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2016年1月31日 (日)

【掲載記事の一覧】

 新年は穏やかな日々でしたが、一転して寒さに見舞われた1か月でした。各地で記録的な積雪があり、沖縄にも雪が舞ったというニュースには驚きました。

 けれども、兵庫県の明石市周辺は、積雪はもちろんですが、雪がちらつくこともほとんどありませんでした。小学生時代には何度も積雪を経験し、氷もよく張っていたのに、ずいぶん様変わりです。地球温暖化を思うと不気味さすら感じます。

 1月は「日本語への信頼」の連載を続けましたが、別に「名寸隅舟人日記」と「名寸隅の船瀬があったところ」の連載をしました。「名寸隅の船瀬があったところ」は5回でおしまいです。「名寸隅舟人日記」は随時、連載を継続します。

 ブログをお読みくださってありがとうございます。

 お気づきのことなどは、下記あてにメールでお願いします。

 gaact108@actv.zaq.ne.jp

 これまでに連載した内容の一覧を記します。

 

◆日本語への信頼 ()(178)~継続予定

    [2015年6月9日開始~ 最新は2016年1月31日]

 

◆名寸隅舟人日記 ()()~継続予定

    [2016年1月1日開始~ 最新は2016年1月16日]

 

◆【明石方言】 明石日常生活語辞典 ()(1998)~継続予定

    [2009年7月8日開始~ 最新は2015年6月8日]

 

◆新・言葉カメラ ()(18)~継続予定

    [201310月1日開始~ 最新は20131031日]

 

◆名寸隅の船瀬があったところ ()() 終了

    [2016年1月10日開始~ 最新は2016年1月14日]

 

◆名寸隅の記 ()(138)~継続予定

    [2012年9月20日開始~ 最新は2013年9月5日]

 

……【以下は、連載を終了したものです。】……………………

 

◆中山道をたどる ()(424)

    [201311月1日開始~2015年3月31日終了]

 

◆日光道中ひとり旅 ()(58)

    [2015年4月1日開始~ 最新は2015年6月23日]

 

◆奥州道中10次 ()(35)

    [20151012日開始~ 最新は20151121日]

 

◆江井ヶ島と魚住の桜 ()()

    [2014年4月7日開始~2014年4月12日終了]

 

◆言葉カメラ ()(385)

    [2007年1月5日開始~2010年3月10日終了]

 

◆『明石日常生活語辞典』写真版 ()()

    [2010年9月10日開始~2011年9月13日終了]

 

◆新西国霊場を訪ねる ()(21)

 2014年5月10日開始~ 最新は2014年5月30日]

 

◆放射状に歩く ()(139)

 2013年4月13日開始~ 最新は2014年5月9日]

 

◆百載一遇 ()()

    [2014年1月1日開始~ 最新は2014年1月30日]

 

◆茜の空 ()(27)

    [2012年7月4日開始~ 最新は2013年8月28日]

 

◆国語教育を素朴に語る ()(51)

    [2006年8月29日開始~20071212日終了]

 

◆改稿「国語教育を素朴に語る」 ()(102)

    [2008年2月25日開始~2008年7月20日終了]

 

◆消えたもの惜別 ()(10)

    [2009年9月1日開始~2009年9月10日終了]

 

◆地名のウフフ ()()

    [2012年1月1日開始~2012年1月4日終了]

 

◆ことことてくてく ()(26)

    [2012年4月3日開始~2012年5月3日終了]

 

◆テクのろヂイ ()(40)

    [2009年1月11日開始~2009年6月30日終了]

 

◆神戸圏の文学散歩 ()()

    [20061227日開始~20061231日終了]

 

◆母なる言葉 ()(10)

    [2008年1月1日開始~2008年1月10日終了]

 

◆六甲の山並み[言葉つれづれ] ()()

   [20061223日開始~20061226日終了]

 

◆おもしろ日本語・ふしぎ日本語 ()(29)

    [2007年1月1日開始~2009年6月4日終了]

 

◆西島物語 ()()

    [2008年1月11日開始~2008年1月18日終了]

 

◆鉄道切符コレクション ()(24)

    [2007年7月8日開始~2007年7月31日終了]

 

◆足下の観光案内 ()(12)

    [20081114日開始~20081125日終了]

 

◆写真特集・薔薇 ()(31)

    [2009年5月18日開始~2009年6月22日終了]

 

◆写真特集・さくら ()(71)

    [2007年4月7日開始~2009年5月8日終了]

 

◆写真特集・うめ ()(42)

    [2008年2月11日開始~2009年3月16日終了]

 

◆写真特集・きく ()()

    [20071127日開始~20081113日終了]

 

◆写真特集・紅葉黄葉 ()(19)

    [200712月1日開始~20081215日終了]

 

◆写真特集・季節の花 ()()

    [2007年5月8日開始~2007年6月30日終了]

 

◆屏風ヶ浦の四季 [2007年8月31日]

 

◆昔むかしの物語 [2007年4月18日]

 

◆小さなニュース [2008年2月28日]

 

◆辰の絵馬    [2012年1月1日]

 

◆しょんがつ ゆうたら ええもんや ()(13)

    [2009年1月1日開始~2010年1月3日終了]

 

◆文章の作成法 ()()

    [2012年7月2日開始~2012年7月8日終了]

 

◆朔日・名寸隅 ()(19)

    [200912月1日開始~2011年6月1日終了]

 

◆教職課程での試み ()(24)

    [2008年9月1日開始~2008年9月24日終了]

 

◆相手を思いやる姿勢と、自分を表現する力 ()()

    [200610月2日開始~200610月4日終了]

 

◆学力づくりのための基本的な視点 ()()

    [200610月5日開始~20061011日終了]

 

◆教員志望者に必要な読解力・表現力 ()(18)

    [20061016日開始~200611月2日終了]

 

◆教職をめざす若い人たちに ()()

    [2007年6月1日開始~2007年6月6日終了]

 

◆これからの国語科教育 ()(10)

    [2007年8月1日開始~2007年8月10日終了]

 

◆現代の言葉について考える ()()

    [2007年7月1日開始~2007年7月7日終了]

 

◆自分を表現する文章を書くために ()(11)

    [20071020日開始~20071030日終了]

 

◆兵庫県の方言 ()()

    [20061012日開始~20061015日終了]

 

◆暮らしに息づく郷土の方言 ()(10)

    [2007年8月11日開始~2007年8月20日終了]

 

◆姫路ことばの今昔 ()(12)

    [2007年9月1日開始~2007年9月12日終了]

 

◆私の鉄道方言辞典 ()(17)

    [2007年9月13日開始~2007年9月29日終了]

 

◆高校生に語りかけたこと ()(29)

    [200611月9日開始~200612月7日終了]

 

◆ゆったり ほっこり 方言詩 ()(42)

    [2007年2月1日開始~2007年5月7日終了]

 

◆高校生に向かって書いたこと ()(15)

    [200612月8日開始~20061222日終了]

 

◆1年たちました ()()

    [2007年8月21日開始~2007年8月27日終了]

 

◆明石焼の歌 ()()

    [2007年8月28日開始~2007年8月30日終了]

 

◆失って考えること ()()

    [2012年9月14日開始~2012年9月19日終了]

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日本語への信頼(178)

「報道関係者優先」を報道する

 

 いつも不愉快な思いになるニュース記事があります。いかにも報道関係者が優遇されていると言わんばかりのニュースです。

 

 北海道新幹線の3月26日開業を前に、JR北海道は28日午前、初の試乗会を報道関係者向けに新函館北斗-木古内間で実施した。

㊤北海道新幹線の試乗会で、リポートするテレビ局の取材者ら

㊦新函館北斗駅で取材する報道関係者

 (毎日新聞・大阪本社発行、1月28日・夕刊、3版、8面)

 

 前半は記事の一部であり、㊤㊦は、2枚の写真の説明文です。新聞や放送の関係者たちをニュースの主人公のように取り上げているのです。

 JRの商業主義が、まっさきに報道関係者を優遇して試乗させたのでしょう。宣伝効果を狙ってのことでしょう。けれども、それは報道関係者にとっては、内輪の(誇らしげに書くべきでない)出来事でしょう。この日の取材で得たものは、一般向試乗会が始まってのちに書いても遅くないはずです。

 このことだけではありません。読者の側に立った報道をすると標榜しつつ、そのようにはなっていない記事があります。一般の人がなかなか行けないようなところへ行ったり、お目にかかれないような特別な献立を食べたり、公開されていないものを特別に見せてもらったり…というような誇らしげな記事によく出会います。それも商業主義。書いてもらったら利益になるから報道関係者を優遇しているのでしょう。

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2016年1月30日 (土)

日本語への信頼(177)

ハイブリッドか、雑種性か

 

 「ことばの広場 校閲センターから」という欄が、「オワハラ」という言葉を取り上げていました。「就活終われハラスメント」、略して「オワハラ」です。

 

 本欄にも「就活ハラスメント」ならまだしも、「終わハラ」では意味不明だという趣旨の意見が届きました。

 確かに変な造語です。ただ、異質な物が混ざり合う、そのハイブリッドさに聞く者の耳をそばだたせる意外な力がある、とは言えないでしょうか。 …(中略)

 日本は古来「和魂漢才」「和魂洋才」の国。食べ物だってカツ丼やあんパンがあるように、ハイブリッドはお家芸、と言ったら言い過ぎでしょうか。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1月27日・朝刊、10版、15)

 

