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2016年12月17日 (土)

奥の細道を読む・歩く(108)

塩竃②

 

 芭蕉が「神前に古き宝燈有。かねの戸びらの面に、文治三年和泉三郎寄進と有。五百年来の俤、今目の前にうかびて、そゞろに珍し。渠は勇義忠孝の士也。佳命今に至りてしたはずといふ事なし。誠人能道を勤、義を守べし。名もまた是にしたがふと云り。」と書いている文治の神燈は、拝殿の脇にあります。「文治三年七月十日和泉三郎忠衡敬白」という文字が読みとれます。藤原秀衡の三男、三郎忠衡が父との約束を守り、自分の命に代えてでも源義経を守るという誓いを込めて寄進したものです。文治3年は1187年ですから芭蕉の時代から見て「五百年来の俤」になります。加藤さんは、神燈に向かって絵筆を走らせています。

 天然記念物の鹽竈桜の前を通って下り、志波彦神社に向かいます。この神社はもとは岩切にありましたが、境内地が狭かったので明治になってからこの地に遷されたということです。このあたりから、塩竃から松島にかけての青い海が望まれます。「奥の細道」旅においては、久しぶりの海です。

 鹽竈神社博物館の前には、大きな甑炉型の鋳銭釜物があります。その近くに奥の細道碑がありますが、案内板もなく見過ごしてしまいそうです。保存状態も良くなくて文字が読みとりにくくなっています。

 博物館の脇から古い七曲坂が始まるのですが、私たちは左へ続く坂を下ります。そうすると「芭蕉止宿の地」に出会います。これは曾良が「宿、治兵へ、法蓮寺門前。加衛門状添。銭湯有ニ入。」と書いていることに依るのです。案内板には、法蓮寺は明治4年に廃寺となったと書いてあります。

 坂を下りきって鹽竈海道を横断して、御釜神社へ行きます。塩土老翁神が製塩に使ったという大きな御神釜4口があります。ここでは藻塩焼の神事も行われます。塩竃の地名の由来はここにあるという神社です。

 御釜神社の前に木造3階建ての旧ゑびや旅館があって、今はまちかど博物館になっています。このあたりは落ち着いた町並みです。

 しばらく歩くと仙石線本塩釜駅に着きます。駅前の塩竃観光物産案内所に、奥の細道スタンプラリーのスタンプがあるのですが、この案内所は16時で終了していて、ほんのわずかの差で、スタンプを押せませんでした。ラリーのスタンプは、遊行柳では休館日で押せなかったのですが、すべての地を巡りながら、空欄ができてしまうのは残念なことです。

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