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2018年2月10日 (土)

奥の細道を読む・歩く(257)

今庄の芭蕉句碑

 

 先ほどの街道筋には「鳴り瓢」という造り酒屋がありましたが、引き返して歩く細い道沿いには「白駒」という酒屋があります。

 いったん今庄駅に着いて、鉄道の時刻などを再確認してから、線路の向こう側に行こうと考えます。ただし、駅は通り抜けられませんから、少し戻って、陸橋で線路を越えます。ちょうど駅の裏側に当たる位置に、南越前町の今庄総合事務所があって、そこに芭蕉句碑があるのです。

 句碑には「義仲の寝覚の山か月かなし」が刻まれています。木曽義仲が籠もって、平家に攻められた古戦場が燧が城です。今庄宿の背後にある愛宕山にあった小高い山城です。ここに平家の10万の大軍が押し寄せたと言います。この句は、義仲が夜半の寝覚めに眺めた山がここであると思うと、月も悲しげに感じられる、という意味です。義経や義仲に対して、芭蕉は深い愛着を抱いているようです。

 芭蕉の句碑の近くには、「虚空遍歴」の跡を訪ねて、という山本周五郎の文学碑も建てられています。

 ちょっと離れたところにD51が保存されています。手入れが行き届いていて、現役であるかのように感じられます。今は北陸トンネルが貫いていますが、かつての敦賀~今庄間は、北陸線随一の難所です。そこを、時には三重連で列車を牽引した機関車です。蒸気機関車は全国のあちこちで保存されていますが、地域の発展に寄与してくれたという思いの強さが、保存へとかき立てるのでしょう。

 敦賀~福井間の開通は明治29年で、明治天皇の北陸巡幸は明治11年のことでした。

 敦賀の宿で見た夜のテレビで、「福井地震69年 体験を語り継ぐ」というニュースが流れていました。

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