 「セクハラ」「アカハラ」「パワハラ」「マタハラ」など、「〇〇ハラ」はたいてい4音です。そのような流れの中で「オワハラ」となったのだろうと思います。けれども、「終わる」という和語の一部を、「ハラ」という外来語に結びつけて一語としてしまうのは行き過ぎです。そうであっても、いったん使われ始めると、マスコミが使い続けることをして世間に広まってしまいます。そして、この欄のような擁護論も現れてきます。

 この欄の論調の要は「ハイブリッド」という言葉です。2度も使われています。いかにも先進的なイメージが伴います。けれども、同じことを別の言葉で言えば「雑種性」です。雑種性という言葉を使えばイメージはやや悪くなるでしょう。

 確かに日本語は「ハイブリッド」の要素をそなえて発展してきました。漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベットが入り混じっての表記も、和語・漢語・外来語が駆使される用語もハイブリッドといえば、その通りです。日本語はカツ丼やあんパンです。

 だからと言って、個々の単語にどんな言葉が現れても容認していこうということにはならないはずです。

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2016年1月29日 (金)

日本語への信頼(176)

目ぇ噛んで死ね、臍(へそ)噛んで死ね

 

 広島県尾道市出身の教員(故人)が、生徒を叱るときに「臍(へそ)噛んで死ね」と言っていました。そんな言い方は初めて聞いたのですが、自分で自分の臍を噛むことなんかできません。言い方は辛辣でも、ユーモラスで、本当に死んでしまえとは言っていないのです。

 この教員独特の表現なのか、そうでなければ尾道での言い方なのかと思っていました。

 「まだまだ勝手に関西遺産」という連載企画で、「目ぇ噛()んで…」という文章がありました。

 

 いやいやいや、それは無理。初めて聞いたとき、衝撃を受けた。

 目ぇ噛んで鼻かんで死ね?!

 「子どものころ、母にしょっちゅう言われた~」。大阪育ちのデスク(47)は鼻息が荒い。 …(中略)

 〈こんな奴(やつ)、目ェ噛んで鼻咬()んで死んでしまえばよいのだ〉

 ほかに、〈うどんで首吊()って死にたいくらいのうどん好き〉なんて一節も。おせいさん、さすがです。

 (朝日新聞・大阪本社発行、昨年1216日・夕刊、3版、2面)

 

 記事の中の「おせいさん」とは作家の田辺聖子さんのことで、エッセー集からの引用です。

 この記事には「できないから愛がある」という見出しが付いていますが、ほんとにその通りです。腹を立てながらも、笑いを誘うところがあって、それが大阪らしさというものでしょう。

 松竹新喜劇の渋谷天外さんは「不条理なせりふやけど、本物のけんかでは使わない。角をとって丸くした大阪弁の持ち味が出ている言葉やね。」とコメントしています。

 こんな言葉を吐いても、体罰にならないし、言葉の暴力にならないというところが面白いと思います。

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2016年1月28日 (木)

日本語への信頼(175)

ギャン泣きとは、どんな泣き方?

 

 泣き方にもいろいろありますが、「ギャン泣き」とはどんな泣き方でしょうか。

 「『ギャン泣き』にもワケがある」という見出しの「特命記者がゆく」という記事は、本文のどこを探しても、「ギャン泣き」という言葉がありません。関係のありそうな部分を引用します。

 

 ①病院で診察時に大泣きしてしまう「医者嫌い」も、大切な研究テーマとしている。

 ②扉を開けば実験開始……のはずが、女の子は火が付いたように泣き始めてしまった。

 (読売新聞・大阪本社発行、1月26日・夕刊、3版、2面)

 

 長い文章と写真によって、1ページの半分を占める記事ですが、関係ある表現はこれしかありません。「大泣き」と「火が付いたよう」な泣き方とが、「ギャン泣き」という中身のようです。

 記者が書かずに、記事を整理し見出しを付けた人が使った言葉が「ギャン泣き」であるのです。

 友定賢治さんの『全国幼児語辞典』(1997年、東京堂出版)によると、「泣く」の項目は、①エンエン類、②アンアン類、③インイン類、④ワンワン類、⑤メーメー類、⑥ビービー類、⑦メラメラ類に分けられています。⑧その他、という分類の中にもギャン(または、ギャンギャン)という泣き方は見つかりませんでした。

 一度、実際の「ギャン泣き」の声を聞いてみたいという気持ちになりました。

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2016年1月27日 (水)

日本語への信頼(174)

体育とスポーツの違い

 

 国民の祝日の「体育の日」を「スポーツの日」に名称変更しようとする動きが強まっています。スポーツ議員連盟がチームを設置したというというニュースが報道されました。

 

 1964年東京五輪の開催をきっかけに制定された「体育の日」の名前が「スポーツの日」に変わりそうだ。超党派でつくるスポーツ議員連盟(会長・麻生太郎財務相)25日、名称変更に向け祝日法改正案を作成するプロジェクトチームを設置した。

 2020年東京五輪・パラリンピックを控え、「体育」より広い意味を持ち、自発的に楽しむ「スポーツ」の意義を広める狙いがある。 …(中略)

 スポーツ庁によると、国民の祝日にカタカナの名前が付くのは初めてという。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1月26日・朝刊、13版、36)

 

 記事には、「『体育』より広い意味を持ち、自発的に楽しむ『スポーツ』の意義を広める狙いがある。」と書いてありますが、いまどき、体育やスポーツという言葉や、その意義を知らない人はいません。スポーツという言葉の持つ意味内容が変容しているだけなのです。スポーツという言葉は、体育という言葉より広い意味を持つというのはほんとうでしょうか。

 現行の高等学校学習指導要領の保健体育(教科)の、体育(科目)の目標は、次のように書かれています。

 

 運動の合理的、計画的な実践を通して、知識を深めるとともに技能を高め、運動の楽しさや喜びを深く味わうことができるようにし、自己の状況に応じて体力の向上を図る能力を育て、公正、協力、責任、参画などに対する意欲を高め、健康・安全を確保して、生涯にわたって豊かなスポーツライフを継続する資質や能力を育てる。

 

 体育の意義・目標を端的に、過不足なく表現している言葉だと思います。学校教育が目指している体育に対して、スポーツの世界の現状は目に余るものがあります。

 勝つためのスポーツ、商業的に利用するスポーツです。1964年ころの崇高なスポーツ精神はどこかに消え失せ、スポーツをプロにする人間が幅を利かせて、年収や賞金獲得額を競い合う…。優勝だけを目標にして無理な練習法を重ねることによって、健康・安全や生涯学習という観点などはどこにも見出せないようにもなってきています。

 文部科学省の建物の玄関には、文部科学省という看板のそばに、真新しいスポーツ庁の看板が掲げられています。何だか、学校教育の分野の体育と、まったく異質のものであるスポーツとが画然と区別されるものであるということを物語っているようにも見えます。

 スポーツの日への改称によって、勝利第一主義や興行化がますます進むように思えてなりません。

 ところで、新聞記事の「スポーツ庁によると、国民の祝日にカタカナの名前が付くのは初めてという。」という文は滑稽です。誰が見てもわかることを、わざわざスポーツ庁に問い合わせたのでしょうか。

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2016年1月26日 (火)

日本語への信頼(173)

子供、子ども、こども

 

 新聞記事の引用から始めます。

 

 「こども支援局」を漢字の「子供支援局」に改めたい-。西宮市の今村岳司市長の提案が、15日の市議会本会議で退けられた。「ひらがなが親しみやすい」と、現状を支持する意見が多数を占めた。

 市役所のこども支援局は昨年4月に新設されたばかり。当時は「親しみやすい」という理由で、市がひらがな表記を採用した。

 翌5月に今村市長が就任。市総務課によると、漢字表記への変更案は「局名は漢字に統一したい」という今村市長の強い意向によるものだったという。

 (朝日新聞・大阪本社発行、昨年1219日・朝刊、「神戸」地域版、13版△、27)

 

 「局名は漢字に統一したい」という理由がよくわかりませんが、こどもを対象にする局だから、こどもの誰もが読めるような文字遣いにするという考え方があってもおかしくないと思います。(「支援局」までひらがなにとは言いませんが。)

 ホームページによれば、西宮市が設置している局は、他には、防災危機管理局、政策局、市民文化局など12局があって、ひらがなにできそうなものはありません。だからと言って無理やり「子供」にとは了見が狭いと思います。

 大学の教育系学部にも「こども学部」「こども教育学部」「子ども学部」という表記が広がりつつあるようです。

 この記事では、兵庫県と阪神地域の自治体のことが紹介されています。兵庫県は「こども局」、尼崎市は「こども青少年局」、宝塚市は「子ども未来部」で、他の市町はすべて「こども」です。漢字ばかりの「子供」はありません。

 尼崎市の、「こども」はひらがなで、「青少年」は漢字でという使い分けをしている考えに賛同したいと思います。

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2016年1月25日 (月)

日本語への信頼(172)

ひっそりと生きている人に光を!

