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2017年9月12日 (火)

奥の細道を読む・歩く(209)

米騒動、魚津城址、立山遠望

 

 諏訪神社の前のあたりは、海岸に沿ってしんきろうロードが延びています。ここが、蜃気楼の見える大町海岸です。結論を言うと、蜃気楼を見ることはできませんでした。この日の北日本新聞・朝刊27ページに、「富山湾で24日、今年初めて肉眼で見える蜃気楼が出現した。新湊大橋(射水市)の姿が沖合に浮かび上がって見えた。…魚津埋没林博物館は、A~Eの5段階でCランクの蜃気楼に当たるとした。」として、その写真が掲載されています。24日午後1時半ごろの撮影です。

 タテモン行事も蜃気楼も、あちこちに立てられている看板やリーフレットの写真で想像することにしました。

 穏やかな富山湾を眺めながら、海岸の道を歩いていくと、ほどなく米騒動のモニュメントのある大町海岸公園に着きます。船の舳先とそこに積んである米俵の形です。

 米騒動は1918(大正7年)7月のことですから1世紀近く前のことですが、学校の歴史で何度も習ったから頭に刻印されています。半年で米価が1.7倍になり、それが一部商人による米の買い占めが大きな原因になったのです。そんな時、北海道に米を運ぶために蒸気船に積み込みを始めたので、それを阻止しようと集まったのが発端です。

 騒動は8月に富山県内各地に広がり、さらに全国に波及していきました。公園から少し離れたところに「米騒動発祥の地」の碑があり、また旧十二銀行の土蔵造りの米倉も残されています。このあたりに漁師の主婦ら数十人が集まって、積み出しを止めるように要求したのです。米商人が買い付けた米俵は銀行管理の倉に預けられ、そこから船に積み込んでいたということです。

 海岸を離れて東に向かうと、ほどなく大町小学校です。構内に二代目の常盤の松と、上杉謙信の歌碑とが並んでいます。ここは魚津城址でもあります。ここで織田信長と上杉軍が戦ったのは1582(天正10)です。

 商店街を歩いて、富山地方鉄道の電鉄魚津駅に着きます。ここから滑川に向かうことにしますが、滑川方面に向かう電車には時間がありますので、いったん新魚津へ行ってから引き返すことにします。

 高架になっている電鉄魚津駅からは、青空の下に雲もありますが、立山連峰の僧ヶ岳、釜谷山、剱岳などがはっきりと望めます。転換クロスシートの旧・特急型の14000系の普通電車に乗って、折り返しは、京阪電車から移籍の電車です。田植えの時期の田圃を眺めながら、鉄道ファンとしての、のんびりした時間を過ごします。単線ですから行き違いの待ち合わせもありますが、30分弱で、駅裏の小さな停留所という風情の残る滑川に着きました。

 これまで知らなかった町を歩くと、時間を取り戻して、過去にちょっと立ち帰ったような気持ちになれるから嬉しいものです。

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