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2016年12月14日 (水)

奥の細道を読む・歩く(105)

末の松山②

 

 末の松山から沖の石(興井)までは、すぐ近くです。「沖の井(沖の石)」という案内板に従って道を下っていくと、変わった形の石が連なっている池が見えてきます。まわりは住宅地です。島のようになった石の群があって、松の木も生えています。水面には雨の輪が次々とできています。池の周りがコンクリートの壁になっているのが不粋ですが、こんな小さな旧跡が現在まで大切にされているのは嬉しいことです。

 沖の石も、百人一首の二条院讃岐の「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなし」で知られています。千載集に出ている歌です。この歌は、私の着物の袖は、潮が引くときにも見えない沖の石のように、人は知らないだろうが、あなたを恋い慕って涙で乾くひまもない、という意味です。二条院讃岐は源三位頼政の娘で、女房として出仕し、讃岐と呼ばれました。その時代に、式子内親王と並ぶ一流の歌人でした。この女性が奥州を訪れたとは考えにくいと思いますが、「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の」は序詞として詠まれていますから、実際に沖の石を見ていなくても歌は成り立ちます。この歌は、人知れぬ片思いの悲しみを歌ったものでしょう。

 石の間に立てられた説明板には、「おきのゐて身をやくよりもかなしきは宮こしまべのわかれなりけり」という小野小町の歌も記されています。これも悲しい別れが主題になっています。

 雨が激しくなってきたので仙石線の多賀城駅に向けて急いで歩きますが、途中でちらりと眺めた宝国寺にも「末の松山」と表示されて文学碑が建てられています。

 とにもかくにも多賀城のあたりは歌枕の密集地です。壺の碑、末の松山、沖の石、野田の玉川、おもわくの橋などです。それから、国府多賀城駅の近くにあった浮嶋神社のあたりも、浮島という歌枕の地です。「しほがまの前に浮きたる浮島の浮きて思ひのある世なりけり」は新古今集に出ている山口女王の歌です。

 「奥の細道」ではこの後、塩竈へ向かい、「鹽がまの浦に入相のかねを聞。五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、籬が島もほど近し。蜑の小舟こぎつれて、肴わかつ声々に、『つなでかなしも』とよみけん心もしられて、いとゞ哀也。其夜目盲法師の琵琶をならして奥浄るりと云ものをかたる。平家にもあらず、舞にもあらず、ひなびたる調子うち上て、枕ちかうかしましけれど、さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝に覚らる。」というようにその夜の様子も書かれているのですが、私たちの今回の旅はこれで区切って、次回は塩竃から再開することにします。

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