岸朝子さんが91歳の生涯を閉じました。その人となりを偲んだ記事の中に、次のようなことが書かれていました。

 

 グルメブームを牽引したフジテレビ系の人気番組「料理の鉄人」(平成5~11)の審査員としてお茶の間の人気も集め、試食時の「おいしゅうございます」の一言を聞きたいがために料理人たちが切磋琢磨した。 …(中略)

 番組では解説者を務めた服部校長は「『おいしゅうございます』は料理人にとって最高の褒め言葉。多くの料理人がその言葉を聞きたいとハラハラ、ドキドキした魔法の言葉。岸さんに評価されなかった人も、もっと頑張ろうとした」と振り返る。 …(中略)

 「おいしゅうございます」は、動植物の命をいただくことへの感謝の言葉でもあった。

 (産経新聞・東京本社発行、10月1日・朝刊、12版、22)

 

 食べ物の味をつぶさに表現することは至難の技です。美味しさを伝える言葉を探すこともなかなかたいへんなことです。

 何かと大げさな言葉を追い求め、新しい表現をしようとするのが新聞や放送の世界の常です。使い続けてきた言葉では表現できないかのような錯覚に陥って、次々と新奇な表現を試みています。けれども、たいていは空回りの連続です。

 旅番組とかグルメ番組と言われるテレビで、若いリポーターであれ、熟年の俳優であれ、いかにも美味しそうに顔をほころばせて「うーん、おいしいー」と大声を出す場面に出会うことがありますが、見ている人の心をつかむことがないのはなぜなのでしょうか。言葉の限界を感じて、表情やそぶりだけでそれを演出しようとする人もいます。大げさになればなるほど、見ている方では興ざめをしてしまいます。

 私たちは、たとえ平凡な言葉であっても、その言葉を使う人の心に触れて、感動を呼び起こしているのです。言葉は、それを使う人と結びついています。誰でもが「おいしゅうございます」という言葉を使えば、人の心を動かすわけではありません。岸朝子さんであるからこそのことでしょう。

 忘れてはいけないのは、一見当たり前であるような言葉が人の心を揺り動かすという事実です。平凡な一言であっても、言葉を発した人の心の中が表現されていれば、聞く人の胸に届くのです。

 岸朝子さんは言葉の達人であったのでしょう。だからこそ、ありふれたような言葉が、人の心をとらえて離さなかったのでしょう。

 

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2015年10月 4日 (日)

日本語への信頼(107)

日本、我が国、本邦、そして…

 

 日本を表す言葉として、「日本」や「我が国」が使われて、時には「本邦」という言葉も使われます。我が国の国民を表す言葉としては「日本人」の他に「邦人」も使われます。

 ちょっとびっくりした言葉に出会いました。東京新聞文化面の著名なコラム「大波小波」の中で使われていました。

 

 先日の本紙文化面で取り上げられていたが、今年になって日本でようやく春画が公開されたことは慶賀すべきである。だが欧米で評価の高い芸術の展示が、なぜ本朝ではかくも遅れたのか。

 (東京新聞、10月3日・夕刊、7面)

 

 ここでは、「欧米」と対になる言葉として「本朝」が使われています。「本朝」が日本を表すことは言うまでもありませんが、何とも古い言葉に出会いました。

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」で始まる「平家物語」の冒頭部分には、「遠く異朝をとぶらふに…」「近く本朝を窺ふに…」という有名な対の表現があります。この場合の異朝は中国のことが念頭にあり、本朝はもちろん日本のことです。

 説話集の「今昔物語集」は、1000余話の全体を、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)に分けています。

 「本朝」は、その他の古典作品の題名などに使われることもありました。

 けれども、それらはやはり古い時代の言葉であって、「本朝」が現在に生きているとは思ってもみなかったのです。「本朝」の「朝」は、言うまでもなく「朝廷」のことですから、現在では使うのを避けているのでしょう。

 日本に帰国することを「帰朝」と言うのも少なくなっていると思います。

 ともかく「本朝」という絶滅したかのような言葉に出会って、驚きました。

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2015年10月 3日 (土)

日本語への信頼(106)

