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2017年2月24日 (金)

奥の細道を読む・歩く(177)

酒田[日和山]②

 

 日和山の展望広場からは、右下に六角灯台が見えます。1895(明治28)から最上川河口左岸に設けられていたもので、1958(昭和33)に建て替えられた際にここに移されたと言います。真っ白な木造の建物で、上になるにしたがって細くなっていて、一度見たら印象に残る形をしています。

 1672(寛文12)に豪商の河村瑞賢が出羽の御城米を江戸に運ぶことを命じられます。酒田から下関を経て大坂、江戸へと向かう西回り航路を開発し、米や紅花の輸送を行い、これによって酒田は港湾としての地位を高めていきます。けれども明治以降は鉄道の発達や大型汽船の就航によって酒田港は衰微の方向に向かいましたが、現在では国際ターミナルが設置され韓国・中国との定期コンテナ航路が運航されています。

 展望広場の手前に常夜灯があって、石の柵で囲まれています。大きく文化十年正月の文字が見えますが、1813年に全国各地の商人たちが寄進したものです。酒田港が力を誇示していた時代のものです。

 公園の一帯には文学の散歩道が広がっていて、与謝蕪村、斎藤茂吉、正岡子規、若山牧水など30基近い碑がありますので、一つ一つを書いていくわけにはいきません。

 芭蕉の筆跡をもとにした碑は「あふみや玉志亭にして」で始まる言葉が書かれていて、続いて即興の句会で詠んだ芭蕉、曾良、不玉、玉志の句が記されています。芭蕉の句は「初真桑四にや断ん輪に切ん」です。この真桑瓜の初物は四つ割りにしようか輪切りにしようかという意味で、食べ物を前にして無邪気に戯れる様子があらわれています。

 ぐるっと回っていくと修景池の中に北前船があります。池を海に見立てて、西回り航路の寄港地の説明板を設置し、北前船の2分の1の模型があります。船に乗り込むことができないことと帆が降ろされている姿であるのは残念ですが、かつての繁栄を感じ取ることができます。

 河村瑞賢の像が、堂々とした風格で、高い台座の上に立っています。少し行くと今度は芭蕉の「温海山や吹浦かけて夕涼」の句碑があります。やはり芭蕉は別格のようで、3つの碑と1つの像があるのです。

 文学散歩道は広い道路の東側にも続いているのですが、本格的な洋風医院建築である旧白崎医院を眺めやりつつ、時間の都合で酒田駅に向かいます。次回(2017年3月)の旅は、再び酒田から始める予定です。

 酒田から新庄に向かって帰途につきます。乗換駅の余目で、しばらくの待ち時間に、プラットホームにある「おくりびと」ロケ地を見ます。「大悟の妻、美香(広末涼子さん)が故郷に帰るシーンで、ちょうどこの場所に立っていました。」というプレートがホームに埋め込まれています。

 陸羽西線に入り、最上川が左の車窓に見えるところでは目を凝らして眺めます。流れはそんなに急であるようには思えませんでした。

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