« 【書籍版】明石日常生活語辞典 (502)    (通算2500回) | トップページ | 【書籍版】明石日常生活語辞典 (503)    (通算2501回) »

2017年9月14日 (木)

奥の細道を読む・歩く(211)

有磯海の風景を横から眺める、上から眺める

 

 「早稲の香やわけ入る右は有磯海」は、「奥の細道」の記述に沿えば、黒部川を渡り那古の浦に出て、それから加賀の国に入ろうとして詠んだ句であるということになります。

 有磯海という言葉はもともと固有名詞でありませんが、万葉集などにも詠まれて、いつしか越中の歌枕になったようです。道の両側の早稲の田圃は実りを迎えた香りが漂ってくる、そのような道を分けて進むと、右手には遙かに海が見えて、磯の香も届いてくるようだという句境で、歩を進めながらの感慨が込められているように思われます。

 加賀の国に入れば有磯海ではなくなるのですが、越中である限り、特定の地点を指しているのではなさそうです。この句の碑が10基以上もあるということは、この句の世界を感じることができる場所はあちこちにあるということでもあるのでしょう。

 滑川駅への帰路に、市民交流プラザのビルの展望スペースに上って、立山連峰を眺めます。残雪の模様が青空に映えています。高いビルなどがなかった江戸時代では、この風景を地上のどこからでも眺められたことでしょう。一方、展望スペースから見る海側には富山市、射水市から氷見市へかけての海岸線が見えて、これがまさしく有磯海です。

 江戸時代の旅は地を這うような旅で、私たちの「奥の細道」を辿る旅もそれをなぞるように歩いているのです。芭蕉にとって高所から下を眺めおろすのは、丘や山や峠に登ったときだけでしょう。平野や海岸線の近くを眺めおろすことはなかったはずです。私たちは、町中の展望所からその町を眺めるという経験をすることが多いのですが、さて、滑川市の展望所から有磯海の海岸線を遠望してしまったのがよかったかどうか。その土地を多面的に理解する手だてにはなりますが、歩いて海岸にたどり着いてはじめて感嘆の声をあげるということとは無縁の心の動きになっているような気がしないでもありません。

 芭蕉も馬に乗ったり舟に乗ったりしていますが、移動はあくまで人の歩く速さと同等の動きであったでしょう。私たちは、鉄道で滑川から高岡に向かいます。いくら鈍行列車とはいえ、途中をすっ飛ばしてしまうのは、芭蕉に対して申し訳ない気持ちになります。

|

« 【書籍版】明石日常生活語辞典 (502)    (通算2500回) | トップページ | 【書籍版】明石日常生活語辞典 (503)    (通算2501回) »