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2017年2月 8日 (水)

奥の細道を読む・歩く(161)

[天童]

 

 将棋の町として知られ、温泉にも恵まれている天童ですが、天童に立ち寄るのは短い時間だけですので、駆け足の見学になります。実際に駆け足をするわけではなく、すこし足早になるだけですが、予定した列車に乗り遅れないようにしなければなりません。

 まるでスロープのように伸びる駅の階段を下って、町に出ていきます。駅の正面から真っ直ぐ延びている通りを行くと、すぐ近くに「奥の細道」の碑があります。芭蕉の足どりが簡単に書かれて、このあたりのことについては「羽州街道をとおり天童の念仏堂を経て山寺に一泊する。」と書いてあります。その根拠として、5月27日と28日の曾良随行日記も碑に刻んであります。ただし曾良の日記には、念仏堂という文字はありません。

 しばらく進んでから右に直角に折れて、その広い道を南に進みます。国道でも県道でもないようですが、バス停に寒河江街道という文字が見えます。寒河江市はちょうど西にあたります。

 その道は天童公園となっている舞鶴山のふもとの道ですが、進んでいくと天童市立東村山郡役所資料館の前に出ます。1879(明治12)に東村山郡役所として建てられ、1986(昭和61)に資料館として開館したようです。3階に塔屋を持ち、瓦葺きで漆喰壁の白亜洋風建築です。均整のとれた美しい建物ですが、時間の都合で、資料館の中には入りません。

 資料館の前に、奥の細道ゆかりの地として翁塚跡という標柱があります。資料館の右手の方へ行くと「念仏寺跡 翁塚」という碑がありますが、これは1978(昭和53)に建てられたもののようです。傍らに説明の碑があって、その中に「芭蕉翁が天童を通り山寺を尋ねたのが元禄二年旧五月二十七日、二十八日である。宝暦八年旧八月十二日、菱華亭池青が念仏堂に 古池や蛙飛びこむ水の音 の句碑を行脚七十年記念に建立し翁塚と称した」と書いてあります。宝暦8年というのは1758年です。翁塚については、1760(宝暦10)に山形の俳人、雨声庵皓が旅をしたときに「天童念仏堂の境内に翁塚を拝す」と書いてあると説明されていますから建立直後のようですが、その翁塚がなぜこの地に作られているのかという事情についてはよくわかりません。

 次に、「北目の道標」を見るべく南の方に向かいます。地図を見ながら、このあたりだと思い定めたところに「奥の細道 山寺への道 北目」という木柱が立っています。芭蕉も辿っただろうと思われる道筋です。ところが肝腎の石の道標がありません。辺りを見回したところ、道の向こう側、工事をしている道路の一画に石が転がっているのを見つけて近寄ると、「右若松道 左湯殿山道」と彫ってあります。これこそが北目の道標と言われるものですが、道路工事中とはいえ、誰もいないところに、まるで無造作に横たえられているのに驚きます。

 さらにそこから南の方に、芭蕉が旅の途中で休んだと言い伝えられている休石があるのですが、地図を頼りにしながらも、見つけるのにちょっと難渋しました。据えられている石そのものに「休石」と彫られています。ほんとうに芭蕉が腰を掛けた石なのか、いつそれに文字を刻みつけたのか、不思議な〝文学遺跡〟です。傍に小さな祠があります。

 天童に来ていながら、人間将棋の会場や将棋駒の工房などを見ることなく、休石から急いで駅に引き返します。

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