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2018年2月 6日 (火)

奥の細道を読む・歩く(253)

橘曙覧の独楽吟

 

 同じ苗字のよしみというわけでもありませんが、私は曙覧の「たのしみは」で始まり「とき」で終わる連作が大好きです。独楽吟と言われています。

 「たのしみは艸のいほりの筵敷きひとりこころを静めをるとき」「たのしみは珍しき書人にかり始め一ひらひろげたとき」「たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外に能くかけしとき」「たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふとき」などの52首には、穏やかで無欲な人柄があらわれています。歌には花鳥風月を詠み込むことがごく普通であった時代に、日常生活の場面を詠んで、かえって共感を呼ぶものになっていると思います。平成天皇が米・クリントン大統領と会ったときの、「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見るとき」を用いたスピーチは、当時、話題になりました。

 館内には曙覧と子供の像や、独楽吟の情景を人形で再現したものなどがあって、彼の生活が目の前で展開しているような思いになります。

 橘曙覧は1812(文化9年)の生まれ。早くに父母と死別し、28歳で家督を弟に譲って、足羽山に隠棲し、歌と国学に打ち込んでいます。亡くなったのは1868(慶応4年)ですが、明治がスタートする年でもあります。

 折しも、明治維新を前にして、国を憂えて詠んだ和歌を紹介する企画展が開かれていました。独楽吟のイメージとは異なって、新たな時代の幕開けを待ち望んだ熱い思いを感じ取ることができます。

 後の予定との関係で、滞在時間20分ほどでしたが、他の来館者もなく、自筆資料や解説などを静かに見て回ることができて、来てよかったと思いました。

 芭蕉の旅の心も時代を超えて人々に訴えかけるものを持っていますが、曙覧の心も時代を超えて共感させられます。構えることなく、わかりやすい言葉で組み立てられた三十一音は、現代語と少しも変わらないような響きをそなえています。

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