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2015年11月30日 (月)

【掲載記事の一覧】

 奥州道中の連載が終わりました。これで、中山道、日光道中、奥州道中が終わりました。引き続いて、甲州道中の連載を始めます。

 甲州道中は12月初めに韮崎~下諏訪を歩き終えますから、これで5街道すべてを踏破したことになります。東海道だけは記事を掲載しておりません。

 「【明石方言】 改訂最終版・明石日常生活語辞典」の全体編は休載のままですが、この辞典の修正・加筆作業は毎日続けております。加筆した部分がかなりの量になってきています。

 ブログをお読みくださってありがとうございます。

 お気づきのことなどは、下記あてにメールでお願いします。

 gaact108@actv.zaq.ne.jp

 これまでに連載した内容の一覧を記します。

 

◆日本語への信頼 ()(129)~継続予定

    [2015年6月9日開始~ 最新は20151130日]

 

◆【明石方言】 明石日常生活語辞典 ()(1998)~継続予定

    [2009年7月8日開始~ 最新は2015年6月8日]

 

◆新・言葉カメラ ()(18)~継続予定

    [201310月1日開始~ 最新は20131031日]

 

◆名寸隅の記 ()(138)~継続予定

    [2012年9月20日開始~ 最新は2013年9月5日]

 

……【以下は、連載を終了したものです。】……………………

 

◆中山道をたどる ()(424)

    [201311月1日開始~2015年3月31日終了]

 

◆日光道中ひとり旅 ()(58)

    [2015年4月1日開始~ 最新は2015年6月23日]

 

◆奥州道中10次 ()(35)

    [20151012日開始~ 最新は20151121日]

 

◆江井ヶ島と魚住の桜 ()()

    [2014年4月7日開始~2014年4月12日終了]

 

◆言葉カメラ ()(385)

    [2007年1月5日開始~2010年3月10日終了]

 

◆『明石日常生活語辞典』写真版 ()()

    [2010年9月10日開始~2011年9月13日終了]

 

◆新西国霊場を訪ねる ()(21)

 2014年5月10日開始~ 最新は2014年5月30日]

 

◆放射状に歩く ()(139)

 2013年4月13日開始~ 最新は2014年5月9日]

 

◆百載一遇 ()()

    [2014年1月1日開始~ 最新は2014年1月30日]

 

◆茜の空 ()(27)

    [2012年7月4日開始~ 最新は2013年8月28日]

 

◆国語教育を素朴に語る ()(51)

    [2006年8月29日開始~20071212日終了]

 

◆改稿「国語教育を素朴に語る」 ()(102)

    [2008年2月25日開始~2008年7月20日終了]

 

◆消えたもの惜別 ()(10)

    [2009年9月1日開始~2009年9月10日終了]

 

◆地名のウフフ ()()

    [2012年1月1日開始~2012年1月4日終了]

 

◆ことことてくてく ()(26)

    [2012年4月3日開始~2012年5月3日終了]

 

◆テクのろヂイ ()(40)

    [2009年1月11日開始~2009年6月30日終了]

 

◆神戸圏の文学散歩 ()()

    [20061227日開始~20061231日終了]

 

◆母なる言葉 ()(10)

    [2008年1月1日開始~2008年1月10日終了]

 

◆六甲の山並み[言葉つれづれ] ()()

   [20061223日開始~20061226日終了]

 

◆おもしろ日本語・ふしぎ日本語 ()(29)

    [2007年1月1日開始~2009年6月4日終了]

 

◆西島物語 ()()

    [2008年1月11日開始~2008年1月18日終了]

 

◆鉄道切符コレクション ()(24)

    [2007年7月8日開始~2007年7月31日終了]

 

◆足下の観光案内 ()(12)

    [20081114日開始~20081125日終了]

 

◆写真特集・薔薇 ()(31)

    [2009年5月18日開始~2009年6月22日終了]

 

◆写真特集・さくら ()(71)

    [2007年4月7日開始~2009年5月8日終了]

 

◆写真特集・うめ ()(42)

    [2008年2月11日開始~2009年3月16日終了]

 

◆写真特集・きく ()()

    [20071127日開始~20081113日終了]

 

◆写真特集・紅葉黄葉 ()(19)

    [200712月1日開始~20081215日終了]

 

◆写真特集・季節の花 ()()

    [2007年5月8日開始~2007年6月30日終了]

 

◆屏風ヶ浦の四季 [2007年8月31日]

 

◆昔むかしの物語 [2007年4月18日]

 

◆小さなニュース [2008年2月28日]

 

◆辰の絵馬    [2012年1月1日]

 

◆しょんがつ ゆうたら ええもんや ()(13)

    [2009年1月1日開始~2010年1月3日終了]

 

◆文章の作成法 ()()

    [2012年7月2日開始~2012年7月8日終了]

 

◆朔日・名寸隅 ()(19)

    [200912月1日開始~2011年6月1日終了]

 

◆教職課程での試み ()(24)

    [2008年9月1日開始~2008年9月24日終了]

 

◆相手を思いやる姿勢と、自分を表現する力 ()()

    [200610月2日開始~200610月4日終了]

 

◆学力づくりのための基本的な視点 ()()

    [200610月5日開始~20061011日終了]

 

◆教員志望者に必要な読解力・表現力 ()(18)

    [20061016日開始~200611月2日終了]

 

◆教職をめざす若い人たちに ()()

    [2007年6月1日開始~2007年6月6日終了]

 

◆これからの国語科教育 ()(10)

    [2007年8月1日開始~2007年8月10日終了]

 

◆現代の言葉について考える ()()

    [2007年7月1日開始~2007年7月7日終了]

 

◆自分を表現する文章を書くために ()(11)

    [20071020日開始~20071030日終了]

 

◆兵庫県の方言 ()()

