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2017年9月22日 (金)

奥の細道を読む・歩く(219)

義仲に心を寄せる芭蕉

 

 峠茶屋の場所には明治の中頃まで農家があって、茶屋を営んで餅を売っていたそうです。北陸街道の往来が盛んなときには、多くの旅人が足を休めたことでしょう。「爰元は柴栗からの茶屋なれや はかり込むほど往来の客」という十返舎一九の歌碑が建っていますが、往来の客で賑わっていた様子が詠われています。

 このあたりには、火牛の像がいくつも再現されています。たくさんあって、ちょっとくどい感じがしないでもありません。近くに、「一里塚といわれるところ」という表示もありますが、北陸街道の一里塚そのものは消え失せてしまっています。位置も明確でなくなってしまったのでしょうか。

 倶利伽羅山は一名、砺波山と呼ばれ、砺波郡の名の由来となったところです。加越国境の砺波山の麓には奈良時代に砺波関が設けられたと言われています。

 新しい感じの芭蕉の句碑があって、「義仲の寝覚めの山か月悲し」が刻まれています。句意は明瞭で、義仲が夜半の寝覚めに月を眺めた山がここであると思うと、月も悲しげに感じられる、と言っているのです。この句を詠んだ場所は越前の燧ヶ城ですが、義仲の戦歴の中で最も輝かしい勝利をおさめた闘いを記念して、ここに建てられたそうです。芭蕉は、義仲のはかない運命を思い返すと、いま照らしている月がまことに悲しく眺められると嘆じているのでしょう。

 ここで大勝した義仲は京に軍を進め、征夷大将軍に任じられます。朝日将軍と称しますが、近江の粟津で源範頼・義経に攻められ、31歳で討ち死にします。誠にはかない栄華でした。義仲に強い関心を示しながらも、平泉の内容に近づくことを嫌ってからでしょうか、「奥の細道」は倶利伽羅での細かい記述を割愛してしまつています。

 猿ヶ馬場は平家の本陣跡で、平維盛が武将を集めて軍議を開いたところで、「倶利伽羅合戦本陣」という石柱が建っています。近くに源平供養塔もあります。

 芭蕉塚があります。「義仲の寝覚めの山か月悲し」の句を彫り込んでいますが、こちらは宝暦年間に建てられたもので、文字が読み取りにくくなりつつあります。近くに、芭蕉の敬慕した宗祇の句碑もあります。「もる月にあくるや関のとなみ山」と詠まれています。

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