 

 新聞や放送で大きく報じられる人は、政治・経済・学問などの世界を除けば、スポーツ選手や芸能人に偏りがちです。世間の人がよく知っている人を取り上げたら、読んでもらえる、見てもらえるという計算が働いているのでしょう。例えば朝日新聞のスポーツ面のページ数は、社会面(地域のページを含む)のページ数よりも多くなっています。見出しの大きさからして違いがあります。使われる言葉も英雄主義、栄光主義に貫かれています。

 だから、次のような文章を読むと、おや?と思います。「パブリックエディターから」という欄です。

 1面の連載コラムの「折々のことば」(鷲田清一さんの執筆)について述べた後、「ひと」欄のことについて述べています。

 

 同じようなことが「ひと」欄についても言えそうです。著名人の話より、世間的には無名でも、何か面白いことをしている市井の逸材からポロリと漏れたことばのほうにリアリティーや共感を覚えることがしばしばです。

 誹謗中傷、決めつけがとかく幅をきかすこの時代に、人の足を引っ張るのではなく、人を人として尊重するマナーを忘れないことも大切です。

 (朝日新聞・大阪本社発行、昨年1226日・朝刊、10版、12)

 

 この欄の見出しは、「『ひと』欄 市井の人に光」となっています。けれども、「ひと」欄に無名の人が取り上げられることはごく少ないと思います。いささか自画自賛の文章です。事件や事故の犠牲者について書く記事以外は、ひっそりと生きている人などに光を当てようとしていないように感じます。

 ところで、こういう文章ではしばしば「市井」という言葉が使われます。「市井の人」と「ひっそりと生きている人」とは違います。井戸のあるところに人が集まって市が成立したということから、市井とは、人が集まって住むところという意味です。著名人ではなく、庶民であることには違いありませんが、そのような市中でやっぱり目立った存在なのです。「ひと」欄に取り上げられるのは、ひっそりと隠れ住むような人ではなく、その辺りでは目立った存在なのです。

 事件・事故などではなく、震災報道でもないときに、本当に名もない人にじっくり話を聞くという姿勢が満ちてきたときにこそ、「市井の人に光」あるいは「ひっそりと生きている人に光」という見出しを使ってほしいと思います。

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2016年1月24日 (日)

日本語への信頼(171)

記者の横暴を、読者は目で判断しなければならない

 

 話し言葉は耳から入り、書き言葉は目から入る…と言えばそれまでですが、最近は、新聞記者の書く文章が、朗読に堪えられないということが増えてきています。記号に支えられた文章になってしまっているのです。

 記者がインタビューしてまとめた文章には、地の文と会話文との区別が乏しく、カギカッコなどの記号に注意しなければならなくなりました。ニュースの記事にも、この手法が横行しています。

 一例に過ぎませんが、声優の清水マリさんにインタビューした文章が載っていました。

 

 テレビ放送の番組内容が年々充実していた時期。やがて外国映画の吹き替えなどの「声」の仕事が回ってくるようになる。

 62年秋、「手塚治虫先生のマンガ『鉄腕アトム』がテレビアニメになるが、そのパイロット版で、主人公役の声を入れてほしいという、夢のような話が舞い込んできた」。

 「(小学校)5年生くらいの男の子のつもりで演じてみてください」と、初対面の手塚さんは優しく語りかけてきた。そのパイロット版の「アトム誕生のシーン」で、アトムはベッドから起き上がって歩き出す。そして、「お・と・う・さ・ん」と声を出した。「手塚先生は『アトムに魂が入った』と大喜びで、手を握ってくださいました」

 アトムはロボットだが、まさに「心に太陽」を持つ男の子だった。「中学1年で、女の子の私が演じたピノキオも男の子。元気に歩き続けてきたことが実を結んだのでしょう」と振り返る。

 (読売新聞・大阪本社発行、1月22日・夕刊、3版、4面)

 

 やたらにカギカッコや二重カギカッコの多い文章です。

 ここに引用した文章の中に、清水さんの発言として、カギカッコで書かれているのが3箇所あります。3箇所目は「と振り返る。」という言葉が添えられていますが、他はカギカッコが終わって段落が切れるという、荒々しい文章になっています。耳で聞いた場合はカギカッコの存在など分かりませんから、地の文のままです。

 このことは、ちょっと考えれば分かることですが、例えば「手塚治虫先生のマンガ『鉄腕アトム』がテレビアニメになるが、そのパイロット版で、主人公役の声を入れてほしいという、夢のような話が舞い込んできた」という表現は、いかにも直接話法の様子を見せながら、記者が聞いたことを短い文にまとめてしまっているだけなのです。

 文章の流れの中で、一見すれば相手の発言した言葉のように装いながら、記者が勝手に都合よくまとめて、カギカッコを付けているのです。こんな横暴な文章はないと思います。このような表現が新聞記者の書く文章の主流になったら、恐ろしいことだと思います。

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2016年1月23日 (土)

日本語への信頼(170)

「はく」ものは多種多様にわたる

 

 「靴をはく」「スリッパをはく」「靴下をはく」「足袋をはく」「手袋をはく」「パンツをはく」「ズボンをはく」…。「はく」という動詞で表すものは多種多様にわたります。だから、次のような文章に出会うと、ためらいを感じてしまいます。

 

 雪国では欠かせない必須アイテムの手袋。北海道では、ズボンや靴下と同様に手袋も「はく」と表現し、共通語だと信じて疑わない人も多い。東北北部のほか、四国の一部や沖縄でも言う。比較的温暖な地域での使用は意外かもしれないが、グラブや作業用軍手など〝手袋〟の範囲は広い。

 共通語では手袋は「はめる」。「はく」ものは、足を通して下半身につけるズボン、スカートなどの衣類や靴、スリッパなどの「履物」と呼ばれる類いだ。

 (読売新聞・大阪本社発行、1月22日・夕刊、3版、4面)

 

 「方言探偵団」というコラムが、「はく 北海道」という見出しで、このようなことを書いています。

 この冬、積雪はおろか雪がちらつくことが一度もない兵庫県明石市(および、その周辺地域)は、「比較的温暖な地域」という程度ではないほど恵まれた地域です。その地域で「手袋をはく」と言います。これは北海道特有の表現ではありません。「手袋をはめる」「手袋をつける」などというのは、共通語には違いないのでしょうが、何だか東京あたりの方言の気配を感じてしまいます。

 このコラムでは、文章の末尾で、帽子、眼鏡、指輪のことにも言及していますが、明石の方言では、帽子は「被る」とも言いますが、「着る」という言い方も根強く残っています。眼鏡は「かける」または「はげる」であり、指輪は「はめる」または「はげる」です。

 共通語(もしくは東京方言)を基準にして、各地の方言を分類したり説明したりする方法は、正しいやり方ではないように思います。「手袋をはく」という言い方は、全国で広く使われており、東京などの地域が、そうでない言い方をしているに過ぎないのかもしれません。

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2016年1月22日 (金)

日本語への信頼(169)

6文字、4文字、2文字の「……」

 

 二美男は流し台の下から日本酒の瓶を引っ張り出し、台所の床に座って、つまみなしで何倍か飲んだ。肝臓が疲弊していたのか、酒のまわりはひどく早かった。立ち上がるのも面倒になり、四つん這いで部屋に戻って畳に寝転がった。

 ………………。

 …………。

 ……。

 画家の能垣がキャンパスを一枚抱えて部屋に入ってきた。

 (毎日新聞・大阪本社発行、1月21日・夕刊、3版、4面)

 

 「満月の泥枕」という連載小説の一部分です。

 「……」の使い方はいろいろありますが、これは異例のように感じました。6文字分から改行して4文字へ、そして2文字へというのは、どういう意図があるのでしょうか。普通は言葉と関連づけて使われる「……」ですが、これは言葉と関係があるのでしょうか。それとも寝息を表しているのでしょうか。私は「むにゃむにゃ」とか、何かの言葉らしきものを発しているように感じますが、筆者はどう考えて書いたのでしょうか。

 けれども、こんな書き方で安易に原稿料を稼いでいると考えて目くじらを立てるということはやめようと思います。

 次に期待するのは。連載の一回分をまるまる白紙にして、このあたりで一度、読者はゆっくり考えてみてくださいというような、余裕のある書き方をする作家が出現することです。

 

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2016年1月21日 (木)

日本語への信頼(168)

「では」の省略、「その」の省略

 

 「ことばの広場 校閲センターから」という欄が、「半端ない」などの言葉を取り上げていました。

 

 「半端ない」。程度がはなはだしいことを表す「半端ではない」を短くした言い方です。最近よく耳にします。 …(中略)

 本欄にはこの「半端ない」のほかにも、「その結果」を「結果」、「基本的には」を「基本」、文頭の「なので」などと省略することに、「いかがなものか」「気持ち悪い」といったメールが何通か届いています。近ごろは、紙面でも見かけるようになりました。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1月20日・朝刊、10版、13)

 

 私は、「半端ない」は「半端である」という意味と混同してしまいそうになります。「忙しい(せわしい)」を「せわしない」と言うことに引かれて、「半端な」を「半端ない」と言ってもよいような気がするからです。「半端ではない」と「半端ない」、そのたった2文字「では」を省略しなければならないほど、現代人は忙しいのでしょうか。

 記事で取り上げている「結果」「基本」「なので」なども、しっくりと受け入れることはできません。「なので」は、もっと短く「で」だけですませる人もいます。文頭が「が」で始まる文も見かけるようになりました。

 ところで、「近ごろは、紙面でも見かけるようになりました。」というのは、外部の人が書いた原稿の中にあるという意味でしょうか、それとも、記者が使っているという意味でしょうか。私は、記者がそのような言葉遣いであることを容認はできません。

 けれども、記者の書いた記事の中にも、やっぱり現れています。前回に紹介した「日本で一番短い国道」の中に、次の表現がありました。

 