    [20061012日開始~20061015日終了]

 

◆暮らしに息づく郷土の方言 ()(10)

    [2007年8月11日開始~2007年8月20日終了]

 

◆姫路ことばの今昔 ()(12)

    [2007年9月1日開始~2007年9月12日終了]

 

◆私の鉄道方言辞典 ()(17)

    [2007年9月13日開始~2007年9月29日終了]

 

◆高校生に語りかけたこと ()(29)

    [200611月9日開始~200612月7日終了]

 

◆ゆったり ほっこり 方言詩 ()(42)

    [2007年2月1日開始~2007年5月7日終了]

 

◆高校生に向かって書いたこと ()(15)

    [200612月8日開始~20061222日終了]

 

◆1年たちました ()()

    [2007年8月21日開始~2007年8月27日終了]

 

◆明石焼の歌 ()()

    [2007年8月28日開始~2007年8月30日終了]

 

◆失って考えること ()()

    [2012年9月14日開始~2012年9月19日終了]

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日本語への信頼(129)

「予想を上回る」と「想定外」

 

 大震災や原発事故などの報道を通じて「想定外」という言葉がよく使われました。ところが、「想定外」という言葉は良い印象で使われる言葉ではありません。想定していなかったのはけしからん、というような響きがあります。

 マイナンバー(共通番号)の通知カードの配達に関して、次のようなニュースがありました。

 

 徳島市では7%にあたる約8000通が戻ってきた。返送されてくるカードに備え、保管用のキャビネット2基を確保していたが、「予想を上回る量だ」と、3基目を用意した。

 (読売新聞・大阪本社発行、1128日・夕刊、3版、1面)

 

 宛名不明や受取人不在などの理由で市町村に返送されるカードが増えているのは、全国の実情でしょう。関西の状況がいくつか書かれているニュースです。

 この記事では30行程度の文章のまとまりに小さな見出しが付いています。引用した文章などをひっくるめて、「想定外の量」という見出しが付いています。この30行ほどの文章の中に「予想を上回る量」というような表現は、他には書かれていません。

 ということは、記事を書いた人(と、文章を整理した人)の感覚では、「予想を上回る」と「想定外」とは、ほぼ同じ意味と考えてよいのではないでしょうか。

 「想定外」という言葉に批判めいた響きがあるのなら、「想定外」などと言われないためには、予想の数値を大きくしておかなければならないということになります。予想と実際の結果とがぴったり一致することは、めったにありません。予想より大きな数字か小さな数字になるのが実際の姿です。そのとき、予想を上回る数字になったときに、ただちに「想定外」などという、批判的な言葉を使われたのでは、たまったものではないと思います。

 そろそろ「想定外」などという、大げさな言葉を使うことはおしまいにしてはどうでしょうか。

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2015年11月29日 (日)

日本語への信頼(128)

人の名前をもてあそぶなかれ

 

 言葉は人の間に生まれて、人の間で広がっていくものです。それが、口から口へ伝わっていくのなら、望ましい言葉とそうでない言葉とがフィルターにかけられて、望ましくない言葉が流布しないようにする良識が働くことがあります。

 そんな良識をかなぐり捨てて、面白おかしく伝えるのが報道機関、とりわけテレビやラジオです。

 こんな文章を、朝日新聞の「声」欄で見ました。

 

 小学生の子どもを持つ母親たちと名前の話をした。読み方が難しいキラキラネームの話となり、「キラキラネームの反対が、シワシワネームと言うらしいよ」と聞いた。思わず「シワシワネームって何?」と聞き返すと、「古めかしい名前のことで、年寄りっぽく、顔がシワシワのイメージから来たみたい」と教わった。

 キラキラネームの次はシワシワネームか、色々な名前の呼び方が出てくるものだと思いながらも、「シワシワネーム」という言葉に違和感を覚えた。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1126日・朝刊、10版、14)

 

 この投稿者(主婦)の感覚は正常で、新聞がこの投書を掲載することから判断すると新聞社の感覚も正常のようです。

 「キラキラネーム」「シワシワネーム」をホームページで検索すると、特定のテレビ放送局の、特定の番組の、特定の出演者のことが大きく取り上げられています。放送局には、本当の意味での倫理規定などは欠如しているようです。

 テレビは、時代の先端を走っているなどという錯覚を持たないでほしいと思います。よくない言葉遣いの先端をテレビが走らないようにするという自戒を持たなければなりません。何よりも、人の名前をもてあそぶようなことは、してはなりません。

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2015年11月28日 (土)

日本語への信頼(127)

「裏」という言葉

 

 朝日新聞の「ことばの広場 校閲センターから」という欄で、「裏」という言葉が取り上げられていました。

 

 集団的自衛権をめぐるニュースで、「自衛隊が地球の裏側にまで行くことになる」などと言われることがあります。この「裏側」について、「日本が表側とは思い上がり。『裏』にされた方は面白くないはず」とのメールが読者から届きました。

 「地球の裏側」は、場所を特定しない抽象的な表現のほか、南米を指す際にも使われます。本紙声欄にもブラジルの日系2世の女性から「南米というと必ず『地球の裏側』と形容され不愉快」との投稿がありました。共通するのは、「裏」には負のイメージがあるとの指摘です。

 差別的だとして死語になった言葉に「裏日本」があります。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1125日・朝刊、10版、15)

 

 人は、誰でも自分のいるところを中心にして、ものを考えます。それは、よくないことではありません。けれども、自分のいるところが「表」であると考えるのは行き過ぎでしょう。南米は、日本から見て「地球の裏側」ではなくて「地球の反対側」でしょう。

 「表日本」「裏日本」は、中心となるところと、そうでないところというイメージが伴いますから、まさに「負のイメージ」です。

 論説を書く人でも、そのようなイメージを持って、「社説」を書いています。

 

