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2017年1月28日 (土)

奥の細道を読む・歩く(150)

尾花沢③

 

 尾花沢を歩くことはこれでお終いにして、大石田に向かおうと思うのですが、「奥の細道」に載せられている句について書いておきたいと思います。芭蕉は、尾花沢での句を3つ載せて、曾良の句を1つ紹介しています。「涼しさを我宿にしてねまる也」については既に書きました。

 尾花沢の名産である紅花は、太陽暦6~7月の頃に、アザミに似た形の紅黄色の花を付けます。その花は時間が経つと赤くなり、花から染料としての紅をとります。西南アジアの原産といわれますが、日本へは6~7世紀に渡来したようです。源氏物語に出てくる末摘花は紅花の異名で、茎の末に咲く花を摘むことに由来します。

 芭蕉が尾花沢に着いた頃は、紅花の花盛り、清風にとっては忙しい季節であったようですから、芭蕉の接待を素英に頼んだという事情があったのでしょう。清風宅での宿泊よりも養泉寺の方が多かったのもそのためであったのかもしれません。ただし清風はさまざまなもてなしの手配を整えていたことは確かでしょう。

 「這出よかひやが下のひきの声」の句は、蚕を飼っている家の床下で、声を忍ばせるようにして、ひき(大きなガマガエル)が鳴いているが、そんな陰気なところで鳴いていないで這い出して来いよ、と呼びかけている句です。旅の孤独な気持ちが、ひきの声に託されているのかもしれません。この地方は紅花の他に養蚕も盛んであったのでしょう。

 「まゆはきを俤にして紅粉の花」は、紅花は摘んで紅を作り、女性の口紅に用いたり、染料として使ったりします。眉掃は女性が使う化粧用具です。紅花は形が眉掃に似ているので、紅掃の形を真似て咲いていると詠んでいるのです。紅花から女性の化粧を連想し、化粧用具に思いを広げているのです。

 曾良の「蚕飼する人は古代のすがた哉」は、蚕の世話をしている人の簡素な姿に興味を感じた句です。作業をしている人たちの姿は大昔もこのようであったのであろうかと、昔が偲ばれると言っているのです。曾良の句は説明的ですが、清風に対する挨拶を曾良にもさせようとして、この句を並べたのかもしれません。

 さて、井本農一『奥の細道をたどる・上巻』(角川新書)には、次のような記述があります。

 

 清風のような豪家には、渡り歩きの絵師や歌よみや俳諧師が次々と訪ねよって来たことであろう。といってもちろん清風は江戸の芭蕉を知っているのだから、旅歩きの俳諧師たちよりずっと格の高い客人として遇したには相違ないであろうが、しかし又自分のたのしみの相手以上のものでなかったことも事実であろう。清風は芭蕉の世話をしたに相違ない。芭蕉主従を泊めてもてなすくらい、清風の巨冨をもってすれば、物の数ではなかった。しかし、芭蕉にかかりきりというほど熱心だったとも思われない。 (同書197ページ)

 

 紅花の繁忙期、清風宅での宿泊数の少なさ、接待を他の者に頼んだことなどの事情から見て、ここに書かれている内容を強く否定することはできませんが、芭蕉研究の中心にいた学者からの指摘はちょっと厳しすぎるように思います。

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