 (国道)2号は1962年、約750メートル南を走る阪神高速神戸線の高架下の道路に変更されました。それに伴って、174号の北端もぐぐっと南へ。結果、ここまで短くなったのです。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1月19日・朝刊、「神戸」地域版、13版△、29)

 

 どうして「その」という2文字を惜しまなければならないのでしょうか。

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2016年1月20日 (水)

日本語への信頼(167)

自明の言葉が自明でない

 

 分かりきったこととして国語辞典などを引いたことのない言葉が、引いてみると意外や意外!ということがあります。

 「国道」という言葉がそれでした。

 「三省堂国語辞典・第3版」は、このように書いています。

 

 国の費用で作って管理する道路。東京から各地方へ通じる幹線(カンセン)道路。

 

 そうだったのかと開眼しました。国道には東京との関係が不可欠なのですか。普段はそんなことを考えずに通行しておりますが…。さすがに東京で作られる辞典、「標準語」を尊重する辞典だと感心しました。

 「明鏡国語辞典」は、次のように書いています。

 

 国が建設し、維持・管理する幹線道路。高速自動車国道と一般国道とがある。

 

 確かに「一般国道」と書いてあるのを姫路市内で見たことがあります。「高速自動車国道」という表示は、今のところ見たことがありません。

 「広辞苑・第4版」は、さすがに固い表現になっています。次のように書いてあります。

 

 国の造営物である道路。全国的幹線道路網の枢要部分で、政令により指定。

 

 ここには、国道は誰が管理するのかということが書いてありません。

 最後に、「日本国語大辞典」は、次のように書いています。

 

 道路種別の一つ。全国的な幹線道路網を構成する道路で建設大臣が管理者となる。高速自動車国道と一般国道の二種類がある。

 

 「建設大臣」は今では「国土交通大臣」に読み替えて、理解をします。

 さてさて、なぜ「国道」の説明にこだわるのかということですが、次のような記事を読んだからなのです。

 

 「日本で一番短い国道です 187.1m」。神戸に旅行に来た友人が市内でレンタカーを運転していると、こんな看板を見つけました。 …(中略)

 この国道は中央区にある174号。神戸市が管理しています。市役所前のフラワーロードを南に下ると、阪神高速神戸線の高架下に着きます。そのあたりから神戸税関の南端付近までの南北の直線道路です。 …(中略)

 神戸市建設局の担当者によると、そもそも174号を国道に指定した理由は「重要港湾と重要国道を結んでいるから」。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1月19日・朝刊、「神戸」地域版、13版△、29)

 

 短い国道が神戸にあるということは、多くの人が知っている事実です。私が驚いたのは、国道でありながら、神戸市建設局が管理しているということです。市が管理するというのは、特殊な例なのか、あちこちにあるのかはわかりません。けれども、国語辞典の説明は、(「広辞苑・第4版」以外は)ここに引用しなかった辞典を含めて、国が管理するという点では一致しています。

 世間の事実と、国語辞典の説明とが合致していないということの一例として、ここに書きました。

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2016年1月19日 (火)

日本語への信頼(166)

「自己採点」という言葉

 

 大学入試のセンター試験が終わりました。新聞はその問題と解答を特集し、ここぞとばかりに予備校と大学の広告を大量に掲載します。

 その中の一つに、こんな言葉が、1ページの大半のスペースを使って大きく書かれていました。

 

 自分の夢まで、自己採点しないでください。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1月18日・朝刊、10版、25面の全面広告)

 

 「自己採点」という言葉は、よほど悪印象を伴う言葉なのでしょう。センター試験に関して言うと、自己採点とは、自分が受験した科目を、正解表に基づいて自分で採点し、得点をはじき出すことです。

 自己採点した結果の得点によって、自分の夢がますます膨らむ人もいるでしょうが、凹んでしまう人もいるでしょう。けれども、この広告は、たいていの人が凹むということを前提にした言葉を書いているようです。そうでなければ予備校産業が立ちゆかなくなるのかもしれません。

 それにしても、自分の夢を「自己採点をしないでください」とは言い過ぎではないでしょうか。人は誰もが夢を持ち、夢に向かって進んでいます。若い人はなおさらです。

 自分の夢の実現度を確かめ、更に次のステップを考えるというのが、人生には必要なことです。大学入試などというものは人生のひとかけらに過ぎません。センター試験の自己採点なんかはなおざりにしても、人生の夢(目標や価値観など)を採点する(確認し、方策を考える)ことを怠ってはならないと思います。

 この広告の言葉は、自分の夢を閉ざすな、と言いたかったのでしょう。けれども、受験産業が金科玉条のように使う「自己採点」という言葉が、屈折した意味を投げかけて、印象の悪いフレーズになってしまっています。

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2016年1月18日 (月)

日本語への信頼(165)

これも東京方言? それとも新聞・放送用語?

 

 埼玉県の16歳の高校生の文章が投書欄に載っていました。こんな文章です。

 

 母に頼まれて、米をといだ時のこと。米を内釜でなく、炊飯器本体に入れてしまい、母親にどん引きされてました。水の量もおかしくて、べちょべちょになりました。あと4年で20歳になるのに、これはまずいと思いました。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1月15日・朝刊、10版、12)

 

 見出しにも「どん引き料理 やばくない?」とあります。実は、見出しを見て「どん引き料理」とはどんな料理なのかと思って、本文を読みました。「どん引き料理」の意味も、「どん引きされ」たという意味も、まったくわかりませんでした。

 投書欄に掲載されるのは大阪本社管内の読者からのものが多いのですが、時には他の本社管内のものも掲載されます。首都圏の人には広く理解されている言葉なのかと思いました。

 念のため、いろいろな国語辞典を見ましたが載っていませんでした。仕方なくホームページを頼ります。「簡単に言うと相手の言動や行動によって思わずその場から立ち去りたくなるような空気になる。要は白けることである。」とあります。別のホームページには「映画撮影やTV撮影で使われる放送業界用語」とあります。

 関西でも若者たちが広く使っているのかどうかは知りませんが、首都圏では流布している言葉なのでしょう。東京で付けられた見出しを、大阪本社はそのまま使ったのでしょう。それとも、放送業界の仲間である新聞業界で、記者たちもこの言葉を日常的に使っているという素地があるのでしょうか。

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2016年1月17日 (日)

日本語への信頼(164)

東京方言に拒否反応を覚える言葉

 

 連載(154)回で、「関東ローカル語に染まった人」と題して、私は次のようなことを書きました。

 

 一見して共通語のように見える言葉であっても、私個人にとっては、関東弁だと感じてしまう言葉があります。塩辛いことを「しょっぱい」と言う。柿をちぎることを「もぐ」と言う。落とすを「落っことす」と言う……。これらは、どちらかというと、話し言葉の要素の強い言葉のようにも思います。「ちゃう」「じゃう」も同様です。

 

 中村明さんの「ことばの食感」という連載コラムに、次のようなことが書かれていました。

 

 「塩辛い」ことをしばしば「しょっぱい」と言い、そこに特に地方色を意識しないが、これは東日本での現象らしく、西日本では「からい」と言うことが多いらしい。 …(中略)… 「風呂敷」を「ふるしき」と言うような音変化には共通語との違いを意識しやすいものの、概して東京弁には方言意識が薄い。「おっかない」「落っこちる」「おみおつけ」「世間様」「のっかる」、それに醤油をさす「お下地」や果物の意の「水菓子」などは意識として標準語に近いだろう。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1月16日・朝刊、b3面)

 

 この文章の筆者も東京方言にどっぷり浸かっている人のようです。

 関西人の私から言うと、名詞の「風呂敷(ふるしき)」「おみおつけ」「世間様」「水菓子」などには抵抗感はありません。東京ではそんな言葉遣いをしているのかと、よそ事のように聞いていてもよいのです。

 けれども、形容詞の「しょっぱい」「おっかない」や、動詞の「落っこちる」「のっかる」になると、強い抵抗感や拒否感を覚えるのです。そんな言い方を、まるで正しい言葉のようなふりをして、大手を振って使わないでくれと言いたくなるのです。

 人間の心の中を表現する言葉、あるいは動作や状態を表す言葉は、それぞれの人の中に基準のようなものがあって、他の言葉で表現したもの(たとえば東京方言)に接すると、心の安定に揺らぎが生じてしまうのです。

 

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2016年1月16日 (土)

名寸隅舟人日記(6)

小野アルプスを歩く

 

 1月15日。気温はしだいに低くなっているが、快晴で、風はない。かなり前から計画されていたことであるが、よい日に恵まれた。

 小野アルプスに登る日である。たいそうな名前であるが標高は200メートルに届かない。けれども岩場もあって、このように名付けた理由がわからないわけでもない。いくつものコースに分かれていて、最長では5時間近くかかるようである。

 JR加古川線の小野町駅に「ぷらっときすみの」というそば屋さんがあって、人気店になっている。まずは、そこで腹ごしらえである。

 この日のメンバーは野郎ばかりの7人、同級生の集まりである。加古川駅に11時集合という、異例の時間のスタートであるのは、まずは昼を済ませてから登るという計画であることを、集まってから教えられた。2人の同級生がそれぞれクルマを出してくれたので楽な行程である。

 シベリアから飛来した鴨たちが羽を休めている鴨池公園駐車場から歩き始める。何年かたつと後期高齢者の仲間に入ってしまうね、後期高齢者の次は末期高齢者というそうだよなどと言いつつも、山歩きをしようという意志を持っている者たちばかりであるから、足どりは重くはない。

