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2017年7月 5日 (水)

奥の細道を読む・歩く(183)

出羽の国から越の国へ

 

 鼠ヶ関の海岸の右手に少し突き出て岬のようになっているところが弁天島で、そこには小さな灯台が建ち、灯台の足元には赤い鳥居が見えます。時化に見舞われたら様子が一変するかもしれませんが、今は穏やかな入江の風景です。風はありませんが、雨が少し降り出しました。

 海岸には、前述の御製の歌碑のほかに、大きな錨の造形もあり、近くには、国土交通省認定みなとオアシス鼠ヶ関という標柱も建っています。少し南へ進むと、源義経上陸の地という碑が、大河ドラマ「源義経」の原作者である村上元三の揮毫で作られています。日本海に沿ったあちこちは義経伝説に彩られています。

 江戸時代の五街道を歩いたとき、県境を幾つも越えました。中山道の碓氷峠の頂上には群馬・長野の両県に属する神社が並んでいましたし、奥州街道の新しい白河関も同様に栃木・福島の両県に属する神社がありました。

 家並みが続いているのにひょいと溝をまたげば県境を越えるというのは「寝物語の里」と呼ばれている、中山道の岐阜・滋賀の県境でした。それと同様に、あっけないほどの県境が山形・新潟の県境です。

 海岸から左に入って、集落の中を歩いていくと、道路を横切って一本の黄色い線が引かれ、その線上の道路左側に「左 山形県 右 新潟県 境標」と刻まれた石柱が建っています。足元の線の左右には足形がふたつ書かれており、その足形の上に立てば体は両県にまたがっていることになります。

 都府県の境というものは 山や川などの自然物によって区画されることも多いのですが、平野部に県境があってもおかしくはありません。そんな場合でも家並みが途切れたようなところにあれば違和感はありませんが、建て込んでくると家並みが続いてしまいます。ここは、しだいに家並みが続くようになったのか、それとも続いているところに区画線を設けたのか、歴史的な経緯は知りませんが、都市部でないだけに、不思議な気がします。この近く、山形県側に「古代鼠ヶ関址および同関戸生産遺跡」という石標がありますから関所が江戸時代の国の境にあり、現代の県境に関係しているのでしょう。いよいよ出羽の国(羽前)から、越の国(越後)に足を踏み入れます。

 象潟から敦賀までは日本海に沿って歩くことが続くのですが、去年、吹浦から北上して象潟に向かったときは天候に恵まれて青空でした。日本海が荒れ狂ったらたいへんですが、風雨の経験も必要でしょう。天が慮ったのかどうか、鼠ヶ関を過ぎて集落が途切れたあたりから、急に黒い雲が空を覆って、しだいに雨脚が強くなって、傘が必要な雨になりました。風もきつくなって歩くのがすこし困難になりました。「奥の細道」象潟には「蜑の苫屋に膝をいれて、雨の晴を待。」という記述がありますが、私たちは、塩を作って販売もしている小屋で雨宿りです。あるじの若者が迎え入れて、親切に説明をしてくれます。

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