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2017年7月 4日 (火)

奥の細道を読む・歩く(182)

羽越・北陸の道を南に向かう

 

 山居倉庫からの帰途は、本間家旧本邸、酒田市道路元標、近江屋三郎兵衛宅跡、酒田三十六人衆ゆかりの地、旧鐙屋などを通りますが、いわば駆け足の通過です。

 けれども、米の集散地・積出港として大坂と直結していた酒田の繁栄の一端を垣間見る思いにはなります。芭蕉が訪れる6年前、1683(天和3年)には、上方からの船の出入りが急増し、およそ3000隻の船が入港したと伝えられていますから、華やかで闊達な文化が形作られており、芭蕉も目にしたことでしょう。

 「奥の細道」は「酒田の余波日を重て、北陸道の雲に望。遙々のおもひ、胸をいたましめて、加賀の府まで百卅里と聞。鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ぶりの関に到る。」と書いて、酒田から鼠ヶ関を経て市振までを短くまとめています。親不知と市振のことは改めて書いているのですが、通過したり宿泊したりした温海や村上のことは書いておりません。

 『曾良随行日記』の6月27日の項には、「廿七日 雨止。温海立。翁ハ馬ニテ直ニ鼠ヶ関被趣。予ハ湯本ヘ立寄、見物シテ行。」とあります。芭蕉は馬で鼠ヶ関へ赴いたが、曾良は温海温泉の湯本でゆっくりしたのでしょうか。時に師弟が異なった行動をとることがあったようです。

 「奥の細道」に地名しか書かれていない鼠ヶ関(山形県鶴岡市)は、県境にあたるところですから、歩いて越えようと考えます。鼠ヶ関の海岸に出て、そこから府屋駅(新潟県村上市)まで歩きます。

 鼠ヶ関は奥羽3大古関のひとつですが、念珠関所跡は、府屋とは逆方向にあるので割愛します。推定樹齢400年の「念珠の松庭園」の臥龍松と枯山水の庭を見てから海岸へ出ます。「マリンパークねずがせき」と名付けられて整備された海岸が広がっています。

 海岸に真新しい歌碑があります。平成天皇の歌碑で、「鼠ヶ関の 港に集ふ 漁船 海人びと手を振り 船は過ぎ行く」という5行に書かれた歌が刻まれています。 漁船は「いさりぶね」、海人は「あま」です。昨年9月の全国豊かな海づくり大会の主会場のひとつが鼠ヶ関で、ここで詠まれた御製を碑に刻んだものです。なんと前日・3月28日が除幕式であったのです。(29日の読売新聞の山形地域版で知りました。)海上歓迎行事の漁船団の様子が詠まれているようです。山形県の女性知事の揮毫ですが、降り出した雨で碑面は濡れています。

 思えば、万葉集の時代には山部赤人や笠金村のような宮廷歌人が随行して歌を作っていますが、現代では天皇自ら、歌を作られるのです。しかも、そこで目にした情景を、いわば即興的にまとめあげるのですから、普段から作歌の習慣がなければできることではないでしょう。

 芭蕉はあちこちで、出会った人や土地への感謝や親愛の気持ちを込めた挨拶の句を作っています。挨拶の句は意外にたくさんあります。そのような目で見れば、平成天皇の鼠ヶ関の歌も、地域に人に向けた挨拶の歌であると言ってもよいように思います。

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