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2017年2月17日 (金)

奥の細道を読む・歩く(170)

象潟①

 

 「江山水陸の風光、数を尽して、今象潟に方寸を責。酒田の湊より東北の方、山を越、磯を伝ひ、いさごをふみて、其際十里、日影やゝかたぶく比、汐風真砂を吹上、雨朦朧として鳥海の山かくる。闇中に莫作して雨も又奇也とせば、雨後の晴色又頼母敷と、蜑の苫屋に膝をいれて、雨の晴を待。其朝天能は霽て、朝日花やかにさし出る程に、象潟に舟をうかぶ。先、能因嶋に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。江上に御陵あり、神功后宮の御墓と云。寺を干満珠寺と云。此処に行幸ありし事いまだ聞ず。いかなる事にや。此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に尽て、南に鳥海天をさゝへ、其影うつりて江にあり。西はむやむやの関、路をかぎり、東に堤を築て、秋田にかよふ道遙に、海北にかまへて、浪打入る所を汐ごしと云。江の縦横一里ばかり、俤松嶋にかよひて、又異なり。松嶋は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはへて、地勢魂をなやますに似たり。

   象潟や雨に西施がねぶの花

   汐越や鶴はぎぬれて海涼し

    祭礼

   象潟や料理何くふ神祭     曾良

   蜑の家や戸板を敷て夕涼    みのゝ国の商人・低耳

    岩上に?鳩の巣をみる

   波こえぬ契ありてやみさごの巣 曾良 」

 

 いよいよ象潟です。象潟の文章の書き始めは、松島と同じように、改まった文章の書き方になっています。芭蕉は、日光で曾良を紹介して「このたび松しま・象潟の眺共にせん事を悦び、且は羈旅の難をいたはらんと、」という文を書いています。芭蕉にとっても曾良にとっても楽しみにしていた場所のはずです。私にとって、象潟に来るのは2度目です。

 象潟駅には「奥の細道最北の地 象潟」という横幕が掲げられています。「ようこそ 霊峰鳥海山と俳句のまち象潟」というのもあります。

 平泉と象潟を比べてみると、平泉が北緯39度ちょうどぐらい、象潟が3912分あたりですから、確かに象潟の方が最北ということになります。それにしても、現代的な感覚で言うと、芭蕉は粋な計らいをしたのかもしれません。何しろ岩手県にも秋田県にもちょっとだけ立ち寄って、観光資源になるように配慮しているのです。

 駅構内には象潟図屏風の複製が展示され、駅前には文学碑などが建っています。芭蕉文学碑は、蚶満寺に所蔵されている芭蕉自筆の「象潟自詠懐紙」の文字を使って、きさかたの雨や西施がねぶの花、ゆふ晴や桜に涼む波の華、腰長や鶴脛ぬれて海涼し、の3句が刻まれています。

 駅前に「奥の細道記念切手碑」というのがあることは予め知っていました。記念切手やシリーズ切手は1年間に何十種類も発行されますから、切手の碑というものは珍しいと思います。この碑は奥の細道シリーズの発行を記念したものとして、各地を代表して建てたのだろうかと思っていました。実際は、そうではなくて、「象潟や雨に西施がねぶの花」という文字の切手と、ねぶの花を描いた切手が碑になっています。この2枚の切手のために碑を建立したのですから、たいへんな力の入れようだと驚きました。

 象潟の今昔という説明板もあります。文化元年前の象潟の絵を見ると、鳥海山を背景にして小島が点々と散らばっています。松島に比べると広がりが小さく、小島が密集しているような絵です。大小百数十の島だと書いてあります。

 まず、象潟郷土資料館へ向かいます。ここに奥の細道スタンプラリーのスタンプがあるのです。

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