 さまざまな自然災害は美しい国土の「裏の顔」でもある。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1121日・朝刊、10版、14)

 

 「裏の顔」ではなく、「別の顔」という表現もできるでしょう。

 考えてみれば、「表裏一体」という言葉の「裏」も、「負のイメージ」から抜け出せていないようです。同じ社説には、次のような言葉もありました。

 

 子どもたちに郷土の美しさと表裏一体の弱点に気づかせ、災害時にどこへどう逃げるかを考えさせる。

 

 地名のことに帰ると、「裏」は裏磐梯(福島県)などに使われ、隠れた観光地というイメージを活用しています。また、「奥」という言葉もイメージをうまく活用して使われ、奥能登(石川県)、奥飛騨(岐阜県)、奥播磨(兵庫県)、奥道後(愛媛県)などと、旅情を感じさせる響きがあります。

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2015年11月27日 (金)

日本語への信頼(126)

「本名」という注記

 

 阪神タイガースの高知県安芸市キャンプを報じる記事に、こんな文章がありました。

 

 高知県観光コンベンション協会のスポーツ課長・坂本龍馬さん(43=本名)は「特に週末は関西や岡山ナンバーの車を見ます。お客さんの4割強は、地元以外の方です」。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1126日・夕刊、3版、2面)

 

 人名に(本名)という注記がされるということは、本名以外に坂本龍馬と名乗る人がいるということでしょうか。それはともかく、(本名)という注記は新鮮というか奇異というか、珍しい書き方でした。

 一方、約半世紀前まで朝日新聞社で使われていた伝書鳩を譲り受けて、現在も子孫の飼育を続ける幼児教育施設のことを報じる記事に、こんな文章がありました。

 

 最終的には約100㌔離れた滋賀県彦根市から戻ってくるようにする。「小さな命を育てることで子どもたちに責任感が育ち、成長につながる」と指導者の原節子さん(55)

 (朝日新聞・大阪本社発行、1126日・夕刊、3版、1面)

 

 この日は、朝刊も夕刊も、映画スターの原節子さんが95歳で亡くなっていたというニュースが大きく扱われました。

 偶然、その日に同じ名前の人がニュースで報じられましたが、こちらには(本名)という注記がありませんでした。何故なのか、と正面から問いかけるつもりはありませんが…。

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2015年11月26日 (木)

日本語への信頼(125)

旅行や借金も品物であるのか

 

 「商品」という言葉は、広辞苑によれば「商売の品物。売買の目的物たる財貨。」です。念のため、「財貨」とは「①貨幣または有価物。②人間の欲望を満足させる物質。」と広辞苑は述べています。「商品」はたいていの国語辞典で「売買の目的で作られた品物」と説明しています。

 つまり、商品とは「品物」であり「財貨」であり「物質」です。目に見えて、手に取ることのできるものというのが、一般的な認識でしょう。

 ところが最近では、手に取ることのできないものを商品と言うことが増えてきました。

 

①インターネット予約限定 特別企画商品! 繁忙ネット割

 (朝日新聞・大阪本社発行、1124日・夕刊、3版、1面。名門大洋フェリーの広告)

②ハイキング・ウォーキング・山旅 商品発表会

 (朝日新聞・大阪本社発行、1124日・夕刊、3版、10面。朝日サンツアーズの広告)

 

 ①は、大阪南港~北九州新門司港の運賃に関するものであり、②は海外ツアーの企画に関するものです。

 世間には、書籍を商品と言ったり、薬類を商品と言ったりすることに抵抗感を持つ人もいます。体験はできますが、目に見えないものが、ほんとうに「商品」なのでしょうか。

 こういう言葉遣いの背景には、儲けられるものはすべて「商品」と呼ぶという思想があるように思われてなりません。

 もしかしたら、病院の医療活動も「商品」なのでしょうか。文化活動に代価を払えばそれも「商品」なのでしょうか。そのようなものの考え方には恐怖感を覚えずにはいられません。

 会社内でこれらの企画を、小さな声で「商品」と呼ぶことはかまわないでしょうが、そのような言葉が堂々と世間に立ち現れてくることは不気味です。

 ものを売って代価をもらう、そのような場合の「もの」は「商品」のはずです。旅行は人の欲望を満足させますが、旅行に行く人は「もの扱い」されているのかもしれません。

 金融商品という言葉が使われるぐらいですから、貯金をさせて利息を払う仕組みも商品なのでしょう。逆に、金を貸しておいて後から元利を回収する仕組みも商品なのでしょう。 消費者からすれば、旅行も借金も「商品」として扱われています。衣食住はもちろんですが、人間の精神生活に関わるものまでが、「もの」として扱われていることになります。

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2015年11月25日 (水)

日本語への信頼(124)

「経済効果」という言葉

 

 阪神タイガースが優勝したらこれだけの経済効果があるとか、もしも新幹線の駅がひとつ新設されたらこれだけの経済効果があるとか、そういうことを計算して発表することが好きな大学教授がいます。すると新聞や放送は飛びついて、大きく報道します。

 さて、実際にはどれだけの効果があったのかという検証はしているのか、していないのか、そんな報道にはあまり接しません。経済効果というアドバルーンだけが面白おかしく報道されます。「経済効果」というのは、言いっぱなしの出任せかもしれません。

 さて、神戸市長田区の新長田駅南地区再開発エリアに兵庫県と神戸市の関係機関を移転する話があるそうです。その「経済効果」について、読者の質問に答えた記事がありました。

 

 今回の機関移転で、長田区には県や市の職員らが新たにおよそ千人働きに来る想定です。一方、国の調査データによると、長田区の平均的な働き手は、物やサービスなどの提供で1人あたり年約1230万円の売り上げがあることになっています。だから、千人がその平均額程度売り上げるとすると、約123億円の経済効果がある-。これが神戸市の説明です。 …(中略)

