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2016年12月21日 (水)

奥の細道を読む・歩く(112)

松嶋②

 

 私にとって松嶋は初めての土地ではありませんが、船は初めてです。かつて訪れてから何十年も経ちましたから、松嶋の記憶はほとんど薄らいでいます。鉄道の駅を降りて、五大堂や瑞巌寺のあたりを歩き回ったり、湾内の島々を望見したという記憶はありますが、細かなことは消えてしまっています。

 芭蕉は「奥の細道」の冒頭部分で「もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すうるより、松嶋の月先心にかゝりて」と書いています。大きな目的地です。

 芭蕉は中国の洞庭湖や西湖を見たわけではありませんが、「抑ことふりにたれど、松嶋は扶桑第一の好風にして、凡洞庭・西湖を恥ず。」と最大限の賛辞を贈っています。須磨・明石の海浜に住んで、瀬戸内の多島海にも馴染んでいる私たちですから、松嶋に特別の驚きを持ちませんが、静かな海の景色にひたっていると、穏やかな時間の流れを感じます。

 多賀城を拠点に東北の地を支配しようとしていた平安時代の初めには瑞巖寺の前身が創建され、その頃から松嶋の美しさが都人の関心を呼んだのでしょう。実際にここまで来るのは大変なことでしょうが、噂は伝わり、まだ見ぬところも歌枕として詠んでいったことでしょう。

 さて、松嶋の観光桟橋のあるあたりは、松嶋観光の中心のようなところです。大勢の人が行き交っています。加藤さんは海に向かってスケッチをしています。

 桟橋のあたりからちょっと歩くと日本三景碑があります。丹後の天橋立、安芸の宮島とともに松嶋を三景としたのは、江戸初期の儒学者である林鵞峰の『日本国事跡考』であると考えられていますが、芭蕉の頃には名所としての名が高くなっていたのでしょう。

 碑の目の前が五大堂のある島です。島に渡る橋の北側に東日本大震災慰霊祈念碑が建っています。縁結び橋とも言う透かし橋を渡って、五大堂に行きます。江戸時代中期から、身も心も乱れなく、足元に注意して気持ちを引き締めるようにと、このような構造になっていたそうです。五大明王を祀る五大堂は、807(大同2年)に坂上田村麻呂が毘沙門堂を建てたのが最初と言われ、現在の建物は1589(慶長9年)に伊達政宗が修造に着手したものです。やや荒れた感じがしないでもありませんが、むしろ時代の流れを感じさせる建物です。軒の蟇股には十二支の彫刻があり、観光客がそれを確認しています。ここからの湾内の眺めもなかなかのものです。堂の内部は見られませんから、堂の周りをぐるりと一周して、橋に戻ります。

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