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2017年7月19日 (水)

奥の細道を読む・歩く(197)

聴信寺を経て五智国分寺へ

 

 五智国分寺に向かう途中で聴信寺に立ち寄ります。曾良の日記によれば、7日に雨止みを待って出発を見合わせているうちに聴信寺に招かれたと書いてあります。けれども、この寺の境内には芭蕉のゆかりとなるものは残っていません。せっかくの場所を訪れたので、加藤さんはここでスケッチの筆を走らせます。

 駅から少し離れた方角になるのですが、五智国分寺に立ち寄ろうと考えて、急ぎ足で道をたどります。親鸞上人ゆかりの鏡ヶ池というところに出て、池とは道の反対側に五智国分寺の山門があります。ささやかな門をくぐって境内に入ると、境内が広がっています。ここも親鸞上人の旧跡であって、上人の像が建っています。本堂は昭和の末年に焼失し再建されたものです。形の整った三重塔は1856(安政3年)に着工し、いまだに未完成であるというから驚きます。

 ここにある芭蕉句碑は、「薬欄にいづれの花をくさ枕」ですが、句の文字は定かではありませんが「芭蕉翁」という文字だけはしっかり見えます。薬欄というのは薬草園の囲いのことを言うようです。

 句意は、秋の薬園に咲くさまざまな美しい草の中から、どの草を枕に結んで旅寝をしようか、ということです。

 『曾良随行日記』の7月8日の項に、「未ノ下尅、至高田ニ。細川春庵ヨリ人遣シテ迎、…」ということが書かれています。高田の医師、細川春庵を訪ねて、薬草園のある春庵宅に泊まった時の作のようです。そうするとこの句は、主人への挨拶という意味が加わっているように思われます。句碑は1770(明和7年)に建てられたという説明板がありますから、琴平神社の「文月や」よりも古いのです。

 この句の碑は、高田の金谷山公園にもありますが、『曾良随行日記』の7月11日の項の一節に、「巳ノ下尅、高田ヲ立。五智・居多ヲ拝。」とありますから、高田を発って名立、能生へ向かう途中で五智国分寺に参詣したという由来で、ここにも建てられたのでしょう。

 国分寺の境内の一画では、八重咲きの薄赤い梅が満開です。

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