 岩倉入口から里山風景を眺めつつ山道に入り、途中で岩倉2号古墳に寄る。石室の中に入って、こんなところにこんなものがあることに驚く。登るにつれて下界の播磨平野と小野市街が広がっていく。しばらく登ると紅山山頂である。ノートがあって、それを見ると、昨日はギャルのグループが登っているのに今日は会わないなぁと残念がる。ギャルには違いなかろうが、名前が連ねられていて、73歳のグループだと書いてある。

 紅山山頂からの南側への下り道は急な岩場である。ハイキングマップの写真を見ても、草木の生えない急峻な道である。登りコースなら挑戦できるが、下りは危険が伴うからやめておこう、と衆議一決。なかなか気の合う仲間たちである。

 雑木林の中を歩いて、下っていくと再び里山風景となる。皿池のそば、女池のそばを通って、男池(鴨池)の駐車場に戻る。

 これで1時間30分。無理はしないグループである。次はどこへ行こうかと、もうそんな話が始まっている。

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2016年1月15日 (金)

名寸隅舟人日記(5)

今は「真冬並みの寒さ」なのか

 

 私の住む明石では、今年の正月3が日は穏やかな天気であり、寒さを感じない初詣であった。それから少しずつ寒さが増したとは言え、震え上がるような寒さではない。

 1月6日は小寒で、21日は大寒である。二十四節気で見る限り、いちばん寒い頃である。2月4日の立春までが、いわゆる寒中である。けれども「寒中お見舞い申し上げます」という言葉は、なんだかふさわしくないような気持ちもする。

 昔を思い出すと、この時期はいわゆる寒稽古の季節であって、中学校や高等学校の生徒たちが早朝からランニングや柔道・剣道などに励む姿が思い出される。半世紀前は、今よりはもっともっと寒かったのだろう。寒風が吹き荒れていたような印象もある。そういうのとは様変わりの、今年の1月中頃である。

 さて、1月12日には東京で雪が舞ったという。関西ではそこまで寒くはなかったが、冬らしさが増したことには間違いがない。

 この12日のNHKテレビのニュースでは、この日の気温を「真冬並みの寒さ」とアナウンスし、字幕にもその文字が使われていた。

 いったい、真冬とはいつのことなのだろうか。今が寒中であって、真冬と言ってよいのだろう。その日の気温を「真冬並みの寒さ」と表現するのは間違っていないだろうか。「真冬並みの寒さ」という表現は、〔今は真冬ではないが、真冬並みの寒さである〕と言っているように聞こえるからである。

 ほんとうは、「真冬にふさわしい寒さ」であり、「例年の冬と同じような寒さ」であると表現すべきではないだろうか。それほど寒いという実感はないが…。

 田畑を作っている近隣の人が、「今年は暖かくて大根も白菜も大きくなりすぎて、収穫量が多く、収穫の時期も早くなってしまった。2月になったら野菜類の収穫が乏しくなるのではないか」と言っているのが気になるのである。

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2016年1月14日 (木)

名寸隅の船瀬があったところ(5)

魚住の荘としての西島(赤根川河口)

 江井ヶ島は、今ではマンションなどの高い建物があちこちにあって、新しい住民の方が増えました。けれども、昔の地名に従うと東江井村、西江井村、東島村、西島村がもとになっています。

 この東西の「江井」と東西の「島」を合わせた地域が江井ヶ島ですが、これによって江井ヶ島という地名になったのか、江井ヶ島という地名を分割して4つの村の名にしたのかはわかりません。江井ヶ島の地名伝説としては、一般に、次のような言い伝えがあります。

 「かつて江井ヶ島一帯は〔嶋〕と呼ばれていました。ここに港を作った行基が海上安全の祈祷をしているときに、港の中に畳2枚ほどもある大きな?(エイ)が入ってきました。村人たちは気味悪がって追い払おうとしましたがいっこうに動きません。行基が酒を飲ませてやると?は満足そうに沖へ帰っていきました。この後、このあたりを?向島(えいがしま)と呼ぶようになりました。」

 行基は風土記が編纂された時代の人ですから、このような地名伝承が成立してもおかしくはないでしょうが、「?向島」という表記は定着していません。

 また、江井ヶ島は世に知られた酒造地で、西灘とも呼ばれています。良い水が湧き出るところから、良い(ええ)水の出る島()が江井ヶ島になったという説がありますが、語誌の上からはあまり古い時代には遡れないでしょう。

 これら4村のうち、東江井、西江井、東島は、いっしょに秋祭りを行っていますが、西島は、現在の魚住町に属する中尾、西岡とともに住吉神社の祭りを行っています。前述のように魚住の住吉神社の秋祭りは、9月頃から始まる播州路の秋祭りの最後を飾って、10月の最終土曜・日曜日に催されます。東江井、西江井、東島の秋祭りはそれより1週間早くなるのが通例です。

 さて、私が小学生の頃に、我が家の隣の、オイシャハンという家号で呼ばれていた旧家の表札に「明石郡大久保村魚住村」という文字が残されていて、不思議に思ったことがあります。私たちの住んでいるところは大久保町西島であって、大久保町の旧称が大久保村であったとしても、西島でなく魚住村と書かれていたことを奇異に思っていたのです。

 『角川日本地名大辞典 ・兵庫県』(昭和63年、角川書店発行)をめくると、このあたりの事情がわかります。

 明治時代前期の「魚住村」について、次の記述があります。

 「明治8年~22年の村名。明石郡のうち。西島村・森村が合併して成立。地名の由来は、かつての荘名による。地内の赤根川河口付近に、かつて行基の築いた名寸隅の船瀬(魚住の泊)があったと推定されることも、村名を魚住とした理由の一つである。明治12年の田77町余・宅地4町余、同14年の戸数112、人口558(播磨国地種便覧)。同22年当地の西隣に魚住村が成立、当地は大久保村の大字となる。」(同書234ページ)

 明治時代後期から昭和時代前期の「魚住村」については、次の記述があります。

 「明治22年~昭和26年の明石郡の自治体名。金ヶ崎・長坂寺・清水・中尾・西岡の5か村が合併して成立。旧村名を継承した5大字を編成。役場は、はじめ長坂寺の遍照寺に、明治36年魚住小学校に、昭和23年から魚住中学校内に置かれた。」(同ページ)

 さらに、「魚住」の項では、

 「明治22年~大正9年の大久保村の大字名。(中略) 西隣の魚住村と紛らわしいことから、大正9年西島と改称。」(同ページ)

とあります。

 つまり、明治22年から大正9年までは、明石郡大久保村魚住村と明石郡魚住村とが併立していたことになります。魚住村という呼称は、明石郡大久保村魚住村(すなわち西島のこと)の方が先行しています。

 魚住という地名は、春成秀爾さんの文章にもあるように、現在の明石市魚住町よりも広い範囲を指すものであり、赤根川河口の西島も「魚住」に含まれ、そこにあった港が「名寸隅の船瀬」「魚住の泊」と呼ばれたのは自然なことであったのです。

 魚住の荘という広い地域を指す地名が、ここ1世紀余りの間に、西島よりも西にある地域、現在の明石市魚住町に「魚住」が定着し、今では西島を「魚住」と称することはなくなっているということなのです。

 神戸姫路電気鉄道(現在の山陽電気鉄道)によって明石-姫路間の電車が開通したとき(大正12年8月)には、2つの魚住村の併立が終わっておりましたから、明石郡魚住村中尾に「魚住駅」が、西島に「西江井ヶ島駅」ができています。国鉄(現在の西日本旅客鉄道)の「魚住駅」の設置は戦後の昭和36年です。

 いずれにしても前述した住吉神社が広く魚住地域の鎮守であることには、昔も今も変わりはありません。

 なお、「名寸隅」と「魚住」の文字の関係については、名寸隅は魚隅の誤写で、魚隅→魚次→魚住と変化したという説もありますが、定説には至っておりません。

 この文章では「江井ヶ島」と「江井島」の2つの表記を混在させていますが、一般には「江井ヶ島」の方がなじみやすいのではないかと思います。「江井島」は、行政機関などで表記が統一されている場合に限りました。 【終わり】

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2016年1月13日 (水)

名寸隅の船瀬があったところ(4)

名寸隅の船瀬(魚住の泊)のありどころ

 万葉集に詠まれた「名寸隅の船瀬」も、奈良時代の僧・行基が開いたと言われる摂播5泊の「魚住の泊」も、明石市大久保町西島の、赤根川の河口であろうと推定されています。

 私が学んだ明石市立江井島小学校の校歌の1番は、

  なみ静かなる 瀬戸の内

  明石の浦の 磯づたい

  遠き祖先の 築きけむ

  船瀬のあとさえ なおのこる

  家並にぎわう わが郷土

  あ江井ヶ島 われらの誇り

という歌詞です。「築きけむ」の「けむ」(過去推量の意の助動詞)のような古語も使われていますが、今も歌い継がれています。

 この校歌は、万葉研究者として知られた阪口保(神戸山手短大教授、のちに学長)の作詞により、昭和27(1952)に制定されました。

 この校歌によって、一般にはなじみの薄い「船瀬」という言葉が、江井ヶ島では親しい感じを漂わせた言葉になっています。

 とは言いながら、現在は明石市大久保町に属する赤根川河口に名寸隅の船瀬(魚住の泊)という名称があっていいのかというのが子どもの頃の疑問でした。

 事実、魚住の泊があったのは、赤根川河口の他に、瀬戸川河口という説もあるようです。瀬戸川の河口は現在の魚住町西岡です。

 国立歴史民俗博物館名誉教授の春成秀爾さんは、筆者の中学校および高等学校時代の同級生ですが、明石の歴史についてさまざまな論考を書いてくださっています。

 『明石の古代』(201311月、発掘された明石の歴史展実行委員会発行)という冊子の「Ⅰ 明石の古代」という章では、魚住泊について次のような記述があります。

 「魚住の地名は、『万葉集』に『名寸隅の船瀬』とでてきますが、これは『魚隅』の誤記とみてよいでしょう。『住吉大社神代記』731(天平3)年には、『明石郡魚次浜』の範囲は、東限を大久保尻、南限を海の棹がおよぶ際、西限を歌見江尻、北限を大路としています。大久保尻は谷八木川付近、歌見江尻は西二見になります。古代に『名隅』『魚次』、つまり魚を掬う浜と呼んでいた範囲は広いので、現在の魚住の地域に限定して魚住泊の位置を考えることはできません。」(同書8ページ)

