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2018年1月 4日 (木)

じいさまはヤマへしばかりに -明石日常生活語辞典を作るということ-⑥

(6)辞典として記述する範囲

 

 この辞典では、日常生活で使う基礎的な語彙を記録しようと考えます。組織的な、あるいは系統的な教育によらなくても、日常生活の中で身につけていくような言葉です。

 けれども、その範囲を、言葉の難易度とか、言葉の使用頻度とかいうようなモノサシで定義することは難しいと思います。日常生活語というものの範囲の設定のために神経を使うつもりはありません。ふだん使っている言葉という言い方をすれば、あいまいさは否定できないと思いますが、きちんと線引きできるようなものではありません。恣意的だと言われればそれまでですが、大まかな考えで進めています。

 それぞれの言葉の使用頻度にはこだわりません。高齢者が時たま使うような言葉であっても、消えゆくことを見過ごさないで、記述するように努めたいと思うのです。

 記述する時間的な範囲については、記述者である私の祖父母の世代の人たちが使っていた言葉、父母の世代の人たちが使っていた言葉、自分の世代の人たちが使っている言葉です。それを実際の収集に基づきながら、自分の内省によって詳しく記述して説明しようと考えます。

 言葉は長い時間をかけて変化を続けていますが、祖父母、父母の世代のものを受け継ぎ、子、孫の世代へ伝えていきます。自分を含めて、そのわずか5つの世代の間であっても、言葉はゆっくりと、しかしかなり大きく変化していることを実感します。音韻、アクセント、文法は遅い足どりで変化していますが、語彙はそれらよりも足早に変化をしています。

 かつて祖父母たちが使っていて、自分も知っている言葉であっても、自分が使おうとしない言葉はたくさんあります。自分がしばしば使う言葉や、かつて使っていた言葉であっても、子や孫たちが使わない言葉はたくさんあります。

 共通語の語彙の場合は、国語辞典などにおいて、誰かが記録をしていてくれるのですが、ある地域の方言(主として俚言)は使われなくなって記録されていなければ、記憶から消え去ってしまうことになります。言葉がなくなることは、人が亡くなるのと同じように、悲しく切ないものがあります。

 この辞典は、いわば昭和という時代を中心にした、一地域の言葉の有様を記述しておこうとするものです。したがって、それを分析したり法則を組み立てたりするようなことを当面の目的にしていません。後になって資料としての価値があればそれでよいと考えています。

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