 新たに働きに来る千人が飲食などをする効果も別に計算しています。市は千人のうち56%が、628円のランチを年に250回食べると想定。他の産業への波及効果も含めて、年約1億3千万円分の経済効果を生むとしています。 …(中略)

 県や市の職員が他の場所から千人いなくなった分はどうなるのでしょう。神戸市に尋ねると「そこは計算していない」との答えが返ってきました。 …(中略)

 移転先の建物の「数十億円」と言われる建設費用や、移転に伴うコストが経済効果から差し引かれるということもないそうです。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1122日・朝刊、「神戸」版、13版△、29)

 

 「経済効果」という言葉が、これほどいい加減な、子供だましのようなものであるのなら、その数字を信用するのは馬鹿げているということになります。

 飲食費のデータもいい加減なものですが、「物やサービスなどの提供で1人あたり年約1230万円の売り上げがあることになっています」という説明には、開いた口が塞がりません。公務員にそんな売り上げなどはあろうはずがありません。

 都合の悪い部分は計算から外して、都合の良い部分だけを積み上げるのが「経済効果」というものだという慣行が、もしかしたら県や市だけでなく、国にも横行しているのでしょうか。大いなる「偽装」です。

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2015年11月24日 (火)

日本語への信頼(123)

「解禁」とは何か

 

 社会は少しずつ、少しずつ進歩していきます。報道に携わる人は、自分が社会を動かしているというような錯覚を持つからでしょうか、性急な人がいます。

 論説委員という肩書きの人が、近鉄特急の切符を買おうとして、クレジットカードが使えなかったということを「葦 夕べに考える」という記事に書いています。

 

 社会部の交通担当だった2003年、東海道新幹線で一般カードが使えないことに驚き、記事を書いた。JR東海は翌年カードを解禁した。あれから11年。大手私鉄は当然OKだと思い込んでいた。

 関西では京阪電鉄も一般カード不可だ。 …(中略)

 近鉄は来年の伊勢志摩サミット、京阪は17年の特急一部有料化に向けて一般カードの解禁を検討している。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1120日・夕刊、3版、14)

 

 まるで自分の記事がJR東海を動かしたと言わんばかりの表現です。関西の私鉄が遅れているという空気もまき散らしています。

 それはさて置き、この文章では、「解禁」という言葉の使い方が間違っています。「鮎釣りの解禁」などと言いますが、「解禁」とは、何らかの事情で禁止していたのを解除することです。鮎釣りの禁止と解除は、毎年繰り返されます。

 新しい制度が「導入」されて便利になることは嬉しいことです。けれども種々の事情で導入が遅れることはあるでしょう。意図的に「禁止」しているわけではありません。便利なものが始まることを「解禁」ととらえる考え方に賛同はできません。

 そもそも、金銭の決済をすべてクレジットカードで行っているなどという人は、社会のごく一部でしかないでしょう。特急券一枚のことをこんな文章にするのは思い上がりではないでしょうか。論説委員の個人的な感情を述べた記事を書く必要があるのでしょうか。

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2015年11月23日 (月)

日本語への信頼(122)

私のものではないマイナンバー

 

 そろそろマイナンバーの通知が手元に届く頃になりました。本当はこんなもの欲しくないと思っている人も多いことでしょう。

 マイホームやマイカーは自分が希望して手に入れようとするのですが、押しつけられて利用されるものに「マイ」などという言葉はふさわしくないと思います。

 「マイ」がついているものは、自分が選んだ、自分専用のもののはずです。たとえ規格に基づいた建て方であっても、マイホームでの生活には自分の工夫が加えられていきます。食堂などで割り箸を使わないでマイ箸を持参する人がいます。変わりばえのしない箸であっても、他の人には使わせない自分専用のものです。

 マイナンバーは、自分で選んだ番号ではありませんし、自分のために活用するものでもありません。この制度の是非の議論はおくとしても、名付けはおかしいと思います。

 カタカナ語を使わないという発想はなかったのでしょうか。マイナンバーを日本語に直せば「私番号」ですが、「個人番号」のような言い方の方がマイナンバーよりは落ち着いた言葉遣いだと思います。

 「個人番号」というのは普通名詞であり、他の事柄と区別しにくいという事情があったのかもしれません。「マイナンバー」という新しいカタカナ語を使えば、この制度固有の呼び名となると考えたのでしょう。

 朝日新聞の「ことばの広場 校閲センターから」という欄でマイナンバーを取り上げた中に、次のような文章がありました。

 

 話をマイナンバーに戻すと、「私個人の」という意味の「マイ」がついた名前にすることは、異論も出たようです。名称を決める有識者会議に参加した金田一秀穂・杏林大教授は、外国語は避け、公の場だけで使われるのであれば「公用番号」などとしてはどうか、と提案したそうです。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1118日・朝刊、10版、15)

 

 はじめから「マイナンバー」と決めていて、名ばかりの会議を儀式のように開いたのではないかと勘繰りたくなるような名付け方です。

 公用番号の他にもいろんな言い方ができると思いますが、今となってはどうしようもありません。有識者会議はあっても、一般の人の意見を聞く会合などはどこにも準備されないまま決められた名前です。

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2015年11月22日 (日)

日本語への信頼(121)

八十路の七五三

 

 「少年」や「青年」という言葉には、輝かしい未来を感じさせる響きがあります。それが「中年」になると、人生のベテランであるとともに疲れも感じさせられます。

 「老年」という言葉は使ってほしくない人が多いからでしょうか、「高年」が多用されるようになりました。「後期高齢者」とか「超高齢」などという言葉には目を覆いたくなります。

