« 奥の細道を読む・歩く(259) | トップページ | 奥の細道を読む・歩く(261) »

2018年2月13日 (火)

奥の細道を読む・歩く(260)

鉄道資料館と人道の港ムゼウム

 

 日本海有数の港町だった敦賀は、「だった」と書くのが辛いほど、交通の要衝として歴史の流れを見つめてきた町です。金ヶ崎地区には、赤煉瓦倉庫をはじめとして、歴史の息遣いを感じます。「奥の細道」からはるか後のことですが、是非とも見学したいところです。

 とんがり屋根で、可愛らしい感じのする建物ですが、近づくと歴史を感じさせる敦賀鉄道資料館には、明治・大正・昭和・平成の鉄道の歴史が展示され、鉄道ファンの私には楽しい場所です。時刻表、切符、服装、鉄道部品の実物や、模型、映像、解説板などで埋め尽くされています。敦賀に、日本海側初の蒸気機関車が走ったのは1882(明治15)でした。

 敦賀鉄道資料館は、旧敦賀港駅の駅舎です。もとの駅名は金ヶ崎駅で、1882(明治15)3月に敦賀への鉄道が開通したときに作られました。

 今では想像もできないことでしょうが、1902(明治35)に、敦賀からロシアのウラジオストクへの直通航路が開かれています。1904年にシベリア鉄道のウラジオストク~モスクワ間が全線開通し、ヨーロッパ各国との交通網と接続しました。従来のヨーロッパへの航路に比べて大幅に短縮され、新たな幹線として期待されたのでした。1912(明治45)からは、東京・新橋と金ヶ崎との間に欧亜国際連絡列車が運行されました。

 大正に入ってすぐに、鉄道桟橋に金ヶ崎駅を移転し、もとの金ヶ崎駅が敦賀港駅となったのです。

 少しだけ離れたところに人道の港敦賀ムゼウムがあります。敦賀港には1920(大正20)に、動乱のシベリアで家族を失ったポーランド孤児が上陸しています。2年後までに合計763人にのぼったと言います。

 1940(昭和15)にはユダヤ人難民が上陸しています。リトアニアの日本領事館にビザを求めた人たちが押し寄せ、杉原千畝領事代理は外務省に背いてビザ発給を決断します。ビザを手にして敦賀港に上陸した難民はおよそ6000人にのぼります。杉浦千畝のことはしだいに広く知られるようになりましたが、その功績の大きさはもっと認識されなければならないと思います。

|

« 奥の細道を読む・歩く(259) | トップページ | 奥の細道を読む・歩く(261) »