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2017年4月13日 (木)

ところ変われば… (3)

関西弁をどう見るか

 

 まず、「ところ変わって、中央官庁では」という話から始めます。

 経済産業省が作成した大阪への誘致を目指す国際博覧会(万博)の報告書案が、不適切表現で撤回されたという、小さな記事を見ました。(朝日新聞・大阪本社発行、2017年3月14日・夕刊、3版、8ページ)

 検討会で配られた参考資料の「関西弁バージョン」に問題があったとして、経済産業相が会見で「不適切な表現が入っている。関係者におわびして撤回するよう指示した」と述べたと報じられています。

 小さな記事ですから、全貌はよくわかりませんが、わずかな引用があります。万博の役割を「人類共通のゴチャゴチャを解決する方法」の提言の場とするとし、万博のテーマを「いのちがキンキラキンに輝く未来社会のデザイン」と書いていたというのです。

 全国共通語である「ゴチャゴチャ」を関西弁として使う場合には、ある一定の色合いが加わります。「キンキラキン」も同じです。これらの言葉が関西ではどのような語感をもち、どのような文脈の中で使われているのかを知らない人間が、共通語を関西弁に機械的に置き換えただけです。報告書の言葉の使い方に、関西人に対する多少の悪意があると感じられても仕方がないと思います。

 言葉には、その言葉の持つ意味の他に、語感や用例に注意をする必要がありますが、この報告書の言葉は、中央官庁の人間の言葉の感覚を如実に物語っていると思います。共通語から関西弁へ、単なる言葉の置き換えをすればよいと考えているのは大きな過ちです。

 これを書いた人間は「ああ、しくじった。」と考えている程度かもしれませんが、関西人からすれば「ほんまにアホなやつが書いたんやなぁ。」と思ってしまいます。

 

 続いて、「ところ変わって、新聞社では」という話になります。

 記事が小さかったのに比べて、翌日の朝日新聞の『天声人語』はこの話題を採り上げました。

 冒頭に近いところに、「関西弁に面白いイメージがあるのは、お笑いの影響だろう」と書いてあります。関西弁は会話が滑らかであり、ユーモアにあふれていることは関西人自身が自覚していますが、それは何も吉本や新喜劇のおかげではありません。『天声人語』の筆者は、全国の人たちは関西弁を面白いと感じているが、それはお笑いの影響でそのように感じるようになったのだろう、と言いたいのでしょう。けれども、そんなことを言われるのに、関西人は立腹するかもしれません。お笑いの影響ではなく、関西人の持っている心のありかたによるのです。

 前日の記事になかった内容をコラムで紹介されると、前日の記事に欠陥(欠落)があったように思われるのですが、報告書に「世界の人々が『もうかりまっか』言うて出会って、たこ焼き食べながら交流するような場であることも大事や」という言葉があることを紹介しています。ニュースで書かないで、『天声人語』の筆者から教えてもらうというのは、新聞としておかしいと思います。

 それにしても、万博は「もうかりまっか」に象徴されるような、商業主義の場になってしまうのでしょうか。

 この日のコラムは、関西弁のことから話を始めていますが、報告書案のことを「何とも不自然」「不適切な表現」と非難するだけで、どう不自然か、どのように不適切かという説明はありません。そして、標準語でまとめた報告書案にも首をかしげるとか、開催資金やカジノがどうだとか述べて、全く焦点が定まらない文章になっています。店を広げただけで、読者の心をつかみません。

 かつての『天声人語』のような深みがなく、問題点の羅列や、あちらこちらへの非難などが、昨今のこのコラムの常になっています。

 新聞の文章をもとに思索をめぐらすというのがかつての楽しみでしたが、そのためには新聞の文章にそれだけの力が備わっていなければなりません。

 時が変わって、新聞も変わってしまったのでしょう。東京の人間は全国を視野に入れているからこの程度のものしか書けないというのなら、『天声人語』もそれぞれの本社別に文章を書かなければならないでしょう。

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