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2018年2月 3日 (土)

奥の細道を読む・歩く(250)

福井の庭園を歩く

 

 「福井は三里計なれば、夕飯したゝめて出るに、たそかれの路、たどたどし。爰に等栽と云、古き隠士有。いづれの年にか、江戸に来りて予を尋。遙十とせ余り也。いかに老さらぼひて有にや、将、死けるにやと、人に尋侍れば、いまだ存命して、そこそこと教ゆ。市中ひそかに引入て、あやしの小家に、夕顔・へちまのはえかゝりて、鶏頭・はゝ木々に戸ぼそをかくす。さては、此うちにこそと、門を扣ば、侘し気なる女の出て「いづくよりわたり給ふ道心の御坊にや。あるじは、此あたり何がしと云ものゝ方に行ぬ。もし用あらば尋給へ」といふ。かれが妻なるべしとしらる。むかし物がたりにこそ、かゝる風情は侍れと、やがて尋あひて、その家に二夜とまりて、名月はつるがのみなとにとたび立。等栽も共に送らんと、裾をかしうからげて、路の枝折とうかれ立。」

 

 永平寺から福井までは3里ほどですから、3時間近く歩かなければなりませんが、芭蕉は夕飯を食べた後、黄昏の道を歩いたと書いています。日の落ちるのが早くなりつつある時期ですが、芭蕉はなかなかのことを敢行します。

 福井では等栽のことを書くのに終始しているようです。このあたりの文章は源氏物語の夕顔の巻になぞらえています。「あやしの小家に、夕顔・へちまのはえかゝりて」と述べ、「むかし物がたりにこそ、かゝる風情は侍れ」と述べているのは意識的な表現だと思われます。等栽の「あやしの小家」に「二夜とまりて」、次は敦賀へと心がはやります。

 私たちは新福井駅から歩いて、養浩館庭園を見ることにします。養浩館庭園は、かつての福井藩主の別邸で江戸時代初期から中期にかけて造られました。池を中心にして、数寄屋造りの屋敷が設けられています。池には中島がありませんから伸びやかな水面が広がっています。その水は屋敷の建物の軒下まで繋がっていて、屋敷の中から眺めると、舟に乗っているような気持ちにもなります。鯉がすぐそこに群れ集まっています。こんな落ち着いた庭園が福井にあることを最近まで知りませんでした。

 養浩館庭園を出て、御泉水公園を横切って、福井市立郷土歴史博物館で福井の町の歴史にふれます。そして、福井城址を歩いて福井駅に向かいます。

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