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2018年2月 7日 (水)

奥の細道を読む・歩く(254)

あさむずの橋、玉江を歩く

 

 「漸、白根が嶽かくれて、比那が嵩あらはる。あさむづの橋をわたりて、玉江の蘆は穂に出にけり。鶯の関を過て、湯尾峠を越れば、燧が城、かへるやまに初雁を聞て、十四日の夕ぐれ、つるがの津に宿をもとむ。」

 

 白根が嶽(白山)が見えなくなり、比那が嵩(日野山)が見え始めたと書いていますが、芭蕉は等栽と一緒に敦賀に向かっています。

 「奥の細道」は、「あさむずの橋」、玉江の順に記述していますが、手前にあるのは玉江です。福井から武生に向かう路面電車に乗ります。

 玉江について、藤原俊成は「夏刈りの葦のかりねのあはれなり玉江の月の明けがたの空」と詠んでいます。葦と月の名所として知られていたのでしょう。

 神社の境内に「玉江の郷」という石柱が建っています。この近くに玉江の橋があって、その川に生えているのが玉江の蘆です。芭蕉も「月見せよ玉江の蘆をからぬ先」と詠んでいます。この蘆が刈り取られないうちにしっかり月見をしておこうという意味ですが、芭蕉は名月を敦賀でと考えています。

 次は「あさむずの橋」です。再び電車に揺られます。駅名は浅水です。西行が橋のたもとで歌を詠んだのが朝六つの時刻だったことが橋の名の由来ですが、朝六つというのは午前6時頃です。

 細い浅水川に架けられた短い橋ですが、枕草子にも登場します。橋のそばには「朝六つ橋の碑」が建っています。碑には、「越に来て富士とやいはん角原の文殊がたけの雪のあけぼの」という西行歌と、「朝六つや月見の旅の明けはなれ」という芭蕉句とが刻まれています。芭蕉の句は、月見の旅に出て、夜が明ける朝六つの刻にこの橋を渡ることだという意味です。あるいは、明け方まで月見を楽しんだという気持ちも込められているのかもしれません。

 この橋の北には陣屋があり、橋の南には人馬継ぎ立てを行う問屋があって、宿場町として発展したところです。橋の近くには「本陣跡」の碑も建っています。

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