むくむく動き出した「領袖」という言葉

 

 万葉集の時代から使われている言葉に「ひれ【領布、肩布】」というのがあります。正式の服装をするときに、女性が襟から肩に掛けた細長く白い布のことです。魔除けのまじないとしての働きがあり、別れを惜しむときなどに振りました。

 政治と政局とは意味が違いますが、政局が動き出すと「領袖」という言葉が、むくむくと動き出すことがあります。言葉はひとりでに動き出すものではありません。使う人がいるのです。

 

 中選挙区制時代は、同一選挙区で複数の自民候補が争ったため、派閥の領袖(りょうしゅう)は自派の議員を一人でも増やそうと、党執行部に公認を働きかけたり、資金を配ったりして支援した。所属議員もその恩義に報い、よいポストに就こうと領袖を総裁選で必死に応援した。

 (朝日新聞・大阪本社発行、9月29日・朝刊、13版、4面)

 

 この記事では、一見、過去の言葉のように使っています。けれども、これからの政局の動きの中で、「領袖」を何度も目にすることになるでしょう。

 この「領袖」という言葉の「領」は襟という意味です。衣服の中では襟も袖も目立つ部分です。集団の中で目立つ人間を領袖と呼ぶのです。特に政治の世界では目立ちたがり屋が多く、目立たなければ指導者にはなれません。

 国語辞典を見ればわかりますが、「領袖」の使用例は、ほとんどが「政党の領袖」や「党派の領袖」で、他にはわずかに「医学界の領袖」などがあるだけです。もっとも、医師連や歯科医師連は政治と結びついて問題を起こしたりしています。

 領袖という言葉は、政治家たちが使っている言葉なのでしょうか。それとも報道機関が使いはじめた言葉なのでしょうか。私たちは、日常生活で領袖というような言葉を使ったりはしません。報道機関が使うから目にするだけです。しかも、政局が動くようなときに頭を持ち上げてきます。慣用であり、深く考えずに持ち出す言葉です。「領袖」を他の言葉に置き換えることなどは、いとも容易にできるのですが…。

 さて、同じ日の「天声人語」はこんな言葉で始まっていました。

 

 ニホンザルの群れと聞くと、ボスザルを思い浮かべる。ボスが入れ替われば「政権交代」、ずっと居座れば「長期政権」といった新聞の見出しになる。だが、ボスは群れの支配者というわけではないらしい。

 (朝日新聞・大阪本社発行、9月29日・朝刊、13版、1面)

 

 「…といった新聞の見出しになる」というのは、筆者とは無関係の現象であるかのような表現です。けれども、「政権交代」も「長期政権」も、新聞が条件反射的に使う慣用語です。

 

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2015年10月 2日 (金)

日本語への信頼(105)

「ややもすれば」間違ったことを教えることに

 

 言葉の意味や用法を間違って覚え込んでしまうと、それを白紙に戻すにはちょっとした努力が必要になります。

 「言葉でおしゃれを()」というコラムでは、「僕は万葉学の研究者として奈良に暮らし、日本人が古くから使ってきた言葉を調べています。」という自信に満ちた言葉で飾られていますから、そこに書かれている内容については、誰もが信頼してしまいます。間違って覚え込んでしまう危険が潜んでいます。

 その文章の欄外に、「奥深い日本語」として、「ごめんください」「おめかし」「ややもすれば」「お口汚し」の4つが紹介されています。これらの言葉がどのように奥深いのかは理解できませんが、そのうちの「ややもすれば」については次のように説明されています。

 

 ややもすれば… 予想される事柄に陥る、の意で「ややもすれば明日遅刻してしまうだろうから」などと助言すれば角が立たない

 (朝日新聞・大阪本社発行、9月28日・朝刊、13版、28)

 

 この「ややもすれば明日遅刻してしまうだろうから」という用例が、意味不明です。「あなたは、ややもすれば明日遅刻してしまうだろう」ということなのでしょうか。他人の明日の出来事を「ややもすれば」と言って予測することなどは、できません。あまりにも失礼な言葉遣いです。こんなことを言われたら、大いに「角が立」ちます。