 人は年齢を重ねていきますから、いずれは高齢者になるのですが、そんな言葉で一括りにされることは気持ちのよいものではありません。

 こんな記事が目に留まりました。

 

 地域の838587歳の高齢者を祝う「八十路七五三まつり」が15日、笛吹市石和町広瀬の八王子神社で行われた。男女7人が参加し、健康長寿などを祈願した。

 毎年神社では子どもを対象にした「七五三祝祭」を行ってきたが、参加者の減少を受けて実施した。同神社の田村要氏子総代長(75)らが発案。戦前戦中に幼少期を過ごし、七五三を経験した人が少ない80歳以上を対象にした。

 (山梨日日新聞、1116日・朝刊、2版、21)

 

 七五三は、数え歳で3歳と5歳の男の子、3歳と7歳の女の子を祝う行事です。子どもの成長を願って江戸時代中期以降に、江戸などの都市部を中心に始まりました。

 現在80歳以上の人たちは戦前戦中に幼少期を過ごして、お祝いどころではなかったでしょう。80歳台にして初めての経験というのは興味深い行事です。

 昔は卒業式どころではなかったとか、もらった証書の行方がわからなくなったとかで、改めて小学校などの卒業証書の授与が行われるというニュースをときどき見ます。この七五三もよく似た考えによるのかもしれません。

 伝統行事が廃れていくという嘆きを聞きますが、ちょっと形を変えて行事を保存していくことも必要なのでしょう。80歳台の人が、成長を願う行事を行うのですから、それより若い世代はさらにいっそう頑張らないわけにはいきません。

 その「八十路七五三まつり」という名付けは、とても好ましいと思います。中高年とか高齢者とかの言葉を使わないで、六十路(むそじ)、七十路(ななそじ)、八十路(やそじ)というような言葉を使うと、人生の歩みを感じさせて、前進していく印象になります。

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2015年11月21日 (土)

奥州道中10次(35)

奥州道中の終着点

 

 萩原朔太郎の妻の実家(写真・左)があります。酒造業の大谷家です。兄の大谷忠一郎は朔太郎に師事した詩人で、その縁から朔太郎は妹の大谷美津子と結婚しています。

 岩淵悦太郎生家跡(写真・中)があります。国語学者の岩淵は国立国語研究所長を務めたり、「岩波国語辞典」の編纂者として知られています。

 横町(写真・右)を越えて、その先までで奥州道中は終わります。徳川幕府道中奉行の管轄がここまでなのですが、女石追分の先は、仙台松前道と会津越後道となって続いていきます。

 奥州道中はわずかに10宿ですから、あっと言う間の歩き旅でした。

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2015年11月20日 (金)

奥州道中10次(34)

白河の宿

 

 月よみの庭(写真・左)のところで、道は直角に右に向かいます。

 天神町(写真・中)は白河城下の商工業を担っていた町のようです。中町のあたりでは城下町によくある鉤型の道になっています。金屋町、愛宕町、大工町などという町の名があります。

 白河宿本陣の芳賀家の跡には説明板があるだけですが、脇本陣柳屋(写真・右)は修復工事が行われています。通りに面した建物は明治時代に勧工場(現在のデパートに近いもの)として建て直されています。このあたり、本町には古いものが残され、説明板もたくさん設置されています。

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2015年11月19日 (木)

奥州道中10次(33)

戊辰の役の古戦場

 

 白河市内に近づいたところに、1868(慶應4年)の戊辰の役の古戦場(写真・左)があります。ここは白河口での激戦地であったようです。1日の戦死者が700人という凄まじいものであったようです。

 ここは白河への入り口にあたるところですから、白河城下の説明板(写真・中)もありますが、戊辰の役の戦死墓(写真・右)や、銷魂碑の大きさに驚きます。

 道は、ここで直角に曲がって、反時計回りに、稲荷山の端をめぐって続きます。

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2015年11月18日 (水)

奥州道中10次(32)

白坂に戻って白河へ

 

 10月3日朝、白河駅のホームから城(写真・左)が見えます。結城親朝が14世紀中頃に築いたという、国指定史跡の小峰城です。

 白坂駅まで引き返して、白河宿に向かって歩き始めます。途中に、「()金売吉次兄弟の墓」(写真・中)という案内標識がありますが、寄り道しないで過ぎます。ずいぶん昔のことですが、NHK大河ドラマの源義経で、金売吉次のことは強く印象に残っています。

 バス停「一里段」(写真・右)というのは、江戸から47里目の一里塚に由来するようですが、一里塚は残っておりません。

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2015年11月17日 (火)

奥州道中10次(31)

白坂駅から白河へ

 

 峠から少し行くと、「放射線を低減させる工事」(写真・左)を行っているという表示があります。除染作業です。福島第一原発が近いのだということを認識させられます。

 歩き続けて、白坂のバス停(写真・中)に着きました。今日は白坂まででおしまいです。本当はバスで白坂へ出たいのですが、乗れる便はありません。白坂の集落を通り抜けた交差点を左折してJRの駅を目指します。白坂には泊まるところがないのです。

 JRの線路が近づいているといっても、白坂駅(写真・右)までは20分以上かかりました。この日はここでお終いです。

 白河駅前の宿に着いて歩数計を見ると5万8000歩余りです。いろいろ寄り道をしたりもしましたが、街道だけでも35㎞ぐらいは歩いたことになるのでしょうか。

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2015年11月16日 (月)

奥州道中10次(30)

陸奥への第一歩

 

 さていよいよ陸奥の国です。国道294号の頭の上には福島県白河市を表す看板(写真・左)がかかっています。

 白河の関は「二所の関」(写真・中)とも呼ばれました。勿来の関といわれた古関はここからは離れていますが、白河市旗宿にある関跡が史跡として整備されています。今回はそこへは行かずに済ませます。