 「初期の魚住泊は岸と並行に直線状に築いた石の突堤のことをさしており、これによって護られた船溜りが魚住泊の始まりだったようです。」(同書10ページ)

 現在の明石市魚住町、つまり「現在の魚住の地域」に限定して考えることはできないという考えです。

 ここに書かれている谷八木川の川尻から西を眺めると、江井ヶ島のあたりが岬になっていて、その向こうに見えるのは二見人工島です。もともとの二見あたりの海岸線は北側に湾曲しています。また逆に、二見人工島から東を眺めると、江井ヶ島の岬が突き出していて、明石市中心部の海岸を見やることはできません。赤根川河口に位置する江井ヶ島は海上を東から来ても西から来ても、少し突き出た形になっていますから、何気なく通り過ぎることはできません。今は小さな灯台が岬の位置を示しています。

 それに比べると谷八木川河口や、西側の瀬戸川河口(明石市魚住町)、更にもっと西側の喜瀬川河口(加古郡播磨町)が滑らかな海岸線となっているのとは違っています。

 海岸線に並行するのに比べて、突き出した岬というのはわずかな角度の差に過ぎません。しかし、この突き出した形になっているところから淡路島を眺めると、江井ヶ島音頭に歌われているように、淡路島西岸(一般に、西浦と言います)に正対するおもむきになって、淡路島を間近に感じることになります。江井ヶ島から見える淡路島の北端は江埼灯台や松帆の浦までであって、島の玄関口である岩屋港のあたりは東に回り込んでいるので見えません。

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2016年1月12日 (火)

名寸隅の船瀬があったところ(3)

富田砕花の持ったイメージ

 盛岡市生まれの富田砕花は、大正の頃は民衆詩派の詩人として活躍しましたが、最後は芦屋市に住みました。砕花の『歌風土記 兵庫県』(昭和25年、神戸新聞社発行)は、兵庫県内の旧・5国を旅して詠んだ作品群です。

 その中に、「明石郡・大久保町江井ヶ島」として3首が収められています。

   雲凝りて重く閉ぢたる屏風浦けふはしまきて浪ぞ騒げる

   東島の船瀬を越してしぶき入る秋浪荒き日の海のいろ

   酒蔵を棚田のまにま建てつらねひそけき秋の江井ヶ島かも

 それに続いて、「明石郡・魚住村字城山……住吉神社」として、次の1首が載っています。

   住吉の四社明神の秋祭な寄せそ風浪これのきりぎし

 富田砕火は江井ヶ島や魚住のあたりを秋に訪れたようです。これらの歌には「浪」という言葉が繰り返されて、「しまきて(風が吹き巻いて、という意味)浪ぞ騒げる」「秋浪荒き」「な寄せそ(寄せてくるな、という意味)風浪」という言葉になっています。ふだんの江井ヶ島の様子とは少し異なる気持ちがします。

 住吉神社の秋祭りは播磨の沿岸地域で最も遅く催される祭りです。もともとは10月の29(宵宮)30(本宮)でしたが、現在は10月の最終土曜・日曜日の2日間に改めています。筆者は住吉神社を氏神としている地域に住んでいます。10月末の祭礼の日は、たいていは穏やかな日和に恵まれるのですが、折り悪しく寒風が吹き荒ぶような年もあります。富田砕火が訪れた年は、江井ヶ島や魚住のあたりが荒れていた年であったのかもしれません。笠金村の万葉歌とはずいぶん印象が異なります。

 富田砕火のスケールの大きい歌は万葉集を思わせて、古い言葉を多用することにも支えられて、私は大好きなのですが、笠金村の持った印象とは格段に異なるようです。

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2016年1月11日 (月)

名寸隅の船瀬があったところ(2)

笠金村の長歌と反歌

 江井ヶ島は、万葉集の歌に詠まれている名寸隅にあたります。明石を詠んだ万葉歌はたくさんありますが、名寸隅を詠み込んだ作品は笠金村の有名な長歌と反歌(短歌)に限られます。

 その歌には、「三年丙寅の秋九月十五日、播磨の国の印南郡に幸したまひし時に、笠朝臣金村の作りし歌一首 短歌をせたり」という詞書きがあります。その歌を記します。

935  名寸隅の 船瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎ  に 藻塩焼きつつ 海人娘子 ありとは聞けど 見に行かむ よしのなければ ます  らをの 心はなしに たわやめの 思ひたわみて たもとほり 我はそ恋ふる 船梶  をなみ

 そして、「反歌二首」という文字があって、2首の短歌が続きます。

936  玉藻刈る海人娘子ども見に行かむ船梶もがも波高くとも

937  行き巡り見とも飽かめや名寸隅の船瀬の浜にしきる白波

 この歌が作られた「三年丙寅」とは神亀3年(726)のことで、笠金村は聖武天皇の印南野邑美頓宮への行幸に従っていました。

 935の歌は、「名寸隅の船瀬から見える淡路島の松帆の浦に、朝なぎに玉藻を刈って夕なぎに藻塩を焼いて海人娘子がいるとは聞くが、それを見に行くすべがないので益荒男としての心もなしに手弱女のようにしおれて、行きつ戻りつして私は恋い慕っている、船も梶もないので」という意味です。

 936は、「玉藻を刈る海人娘子たちを見に行ける船や梶があればよいのに、波が高くても」という意味であり、937は、「歩き回って見ても飽きが来ようか、名寸隅の船瀬の浜に後から後から寄せる白波は」という意味です。

 一連の歌は、宮廷歌人である笠金村が、淡路の松帆の浦を遠望して、そこに住む海人娘子たちを激しく恋い慕っている内容になっています。宮廷歌人として天皇の行幸に従っていたにしては、個人的な感情が述べられています。「ありとは聞けど」とあるように、人づてに聞いているだけであるのに、このように恋い焦がれるのは不自然だとも考えられます。そのような理由で、宴席での座興の歌ではないかという説もあります。

 このあたりの海岸はかつては浸食が激しかったのですが、現在は国土交通省の東播磨海岸の養浜事業によって広い浜辺が復活しています。渚に打ち寄せる「しきる白波」の様子は往古も今も変わらないと言ってよいでしょう。

 「行き巡り」の歌は、明石市魚住町中尾にある住吉神社の境内に碑が建てられています。住吉神社は、他の神社との区別のために中尾住吉神社とか魚住住吉神社と紹介されることもあります。

 なお、小倉百人一首には撰者と考えられている藤原定家自身の歌が入れられており、それ以降、松帆の浦は有名な歌枕となりました。その歌は、

  来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ

ですが、この歌は、笠金村の作を本歌としており、「松帆の浦」「夕なぎ」「焼く」「藻塩」の言葉が笠金村の歌から取られています。読み手が男性(金村自身)から女性(藻塩を焼く人)に変わっているのが、大きな違いです。

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2016年1月10日 (日)

名寸隅の船瀬があったところ(1)

江井ヶ島音頭の思い出

 小学校に通っていた頃、昭和30年より少し前のことです。

 学校で、「江井ヶ島音頭」という歌を教えてもらい、踊りを教わりました。そして、夏休み期間のある夜に、小学校の校庭で盆踊り大会が開かれました。1学期が終わるまでに子どもたちひとりひとりが行灯に絵を描いて準備しておき、当夜はそれをずらりと吊り下げている会場で、大勢の地域の人たちといっしょに踊りました。この催しは毎夏の風物詩となっていました。

 音頭の歌詞はいまだに憶えていて、メロディも頭から離れません。次のような歌詞です。

 1 来いよ揃(そろ)たか 学校の庭に ヨイヤサ

   歌も新作 新踊り ヨーイヤサ

 2 向かい淡路も 踊りの頃か ヨイヤサ

   粋なとしまに 火がついた ヨーイヤサ

 1番の歌詞の「学校の庭に」は、もともと「お寺の庭に」となっていたのを、盆踊りの会場を校庭にしたから改めたのだということを聞いたことがありますが、真偽はわかりません。歌詞に3番以降があったのかどうかも、記憶にありません。今では、この江井ヶ島音頭を聞くことも絶えてしまいました。

 2番の歌詞に「としま」という言葉が出てきますが、富島は淡路の地名です。江井ヶ島から南南東の方向、海上で3里ほどの距離です。空気の澄んだ日には、富島にある「かんぼの宿淡路島」の船を模した形の白い建物が見えます。富島には江井ヶ島と同様に港があり、対岸の土地として親近感があるのでしょう。実は、富島港は兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の震源地である野島断層のすぐ近くです。地震の時は目の前に震源地がありながら、断層が神戸の方に向かっていましたから、幸いなことに江井ヶ島は大きな被害に遭わずにすみました。

 富島が粋な町と言えるのかどうかは疑問です。「としま」という言葉は掛詞になっていて、富島は年増と同じ発音です。対岸の富島に灯がともったという意味の他に、粋な年増の女性に火がついたという意味であることはすぐわかるのですが、小学生にはわかるはずもありません。けれども、盆踊りの華やかさの中で、なまめかしさが添えられている言葉に、にんまりしている大人がいたであろうことは想像できます。

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2016年1月 9日 (土)

日本語への信頼(163)

人日とは、人を大切にする日?