 「ややもすれば」という言葉は、予想される事柄に陥るという意味ではありません。「ややもすれば」「ややもすると」は、「ともすれば」「ともすると」と同じ意味で、そのことを強く意識しないで、うっかりしたり放置したりしていると(まずいことになるかもしれない)、という意味です。

 私たちは、ややもすればいい加減な言葉遣いをしがちです。私たちは、ややもすれば美しい日本語を使おうとする努力を怠ります。私たちは、ややもすれば他人の言うことをそのまま信用してしまうことになるでしょう。

 けれども、そのような事態に必ず陥るわけではありません。「ややもすれば」という言葉は、その程度のことをあらわしているのです。その言葉の持つ語感が、記事では説明されていません。

 「広辞苑・第四版」の「ややもすれば【動もすれば】」の項目には、次のように書いてあります。

 

 ともすれば。どうかすると。ややもすると。「-気持がゆるみがちになる」

 

 万葉学の研究者と自任する人であっても、「ややもすれば」こういう間違ったことを述べることがあるのです。記事の引用した部分を、訂正もしないでこのまま放置しておくと、間違った使い方をする人の数がしだいに増殖していくことになるかもしれません。

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2015年10月 1日 (木)

日本語への信頼(104)

東京人の感覚

 

 今回の話題は、些細な、実に些細な事柄です。少なくとも東京人にとってはとるに足りないことなのです。けれども関西の人たちにとっては気にかかることです。

 NHKラジオ第1放送に「ラジオ深夜便」という番組があって、その中に「くらしの中のことば」というコーナーがあります。

 2010年からの5年間は方言についての話題が語られて、電話でのインタビュー相手は、国立国語研究所名誉所員の方でした。毎回、面白くて楽しい話がありました。

 このたび、それをまとめた本が出版されました。『滅びゆく日本の方言』(新日本出版社刊、2015年9月10日発行)です。その本も興味深く読みました。

 ただし、1箇所だけ、違和感を覚えたところがありました。「あほ・ばかの方言」という章です。

 

 テレビ朝日(大阪)に、視聴者の依頼に答えてさまざまな調査をおこなう「探偵ナイトスクープ」という番組がある。この番組に、ある視聴者から、「あほ」と「ばか」の境界はどこにあるか調べてほしいという依頼が来た。そこでテレビ朝日では全国の教育委員会に手紙を出し、各地の「あほ・ばか」の表現を調査した。 …(中略)

 この番組は、テレビ朝日のディレクター(当時)の松本修氏の企画によるものであるが、その後松本氏は、全国に分布しているアホバカ方言が、いつの時代の中央(京都・江戸)文献に現れるかも精査して『全国アホバカ分布考 -はるかなる言葉の旅路』(大田出版)という名著を刊行した。      (同書、9194ページ)

 

 平成時代の「中央」は東京です。日本の中央としての東京の鼻息はとても荒いと思います。東京に住む一人ひとりもそのような感覚を持っているのかも知れません。

 「探偵ナイトスクープ」は「朝日放送」が制作する名物番組です。けれども、大阪に本社に置き、東京証券取引所の1部に上場する朝日放送(1951年設立)であっても、東京の人にとっては「テレビ朝日」(1957年、日本教育テレビとして設立。テレビ朝日という名前になったのはずっと後年)の一部に過ぎないと思われているのでしょう。

 東京の人は、毎日放送(大阪)はTBSの支店、讀賣テレビ(大阪)は日本テレビの支局、関西テレビ(大阪)はフジテレビの出張所という感覚かもしれません。

 NHK大阪放送局は、「しぶ5時」(という不遜な名前の番組)を作っている渋谷のNHK放送センターの出先機関という感覚かもしれません。

 『滅びゆく日本の方言』ではわずか4ページに、テレビ朝日という言葉が、5回も使われていました。著者の不明を非難しているのではありません。東京に住む人の感覚とはこのようなものであるということを改めて知らされた思いです。

 新聞で言えば、朝日新聞も、毎日新聞も、産経新聞も大阪が発祥です。東京発祥の読売を含めて、大阪の放送局が、朝日、毎日、讀賣という名前を冠している矜持を関西人は忘れてはならないと思います。

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