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2018年4月 1日 (日)

『おくのほそ道』の旅【集約版】(15)

  第14回 大垣と伊賀上野

 

 14回目の旅は、8月30日と31日です。1泊2日で、『おくのほそ道』結びの地と、芭蕉の故郷とを訪ねます。今回は岐阜県・三重県を歩きます。

 

美濃の大垣

 

 「露通も此みなとまで出むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子・荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び、且いたはる。旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の?宮おがまんと、又舟にのりて、

   蛤のふたみにわかれ行秋ぞ  」

 『おくのほそ道』は、敦賀の次は大垣になっています。木之本や関ヶ原の辺りを通って大垣に入ったと思われますが、その記述はなく、超高速な旅の記録になっています。曾良は一足先に行ってしまっていますから、芭蕉の足跡を記録しておりません。

 私たちの旅の初日です。『おくのほそ道』結びの地は、駅より南側にあるのですが、まず大垣駅から北に向かいます。JRの通称・赤坂線で美濃赤坂駅に行きます。正式にはここも東海道線の一部なのですが、盲腸のような、行き止まりの支線です。

 中山道赤坂宿の記念標識が作られているところを通って、右折すると坂道が始まり、子安神社の前を過ぎます。道はしだいに厳しい勾配になっていきます。辺りの景色が足元に広がっていきます。息を弾ませて上りますが、距離はさほどのものではありません。

 目指すのは明星輪寺で、ここに芭蕉の句碑があります。赤坂の虚空蔵にて、と題する句「鳩の声身にしみわたる岩戸かな」です。秘仏をまつった岩戸を前にしていると折から鳩の声が身に染みわたることだ、という意味です。

 明星輪寺から下りてきて、中山道を東へ歩いて赤坂港に行ってみます。ここを流れる杭瀬川は水運に大きな役割を果たしていました。往時を語る常夜灯が残されています。大垣は、芭蕉が伊勢へ向かうのにも便利なところです。

 美濃赤坂から大垣駅へ戻って、駅から水門川の畔をたどって『おくのほそ道』結びの地に向かって歩きます。細い流れですが、川岸には『おくのほそ道』の芭蕉句碑が間隔をおいて建てられています。大垣駅の南東にある愛宕神社のそばから、結びの地までの2㎞余りに、矢立初めの句から「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」まで22基、すべて堂々とした石に彫られています。これまでの私たちの旅を反芻しながら懐かしい気持ちでたどっていきます。大垣市内には、それとは別に、芭蕉や門人達の句碑がやはり20基あまり建てられているようです。

 水門川に沿って進むと、途中に、垂井宿(中山道)から宮宿(東海道、名古屋)までを結ぶ美濃路の通りや、大垣城の東総門跡などもあります。川に沿った並木道を歩いていくと、「荒海や佐渡によこたふ天河」の句碑の近くに、八幡神社があります。大垣の総鎮守であり、ユネスコの無形文化遺産の大垣祭りの山車行事を執り行っている神社です。境内に、大垣の湧水として知られている自噴水があって、透き通った水がこんこんと湧き続けています。それとともに「折々に伊吹を見ては冬ごもり」の芭蕉句碑が建てられています。

 社前で、川はほぼ90度左折して、南に向かって流れていきます。水に恵まれた大垣らしい、滝が流れ落ちるような設えになっているところを過ぎると、まもなく船町の川湊に着きます。『おくのほそ道』結びの地です。

 ここにあるのは、谷木因の「惜むひげ剃たり窓に夏木立」の句を刻んだ白桜塚、芭蕉の句を刻んだ蛤塚、「南いせくわなへ十りざいがうみち」と書かれた道標(複製)、芭蕉と木因の像などです。川には船が繋がれています。芭蕉の像は、肩まである長く太い杖を右手に持ち、左手で腰のあたりに笠を持っている姿です。胸には薄い頭陀袋をさげて、顔は少しだけ上向きで、目は軽く閉じているようにも見えます。歩き終えて、ほっと一息ついているような雰囲気です。

 奥の細道むすびの地記念館に入ります。土産物店なども入っていますが、その一つの区画が芭蕉館で、簡単な展示があります。ビデオ上映もあって、名誉館長・黛まどかさんが案内のアナウンスをする奥の細道旅を見ます。フロアには楕円形の大きな浅桶のようなものがあって、結びの地と書いてあります。道中の終点に着いて、私たち2人は、中に座って記念写真を撮ります。シャッターは館員の女性にお願いします。もう一回、補遺の旅が残っていますが、いったん旅の終わりを迎えました。

 晩春(旧暦3月)に江戸・深川から始まった芭蕉の『おくのほそ道』の旅は、秋の終わり(旧歴9月)に、伊勢へ船出して行くところで終わります。「行春や鳥啼魚の目は泪」から「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」までです。「行く春」「行く秋」は季節を示すとともに、人生の移り行きも表しています。大勢の門人・知人達との再開を果たして、再び、貝が蓋と身に分かれるように、身を割かれるような思いをしながら、芭蕉は人と別れて、二見が浦(蛤の産地)のある伊勢の地の神宮に向かっていきます。旅の終わりは、すなわち次の旅立ちとなるのです。

 江戸から出発した芭蕉は、この旅の終わりをどこにするかと考えたことでしょう。それは、旅の終わりと言うよりは、作品の終着点をどこにするかということであるのですが、思案をしたはずです。

