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2017年9月17日 (日)

奥の細道を読む・歩く(214)

放生津八幡宮・荒屋神社と雨晴海岸

 

 さて、放生津八幡宮の芭蕉句碑はと探すと、少し黄ばんだ感じの石に「早稲の香や」が刻まれていました。芭蕉150回忌の1843(天保14)に建てられたというだけあって、傷みが激しく、判読しにくい部分もあります。上下二つに折れた石を真ん中でつないで修復しているように見えます。

 少し歩いて荒屋神社へ行きます。ここにも「早稲の香や」の句碑がありますが、解説の碑文が付いているのが珍しいと思います。句の解釈や文学的価値などについては、時代の流れの中でさまざまな考えが現れてきて当然だろうと思います。ある時代の、ある人の解釈や評価が石に刻まれてしまうのは、すこし行き過ぎではないかという気がします。

 『曾良随行日記』の記述は、7月14日に「氷見ヘ欲行、不往。高岡ヘ出ル。」とあります。有磯海については富山湾全体と指すという考えの他に、JR氷見線の雨晴駅近くの男岩・女岩のあたりを指すという考えがあります。現在の観光パンフレットには雨晴海岸のことが強調されています。「おくのほそ道のスタンプラリー」という企画がここ3年間ほど続いていて、私たちはそのスタンプを押しながら旅を続けているのですが、風景地のひとつである有磯海は、雨晴の女岩のスタンプを押すことになっています。

 有磯海という言葉の出発点は、大伴家持が弟の死を知って、悲しみの中で詠んだ「かからむとかねて知りせば越の海の荒磯の波も見せましものを」という歌であると言われています。越中国府は高岡市の伏木にありましたから、八幡宮を勧請した放生津に近い海を表していたのかもしれません。けれども、東を見れば放生津海岸、西を見れば雨晴海岸ですから、今となってはどちらに軍配を上げるわけにもいかないでしょう。

 曾良の日記によれば、芭蕉たちは氷見へ行きたいと考えましたが行っていません。なぜ氷見のことを考えたのかと言えば雨晴海岸のことが脳裏にあったのかもしれません。「奥の細道」の旅の目的のひとつは歌枕を訪ね歩くことです。西行、宗祇などに心を引かれているのですが、越中の地では万葉集のことをかなり意識していたのではないでしょうか。

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