« 【書籍版】明石日常生活語辞典 (240)    (通算2238回) | トップページ | 【書籍版】明石日常生活語辞典 (241)    (通算2239回) »

2016年12月26日 (月)

奥の細道を読む・歩く(117)

石巻①

 

 「十二日、平和泉と心ざし、あねはの松、緒だえの橋など聞伝て、人跡稀に雉兎蒭蕘の往かふ道、そこともわかず、終に路ふみたがへて、石の巻といふ湊に出。『こがね花咲』とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百の廻船、入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙立つゞけたり。思ひかけず斯る所にも来れる哉と、宿からんとすれど、更に宿かす人もなし。漸、まどしき小家に一夜をあかして、明れば又、しらぬ道まよひ行。袖のわたり、尾ぶちの牧、まのゝ萱はらなどよそめにみて、遙なる堤を行。心細き長沼にそうて、戸伊麻と云所に一宿して、平泉に到る。其間廿余里ほどとおぼゆ。」

 

 平泉を目指した芭蕉は、姉歯の松や緒だえの橋を見てから平泉へ向かおうとしたのですが、「人跡稀に雉兎蒭蕘の往かふ道、そこともわかず、終に路ふみたがへて、石の巻といふ湊に出。」と書いています。山道に迷って石巻に来てしまったというのですが、それにしては、残念がったり憤慨したりする様子はなく、「『こがね花咲』とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百の廻船、入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙立つゞけたり。思ひかけず斯る所にも来れる哉」と、ここへ来たことをむしろ喜んで記述しています。「宿からんとすれど、更に宿かす人もなし。漸、まどしき小家に一夜をあかして、」というところだけが意に反した内容になっています。そういうことから考えれば、石巻を訪れることも想定の範囲内であったのかもしれないと思えてきます。

 JR石巻駅に着いた私たちは、ホテルに向かいます。ホテルの手前に鋳銭場跡があります。仙台藩が領内の銭貨不足を理由に幕府に願い出て銅一文銭が鋳造されたが、やがて鉄一文銭が鋳造され全国的な経済混乱の一因となったという説明が書いてあります。

 ホテルに荷物を置いて、ほぼ真南の位置にある日和山に向かって歩きます。日和山はこれまでの震災報道でも聞き知っている地名です。

 商店街を歩くと石ノ森章太郎の作品に出てくる人気キャラクターのモニュメントが目に入ります。モニュメントは駅前にもありましたが、このあたりの道路をマンガロードとして町づくりに力を入れているようです。街角に津波浸水点という表示がありますが、背丈をはるかに超えて2メートル以上の位置ですから、背筋が寒くなります。

 しだいに坂道になってきて、かなり傾斜のきついところでは、車道脇に階段状の歩道が設けられているところがあります。坂の途中に、自分を見つめる旅をしていた林家たい平が幼木を見つめながら落語家への道を決意をするすることになったという「たい平桜」があります。北上川や町を見下ろす場所です。種田山頭火の旅日記の一節を刻んだ碑もあります。

 上りきったところに鹿島御児神社があって、境内に、芭蕉の「雲折々人を休める月見かな」の句碑があります。月の光を眺めていると、ときどき雲が出て月をおおうので、月を見ている人をしばらく休ませる、という意味です。この句は、西行の歌「なかなかにときどき雲のかかるこそ月をもてなす飾りなりけれ」を踏まえていると言われます。芭蕉の墓は大津市の義仲寺にありますが、その墓に詣でることができない芭蕉門下の人たちが各地に作った供養碑のひとつだと言われています。

 ちょっと右の方に下ったところに芭蕉と曾良の像が設けられています。奥の細道紀行300年記念として1988(昭和63)に作られ、台石には、奥の細道の文章の一節と芭蕉の足跡地図が記されています。この像は、芭蕉の後ろに曾良が寄り添うように立って、そっと芭蕉の背中を押しているような風情です。背丈の高い芭蕉は元気で、それより背の低い曾良は静かに付き従っているようにも感じられます。他の場所にある芭蕉・曾良の像とはすこし雰囲気が異なります。近くには斎藤茂吉の歌碑などもあります。

 日和山は眼下に石巻の港のあたりを眺めることができます。大きな石の鳥居のそばから見下ろすと、河口に架かる橋を行き来している車は見えますが、あたりは津波の被害からまだ復興が進んでいないかのように感じられます。自然の脅威に立ち向かってきたのも人間の歴史の一面ですが、そこに生きている一人ひとりの運命や、生かされている私自身の有り難さや不思議さも感じて、眼前の風景に見入ってしまいます。

|

« 【書籍版】明石日常生活語辞典 (240)    (通算2238回) | トップページ | 【書籍版】明石日常生活語辞典 (241)    (通算2239回) »