« 奥の細道を読む・歩く(231) | トップページ | 奥の細道を読む・歩く(233) »

2018年1月16日 (火)

奥の細道を読む・歩く(232)

実盛と「むざんやな」の句

 

 越前が生国である斎藤別当実盛は加賀の篠原の地で討ち死にをしています。はじめ源義朝につかえ、平治の乱ののち、平宗盛につかえています。幼少の頃の木曽義仲の命を救いましたが、巡り巡って平家敗走のときには、義仲軍の手塚太郎光盛に討たれています。

 「むざんやな甲の下のきりぎりす」の句は、討ち死にをした実盛の甲の下できりぎりすが鳴いている、これはなんといたましいことだ、という意味ですが、そんな訳文では言い尽くせないものがあります。老武者と侮られまいとして白髪を染めて義仲軍との戦いに参加し、討ち死にした実盛の甲を取り上げてみると、その下にきりぎりす(今のコオロギ)がいたというのですが、戦乱の世の中の一点景として見ると、実盛の他にもこのような結末をたどった者は幾人もいたことでしょう。謡曲などに取り上げられる人もいれば、そういうこととは無縁の人も大勢いたはずです。

 多太神社は木曽義仲が戦勝を祈願した神社であり、義仲は命の恩人であり、節を重んじて戦った実盛の供養として、その甲冑や弓矢を奉納して慰霊したのです。芭蕉は簡潔に、「實盛討死の後、木曾義仲願状にそへて、此社にこめられ侍よし、樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁起にみえたり。」と書いています。

 境内には、実盛の供養祭が6月3日(私たちが訪れた10日ほど後)に、加賀市の篠原で催されるというポスターが掲示されています。また、社頭には実盛の甲の模型が碑として作られています。甲の正面には八幡大菩薩の文字が見えます。

 由緒の深い、大きな神社なのですが、私たちは朱印をいただきたいと思って、人影を探したのですが、神社全体が静まり返っているだけでした。その静けさこそが実盛に対する供養でもあるように感じました。

|

« 奥の細道を読む・歩く(231) | トップページ | 奥の細道を読む・歩く(233) »