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2017年9月 4日 (月)

奥の細道を読む・歩く(201)

相馬御風、ヒスイ、そして大火

 

 『曾良随行日記』によれば、芭蕉たちは高田を出てから、7月12日に能生、12日に市振、13日に滑川に泊まっています。その間に、親不知を通っているのです。

 私たちは、糸魚川駅で下車して市内を見て回り、親不知駅から市振駅までを歩く計画にしました。

 糸魚川は、去年1222日の大火の記憶が新しい町です。「奥の細道」の旅で、いずれは糸魚川の町も歩くということはわかっていましたから、大火に衝撃を受けました。

 糸魚川へは、ずっと大昔、20代の頃に来たことがあります 町を歩いたのは相馬御風に引かれてのことでした。その時は、松本から大糸線の列車に揺られて姫川に沿って旅をしました。御風の生家を訪ね、海岸まで歩いたように思いますが、印象は薄らいでしまっています。その時に買い求めた冊子は今も手元にあります。御風の生家が昨年の大火の延焼区域の外にあったのは幸いでした。

 早稲田大学校歌「都の西北」や童謡「春よ来い」で知られる相馬御風は1950年に没していますから、私が糸魚川へ行ったときには没後20年近く経っていたはずです。1928(昭和3年)の大火で御風は自宅と、原稿や蔵書を瞬時に失ったと言われています。それでも、東京への誘いを断って、糸魚川に残っています。

 糸魚川に着くと、「ヒスイが日本の国石になりました」というPRが目を引きます。いったい誰がそんなことを決めたのだろうかという疑問が浮かびますが、昨年9月に開かれた日本鉱物科学会で投票が行われたのだそうです。最終候補のヒスイ、花崗岩、輝安鉱、自然金、水晶の中から選ばれたと言われても、私にはよくわからない分野のことです。ただ姫川の流域や糸魚川がヒスイの産地であることは、ずっと前から頭の中にあります。

 相馬御風旧居、駅前海望公園、虹の展望台とたどっていると、いつの間にか大火の跡地へ出ました。土台やコンクリート部分だけが残っていて、再建の槌音を聞くには、もう少し時間が必要なように感じられます。

 塩の道起点、糸魚川町道路元標、牛つなぎ、経王寺の梵鐘などを見巡って、駅に向かおうとすると、再び大火の跡地へ戻ってきます。150棟近くが焼けたといいますから、ともかく広いのです。跡地はきちんと整理され、再建のための力をためこんでいるようにも感じます。江戸時代は言うまでもなく昭和の戦前まで、大火は各地で頻発し、その度に人々は新しい息吹を作り上げてきたのです。

 1時間半ほどの糸魚川滞在でしたが、人の営みのはかなさを感じるとともに、そこに生きる人の意思の強さにも思い至ります。

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