 陸奥の側にも境明神(写真・右)があります。1595(文禄4年)に社殿を造営したという説明がありますから、こちらの方が新しいようです。このあたりの街道は、奥州はもちろんですが越後などの大名も参勤交代で往来したようです。道中の安全を祈願したり、和算額を奉納したり、灯籠や碑を寄進したりした跡が残っています。

 面白いのは、陸奥の境明神も玉津島明神を祀ると言い伝えています、二つの境明神が同じであってもよいのでしょうが、どちらも、相手方の明神は住吉明神を祀っているのだと主張しているようです。

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2015年11月15日 (日)

奥州道中10次(29)

下野の国が終わる

 

 国道から外れて左に入った小道に初花清水(写真・左)があります。寂れた里の湧き水です。コップが置かれていましたので、喉をうるおします。旅人には美味しい水です。

 その小道がもとの国道に合流するところに瓢石(写真・中)があります。誰が、どんな思いでこのようなものを作ったのでしょうか。

 淡々とした道を歩き続けていると、道が少し上りになって、あっけなく、そこが栃木県・福島県の境になっています。関東と東北の境であり、下野の国と陸奥の国との境でもあります。もうすこし険しい場所を想像していましたから、ちょっとびっくりです。

 峠の手前、下野側に「境の明神」(写真・右)があります。1053(天喜元年)に紀伊の和歌浦の玉津島神社から勧請したという説明が書いてあります。峠神として道中安全の神であるようです。

 ともかくここで下野の国が終わります。「奥の細道」に書かれている「心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。」という文章にそぐわない気持ちです。やっぱり古関を見ないといけないとは思いますが、今回は割愛せざるを得ません。

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2015年11月14日 (土)

奥州道中10次(28)

泉田の一里塚

 

 歩いているのは国道294号ですが、板屋の一里塚はこの道から少し入らなければならないようで、通り過ぎることにします。

 街路の植え込みの木(写真・左)が剪定されています。似たような形になっている木がいくつもあります、何かの鳥の形のようにも見えますが、警官が手を挙げて車に注意を促している姿のようにも見えます。いずれにしても、手の込んだ剪定です。

 右の方へ、「白河の関」5.8㎞という表示があります(写真・中)。これは、古い白河宿のことです。芭蕉は「奥の細道」のとき、新関を越えてから、古関の方へ杖を引いています。私は寄り道せず、まっすぐ新関の方へ向かいます。

 泉田の一里塚(写真・右)には榎が植えられていましたが、今は整備された土盛りになっています。

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2015年11月13日 (金)

奥州道中10次(27)

歩け歩けで白沢へ

 

 集落から左へ折れて、奈良川(写真・左)を渡ります。広い道に出て、これからは、その道をたどることになりますが、奈良川が時折、右へ行ったり左へ行ったりするようになります。

 「ようこそ芦野の里へ」という看板(写真・中)がありますが、現在は観光地から取り残されているような感じがしないではありません。

 実はこのあたりは、宿がありません。バスの南北交通の便も頼れません。少しずつJR東北線に近づいていくのですが、駅が近くなったらところで、白河方面への電車に乗って白河駅前の宿に泊まることにしています。白沢駅が候補地点です。今日は、距離をかせがなければなりません。

 失敗が一つあります。芦野の遊行柳は心に留めていたのですが、気がついたら通り過ぎてしまっていて、引き返すことを断念しました。「奥の細道」ゆかりの地をひとつ見落としてしまいました。

 どんどん歩いていくと、「遊行柳3.6㎞ 白河の関跡8.1㎞」という案内(写真・右)に出会いました。

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2015年11月12日 (木)

奥州道中10次(26)

あっと言う間の芦野宿

 

 芦野は宿場の風情を残しているとは言いがたいところです。お昼過ぎの静かな集落を歩きます。

 やや場違いなほどの建築、「石の美術館」(写真・左)があったりしますが、人とはほとんど出会いません。

 芦野の宿を貫く道(写真・中)も静まり返っています。呉服の相川屋とか、うなぎの丁子屋などという店ものんびりとたたずんでいる感じです。

 村はずれに新町地蔵尊(写真・右)があります。説明板には、昔はこの広場で盆踊りが開かれていたと書いてあります。

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2015年11月11日 (水)

奥州道中10次(25)

夫婦石一里塚から芦野へ

 

 日本橋から43里の距離にある夫婦石の一里塚(写真・左)はこんもりとしていて、古さを感じます。那須町には44里目の板屋の一里塚、45里目の泉田の一里塚がありますが、それらを過ぎると下野の国が終わります。

 山あいの道から下っていくと、稲穂が垂れている田圃の向こうに大木があり、芦野の里が広がっています(写真・中)

 芦野宿に碑(写真・右)があって、住吉屋という屋号もあります。集落の外を広い道が走っており、少し入っていったところが芦野の宿の跡です。

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2015年11月10日 (火)

奥州道中10次(24)

  • 那須町に入る

 

 県道72号を歩き続けて、那須塩原市から那須町(写真・左)に入ります。あたり一帯は那須野原です。那須を冠する市町は、南の方に那須烏山市があり、ここまで那須塩原市を歩いてきましたが、ここからは那須町です。那須町こそが本家を主張しているような感じがしないでもありません。奥州道中にとっては栃木県の最北の町です。

 このあたりには、道の辺のあちこちに馬頭観音があります。

 余笹川に落ち合う流れである黒川(写真・中)を渡ります。細い流れですが厄介な流れであるようです。橋が架かっていても流されることがあり、そのときは川越人足によって渡されたと言います。

 夫婦神社の夫婦石(写真・右)があります。蛇の化身の夫婦を葬った塚が、一夜のうちに二つの石になったという言い伝えがあります。

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2015年11月 9日 (月)

