« 奥の細道を読む・歩く(246) | トップページ | 【掲載記事の一覧】 »

2018年1月31日 (水)

奥の細道を読む・歩く(247)

深山の永平寺

 

 「丸岡天龍寺の長老、古き因あれば、尋ぬ。又、金沢の北枝といふもの、かりそめに見送りて、此処までしたひ来る。所々の風景過さず思ひつゞけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。今、既別に臨みて、

    物書て扇引さく余波哉

 五十丁山に入て、永平寺を礼す。道元禅師の御寺也。邦機千里を避て、かゝる山陰に跡をのこし給ふも、貴きゆゑ有とかや。」

 

 芭蕉は、汐越の松、天龍寺、永平寺の順に歩いていますが、私たちは汐越の松を既に見ておりますから、天龍寺と永平寺に行きます。しかも永平寺が先です。

 現代の交通機関を利用しますから、やむを得ない状況もあるのです。山中温泉でゆっくりした翌朝、一日にたった1本だけある、山中温泉から永平寺に向かう直通バスに乗ります。山中温泉の白鷺大橋の近くにバス停がありますが、白鷺大橋からは、昨日歩いた黒谷橋が見えます。

 国道364号を走って、石川県から福井県に入ります。沿道に「よう来なったの。福井」という看板が見えます。

 道元によって13世紀に開かれた坐禅修行の道場である永平寺は、四方を山に囲まれた幽谷の地にあります。芭蕉は「五十丁山に入て」と書いていますが、これはどこからの距離なのでしょうか。丸岡天龍寺からの距離が50町ほどになるという説があります。

 京都生まれの道元は、20代半ばで中国に渡り、帰国後、京都に寺を建てたりしましたが、越前に移って永平寺を開いたことを、「邦機千里を避て」すなわち、都に近いところを離れて、と言っているのでしょう。それにしても永平寺の記述は、心を動かされたような筆遣いにはなっておりません。

|

« 奥の細道を読む・歩く(246) | トップページ | 【掲載記事の一覧】 »