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2018年5月10日 (木)

言葉の移りゆき(23)

「本土」と「本州」

 

 淡路島の洲本に務めていた頃、「本土」という言葉をしばしば耳にしたことがあります。「息子は本土の会社に勤めとる。」とか「奥さんは本土の人や。」などと言っていました。明石海峡大橋で結ばれていて地続き同然ですが、島という意識は強く残っているようです。同じ兵庫県にありながら、海を隔てているという意識があるのだなぁと思いました。「息子は神戸の会社に勤めとる。」とか「奥さんは明石の人や。」と言うこともできるのに、淡路島内であるか島外であるかという区別の意識が、このような言葉を残しているのかもしれないと思いました。

 

 この度の、刑務所作業場から逃走した容疑者が逮捕されたというニュースで、同じようなことに出会いました。

 

 潜伏先の広島県尾道市の向島から4月24日夜、本州側に泳いで渡った後、民家に数日間潜んでいたと供述していることが捜査関係者への取材で分かった。

 (朝日新聞・大阪本社発行、2018年5月2日・朝刊、13版、1ページ)

 

 今度は「本州」です。向島は尾道大橋で結ばれていて、尾道市に属しています。地続き同然です。狭い尾道水道に隔てられているだけですが、向島は本州に属していないということになります。朝日新聞だけでなく他の報道機関も「本州側」という表現を使っていますが、同じ尾道市にありながら、言葉の上では隔絶されている印象が残ります。

 わざわざ「本州側に泳いで渡った」と言わなくても、「尾道水道を泳いで渡った」と言えばよいと思います。報道機関はどのような意識で「本土側」という言葉を使い、右にならえということになったのでしょうか。

 前述の「本土」が地元の人の使う言葉であるのに比べて、「本州側」は地元以外の人が使う言葉であるのが気になります。

 例えば日本海側の、飛島(山形県酒田市)や舳倉島(石川県輪島市)のように大きく離れた島ならば「本土側」と言われても納得するでしょうが、泳いで渡れるほどの島を〈本土ではない〉とするのは、言葉の感覚からずれているのではないでしょうか。

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