« じいさまはヤマへしばかりに -明石日常生活語辞典を作るということ-④ | トップページ | じいさまはヤマへしばかりに -明石日常生活語辞典を作るということ-⑥ »

2018年1月 3日 (水)

じいさまはヤマへしばかりに -明石日常生活語辞典を作るということ-⑤

()調査者の立場と被調査者の立場をまじえて

 

 私は、昭和五十年代から始まった文化庁の都道府県別の方言収集緊急調査の兵庫県の調査員として神戸市を担当しました。神戸市兵庫区の、いわゆる和田岬地域です。

 その方言収集緊急調査における調査協力者(被調査者)の要件は、その土地で生まれ育ち、よその土地に住んだことのない人、あるいは、その期間が短い人であり、収録時において六十歳以上の人でした。神戸のような都市部の調査において、この要件を満たす人を探すことはなかなか大変でした。

 ところで、私は、明石市大久保町西島に生まれて、そこで生活を続け、たぶんそこで死を迎えることになるだろうという者です。

 時が流れて、かつての方言収集緊急調査の被調査者の要件が、今では自分に備わっていることに、一方では愕然としつつも、他方ではそれを活用しないのはもったいないと思うようになっています。

 私の住んでいるところは神戸市の近郊ですから、今では高層のマンションも数多く建てられるようになりましたが、もともとは半農半漁の村というようなところです。同じ苗字の家も多く、江戸時代から何代も続いているような家もたくさんあります。わが家もそのようなものの一つなのですが、以前から使われている言葉が残りやすい地域です。

 日常生活語辞典の記述において、私は、調査者という立場と被調査者という立場とを兼務することになるのですが、調査者と被調査者とを兼務することの利点は、内省によって言葉を見つめることができるということです。その地域で使われている言葉の全体を、質問法や自然傍受法や会話録音によってのみ収集することは無理です。無数の項目による質問をしても、何百時間の録音をしても、漏れ落ちてしまう言葉はいくらでもあるでしょうが、それを自分の内省によって補っていくことは、そこで生涯を過ごしている者だからこそできることでもあるのです。

 用例は、ある程度は作文によらなければなりませんが、それは被調査者の要件をそなえている者が内省に基づいて行いますから、とんでもない誤りを犯すことにはならないでしょう。ただし、自分自身の思い込みは強く戒めなければならないと思っています。

 調査者と被調査者を兼務するやり方が万全であるとは思っていません。同じ地域に住んでいる人たちは同じ方言を使っていると考えるのは幻想のようなものです。たとえ私が、前に述べたように被調査者の要件を満たしているとしても、私が記述する日常生活語が、その土地の標準的なものであると考えるのは軽率なことであるでしょう。けれども、地域外に住む人が研究して作り上げる語彙集よりも、その土地の言葉のありのままの姿に近いものができあがるだろうということは言えそうです。

|

« じいさまはヤマへしばかりに -明石日常生活語辞典を作るということ-④ | トップページ | じいさまはヤマへしばかりに -明石日常生活語辞典を作るということ-⑥ »