 

 古来から伝えられている五節句は、人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)です。

 「よみうり寸評」というコラムで次のような文を読みましたが、納得がゆきません。

 

 きょう七草がゆを召し上がる方は多かろう。1月7日は人を大切にする「人日の節句」に当たり、奈良時代にさかのぼる風習という。

 「人日」の「人」は、自分でも他人でもあるだろう。ところが、この頃はその日まで新年の明るさがもたない。

 (読売新聞・大阪本社発行、1月7日・夕刊、3版、1面)

 

 人日を「人を大切にする」日だと説明しているのを初めて見ました。

 「日本国語大辞典」を引いてみると、「じんじつ【人日】」は次のように説明されています。

 

 (東方朔の「占書」に見える中国の古い習俗で、正月の一日から六日までは獣畜を占い、七日に人を占うところから)五節句の一つ。陰暦正月七日の称。七種(ななくさ)の粥を祝うのが慣例。人の日。

 

 辞典には「人を占う」とありますが、コラムのように「人を大切にする」とは書かれていません。同じ辞典の「ひとのひ【人日】」の項は、次のように書かれていて、参考にはなりません。

 

 (「人日(じんじつ)」の訓読み)陰暦正月七日の称。

 

 金子兜太さん監修の『美しい日本の季語』(誠文堂新光社、2010年4月30日発行)には「人日」を次のように説明しています。

 

 五節句の最初の日です。節句は暦の中で奇数の重なる日に邪気を祓う行事ですが、元日は別格とされ、1月7日にあたります。

 古来中国で1日に鶏、2日に狗(いぬ)、3日に猪()、4日に羊、5日に牛、6日に馬、7日に人、8日に穀の吉凶を占い、殺生を禁じたのが由来とされています。

 (同書304ページ)

 

 以上のようなことから、1月7日と「人」との関係はわかるのですが、「人の吉凶を占う」「(人の)邪気を祓う」ということが、とうしてコラムの言う「人を大切にする」日だという判断に至るのか、いまだにわからないのです。

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2016年1月 8日 (金)

日本語への信頼(162)

おみくじは「大吉」の大盤振る舞い

 

 前回の「おみくじ」の話題の続きです。「黒木瞳のひみつのHちゃん」という文章です。

 

 おみくじには嫌な思い出がある。ずっと前の話だけれど。京都の有名な神社で引いたおみくじが、大凶だったのだ。凶だけならまだしも、凶に大まで付いていた。これって、どうなの?って思った。 …(中略)… それで私は気分を変えようと、再度おみくじを引いた。

 そしたら、また大凶だった。ここで引き下がれば女がすたるとばかり、ワタシ、もう1回おみくじを引いた。そしたら、また、大凶だった。3回の大凶は、さすがにめげた。ただ、これ以上悪くなることはないんだと、自身で盛り上げたものだ。 …(中略)… だから、おみくじとはずっと無縁だったのだけれど、今年は違った。おみくじを引きたくなったのだ。書いてあることが良くても悪くても、謙虚に受け止めればいいだけ。前向きに捉えようと思った。

 そして開いたおみくじは、なんと、大吉!! …(中略)

 一緒におみくじを引いた娘が、「ママ~、ワタシ大吉~!」と言っている。え?2人とも大吉~?

 (朝日新聞・大阪本社発行、1月7日・夕刊、3版、3面)

 

 大凶の氾濫から、大吉の氾濫へ、180度の転換です。「吉」の大盤振る舞いが進行しているという生々しい例のように感じます。

 とは言え、大凶が出たら何度も引き直すという心理はいかがなものでしょうか。この心理を逆用すれば、神社は経営上、凶を多くしてもよかろうかと思います。けれども、凶の多い神社は敬遠されることになるのでしょうね。

 私自身は、おみくじを引くことは、ほとんどありません。運勢というよりはゲームだと割り切っているからかもしれません。ただし、新聞や暦などに書いてある運勢欄は見て、その表現の仕方を楽しんでいます。

 

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2016年1月 7日 (木)

日本語への信頼(161)

おみくじは「普通」が基準?

 

 電車には、普通(各駅停車)、準急、急行、特急などの種別があります。これが基本的な名称ですが、会社によっては、通勤特急、通勤急行、快速特急、快速急行、S特急、快速、新快速、特別快速、区間急行、区間準急などという名前が登場します。

 こんなことを書くのは、神社のおみくじも、それとよく似た傾向を示しているように感じたからです。

 

 初詣の神社で引くおみくじが様変わりしている。大吉の上に「大大吉」があったり、凶をなくしたり、運勢を試す人の幸福感を高めている。 …(中略)

 伏見稲荷大社(伏見区)には大大吉のほか「向(むこう)大吉」「凶後(のち)大吉」など十数種類ある。平安時代から福の神で知られ、ずっと凶がない。 …(中略)

 下鴨神社(京都市左京区)や石清水八幡宮(京都府八幡市)、厳島神社(広島県廿日市市)にあるのは「平」。読みは「へい」「たいら」とさまざま。「平凡な状態」を意味する神社もあれば「運気は安定」と説くところもある。

 平安神宮(京都市左京区)が春になると授ける「桜(はな)みくじ」は、吉凶を「満開」「五分咲き」「つぼみ」で表す。

 (朝日新聞・大阪本社発行、1月3日・朝刊、13版、34)

 

 大凶、凶、小凶、小吉、吉、大吉というのが、おみくじの標準的な言い方だと思っている人にとっては、それ以外の言葉は何となく頼りないものに感じられるかもしれません。ところが、今では「凶」が消え去ろうとしており、言葉も多様になりつつあるというのは驚きです。

 普通電車を「平」(平凡な状態)とすれば、準急は「小吉」、急行は「吉」、特急は「大吉」というところでしょうか。(「吉」と「小吉」の順位はこれでよいのでしょうか。逆に考えている人もいるでしょうか。)

 そして、「超特急」(新幹線?)にあたるのが、新たに登場してきた「大大吉」というのでしょう。

 電車には普通(各駅停車)より下の段階がないので、おみくじも大凶、凶、小凶を廃止というわけです。

 平安神宮(京都市左京区)が春になると授ける「桜(はな)みくじ」の「満開」「五分咲き」「つぼみ」というのは愉快です。出発点は「つぼみ」で、次第に花が咲いていく段階を示していて、どの言葉をもらっても悪い気持ちはしないでしょう。運気が悪い方向に向かうということがないからです。

 上の記事には、それ以外のユニークな言葉遣いも紹介されていますが、吉凶の「凶」のないおみくじは、心の弱い現代人に優しさを投げかける役割を果たそうとしているのでしょうか。

 デフレからの脱却を、おみくじの「吉」のインフレが先導しているのかもしれません。

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2016年1月 6日 (水)

名寸隅舟人日記(4)

正月のしめ飾り

 

 正月が足早に過ぎ去ろうとしている。戦後の乏しい時期であったが、幼い心にはあんなに華やかに重々しく、長い時間を感じたのに、今の自分にとってはあっと言う間に通り過ぎてしまって、荘厳さはない。

 正月の半月間は、家のあちこちに神の存在を感じながら、しめ飾りを置いていた。正月のしめ飾りは、長い間にわたって父が作っており、父の死後は母が受け継いだ。作る数が多いのである。門、玄関、神棚、三宝荒神の神棚、床の間、勝手口、縁側、井戸、便所、…。そして自転車にまでくくりつけていた。形も幾種類かを作っていた。

 しめ飾りは、それぞれの家で作ったり、近隣・知人などが作ったものをわけてもらったりするのが常であった。店でも売っていたかもしれないが、それは例外的なものであった。

 父母亡き今は、買ってくる。大きさや形は変化に富んでおり、値段もさまざまである。クリスマスの延長であるような飾りもある。商品なのだから、売れなくては困るのである。

 私は、自分でしめ飾りは作れないから、買うしかない。数は減らした。

 1月14日の夕方にはしめ飾りを外して、15日に庭先で「とんど」をした。便所のしめ飾りだけは取り外さないで、1年間そのままにしておく。

 「とんど」で燃やすと、しめ飾りが多いから藁灰もたくさんできる。それを湿らせて、ひとつまみずつ、点々と家の周りに置いていく。1年間の魔除けである。

 ところが、いつの頃からか、その「とんど」をしなくなった。藁でできたものを燃やせば煙が出る。小さな燃えかすが舞い上がったりする。臭いもする。何トカ・ガスも発生するかもしれない。そのようなことをお互いが考えて、遠慮し合っているのである。

