« 言葉の移りゆき(20) | トップページ | 言葉の移りゆき(22) »

2018年5月 8日 (火)

言葉の移りゆき(21)

「人害」という言葉が無い

 

 スキー場のゲレンデでスイセン約30万株が満開となっているというニュースに、こんな表現がありました。

 

 今年は鹿の食害もなく順調に育ち、暖かい日が続いたため例年より10日ほど早く開花した。見ごろは5月前半まで。

 (毎日新聞・大阪本社発行、2018年5月1日・夕刊、3版、1ページ、木葉健二)

 

 この文章を書いた人をとがめるつもりは、まったくありません。私もあなたも、誰も彼もみんな同じです。「食害」という言葉が気になるのです。

 人間が生きていくということは、周りのものに「害」を与え続けていることに他なりません。人間が作り出して他の人間に迷惑をかけるものは、「公害」というような言葉でカムフラージュしてしまいます。動物が人間に対して不利益を与えれば「獣害」だの「食害」だのと言います。鹿にとっては生命維持のための営みであっても、それを「害」と言うのです。水産資源が枯渇するのは人間のなせる技であって、動物()にとっては大変な「害」であっても、それを、人が動物に及ぼす「害」とは言いません。人間は勝手な存在です。

 「環境汚染」という言葉はきれいすぎるのではありませんか。人間は周囲に大変な「害」を与えているのです。「環境に対して優しくする」というのも思い上がりです。人間が作り出している「害」を除去しなければならないという意識が必要です。

 いつの日か、国語辞典に、動植物や環境に対する「人害」という言葉が記載されるときは来るのでしょうか。言葉が無いということは、そのような意識を持ち合わせていないということなのです。

|

« 言葉の移りゆき(20) | トップページ | 言葉の移りゆき(22) »