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2017年12月 2日 (土)

奥の細道を読む・歩く(223)

北前船の中継地、宮ノ越

 

 『曾良随行日記』の7月23日の項に「廿三日 快晴。翁ハ雲口主ニテ宮ノ越に遊。予、病気故不行。」とあります。宮ノ越は、宮腰とも書くようですが、今の金石(かないわ)です。

 金沢では、まず金石に向かってバスに乗ります。バス乗り場はJRのガード下で、中橋という停留所ですが、ここから海の方向に広い道が続いています。金石に着くと駅名板のモニュメントが作られていますが、この道はかつて電車が走っていました。ここは北前船の寄港地でもあって、幕末に豪商の銭屋五兵衛が活躍したところです。

 本龍寺には銭屋五兵衛の墓がありますが、五兵衛は「海の百万石」と言われるほどに財をなした人です。その五兵衛に憧れ、貿易商の道を歩んで安宅産業を創始したのが、金石出身の安宅弥吉ですが、本龍寺には弥吉の墓もあります。

 その本龍寺に、芭蕉の「小鯛さす柳すゞしや海士が軒」の句碑があります。曾良は随行しなかったのですが、芭蕉は宮ノ越で俳諧の席を持っています。その時の作は「海士が妻」であったようで、句碑は誤伝に基づいて刻まれたようです。「小鯛さす柳すゞしや海士が妻」という句は、漁師の妻が小鯛の口に柳の枝を刺して持ち歩いているが、その柳の葉がなんとも涼しげである、という意味です。

 句の形が石に刻まれてしまうと、それが正しいものとして流布しないわけではないと思います。

 曾良は日記の中で、7月の17日に「予、病気故不随。」と書き、21日には「薬ヲ乞。」、22日には「亦、薬請。……予、病気故、」と書いています。病気の内容は書いていませんが、山中温泉で芭蕉と別れることの前提になっているようです。

 さて、金石の本龍寺は静かな町にある、静かな古刹です。そして寺の周りには、どっしりとした古い家が並んでいます。かつて金沢中心部と電車が結んでいただけの貫禄のあるところであったのでしょう。

 私たちは、帰路のバスを近江町市場の近くで降りて、市場の様子を見ながら通り抜けます。

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