奥州道中10次(23)

余笹川の氾濫

 

 寺子の一里塚の説明板には那須塩原市教育委員会の名前がありましたが、歩いてすぐの余笹川(写真・左)の表示には黒磯市となっています。黒磯は合併前の古い市名です。

 そして、豪雨の最高水位の表示(写真・中)があるのに驚きます。鬼怒川の決壊のことが頭から離れませんが、それに比べると小さな川です。最高水位の表示がかなり高い位置にありますので驚きます。

 少し行くと、水害の記念碑(写真・右)があります。次のようなことが描いてあります。

 「平成10年8月26日から、台風と秋雨前線の影響を受けて、年間降水量の8割に匹敵する1254ミリの凄まじい豪雨が数日に渡って那須地方に降り続けた。余笹川は各地において決壊氾濫を繰り返し、流域を濁流で覆い尽くした。

 この石田坂地区においても27日未明から激流が襲い、1人の尊い命が失われ、家屋13戸が床上浸水し、家財道具のほとんどを流出した。水田浸水15ヘクタール、牛数十頭を含む多数の家畜、農業機械施設等も流出した。 (以下略)

 碑が立っているのは低い地域で、道はすぐ上り坂になるのですが、川沿いの狭い地域の水位が上がって、大きな被害が出たのでしょう。

 実は、前日(10月1日)の朝日新聞・東京本社発行の「東京」地域版(14版、25)に、洪水時に自宅前の水位はこうなるという危機意識を持ってもらうために、国が、電柱などに洪水時の浸水状況を示す看板をつけるよう自治体に提案しているが、東京都の各区の対応は分かれているという記事が載りました。

 表示によって、わかりやすくてよいという意見とともに、地価が下がるなどという苦情も寄せられたということが書かれています。

 洪水時に想定される水位というのと、この石田坂地区の水位(実際に経験した水位)とは違う性質のものでしょう。石田坂地区や氏家駅の近くで見た表示は、経験した水位ですから、訴える力は大きいと思います。

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2015年11月 8日 (日)

奥州道中10次(22)

越堀から寺子へ

 

 鍋掛宿と越堀宿は、那珂川をはさんで隣り合っています。距離では1つの宿場でよいと思いますが、那珂川の増水を考えると、2つの宿場が必要であったのでしょう。足止めの経験に基づいて、越堀宿ができたのは1646(正保3年)で、これによって奥州道中は10宿となりました。

 今の越堀の集落(写真・左)は、宿場の面影をとどめておりません。明治時代に大火があったようです。

 そこから40分余り歩いて着いた、寺子一里塚公園(写真・中)はきれいに整備された公園です。江戸から42里の距離にあります。

 一里塚(写真・右)はもともと50メートルほど白河寄りにあったのですが、小学校の建築と道路の拡張によってなくなってしまい、ここに復元されたといいます。きれいに整っているのは新設であるからのようです。

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2015年11月 7日 (土)

奥州道中10次(21)

那珂川を渡る

 

 鍋掛宿を出はずれたところに那珂川の流れがあります。那珂川渡しの手前は枡形になっていました。この川を江戸の初期は歩いて渡ったようですが、後に渡しができました。

 今は、橋を車が往来しています。那珂川に架かる昭明橋(写真・左)は上下各1車線ですが、堂々とした作りです。左側に歩道が架けられていますからそれを渡ります。

 橋の銘板(写真・中)によれば、現在の橋は1951(昭和26)の建造です。

 橋から見下ろす那珂川の流れ(写真・右)はゆったりとしていますが、渓谷のようになっていますから、増水したときの様子は想像できます。何日も足止めされたことがあったことでしょう。

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2015年11月 6日 (金)

奥州道中10次(20)

芭蕉の句碑

 

 松尾芭蕉は、奥の細道の旅で、那須の黒羽、雲岸寺を経て、殺生石を見てから芦野に向かっています。奥の細道には、

 「是より、殺生石に行く。館代より馬にて送らる。此の口付きの男、短尺得させよと乞ふ。やさしき事を望み侍るものかなと、

   野をよこに馬牽きむけよ郭公」

と書いてあります。

 黒羽の館代、浄坊寺なにがしの計らいで、馬に乗ることができたのです。口付きの男の風流心をたたえています。

 鍋掛宿にある芭蕉の句碑(写真・左)は深い彫りになっていますから、文字をたどることができます。

 説明板(写真・中)には、「この句は、どのあたりでつくられたかは明らかではないが、余瀬より蜂巣を過ぎると野間までは広き原野が続いていたので、この間につくられたものと思われる。」とあり、「句碑の建立は、文化5年(1808)1月に、当時鍋掛宿の俳人菊地某外数名によるものと思われる。平成5年(1993)3月、街道景観形成事業により、ここに建て替えられた。」と書いてあります。元の位置がどこであったのかはわかりませんが、そんなに離れた場所ではないでしょう。

 この句が作られた地点を明示することは不可能ですから、那須野の中のふさわしい場所に句碑があることを嬉しく思います。

 鍋掛宿から各宿の里程が書かれた説明板(写真・右)によれば、今日の目的地である白坂宿までは、5里25町という距離になります。

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2015年11月 5日 (木)

日本語への信頼(120)

「次第」という言葉の使い方

 

 誤りとは言えないまでも、新聞は言葉遣いについてもっと慎重な姿勢をとるべきであると思う事例が、紙面にあふれています。

 こんな言葉遣いを見ました。「いちから わかる!」という欄です。

 

ア JASRACの独占状態は変わるのかな。

A イーライセンスに管理を任せる作詞・作曲家たちが増えるか次第だ。

 (朝日新聞・大阪本社発行、11月3日・朝刊、13版、2面)

 

