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2016年12月24日 (土)

奥の細道を読む・歩く(115)

松嶋⑤

 

 「雄嶋が磯は地つゞきて海に出たる島也。雲居禅師の別室の跡、坐禅石など有。将、松の木陰に世をいとふ人も稀々見え侍りて、落穂松笠など打けぶりたる草の菴、閑に住なし、いかなる人とはしられずながら、先なつかしく立寄ほどに、月海にうつりて、昼のながめ又あらたむ。江上に帰りて宿を求れば、窓をひらき二階を作て、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで、妙なる心地はせらるれ。

   松島や鶴に身をかれほとゝぎす   曾良

 予は口をとぢて眠らんとしていねられず。旧庵をわかるゝ時、素堂松島の詩あり、原安適松がうらしまの和歌を贈らる。袋を解て、こよひの友とす。且、杉風・濁子が発句あり。」

 

 雄嶋の入口にあたるところまで来ると、東日本大震災の時の津波浸水の深さの表示があって、近づいてみると自分の顔の高さまであります。松島湾の一帯がそのような状態であったことを想像すると、恐怖感に襲われます。巨岩を切り開いた真ん中に細い道が通じているようなところもあって、たどっていくと真っ赤な渡月橋が雄嶋をつないでいます。震災によって不通になっていた雄嶋に架けられた新しい渡月橋です。

 渡月橋は、悪縁を絶つ縁切り橋だそうです。五大堂の橋が縁結びで、渡月橋が縁切りという役割分担をしているのです。そう言えば、松嶋観光桟橋に着く前に船から見えていた福浦島の橋は出会い橋だそうです。観光スポットとしての名付けなのでしょう。

 雄嶋は僧侶などが修行をしたところで、島の中にはたくさんの洞窟があります。仏像などが彫られ、島全体が霊場のようになっています。歌枕としても知られ、藤原俊成の「立ち帰りまたも来てみん松嶋や雄嶋の苫屋浪にあらすな」などの歌があります。

 前述したように、曾良は瑞巌寺を見た後に雄嶋を訪れたと書き、「ソレより雄嶋所々ヲ見ル。御嶋、雲居ノ坐禅堂有。ソノ南ニ寧一山ノ碑之文有。北ニ庵有。道心者住ス。」と述べています。

 橋を渡ってからすぐに高いところへ上ると御嶋?珠稲荷大明神が祀られています。下りてきて、島の西縁に沿った道を歩いていくと、南端に奥州御嶋頼賢の碑がありますが、これは妙覚庵主の頼賢の徳行を讃える碑で、中世奥州三古碑の一つになっています。近くに四阿も設けられ、一休みして島々の展望ができるようになっています。

 そこから引き返して、雲居禅師の坐禅堂に立ち寄ります。小さな粗末な堂に「把不住」の3文字が掲げられています。芭蕉の頃のものでなく、一見して比較的新しいものであることがわかります。坐禅石というものがどこにあるのかはわかりません。もちろん、あたりに「松の木陰に世をいとふ人も稀々見え侍りて、落穂松笠など打けぶりたる草の菴、閑に住なし」というような状況は見当たりません。

 坐禅堂から細い道を下っていくと、芭蕉と曾良の碑があります。「芭蕉翁」と書かれた碑には「朝よさを誰まつ島ぞ片心」の句が、その隣には曾良の「松嶋や鶴に身をかれほととぎす」の句が彫られた碑があります。

 この「朝よさを誰まつ島ぞ片心」は、誰かを待つと言われる松嶋のことが、朝に夕べに何とはなしに心にかかって離れない、という気持ちを表現した句です。自分は松嶋のことを思い慕っているが、その松嶋で誰が私を待っているのだろうかという意味にも取れます。これは「奥の細道」に旅立つよりも前に作られた句で、季語が使われていません。ただただ歌枕の地に引き寄せられる気持ちが詠み込まれているのです。(曾良の句については次回に述べます。)

 島の東縁に沿って進むと雄嶋最古の板碑として「弘安八年乙酉八月彼岸中日」と記されたものがあります。そして、小さな広場があって、妙覚庵敷地という木柱が立っています。

 島の北端にまで来ると、「芭蕉翁松嶋吟並序碑」がありますが、文字はほとんど読みとれません。雄島をぐるっと一周したことになり、巨石をくり抜いたトンネルのようなところを通って、渡月橋に戻ります。

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