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2018年3月 4日 (日)

奥の細道を読む・歩く(279)

芭蕉の故郷、伊賀上野

 JRの伊賀上野駅で、伊賀鉄道に乗り換えますが、伊賀上野駅前には「月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿」の芭蕉句碑があります。この明るい月光が道案内ですから、どうぞこちらへおいでください、旅の宿へ、という意味です。謡曲「鞍馬天狗」にある言葉を踏まえた句です。伊賀は芭蕉の故郷ですが、忍者の里でもありますから、観光客向けには忍者が前面に出ているように感じます。
 開業から100年以上という伊賀鉄道の電車に乗って茅町駅で降ります。ここから、蓑虫庵、芭蕉生家、芭蕉翁記念館、俳聖殿を経て、伊賀鉄道の上野市駅まで歩きます。
 蓑虫庵の手前の交差点が小公園のようになっていて、「蓑虫の音を聞に来よくさの庵」の碑があります。背の高い記念碑で、絵も描かれ、笠の造形物も添えられています。わが草庵に蓑虫の声を聞きに来てほしいという意味で、江戸で素堂にあてて作られたようです。 蓑虫庵は、幼いときから芭蕉と親交のあった服部土芳の庵です。伊賀国藤堂藩士の仕官を辞退し、1688年(元禄元年)に庵を開き、1730年に74歳で没するまでこの庵で隠棲したといいます。
 正門は閉じられていて、管理棟の通用口から入ります。年月を経た庭が広がっていて、蓑虫庵の建物の周りには、蓑虫庵由来碑の他に、いくつもの碑があります。
 石に円窓をうがって蛙を浮き彫りにして「古池や蛙飛びこむ水の音」を刻んだ「古池塚」、芭蕉句の「よく見ればなづな花さく垣ねかな」の「なづな塚」、土芳の句「卒度往くわかな摘ばや鸖の傍」を刻んだ「若菜塚」、芭蕉が帰郷した時に脱ぎ捨てた草鞋を土芳がもらい受けて塚とした「わらじ塚」、1929年(昭和4年)の土芳2000年忌に河東碧梧桐が揮毫した服部土芳供養墓、芭蕉を敬慕した神部満之助の句碑である「みの虫塚」などです。
 北西の隅にはちいさな芭蕉堂もあります。芭蕉堂は、大津市の義仲寺の芭蕉堂にならって1930年(昭和5年)に作られました。
 芭蕉は上野に帰省した折にたびたび蓑虫庵を訪れており、伊賀の蕉門俳諧はここを拠点として発展したようです。土芳と言えば、芭蕉の偉業を後世に伝えるために著した「三冊子」が有名ですが、そのような著作も蓑虫庵で書かれたものなのでしょう。
 蓑虫庵を出てから芭蕉生家に向かって歩きますが、北に向かって、たくさんの寺が並んでいる寺町を通ります。その一つに、藤堂高虎をはじめ歴代藩主の菩提寺であった上行寺があります。線路を越えて、東に向かうと店屋が並んだ古い町並みがあり、芭蕉街などというネーミングも見えます。伊賀上野の町はこぢんまりとしていますから、あっと言う間に芭蕉生家が見えてきました。

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