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2017年9月 9日 (土)

奥の細道を読む・歩く(206)

海道の松、桔梗屋跡、市振の児童

 

 市振ではまず、長圓寺に行きます。「一家に遊女もねたり萩と月」の句碑が、相馬御風の筆によって建立されています。1925(大正14)に作られたものですから風化が進んでいますが、豪快な筆遣いです。そして、「弘法の井戸」を通って、ちょっと引き返して「海道の松」のあったところへ寄ります。

 市振宿の東の入口には、海道の松がありました。西から旅をしてきた人にとっては親不知の寄せ来る波を覚悟しなければならない位置にありますし、東からの人はここまで辿り着いてようやく胸をなで下ろすという役割を果たしていたと思われる松です。写真で見ると、高さおよそ20メートルで、目には優しい枝振りです。ところが近年、強風によって倒れてしまった、ということは訪れる前に既に知っていました。残されているのは切り株で、中心部分が空洞になっています。樹齢200年以上で、倒れても仕方がないような老化が進んでいたのかもしれません。けれども、市振宿の東口の風景が一変してしまったのは残念なことです。仮に、後継の松を植えるにしても、同じ風景を取り戻すまでには、ずいぶんと時間がかかることでしょう。

 それから桔梗屋の跡を通ります。『奥の細道』にも『曾良随行日記』にも桔梗屋という名前は出てきませんが、1856(安政3年)に刊行された俳人・中江晩籟の句集『三富集』に、「市振の桔梗屋に宿る。むかし蕉翁、この宿に一泊の時、遊女も寝たるの旧地なり。」とあるのが拠り所になっていると言います。元禄と安政では160年以上の隔たりがありますが、信頼すべき記述なのでしょうか。その桔梗屋は市振宿の脇本陣でしたが、1914(大正3年)の大火で焼けて、今は跡地が残るのみです。たとえ、言い伝えであれ、「一家に」の句が詠まれた縁の場所があるのは嬉しいと思います。

 駅まではまだまだ歩かなければなりません。市振の町には人の姿は少ないのです。市振関所跡を過ぎて、その隣の小学校の前を通ります。

 芭蕉は遊女の一行に出会いますが、私たちは市振の小学校から下校していく小学生3人に出会って、しばらく一緒に歩きました。人懐こい子どもたちでいろんなことを話してくれます。市振駅よりもっと向こうまで帰るのだそうです。驚いたのは、この小学校の児童は10人に満たないと言います。過疎に向かっている地域のようです。

 町のあちこちには「奥の細道」のPR看板があって句も書かれているのですが、なにしろ市振の句はこどもたちとは無縁の遊女の句です。地元で作られた句を知っているのだろうかと、恐る恐る「一家に…」と口にしてみたら、即座に「遊女もねたり萩と月」という言葉が返ってきました。看板で知っているのではなく、小学校でこの句のことを教えているようです。郷土文学を教えることは、郷土をいつくしむ心を育てることにつながります。

 

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