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2017年2月18日 (土)

奥の細道を読む・歩く(171)

象潟②

 

 象潟駅前から南に向かって細い道を歩き、しばらく行ってから左折して踏切を越えて、線路の東側に出ます。鳥海山の手前に、田圃やいろいろな建物や人家が見えます。TDKの工場が撤退した跡地もあります。にかほ市象潟郷土資料館に寄って、奥の細道スタンプラリーの押印をします。潟であった時代の象潟を復元した模型などもあるようですが、時間の都合で展示を見学することはあきらめます。日暮れが早くなっていますから、象潟を歩ける時間は限られているのです。郷土資料館から北に向かって能因島へ歩きます。

 九十九島、八十八潟として景勝の地であった象潟は、1804(文化元年)の地震によって、島々が陸地の風景に変わりました。このあたりを歩いていて受ける印象は、ところどころに小山が点在していますが、ごく普通の田圃の風景です。隆起した後の農耕作業によって平板な田圃になったのでしょうが、海底を思わせるような凹凸はありません。航空写真を見ると、区画された田圃の中に小山(つまり、かつての島)が点在しているのがわかります。象潟のあたりの海は皿の底のようにひろがっていたのでしょうか。かつての潟の姿は、一帯の田圃に水が張られる季節に限って再現されるのでしょう。

 芭蕉は汐越に近い象潟橋のたもとから舟に乗って、「先、能因嶋に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、花の上こぐとよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。」と書いています。能因島を経てから干満珠寺の境内に舟を寄せて西行の古歌の名所を訪ねたと書いているのです。

 曾良随行日記によれば、六月十六日の昼頃に汐越(塩越)に着き、宿を借りたりした後に象潟橋に行って、雨にけぶる潟の風景を見ています。翌十七日は蚶満寺(干満珠寺)へ行く道すがら潟を眺めて、夕飯の後に舟で潟へ出ています。実際に舟に乗ったのは、象潟に着いた翌日の夕方です。真夏ですから、涼しくなる時刻を選んだのかもしれません。「奥の細道」の文章は、現実を昇華させた文章になっています。

 能因法師がこの風景を愛でて3年間幽居していたという伝説の残る能因島ですが、近くに立てられている説明板には、めぐり島と呼ばれていたものが、いつしか伝承を踏まえて能因島と呼ばれるようになったのではないか、と書いています。能因島という呼び名が定着したのは芭蕉の頃より後のことのようです。もしかしたら能因島と呼んだのは、芭蕉が先駆けのようになったのかもしれません。ともあれ、この島はちょっと盛り上がっただけの丘で、姿の良い松が10本ほど枝を伸ばしており、一番高いところに「能因嶋」という、背の低い石柱が立っています。

 加藤さんがスケッチをしている間に、すぐ隣の伊勢鉢島まであぜ道を歩いて往復してみましたが、ややぬかるむ感じがしました。かつて海底であったことに由来するのかどうか、わかりません。

 少し離れてから、能因島を振り返ってみると、鳥海山を背景にして、幹の太い松たちが島の存在を誇示して立っているように見えました。

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