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2017年9月13日 (水)

奥の細道を読む・歩く(210)

芭蕉宿泊の滑川

 

 富山地方鉄道の駅から、あいの風とやま鉄道(旧・JR)の駅の正面にまわると、駅に直角に交わる道には「ほたるいかのまち滑川」のバナーがずらりと吊り下げられています。この発光生物を海上で見ることができるのは4月から5月初めまでのおよそ1か月の間だけだそうで、それが海上観光の季節です。

 海岸の、はまなす公園には、ほたるいかの句碑が並んでいます。角川源義の「花の後はやも賜はる蛍烏賊」などです。ほたるいかミュージアムの近くまで行きましたが、時間の都合で入館はあきらめました。

 滑川は芭蕉宿泊の町です。魚津には芭蕉につながるものはありませんでしたが、滑川は芭蕉との関係を強調しているようにも見えます。

 櫟原神社には、芭蕉の「しばらくは花の上なる月夜かな」の句碑があります。満開の花の上に月がさしかかり、今宵は絶景であることだ、ということを詠んでいます。夜もしだいに更けてあたりには物音もなく、しばらくの間だけでも、静かに花と月の世界があるというのです。この句は「奥の細道」とは関係なく、吉野あたりで詠まれたのではないかと言われています。

 神社から、神明町、中町と古い道をたどって歩きます。荒町の海沿いの小公園に、「芭蕉翁おくのほそ道宿泊のまち」という碑があって、その傍らの碑には曾良の随行日記の一節が刻まれています。随行日記には滑河(滑川)に泊まったと書いてありますが、宿屋の名前などはありません。旅籠の川瀬屋に泊まったというのが地元の有力な説のようで、その川瀬屋はこの碑の近くにあったというのです。

 この辺りは、海岸線と並行に東西に北国街道が通っていて、その両側に家並みが連なっていたようです。近くに桐沢氏の本陣跡もあります。

 海岸から離れて小さな川を遡る方向に歩きます。中川の河口の船着き場は橋場と呼ばれて、この辺りの物資の集散地となっていたようですが、登録有形文化財に指定されている廣野家住宅の前を通って、徳城寺の方へ歩きます。この寺に有磯塚があるのです。

 「早稲の香やわけ入る右は有磯海」の句碑は富山県下に10基以上もあるそうですが、建立年代がはっきりしていて最も古いのが、この有磯塚です。芭蕉70回忌の翌年、1764(明和元年)1012日に、滑川俳壇の川瀬知十らが、海岸の石を担い運んで、句を刻んだと言います。1880(明治13)に徳城寺が荒町海岸から現在地に移ったときに、句碑もともに移転をしています。

 今は、句を刻んだ真新しい碑が作られていて、もとの句碑には覆屋が作られ、透明板で囲われた中に入っています。

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