 歌枕を求め、西行などの足跡をたどり、あちらこちらの門人・旧知を尋ねて、奥羽路、出羽路、北陸路とたどってきました。敦賀からあとは一気に大垣のことを書いていますから、北国の敦賀を結びとしてもよかったでしょうし、伊勢神宮に向かっていますから、伊勢を結びとしてもよかったでしょう。しかし、流れ行く途中の地を結びとして、旅はまだまだ続くという印象を残すために、水運に恵まれた大垣がふさわしいと考えたのかもしれません。

 

芭蕉の故郷、伊賀上野

 

 2日目。JRの伊賀上野駅で、伊賀鉄道に乗り換えますが、駅前には「月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿」の芭蕉句碑があります。この明るい月光が道案内ですから、どうぞこちらへおいでください、旅の宿へ、という意味です。謡曲「鞍馬天狗」にある言葉を踏まえた句です。伊賀は芭蕉の故郷ですが、忍者の里でもありますから、観光客向けには忍者が前面に出ているように感じます。

 開業から100年以上という伊賀鉄道の電車に乗って茅町駅で降ります。ここから、蓑虫庵、芭蕉生家、芭蕉翁記念館、俳聖殿を経て、伊賀鉄道の上野市駅まで歩きます。

 蓑虫庵の手前の交差点が小公園になっていて、「蓑虫の音を聞に来よくさの庵」の碑があります。背の高い記念碑で、絵も描かれ、笠の造形物も添えられています。わが草庵に蓑虫の声を聞きに来てほしいという意味で、江戸で素堂にあてて作られたようです。

 蓑虫庵は、幼いときから芭蕉と親交のあった服部土芳の庵です。伊賀国藤堂藩士の仕官を辞退し、1688(元禄元年)に庵を開き、1730年に74歳で没するまでこの庵で隠棲したといいます。正門は閉じられていて、管理棟の通用口から入ります。年月を経た庭が広がっていて、蓑虫庵の建物の周りには、蓑虫庵由来碑の他に、いくつもの碑があります。石に円窓をうがって蛙を浮き彫りにして「古池や蛙飛びこむ水の音」を刻んだ「古池塚」、芭蕉句の「よく見ればなづな花さく垣ねかな」の「なづな塚」、土芳の句「卒度往くわかな摘ばや?の傍」を刻んだ「若菜塚」、芭蕉が帰郷した時に脱ぎ捨てた草鞋を土芳がもらい受けて塚とした「わらじ塚」、1929(昭和4年)の土芳2000年忌に河東碧梧桐が揮毫した服部土芳供養墓、芭蕉を敬慕した神部満之助の句碑である「みの虫塚」などです。

 北西の隅にはちいさな芭蕉堂もあります。芭蕉堂は、大津市の義仲寺の芭蕉堂にならって1930(昭和5年)に作られました。芭蕉は上野に帰省した折にたびたび蓑虫庵を訪れており、伊賀の蕉門俳諧はここを拠点として発展したようです。土芳と言えば、芭蕉の偉業を後世に伝えるために著した「三冊子」が有名ですが、そのような著作も蓑虫庵で書かれたものなのでしょう。

 蓑虫庵を出てから芭蕉生家に向かって歩き、たくさんの寺が並んでいる寺町を通ります。その一つに、藤堂高虎をはじめ歴代藩主の菩提寺であった上行寺があります。線路を越えて、東に向かうと店屋が並んだ古い町並みがあり、芭蕉街などというネーミングも見えます。伊賀上野の町はこぢんまりとしていますから、あっと言う間に芭蕉生家が見えてきます。

 芭蕉生家は、1644(正保元年)に生まれて、1672(寛文12)に発句集「貝おほひ」を上野の天満宮に奉納して江戸に下るまでの29年間を過ごした家です。表通りに面して建つ句碑は、「笈の小文」の旅の途中に実家で詠んだ「古里や臍のをに泣としのくれ」です。亡き親を偲びつつ、へその緒を手にして、故郷での歳末に涙することだ、という意味です。生家の中を歩くと当時の生活が偲ばれるように思いますが、現在の建物は江戸時代末期のものと考えられ、芭蕉当時のものは残っていないようです。裏庭に建っているのは「貝おほひ」を執筆した釣月庵であると言われています。庭には芭蕉が植えられています。

 昼食・休憩の後、芭蕉翁記念館に向かいます。記念館では「芭蕉と門人」の企画展が開かれています。ここには芭蕉直筆の色紙や遺言状などの資料が展示され、いろいろな説明パネルもあります。館内の芭蕉像は、胸の前までの長さのある木の枝のようなものを杖にして、その太い木を両手で握っている姿です。笠も被らず頭陀袋も下げず、ちょっと珍しい姿です。

 近くにある俳聖殿は芭蕉生誕300年を記念して建立されたものですが、完成は1942(昭和17)です。屋根が笠の形になっていて、建物全体が芭蕉の旅の姿を表しています。堂内には伊賀焼で作られた、等身大の芭蕉翁瞑想像(座像)が安置されています。堂内には入れませんが、外からそれを見ることはできます。

 旅の終わりは伊賀鉄道上野市駅前です。駅前ロータリーに、芭蕉270年忌の1963(昭和38)に建立された大きな芭蕉像があります。東を向いて立つ芭蕉像は、太い杖を両手で握りしめて、背中に大きな笠を負っています。前方からの風に向かって立っているような風情で、衣が少し後ろにそよいでいます。台座だけでも身長の2倍近くあって、堂々としたものです。芭蕉翁記念館にあったのは、もしかしてこの像のレプリカであったのかもしれません。

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