 行き場のないしめ飾りは、結局は、ゴミの回収日に出されることになる。神のおられる神聖な場所を、他の場所と区別するために作られるのがしめ飾りである。行く末がゴミだというのは納得できないが、そんな時代になってしまった。

 燃やすと有害なものが出て汚染する、ということよりも、もっと肝要なことがある。体の健康のためには、燃焼による有害物質はない方がよい。労力の点からは、燃やさないでゴミとして出しておく方が簡単だ。そんな考え方に汚染された人たちは、正月の意義やしきたりを忘れて、科学万能、経済至上という主義に走るのである。

 有害物質によって人が汚染されているのではない。人の心の拠りどころが汚染されて、喪失しつつあるのである。

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2016年1月 5日 (火)

名寸隅舟人日記(3)

同窓会と旧職員

 

 平成の保存修理を経て、真っ白で端正な姿がよみがえった世界遺産の白鷺城。その城下にある商工会議所のホールをお借りして、1月2日の午後に、高等学校の卒業35周年同窓会が開かれた。私も、旧職員の一人として案内をいただき、出席した。

 このような同窓会になると、旧職員ひとり一人の挨拶が慣わしのようになっていることがある。前回の30周年同窓会がそうであった。いくら短く話したとしても、10人ほどの言葉が続くと30分をはるかに超えてしまう。

 今回も、「近況などを一言」と促されることもあろうかと、話の内容は心づもりしていた。けれども、出席した旧職員のわずかの人数が、来賓としての挨拶や乾杯の音頭を担当しただけで済んだ。そうあるべきだと思う。

 同窓会の会合は、卒業生のためのものであって、旧職員は同席させてもらっている立場にある。挨拶などに長々とした時間を割くのは考えものである。旧職員の挨拶は、教壇に立っていたときの話でも、近況でも自慢話に流れる傾向がある。

 酒を酌み交わしながらの長い懇談の時間が設けられている。そういう場面で、かつての高校時代の思い出を聞かせてもらったり、私の近況を尋ねられたりもした。このような懇談では肩肘を張らずにいろんな話題に及んでいく。同窓会の楽しみは懇談の時間にあると感じている。

 卒業35周年、53歳という年齢は社会の中堅を過ぎて、もはやリーダーの年齢になっている。旧職員からの古めかしい訓話などはあまり役立たないかもしれない。150人を超える出席者の中には、名刺をもらって驚くような人たちが大勢いた。5年の歳月が卒業生を大きく変えているように感じた。会社の支社長や部長を務めている人、公務員や教員としての重責を担っている人、病院の院長や芸術方面で活躍している人、などなど。メガバンク初の女性執行役員として注目を集めている人も出席してくれた。

 卒業生の話を聞かせてもらっているだけでも、たいへんな刺激である。卒業生の同窓会に欠かさず出席するのは、こういう嬉しいことがあるからなのだ。

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2016年1月 4日 (月)

日本語への信頼(160)

新春の「薦被り」

 

 新春にまっさきに読みたくなるのは新聞の1面に載っているコラムです。今年はどんな話題で始まるのかなと興味津々で読み始めます。

 

 元禄3(1690)年の芭蕉の歳旦吟(新春詠)に「薦を着て誰人います花の春」がある。新春の華やぐ街で粗末な薦をかぶった乞食を見かけた。どなたなのか、もしや尊い聖ではあるまいか。

 この句は京の俳人の間で、新春詠の巻頭に乞食をもってくるとは何事かと物議をかもしたという。芭蕉はこれに対し、情けないことだと嘆き、京に俳人はもういないと憤慨した。西行法師作とされた説話集に出てくる高徳の乞食僧にかねて心を寄せていた芭蕉だった。

 (毎日新聞・大阪本社発行、1月1日・朝刊、13版、1面)

 

 これは「余録」の文章の冒頭です。

 薦(こも)は、藁で粗く織った筵(むしろ)のことです。この句は、華やかな新春にふさわしからぬ句として非難されました。けれども芭蕉には、そのような眼で見ていたのではものごとの本当の姿は見えないという気持ちがあったようです。

 ところで、新春などのめでたい席では鏡開きが行われ、酒樽のふたを抜いて祝い合うことがあります。その酒樽は薦被りになっていることが多いようです。化粧をされ、文字や絵で飾られた薦で包んだ四斗入りの酒樽ですから、乞食僧の薦被りとは異なります。

 とは言え、同じ「薦被り」でも、人が被るとさげすまれ、酒樽に巻くと堂々と祝いの席に鎮座するという変化を演じるようです。

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2016年1月 3日 (日)

日本語への信頼(159)

「目力」の3つめの意味

 

 この連載の(131)回と(145)回で「目力」のことを書きました。

 この言葉の意味は、次の2つでした。

 

()目によって相手を威嚇する力……神戸市の社会実験に用いられた看板に関する言葉

()本人が文字を読み取ろうとする目の力……河野裕子『歌集 蝉声』に使われた言葉

 

 さて、新しい用例が現れました。

 

①今年は、「目力」をつけよう!  【大きな見出し】

②美しい目力を引き出す〝ワンポイント・シンプルメイク〟  【小さな見出し】

③肌や髪と同じでまつ毛もエイジングがあります。まつ毛が薄くなったかな?細くなったかな?と思ったら、まつ毛をいたわるケアを。まつ毛が濃く、上を向いていれば目力も出ます。おすすめは、大人世代のための〝オトナまつ毛美容液〟。納得の成分をたっぷり配合して、目元にも使えます。  【説明の言葉】

 (朝日新聞・大阪本社発行、1月1日・朝刊、広告特集B面およびC面)

 

 2面を使った大型の広告です。上記の他にも「目力」という言葉は使われています。

 この広告では、健康のための方策も書かれていますが、美容に関することに重点が置かれています。健康に関する部分には、「当然ながら目は体の一部分。健康でなければイキイキとした目の輝きも目力も保てません。」と書いてあります。「目力」は健康に関する言葉ではないようです。

 というわけで、新しい「目力」の意味が加わりました。

 

()相手に自分の魅力を伝える目(まつ毛)の力……新聞広告に使われた言葉

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2016年1月 2日 (土)

名寸隅舟人日記(2)

旅への出立

 

 元日は、穏やかに晴れて暖かい一日だった。播磨灘は波静かで初淡路を眺め、海辺に鎮座する、氏神の魚住・住吉神社へ詣でた。

 芭蕉に、「元日は田毎の日こそこひしけれ」という句がある。「田毎」というと姨捨山の棚田の斜面に映る月が名高いのであるが、この句は、その姨捨山の棚田のひとつひとつに元日の朝日が映るのを見たいという願いをよんでいる。

 この句が作られたのは元禄2年である。元禄2年というと、「奥の細道」の「ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚、只かりそめに思ひたちて、…」という文が思い浮かぶ。前年には「笈の小文」の旅に出て、和歌浦や須磨・明石の海辺を歩いて、「更科紀行」の旅で、信州を通って、8月に江戸に帰っている。

 貞享5年9月に元号が改まって元禄になる。したがって、「奥の細道」の旅に出たのは改元から1年も経っていない頃で、元禄という元号をしっくりと感じていない時期であったのだろう。

 さて、私の2016年。昨年は日光道中、奥州道中、甲州道中の3つを歩いて、江戸時代の5街道のすべてを歩き終えた。今年は暖かくなった頃から、2年がかりで「奥の細道」の旅を追体験することにしている。5街道はひとり旅であったが、今回は同い年の友人との二人旅である。出発が待ち遠しい。

 5街道は道筋がはっきりしていて、一里塚も各地に残っている。「奥の細道」の旅は一回限りのものであって、どの道を通ったのかはっきりしないところも多い。その経路を忠実に推定するが、場所によっては道を強引につなぎあわせる必要も生じる。ともあれ、踏査計画を作り上げる今の段階も実に心楽しいのである。

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2016年1月 1日 (金)

名寸隅舟人日記(1)

「あけまして おめでとう」

 

 「あけまして おめでとう」。誰彼にそんな言葉をかけてみたくなる新年となった。

 一年の移りゆきを強く感じるのは深夜0時で、ざわざわとした朝を迎えると厳粛さも少しずつ減退していく。新しい年を迎えた瞬間に、「おめでとう」と言いたいのである。

 年越しのためにどこかへ出かける習慣は持っていない。実際の除夜の鐘が聞こえてくるようなところに住んではいない。ラジオかテレビで除夜の鐘を聞くだけである。

 「おめでとう」とは言うが、私にとって、めでたいのは、新しい年を迎えた瞬間なのであって、それは2016年がめでたいのではなく、2015年がめでたいのである。

 2015年が完結したことを喜ぶのであって、新しい舞台にどんなことが起きるのかは何もわからない。何もわからないことを「希望」と置き換えて、それを祝うわけではない。

 2015年が完結するためには、2016年が始まる一瞬がなくては成立しない。人生を変えるような出来事は何もなかった。それは毎年のことである。けれども、過ぎていった1年が完結した瞬間がめでたいのである。

 「目出度さちう位なりおらが春」(一茶)と言うが、私のめでたさは、中ではなく極小である。つつがなかったことを喜ぶのみである。

 かつては、「数え年」を重ねる習慣があった。正月にみんなが等しく歳を重ねるという考えが私は好きである。その一瞬に、古い1ページを終えて、次へ踏み出すからである。

 年が改まってわずかに厳粛さを感じても、すぐ元に戻ってしまう。「年立つやもとの愚がまた愚にかへる」(一茶)。今年もそんな一年が始まる。

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