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2018年2月14日 (水)

奥の細道を読む・歩く(261)

気比神宮

 

 「その夜、月殊晴たり。あすの夜もかくあるべきにやといへば、越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたしと、あるじに酒すゝめられて、けひの明神に夜参す。仲哀天皇の御廟也。社頭神さびて、松の木の間に月のもり入たる、おまへの白砂、霜を敷るがごとし。往昔、遊行二世の上人、大願発起の事ありて、みづから草を刈、土石を荷ひ、泥渟をかわかせて、参詣往来の煩なし。古例、今にたえず、神前に真砂を荷ひ給ふ。これを遊行の砂持と申侍ると、亭主のかたりける。

    月清し遊行のもてる砂の上

 十五日、亭主の詞にたがはず、雨降。

    名月や北国日和定なき 

 

 海岸の地域を離れて、鉄道の引き込み線を渡ってから、金ヶ崎城跡の方へ歩き、石段を上って金崎宮へ詣ります。金ヶ崎城は戦国の世の、信長・秀吉・家康の頃に歴史に登場しますが、時代の流れの中で今、金崎宮は難関突破と恋の宮という役割を果たしているのだそうです。そして、下って金前寺へ行きます。境内の一画に芭蕉翁鐘塚があり、「月いづく鐘は沈める海の底」の句が刻まれています。南北朝時代、敗れた南朝軍の陣鐘が海に沈み、海士に探らせたが引き揚げることができなかったという伝説に基づく句です。

 少し歩くと気比神宮に着きます。芭蕉は名月の前日の夜に参詣しています。「けいさん」と親しまれる神宮は702(大宝2年)の創建で、北陸道の総鎮守です。正面の木造大鳥居は美装化工事中で囲まれてしまっています。これ一つの工事で1億円を超える事業費だそうですが、その下をくぐって境内へ入ります。

 境内にある芭蕉の像は、笠を胸の前に持って、右手でしっかり杖をついて歩み出している、力強い姿です。横から見ると、大きな袂の僧衣で、視線ははるか前方に向かっています。像の台座に刻まれている句は「月清し遊行のもてる砂の上」です。「芭蕉翁月五句」というのも刻まれていて、「名月や北国日和定なき」も並んでいます。一つ一つの独立した句碑も建てられています。

 「月清し遊行のもてる砂の上」は、気比神宮の周辺が泥沼になって参詣者が難儀をしているのを見て、行脚中の二世の遊行上人が浜から砂を運んで参道を設けたという故事に因んで、代々の遊行上人は気比を訪ね境内に砂をまくのが慣わしになったというが、その砂の上を月光が清らかに照らしている、という意味です。芭蕉はここへ来てはじめて、遊行の砂持ちの由来を聞いています。

 翌日の中秋の名月の日は、雨で、「名月や北国日和定なき」と嘆いています。見られなかった名月を詠み込むのも一つの風雅ということでしょうか。

 気比神宮の境内は、本殿、摂社、末社、古殿地、旗掲松などを見て回りましたが、奥の細道三百年記念献句というのが板に書かれて掲げられているのも見ました。もとの鳥居をくぐって出て、道路を渡ったところに、遊行の砂持ちの像が設けられています。二人で棒を肩に掛けて砂を運んでいる像と、砂を掘っている像とがあります。二人の像は、前は上人で、後ろは手伝っている人物のようです。

 駅に向かって戻る途中で、西方寺跡に、奥の細道の敦賀の文章を刻んだ碑がありました。

 

 「十六日、空霽たれば、ますほの小貝ひろはんと、種の浜に舟を走す。海上七里あり。天屋何某と云もの、破籠・小竹筒など、こまやかにしたゝめさせ、僕あまた舟にとりのせて、追風時のまに吹着ぬ。浜はわづかなる海士の小家にて、侘しき法華寺あり。爰に茶を飲、酒をあたゝめて、夕ぐれのさびしさ感に堪たり。

    寂しさや須磨にかちたる浜の秋

    浪の間や小貝にまじる萩の塵

 其日のあらまし、等栽に筆をらせて寺に残す。」

 

 前述のように、種の浜へは行きませんでしたので、この一節については後日の楽しみとしておきます。

 

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