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2016年12月31日 (土)

奥の細道を読む・歩く(122)

平泉①

 

 盛岡行の2両連結のワンマーカーは快走して、平泉駅まではすぐです。駅には世界遺産登録5周年という文字が見えます。

 平泉駅からは真っ直ぐ西へ、毛越寺に向かいます。しばらく行くと、史跡公園になっている観自在王院跡を通ります。ここは藤原二代目の基衡の妻が建立しましたが建物はすべて失われてしまっています。

 すぐに毛越寺の表門に着きます。平泉は平安時代後期に藤原三代が、仏教文化を中心において、およそ100年にわたって築いた文化です。中尊寺は初代の清衡が造営し、毛越寺は二代目の基衡と三代目の秀衡が造営して、中尊寺をしのぐ伽藍であったのが焼失してしまいます。堂宇や庭園の遺跡が残されて、それを今、目にすることができるのです。

 境内に入ると左手に宝物館があります。句碑があって、岩手県生まれの新渡戸稲造が「夏草や兵どもが夢の跡」の句を英訳し、毛筆で揮毫したものです。新渡戸稲造は1933(昭和8年)に亡くなっていますが、碑は1967(昭和42)に建立されています。

 外観も朱色で、建物の内部も朱色が満ちている本堂は1989(平成元年)に建てられたものです。古さを感じられないのは当然です。本堂の前でしばらく過ごしてから、右手の大泉が池の方へ行きます。

 加藤さんは、既に街道歩きでもスケッチを重ねてきていますが、今回の「奥の細道」は特に川や水をテーマにしたいという意思で、大泉が池に向かって絵筆を走らせています。

 私はこれまでに2回、平泉に来ています。1回目は20代の頃、2回目は30代の頃のように記憶しています。1回目はひとり旅、2回目は仲間の小グループ旅行でした。どちらも中尊寺の記憶は強いのですが、毛越寺の印象は強くありません。たぶん、2回のうちのどちらかの時に、短い時間で見学しただけなのでしょう。

 「曾良随行日記」には、「高館・衣川・衣ノ関・中尊寺・光堂・泉城・さくら川・さくら山・秀平やしき等を見ル。」というような記述がありますが、毛越寺については書かれていません。「奥の細道」にある「大門の跡は一里こなたに有。」という表現について、毛越寺の南大門の跡を中尊寺の門と見誤ったのではないかという説があります。けれども芭蕉は毛越寺をとりたてて記述していません。「奥の細道」の中でもよく知られている平泉の記述の中に、この寺のことが書かれていないのは残念なことには違いありませんが、現在の観光においては大きな拠点になっています。

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