« 【書籍版】明石日常生活語辞典 (285)    (通算2283回) | トップページ | 【書籍版】明石日常生活語辞典 (286)    (通算2284回) »

2017年2月 9日 (木)

奥の細道を読む・歩く(162)

[新庄]①

 

 奥羽線の列車で新庄までは50分ほどです。天童からは、山形新幹線の停車駅だけでも、さくらんぼ東根、村山、大石田の3つがあるのです。

 新庄駅の構内には、8月末に行われた新庄祭りの飾り付けがしてあります。昨夕のテレビで、新庄祭りの山車行事が、28日のエチオピアでの会議でユネスコ無形文化遺産に正式に登録される予定だというニュースを見ました。1755(宝暦5年)の大凶作に対して領民に活気と希望を持たせるために始まったという祭りで、展示からもその華やかさが感じ取れます。20台の山車行列があると言います。(後日、各地の山車と合わせて、その通りに登録されました。)

 まず駅構内にある新庄観光案内所に行って、奥の細道スタンプラリーの押印をします。駅前に出てみると、駅舎はガラス張りの建物のように見えます。駅前に、民謡の新庄節の碑があります。「花が咲いたと都の便り こちら雪だと返す文」という言葉を見ると、関西と奥羽の自然の違いを実感します。この民謡も江戸時代に起源があるようです。

 新庄では行きたいところがいくつもあるのですが、時間はわずかしかありません。芭蕉が最上川下りの舟に乗り込んだ本合海は、新庄市内ですがだいぶ離れたところですから、論外です。駅から西の方に向かえば、風流亭跡、新庄城址、ふるさと歴史センターなどがあるのですが、それをあきらめて南の方に向かうことにします。柳の清水と、鳥越の一里塚を目指して歩きます。天童と同じように早足です。

 升形川を新栄橋で渡ります。八幡神社の前を過ぎ、県道34号に沿ってJRの下をくぐります。少し行くと柳の清水の遺跡です。

 柳の清水は、大きな石で囲まれた縦横1メートル余りの湧水です。昭和の初めまで清水が豊かに湧き出していたそうですが、今は貯まっている水に動きはありません。傍らの説明板には、鳥越一里塚を通り過ぎた芭蕉のことを「この日は六月一日(七月十七日)の昼ごろであった。訪ねる風流亭(澁谷甚兵衛宅)は間近と聞いていても、この涼しげな柳と清冽な清水を見て、芭蕉と曾良も小憩をとって一掬咽喉をうるおし、汗も沈めたことであろう。『水の奥氷室尋ぬる柳かな』これが風流亭での芭蕉の挨拶の句であった。」と説明しています。

 ここには「水の奥氷室尋ぬる柳かな」の句碑があり、蓼太の「涼しさや行先々へ最上川」もあります。(最上川の「最」というのは、「うかんむり」の下に「取」という文字が使われています。ワープロの文字に見当たりませんので、「最」で流用します。)

 「水の奥氷室尋ぬる柳かな」という句は、柳の陰を流れる水は涼しげで、その水の奥の方を尋ねていけば氷室に行き当たりそうだ、という意味です。奥の方にある氷室を尋ねていこうという意味にもとれますし、氷室が澁谷甚兵衛を指していると考えることもできます。

 清水の傍に柳の木がある場所は、あちらこちらにあるはずですが、芭蕉ゆかりのところということになって、平成初年に市の史跡に指定されています。

|

« 【書籍版】明石日常生活語辞典 (285)    (通算2283回) | トップページ | 【書籍版】明石日常生活語辞典 (286)    (通算2284回) »