« 【書籍版】明石日常生活語辞典 (440)    (通算2438回) | トップページ | 【書籍版】明石日常生活語辞典 (441)    (通算2439回) »

2017年7月14日 (金)

奥の細道を読む・歩く(192)

新潟の町と日本海

 

 新潟というと、東京オリンピックが開かれる少し前に起こった地震のことが思い浮かびます。石油コンビナートに大きな災害を引き起こし、コンビナート火災は10日以上続いています。黒々と立ち上る煙の写真はいまだに頭に焼きついています。1964(昭和39)6月のことでした。

 振り返ってみると、どこかへの旅の途中に新潟で下車する機会があって、萬代橋のあたりまで歩いた記憶があります。ずいぶん昔のことですから、いつのことであったのか記憶は薄らいでしまっています。

 その後に一度、2001(平成13)10月には全国高等学校国語教育研究連合会の大会があって、新潟に宿泊しましたが、会場の新潟県民会館の周辺しか歩いていないように思います。会場は信濃河畔でしたから、萬代橋はその時も歩きました。

 今回はゆっくりと、芭蕉ゆかりのところを尋ねながら、海が見えるところまで歩くことにします。

 信濃川に架かる300メートルあまりの萬代橋は、6連のアーチで御影石で作られています。現在の橋は1929(昭和4年)に架けられましたから、もう1世紀近くになるのですが、ひとつの風景を形作っています。橋を渡り終えて左側に、虚子の「千二百七十歩なり露の橋」の句碑があります。ずいぶん真面目に歩数を数えたものと感心しますが、この句を詠んだ当時は木製の二代目萬代橋で長さ782メートルであり、現在の三代目萬代橋は307メートルであるという注記があります。

 さて、「奥の細道」ですが、『曾良随行日記』の7月2日の項には、「昼時分より晴、アイ風出。新潟ヘ申ノ上刻、着。一宿ト云。追込宿之外は不借。大工源七母、有情、借。甚持賞ス。」とあります。あいの風とは、東北方向から吹く順風で、この風が吹くのを昼まで待って、船で新潟へ向かったようですが、前泊地(船の出帆地)である築地から新潟までは1213里の距離のようです。

 7月3日の項には、「三日 快晴。新潟を立。……申ノ下刻、弥彦ニ着ス。宿取テ、明神ヘ参詣。」とあります。この日は陸路ですが、弥彦神社の参拝もすませています。新潟の町で1泊していますが、滞在時間は短かったのです。

 芭蕉ゆかりの場所としては、まず宗現寺に向かいます。蓑塚は、芭蕉が新潟に立ち寄ったことを偲んで、後の人が善導寺に建立したものを、何度かの火災を経て、1917(大正6年)にこの寺に移設されたと言われます。「芭蕉翁蓑塚」と彫られただけのものですが、数少ない芭蕉遺跡のひとつです。境内には白い梅が咲いています。

 そこから、海に向かって歩きます。ほぼ真西にあたるところを目指すのですが、道路は東西に通じていませんから、地図を見ながら都合の良い経路を探しながら歩きます。どっぺり坂という面白い名前のところを通って、海が近づくと林の中の足元に「日本海まで200メートル」という表示があります。普通は「海岸まで200メートル」と書くだろうと思いながらも、ここは朝鮮半島やロシアに続いている海なのだということを意識します。

 海に風はほとんどありませんが、海岸は少し波立っていて防波のための並行堤にあたって砕けています。観光客の姿はありませんが、日時計が設置されています。

 少し引き返して、会津八一の「降り立てば夏なほ浅き潮風の裾吹き返す故郷の浜」(碑面は平仮名書き)の歌碑に立ち寄ってから、新潟県護国神社に向かいます。

|

« 【書籍版】明石日常生活語辞典 (440)    (通算2438回) | トップページ | 【書籍版】明石日常生活語辞典 (441)    (通算2439回) »