 そもそも、この「いちから わかる!」という欄の質問文は、高飛車で、偉そうな口調が多いのです。下品な言葉を好んで使う記者もいます。けれども、今回はそれとは別のことについて書きます。

 「増えるか次第」などという言い方は、いつから正しい日本語に認知されたのでしょうか。

 「次第」という言葉は、「地獄の沙汰も金次第」などという成句がありますが、名詞に付いて、その人の意向やものごとの事情によるという意味を表します。動詞の連用形に付く場合は、「見つけ次第、厳罰に処す」のように、その状況などの成り行きによるという意味を表します。「乗車が済み次第、発車する」のように、それが終わると直ちにという意味になることもあります。

 「増えるか次第」は、そのような日本語の使い方を無視しています。「次第」という言葉が、助詞「か」に直接つながる用例は皆無とは思いませんが、落ち着きのない言い方です。「増えるかどうかによる」という意味であることはわかりますが、意味が通じればどんな言い方をして良いというわけではありません。「増えるかどうか次第」という言い方も日本語としては不安定ですが、それを「増えるか次第」に縮めるのはまったく乱暴です。

 たとえ問答形式の文章であっても、新聞は、書き言葉の正しい法則を遵守すべきであると思います。新聞の言葉と放送の言葉の間には、書き言葉と話し言葉という一線が引かれていることを新聞記者は忘れてはなりますまい。

 

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2015年11月 4日 (水)

奥州道中10次(19)

明治天皇の精力的な巡幸

 

 明治天皇御駐輦記念碑(写真・左)があります。明治天皇が全国のあちこちへ巡幸されたことはこのような碑が、街道筋のあちらこちらにあることによってわかります。宿泊地はもちろん、小休止の場所や、食事をされた場所、水を飲まれた場所にまで石碑が建っています。中山道にも日光道中にも奥州道中にもたくさん、あります。ずいぶん精力的な巡幸であったと思いますが、随行の人たちもたいへんであったことと思います。鉄道が開通する前の、街道歩きの時代のことです。

 大田原市が終わりに近づいて、那須塩原市(写真・中)を少しだけかすめて通ることになります。

 鍋掛神社の境内の小高いところに鍋掛の一里塚(写真・右)があります。道路拡張工事に伴って移されたということですが、神社境内の石垣の上というのは、いささか不自然な場所です。江戸より41里の距離にあって、1604(慶長9年)に築かれたという記録が残っていると言います。

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2015年11月 3日 (火)

奥州道中10次(18)

一里塚への対応

 

 10月2日。前日の雨空から一転して青い空になりました。この日は、大田原から、鍋掛、腰堀、芦野の各宿場を通って、白坂宿までの強行軍です。理由は3日までに奥州道中の終点である白河に到着することと、途中の適切なところに宿泊場所がないということとによります。

 大田原の町中に、東山道案内と平家之豪族瀬尾家居館跡(写真・左)とが並んでいます。東山道の案内には、1057(天喜5年)の源義家のこと、1590(天正18)の豊臣秀吉のことが書いてありますが、言葉が稚拙で尻切れトンボの表現です。瀬尾家居館跡を示す文章も同様です。

 中田原の一里塚(写真・中)は、北側が半分切り取られた形で残っています。説明板によれば、南側は宅地開発の際に取り壊されたとあります。文化財としての価値が理解できていなかったのでしょう。残っている塚も、2000(平成12)に場所を移されたと書いてあります。現在に生きる人たちの生活も大事ですが、ずいぶん安易な仕業のようにも思えます。

 那須の風味・与一味噌などという看板を見ながら、栃木県道72号、大田原芦野線を歩きます。「相の川」の高野橋を渡って、しばらく行くと、練貫十文字という市営バスの停留所(写真・右)があります。道が十文字に交わっているのですが、決して大きな交差点ではありません。このあたりでは野間十文字とか、鍋掛十文字などという停留所をいくつも見ました。関西では見かけない名付け方です。

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2015年11月 2日 (月)

奥州道中10次(17)

佐久山の宿から大田原の宿へ

 

 歩いているのは栃木県道48号、大田原氏家線です。大田原市街まで9㎞という表示があります。ときどき小雨が降りますが、しばらくすると止みます。

 そして佐久山の宿に入ります。書道の豊道春海翁生誕の地(写真・左)があり、日本初のフランス語学者、村上英俊翁生誕の地(写真・中)があります。郷土の誇りなのでしょう。けれども、佐久山宿は宿場の面影を残すものはほとんどありません。

 道が直角に曲がって、箒川の岩井橋を渡ります。イトヨが生息しているという、谷田川の細い清流(写真・左)を過ぎる頃から、雨が本降りになりました。

 大田原を目指して黙々と歩きます。大田原の宿場跡に関心を寄せる余裕もなくなりました。市街地に入って、蛇尾(さび)川の蛇尾橋を渡って、右に曲がって大田原の民宿に辿り着きました。雨中の歩きはおよそ1時間40分でした。

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2015年11月 1日 (日)

奥州道中10次(16)

さくら市から大田原市へ

 

 大きな道祖神(写真・左)があります。街道沿いにはあちらこちらに明治天皇が休まれたところをあらわす石柱などが立っていますが、ここの道祖神は、明治天皇御小休之際御膳水という石柱に対峙する大きさです。

 田圃の中の道を辿っているという感じなのですが、小さな江川の宮下橋を渡り、源氏ほたるの里の入口の表示を過ぎて、引田川の合柄橋を渡ります。

 そして、さくら市が終わって大田原市に入ります(写真・中)

 このあたりから、与一の里名木選という表示(写真・右)が目につくようになります。与一とは、言うまでもなく源平合戦で活躍した那須与一のことで、このあたりが縁の地です。高久宅のツツジ群は推定樹齢200年とあります。

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